第11話 雲のかけら 後編

 ヨイチはふわっと微笑んで、鳥小屋を後にした。


 そのまま己の部屋に戻っても退屈なので、どこかへ散歩にでも出かけよう。ヨイチはなんとなく、キキョウが怪我をして倒れていたあの場所へ、向かうことにした。

 屋敷を一歩出ると、そこは豊かな田園風景が広がっている。この村の要ともいうべき田んぼには、小さな小さな米の子供が、泥の中からひょっこり顔を出していた。けれど……。


(いつもよりも、水が少ないな)


 田んぼには、きれいな水が不可欠だ。だのに雨が降らないのでは、稲の育ちに大いに影響する。

 今は、まだいい。まだ、蓄えた水がなんとかしてくれている。けれど、このまま日照りが続けば、そうもいかない。


 米が不作だったら、この村は、とても困ることになる。上方には、すでに米を何俵売る、と決め事をしているのだと、乳母やが言っていた。その約束が、守れませんでした、で済むようなものではないことくらい、ヨイチとて理解している。


 ヨイチは空を仰いだ。例年であればそろそろ雨季のはずなのに、空には雲ひとつなく、薄い青の中で、太陽だけがぎらぎらと輝いていた。目を細めて、憎らしげに太陽を見つめた。にらめっこのように、しばし見つめ合う。しかし先に目を逸らしたのは、ヨイチの方だった。

 小さく肩をすくめて、道の先に視線を戻した。すると、見慣れない着物が目に映る。


(あれ……村の人、じゃあないよな)


 だとすれば旅人だろうか。しかし藍染の着物は美しく、長旅にくたびれた様子もない。しかし、着物も帯も、根付だって、ここいらの村の者がおいそれと買えるような代物ではないことくらい、一目で見て取れる。村一番の金持ちである父でさえ、持っていないような代物だ。

 その男は涼やかな顔を、田んぼに向けていた。作り物のように整った顔からは、男が何を考えているのかを、読み取ることはできない。


(お大名様……だったりするのかな)


 ヨイチにとって、真っ先に思い浮かべる雲上のお人といえば、大名家だった。想像の中のお大名様は、かの男のように綺麗な顔で、綺麗な着物を着て、綺麗な所作をしていた。

 だが実際に大名が、供の一人も連れずにこんな場所にいるなど、考えられない。


「あの……?」


 ヨイチは男の正体が気になって、声をかけた。すると男はこちらを振り向いて、なぜかそのあと、少しだけ驚いた顔をした。


「おや、こんにちは」

「こんにちは」


 とっても整った顔は、少し話しかけ難い雰囲気があったが、にこりと笑うと優しそうで、怖い感じは全くなくなった。


「お前さんは……この辺りの子かな」

「うん。そうだよ」


 己が名主の子だと言うと、男はちょっと目を見開いた。


「そうか……名主の子。それで……」

「え? なに?」


 男はしゃがみこんで、ヨイチと目線を合わせた。


「実はね、私はお前さんに会いに来たんだ」

「我に?」

「そう。お前さん、半月ほど前に鳥を拾ったろう」

「う、うん……」


 なぜこの男がそれを知っているのか。それを知って、どうするつもりなのか。なんだか不安になったのだが、不思議とこの男に嘘がつけなかった。

 案の定、男は嫌なことを告げてくる。


「その子を、返してほしい」

「返す……? あなたに?」


 早くも泣きべそをかきながら問うと、男は首を横に振った。


「その子を探しているのは、私じゃぁないんだ。この子の親だよ」


 曰く、この子は雲の子だという。

 比喩でもなんでもなく、お空に浮かぶ、雲の子供だと。


「お、お空の雲の子?」

「そうだとも」


 雲の子が怪我をして、空から落っこちた。親である大雲は空を離れ、我が子を必死に探しているという。だから今この辺りは、雲ひとつない晴天が続き、雨も降らないのだ。


「だから、頼むよ。その子を返しておくれ」

「嘘だ!」


 気付けばヨイチは、差し出された手を引っ叩いて、叫んでいた。涙が頬を伝う。


「キキョウは、雲の子なんかじゃあない! キキョウだ。キキョウの生まれ変わりだ!

 我のところに戻ってくれた、キキョウなんだ……!」


 だいいち、男の話が本当だったとして……キキョウが本当に雲の子だったとして、なぜそれを、この男に渡さなくてはならないのか。それとも、人間にしか見えないこの男も、実は雲の子だとでも言うのか。


「ああ、至極まともな疑問だね。

 確かに、私は雲の子じゃ、ないよ。けれど……」


 そこで言葉を切って、男は大分迷った様子だった。しかし、とうとう諦めた様子でため息をつくと、「頼みごとをしているのは。こちらの方だからね」とつぶやいて、人差し指だけをピンと立て、形の良い唇に当てた。


「私はこう見えて、ちょっとだけ普通じゃないんだよ。少なくとも……そうだね。雲の子と知り合えるくらいには、変わり者なのさ」


 内緒だよ、といたずらっぽく笑う男の顔を、穴があくほど見つめる。雲の子と知り合える人間を、変わり者の一言で済ませて良いのだろうか。

 理解が全く追いつかないのに、男は話をどんどん進めてしまう。


「雲の子は、基本的に人間に干渉してはいけないんだ。だから、それができる私に、話が回ってきたんだよ」

「……あなたも、人間なのに?」


 ぐすっと、鼻をすすりながら聞き返すと、男は何がおかしいのか、少しだけ笑った。


「だから、私は変わり者なのさ。

 ところで、お前さんのところにいる雲の子……キキョウと言ったかい? キキョウは、外に出たがったり、しなかったかな?」


 はっとした。確かに、キキョウは何度も何度も、外に出ようとしていた。


「そんなことない! 絶対に、そんなことあるもんかっ!」


 ヨイチは叫んで、その場から逃げ出した。

 精一杯走って、走って、キキョウが寝ている小屋の前まで来て、ようやく振り返った。旅人の男が追ってくるかとも思ったが、ヨイチの背後には、雲ひとつない青空だけが、広がっていた。






 その夜、ヨイチはキキョウの小屋で眠っていた。

 乳母やからはぶつぶつと文句を言われたが、得意の泣き落としで、どうにか許してもらったのだ。ヨイチはキキョウを抱えたまま、うとうととしていた。今夜はずっと起きてようと思ったのに、眠くて眠くて仕方ない。


 とにかく今は、キキョウから目を離したくなかった。今にもあの男が、キキョウを攫いに来るのではないか。そう思うと、居ても立ってもいられない。

 しかし時は、何事もなく過ぎていく。杞憂だったのかもしれない。けれど、それならそれで、構わないじゃないか。


 やがて雲のかからない空に浮かぶ月が、正中を越えた頃、どこからか綺麗な笛の音が聞こえてきた。


(なんだろう……? 初めて聞く音なのに、なんだか心が落ち着くよ)


 そう思ったのを最後に、強烈な睡魔が襲ってきた。ぐらりと体が傾ぐ。


「すまないね……」


 どこからか声が降ってきた。つい最近、聞いた声だ。でも、どこで聞いたんだっけ?


 それから、また違う声が聞こえた。初めて聞くはずの声。でもどこか懐かしいような、少し高くて透き通った声。


「ありがとう、ヨイチ」


 覚えているのは、そこまでだった。






 翌日、朝日のまぶしさに目を覚ますと、キキョウの姿はどこにもなかった。鍵をかけておいたはずの戸は開け放たれており、その鍵の束は、己の懐に入ったままであった。

 キキョウが好んで眠っていた隅の藁の中に、きらりとした輝きを見つけた。それに手を伸ばし、拾う。それは雲の浮かぶ青空を閉じ込めたような模様をした、珠であった。両手できゅっと握りしめる。


「坊ちゃん」


 後ろで戸が軋んだ音を立てて、開いた。慌てて振り返るが、そこにいたのは乳母やだった。


「体は痛くありません? もう、鳥小屋で寝るだなんて、これっきりにしてくださいね」


 乳母やはキキョウがいないことには、まだ気づいていないようだ。


「さあ、さ。出てくださいまし。今日も良い天気ですよ。……あら?」


 追い立てるようにしてヨイチを鳥小屋から出した乳母やは、空を仰いで不思議そうに首をかしげる。

 先ほどまで青一色であった空は、どんどん陰りを見せている。


「あ……降ってきた」


 ぽつり、ぽつりと降り出した雨は、乾ききった大地を優しく濡らしていく。ヨイチは天を見上げ、雨を全身に受ける。

 ヨイチのほおに、雫が流れた。それが涙なのか、それとも雨なのか、ヨイチにはもうわからない。


 どこからか「ぴい」と、少し高くて、澄んだ鳴き声が聞こえたような気がした。


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