第11話 雲のかけら 前編

 半月ほど前、そう、ちょうど日照りが続くようになる少し前のこと、ヨイチは雲のかけらを拾った。


 よくよく見ると、その正体は真っ白な鳥であった。うずらのように丸く、綿のようにふわふわで、まるで雲のようだった。それは、ぴいぴいと、少し高くて透き通った声で鳴いていた。

 近寄ってみると、怪我をしているのが分かった。


「あれ、かわいそうに」


 抱き上げると、霞のように軽かった。きっとその体が丸く見えるのは、羽がかさばるからで、本体は痩せ細っているに違いなかった。

 助けてやろうとしているのに、雲はヨイチから逃げようとするように、ばたばたと羽を動かした。けれど怪我をしているからか、子供のヨイチの力でも、十分に抑え込むことができた。


「こら、暴れるな」


 ヨイチは無理やり雲を抱え、己の家へと戻った。その間にも、雲は何度も弱々しく鳴いていた。よほど痛いのだろう。その痛みを想像して、じんわりと浮かんでくる涙を無茶苦茶に拭った。


 ヨイチはこの辺りの名主の子で、長男であったから、将来はこの家を継ぐ。この不安定な世の中でも、かなり恵まれた生まれであった。

 父の仕事は、かなり上手く行っているようだ。ヨイチはつい先日も、供を連れて大名屋敷に向かう父の背を見送った。

 一体父が何をしに行っているのか、詳しいことは分からないが、少なくともヨイチは、生まれてこのかた、食うものにも着るものにも、金にも困ったことはなかった。だから獣の手当てをする余裕や、それを飼うだけの余裕が、この家にあることだけは、知っていた。


 小さな雲を胸に抱えて、広すぎる敷地を駆けた。獣の手当の道具なら、己の部屋にもある。綺麗に整えられた庭の土を蹴り荒らし、最短距離でひた走る。部屋のすぐ脇には大きな小屋があるのだが、ヨイチは意識して、それを見ないようにしていた。


 部屋に飛び帰ると、長男の慌ただしい帰宅に眉をひそめた乳母やが、こちらを睨んでいた。


「坊ちゃん、お家の中は走らないようにと、あれほど言ったでしょう!」

「ああ、ちょうどいいところに!」


 しかしヨイチには乳母やの言葉など頭に入ってこなかった。代わりに入ってきたのは、(良かった、治療してくれる人がいた)との思いだけだ。

 今にも泣そうな顔のヨイチは、両手に抱えた雲を、乳母やに見せた。


「ねえ、助けてあげておくれよ。お願いだよ」

「あれ、まあ」


 怒っていた乳母やも、可愛らしい鳥がぐったりしているのを見て、すっかり眉を下げた。そして大急ぎで手当をしてくれた。


「真っ白で、なんと可愛らしい子だこと。……ねえ、坊ちゃん。きっとこの子は、キキョウの生まれ変わりですよ」


 キキョウと聞いて、ヨイチはぎくりと身をすくめた。


「ほら、やっぱり坊ちゃんが大好きだから、帰ってきてくれたんですよ。ねえ」

「そう……かな。えへへ、そうだと、いいな」


 ヨイチは顔にぐっと力を入れて、必死に泣くまいとしていた。その代わりに、手当を受けている鳥が、ヨイチに顔を向けて、ぴい、と一声だけ鳴いた。






 キキョウとは、かつてヨイチが飼っていた文鳥の名である。

 手乗りで、小さくて黄色くて、たいそう愛らしかった。ヨイチが名を呼ぶと、ぴいと返事をして、肩に飛び乗った。


 そんなキキョウの、小さな翼を切ってしまうのは、あまりに可哀想に思えたので、ヨイチは泣いて喚いて、その翼を守った。


 キキョウは自由に空を飛べる。でもそれは、良いことばかりではない。キキョウは文鳥だったから、屋敷の外に出てしまうと心配だ。カラスにでも襲われてしまったら、ひとたまりもなかろう。

 しかしキキョウは賢かった。キキョウは放し飼いにされていたにもかかわらず、屋敷の中を飛び回ることはあっても、その敷地から出ることは、決してなかった。一応ヨイチの部屋のそばに鳥小屋はあるが、あまり使われてはいない。


 だからヨイチも安心していたのだが、あくる日のこと、客人が連れてきた犬が急に吠え出したことに驚いて、キキョウは屋敷の外に逃げ出してしまった。

 あわてて追いかけるが、空を飛ぶ小鳥の速さには、とてもではないが追いつけるものではなかった。


「キキョウ、キキョウ!」


 叫べども叫べども、黄色い鞠が飛んでくることはない。


 何日も、鳥小屋に芋やら粟やらを置いて、待った。しかし、それが何十日になっても、何ヶ月になっても、とうとう一年が経っても、キキョウは帰ってこなかった。


「きっと、どこかの富豪が拾って、大事に育ててくれてますよ。あんなに可愛いんですもの。ねえ?」


 乳母やはそう言って慰めてくれたが、それを素直に信じられるほど、ヨイチは幼くなかった。


「そう、だよね。きっと……無事だよね」


 それでもヨイチは、そう答えた。心のどこかで、キキョウがどうなったのか、予想はついていた。それでも、そう答えずには、いられなかったのだ。

 だから乳母やが、白い雲をキキョウの生まれ変わりだと言ったとき、疑うことなくそれを信じた。


 大好きなキキョウが、帰ってきてくれた! それがただ、嬉しかった。

 でも、だからこそ、二度と同じ過ちは犯すまいと、固く誓った。


 ヨイチはかつてキキョウが使っていた鳥小屋をきれいに掃除して、生まれ変わったキキョウが心地よく住まえるように、巣の形を変えた。金網を張り巡らせ、出入り口には鍵までつけた。扉を二つ用意して、万一のときでも対応できるよう、慎重に慎重を重ねた。


「キキョウ、ご飯だぞ」


 そう言って、かつてのキキョウの好物であった芋を差し出した。今世のキキョウは芋を食べるのは初めてのようで、しばらくの間は警戒していたが、やがて小さな嘴で芋を突いた。


 キキョウが戻ってきてから、半月が経った今では、ヨイチが出す飯には、疑いなく飛びつくようになった。しかしヨイチが姿を見せると、必ずキキョウは扉を出ようとしてしまう。


「だめだったら。ほら、戻れ」


 手をばたつかせてキキョウを鳥小屋の隅に押しやると、キキョウは恨みがましくぴいぴい鳴く。大好きなキキョウにそんな態度を取られて、泣きたくなってくるが、我慢する。


「そんな顔しても、だめだ。これはお前のためなんだから」


 人差し指で小さな頭を撫でてやる。キキョウは気持ちよさそうに目を閉じて、そのまま眠ってしまった。

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