第6話 二人――魔術師ならざる君
「私が、名前、付けてあげる」
その言葉に対する、彼の返事は、なかった。
「……」
相変わらずの、無言。
それをどう捉えていいのかわからず、思わず一瞬、口を閉ざす。……でも、思い切って、言う。
「アイアス。…………どう」
「あい……あす……」
ここの時計の音は、こんなに大きかっただろうか。
わからない。
それともこれは、もしかして心臓の音……?
無限に思える時間の後、世界が静寂に包まれる。そして、それを切り裂いて発せられる、ひとつの音。
「それは、命令?」
「……別に、命令……じゃないわ。でも……でも、そう、不便だから! 不便だから。そう、名乗ったらどうって言ってるの」
「不便……」
「ええ、そうよ」
「…………じゃあ、これからは、アイアスって、いう」
「……うん。うん! ……改めて、よろしくね!」
そう言って、気付かぬうちに張り詰めていた肩の力を抜く。
胸中を満たすのは、慣れない感情だった。
この気持ちは何だろうと、ふと、思案する。
そして、気付いた。……小さいころ、お父さんとお母さんと一緒に、ピクニックに出かけたとき。あの時の、感情に、似ている……。
「それよりも、いつまで立ってるつもり? 椅子にでも座りなさいよ、アイアス」
「……」
相変わらずの無言だったけれど。けれど、隅にある机の前の小さな椅子にちょこんと腰かけたアイアスを見て、マリーはくつくつと笑った。
思えば、この地に来て、初めて漏らした笑いだったかもしれない。そんなことを、ふと思った。
「マリー、いる?」
それから、少しもしないところで、ギィと軋み声を上げながら、扉が開け放たれる。
「あ、シータ」
「よかった。いる、ね。急だけど、明日の飛行機で、あっちに戻ることになったから、それを言いに、さ。マリーも、帰るでしょ?」
「やたっ! もちろん帰るわ! こんな暑いところ、もうこりごり」
「ふふっ。そういうかなあとは思った。……でも、いいの? いろいろ、知りたいこともあると思うけど」
その疑問に、マリーは少し視線をシータから逸らしながら、
「あーうん……でも、あれは、さ。ここで粘ったところでどうにかなるとも、思ってないし」
それをどう思ったのかはわからないけれど、シータは頷くと、
「そう。わかった。じゃ、飛行機、取っとく、ね。……それで、そこの彼は、どうするつもりなの?」
「あ……それはもちろん……」
チラッとアイアスの方に顔を向けるが、その本人はどこを見つめているのかすらわからない無表情だった。
「ねぇ、アイアス、帰るところ、あるの?」
そこではじめて、彼の目の焦点が会話をする二人に合う。
「帰るところ…………たぶん、今は、ない」
「ん……わかった。――シータ、あいつの分も飛行機取れる?」
「ふふっ。そんなことかなと思って、取っておいた」
「さすが! ところで、明々後日ぐらいまでいるって言われてきたのに、明日ってまたずいぶん早くなったのね」
「そりゃあ、まあ、誰かが襲われでもしたら、ね」
「あ……」
そこで、マリーはシータが彼女の監視に来たというような旨のことを言っていたのを思い出す。
「見てたの……?」
「もちろん」
「ジー―」
なんで助けてくれなかったの、と、目で訴える。
「って、マリー、自分で何とかしちゃったじゃない。だから、魔術を使ったのも許してあげたの。そうじゃなかったら今頃……」
そう言って、どこか遠くを見つめるシータ。
「今頃……?」
「オホン。それを言うのは、やめておく、ね」
「え、えー……」
聞きたいような、でも聞きたくないような。
そんな風な顔で顎に手を当てるマリーだったが、何を思ったか、そこで思い出したというように、手を叩き、口を開く。
「あ! そういえば、もしかしてあの時、
「あ、あはは……なんのことか、な?」
「やっぱり! シータだって魔術使ってるじゃん!」
「あれはマリーが一般人相手に魔術使ってたから、だね」
「えー! でも、アイアスは私の
「でも、彼、魔術は使えないんだよね?」
「そうなのよねー……」
そこで、マリーはアイアスに向き直る。
それは、純粋な疑問だった。
「ね、アイアス、ホントに魔術、使えないの?」
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