第3話 青年の話(2)

 そうやって、知り合ってから毎日一緒に過ごしましたけれども、やがて、僕が実家に帰る日が近づいてきました。僕は、帰らなくてはならない日の前日まで、彼女にそのことを黙っていました。話してしまえば、きっと彼女が悲しむ。そう思ったからです。でも、前日になってしまって、ついに僕は打ち明けました。ここには祖父の手伝いをしにきただけだということ、明日、遠い場所にある実家に帰らなくてはいけないこと……。

 彼女は、ものすごく悲しそうな、寂しそうな顔をしていました。もっと遊ぼうよと言われたけれども、僕はまだ子供で、わがままを言っても大人が決めたことには逆らえません。だから、彼女と約束したんです。いつか必ず、ここにまた来ると。とは言っても、僕がここに来られるかどうかは、両親や祖父にかかっているのですが。

 そう言っても、サリィはしばらく拗ねていましたが、日が暮れる頃になって、彼女は被っていた花冠を、僕に渡してくれました。絶対にまたここに来て会うという、約束の証として。彼女、その花冠を、僕の左手の薬指に、指輪のようにはめたんです。当時、僕の手はまだ小さく、ぶかぶかでした。でも、すごく嬉しかった、彼女が僕を待っていてくれること、その気持ちが美しい形になって渡されて。

それだけではありません。左手の薬指――幼い僕は、そこに指輪をはめる意味を、ぼんやりと理解していました。結婚した証、一緒にいたいと願う、大好きな人がいる証。だから僕は言ったんです、結婚の指輪みたいだねって。すると彼女、結婚の意味を知らないらしくて――いや当時の僕もちゃんとしたことを知らなかったんですけど――たまたまその指にはめたみたいなんです。

 僕は、僕なりに知っていることを、彼女に教えてあげました。この指に指輪があれば、結婚しているということ。結婚とは、大好きな人がいて、その人とずっと一緒にいること。そうしたら、サリィは僕と結婚したいって言い出したんです。僕も彼女とお別れなんて嫌でしたけれども、それはできないと、断りました。だって結婚は、大きくならないとできませんから。

 大きくなる。大人になる。サリィは、大人になるのは何歳なのか、聞いてきました。十二歳くらい? って。でも、十二歳は、完全な子供ではないけれども、大人でもないと、僕は思っていましたから……十六歳ぐらいかなって答えました。実家の近所に、十六歳のお兄さんが住んでいたんです。その人は見た目はまだ少しだけ子供っぽかったのですが、働いてて大人に見えたので、それくらいかな、と。

 サリィはそれ以上、結婚の話をしませんでした。ただ、すごく寂しそうにしていたのを、憶えています。それでも彼女は、絶対にまた会いに来て、と言ってくれて、その次の日の朝、僕は祖父の家を出て、実家に帰ったんです。

 彼女からもらった花冠は、不思議なことに、どれだけ時間が経っても、枯れませんでした。僕はその花冠を、いつも指にはめていました。それが変だと笑う人もいましたけれども、僕は、彼女がこの薬指にはめてくれたことが、本当に嬉しかったのです。

 実家に帰って、僕は両親に、すぐにでもまた祖父のところへ行きたい、とお願いしました。でも何かとあって、すぐには行けなかったんです。再び祖父の家に行けたのは、一年後の春でした。また一人で、祖父の手伝いをしに行くことになったのです。

 やっと行ける、と思った反面、僕は不安でした。果たしてサリィはちゃんといるかどうか。一年も経ってしまって、僕が約束を忘れてしまったんじゃないかと思われていないか。あの花冠は枯れてはいませんでしたが、とにかく不安でした。

 でも、祖父の家に着いて、長旅で疲れていても休むこともなく屋根裏部屋に行けば、サリィはちゃんとそこにいたんです。

 屋根裏部屋の扉を開けて、僕は彼女の名前を呼びました。最初は反応がなくて、ひどく不安でした。迷路のようになっている室内を進んで、必死に彼女を捜しました。けれども見つからなくて――すると、奥の窓際に、薄い黄色の花が一輪、置いてあったんです。つい先程置いたかのような、瑞々しい花でしたから、もちろん不思議に思いましたよ。だから手にとって見たら、その花、とたんに蝶に変身して、室内を飛び回り始めたんです。しばらくしてその蝶は、空気に溶けて消えてしまいました。そして僕が驚いていると、あの笑い声が聞こえてきたんです。

 振り返って窓際を見れば、サリィがいました。彼女は、僕のことを、待っていてくれたのです。

 それからはまた、彼女と一緒に日々を過ごしました。遊んだり、お喋りしたり、森を散歩したり、掃除を手伝ってもらったり。僕が一年間、ずっと待っていた素敵な日々です。彼女は一年経ったのにも関わらず、一年前と同じように接してくれましたよ。僕も、一年会えなかったなんて忘れてしまったように、でも確かにあったからこそ、一秒一秒を大切にするように、彼女と過ごしました。

 でも、やっぱり別れは来るもので。

 その年も、僕が実家に帰らなくてはならない日が近づいてきました。前日になり、サリィは嫌がったし、僕も嫌だったけど、やはりどうにもできません。実家に帰って、両親に早くまた祖父の家に行きたいといっても、簡単にはいきませんし。だからまた約束したんです。この様子なら、また来年、祖父の家に手伝いに来られると思うから、その時にまた会おうって。すると彼女は、僕がまだ左手の薬指にはめていた花冠をとって、かわりに、その日、彼女が頭に被っていた花冠を、新しくはめたんです。新しい約束の証として。そして、古い花冠は更に年月が経てば枯れてしまうから、と。

 それからは、僕の予想通り、一年に一回、春に祖父の家に行くようになりました。年老いた祖父のかわりに、一年に一回、家を大掃除するために。でも、僕にとって、それが本当の目的ではありませんでした。サリィに会うためです。彼女は、その次の年も待っていてくれましたよ。そして僕が祖父の家にいる間、一緒に過ごして、別れが近づけば、新しい約束の証として、花冠を新しく交換しました。そして、また一年を待つのです。

 けれども、僕が十一歳になった春のことです。

 去年のように、春に祖父の家に行って、彼女に会い、一緒に過ごして、そして別れの日が近づいて古い花冠と新しい花冠を交換するとき、彼女はふと、聞いてきたのです。僕がいま何歳なのか。僕は素直に十一歳になったばかりだと、答えましたよ。そうしたら彼女――ものすごく悲しそうな顔をしたんです。いままでにないほどに。それこそ、そのまま消えちゃうんじゃないかって、思ったくらいです――そう思った、その通りのことが起きるのですが。

 僕は何か悪いことをしてしまったんじゃないかと思って、心配になりました。でも、違いました。

 サリィは教えてくれました。

 妖精は子供にしか見えない存在だと。

 そして十二歳になると、僕は子供ではなくなってしまうと。

 だから、来年は会えないかもしれないと。

 十二歳は、決して大人ではないけれども、子供でもなくなるそうです。その中間……みたいです。そうなってしまえば、妖精は見えなくなる。彼女はそう言いました。そこで僕は、結婚と大人になる話をしたときに、彼女が寂しそうな顔をした理由がわかりました。僕が彼女と一緒にいられるのは、子供の時だけだったんです。

 それでも僕は信じられなくて、信じたくなくて、また彼女と約束しました。来年も会おうって。彼女は……最初のうちは、約束をしたがりませんでした。そんなことしても、果たせないからと。でも、やがて、もしかすると、また来年会えるかもしれないと思ってくれて、花冠を新しいものに交換してくれたんです――僕は絶対約束を果たそうと思いましたよ。十二歳になったら彼女と会えなくなるなんて、そんな話あってたまるかと思いました。こんなに仲良しなのに、毎年一年待って、やっと彼女に会えるのに、もう会えなくなるなんて。でも、約束したのですから、変な話、来年も会えるだろうって思えたんです。

 それが彼女との、最後の会話になりました。

 ええ。その次の年、十二歳になった僕は、また祖父の家に来たのですが、サリィに会えなかったんです。

 毎年のように、祖父の家に着けば、まず屋根裏部屋に行きました。そして彼女の名前を呼んだのですが……出てこなかったんです。いくら呼んでも出てこなくて、ひとまずは祖父のところへ戻りました、あまり屋根裏部屋にいると、祖父に怪しまれますから。

 その時は、彼女はいま、いないのかな、と思いました。彼女はまれに、屋根裏部屋ではなく、森の方に行っていることもありますから。もしくは……妖精の世界に。それで、すべての用を終えて、再び屋根裏部屋に行ったのですが、やはり彼女はいない。日暮れまで待っても、姿を現さない。次の日になっても、その次の日になっても。そうなって、彼女が言っていたことは本当だったのだと、やっと気付きましたよ。僕は、もう子供でなくなってしまって、妖精と接することができなくなった。もう二度とサリィには会えない――その日は、泣きながら寝込んでしまいましたよ。あの花冠の指輪を大事に握りながら。約束したのに、絶対に会うと決めていたのに。

 それでも、毎日、屋根裏部屋に通い詰めました。もしかしたら、と思って。もしいるなら、イタズラしてくるんじゃないかって。でもイタズラもありませんでした。もしかすると、サリィはそうやって近くにいることを知らせても、悲しいだけだと思ったのかもしれません。あるいは、僕が子供でなくなってしまったから、イタズラもできなくなったのかもしれません。けれども、僕は、ただ彼女が確かにそこにいることを知りたかった。見えなくても、話せなくても、そこにいることを知りたくて、屋根裏部屋でじっと待っていたのです。でも、彼女の気配も何もしなくて。

 僕が実家に帰らなくてはいけない日の前日、その日も、屋根裏部屋にいました。それでも、現れなくて、僕は泣きながら花冠の指輪をテーブルの上に置きました。いつも帰る日の前日に、指輪を交換して古いものを返していましたから、彼女に返さなければと思ったのです。それにこれは、約束の証。約束を果たせなかった僕に、持っている資格はありません。だから、置いていこうと思ったのです。

 次の日。僕が実家に帰る日。

 僕は最後にもう一度、屋根裏部屋に行ってみました。サリィがいるのではないかと。待っているのではないかと。それでもやっぱり彼女の気配はありませんでしたが――昨日置いた花冠が、別のものになっていたんです。僕が昨日置いたのは、紫色の花冠、でも今日同じ場所にあったのは、青色の花冠。間違いなく、サリィが置いていったものでした。

 やはり、サリィはいたのです。そして僕が彼女を認識できなくても、彼女はまた来てほしいと、メッセージを残したのです。

 だから僕は、その次の年も、祖父の家に行き、屋根裏部屋に向かいました。

 サリィの存在を感じ取れないけれども、確かにそこにいるとわかったのですから。僕は、見えなくても、会話できなくても、去年から今年まで何があったかを聞かせたり、彼女が隣にいると信じて森を散歩したりしました。もちろん、はたから見れば変な子だと思われたでしょう。でも、サリィは確かにそこにいました。その証拠に、帰る日の前日、屋根裏部屋に花冠の指輪を置いておけば、次の日には別の花冠になっているのですから。

 僕が彼女を認識できなくなっても、僕と彼女の交流は続いたのです。僕の秘密の友達は、姿が見えなくなっても、声が聞こえなくなっても、僕を待っていてくれたのです。いまでもあの日々は、奇跡のようだったと思います。本来なら、もう関わり合うことができなかったのですから。けれども、花冠が僕達を繋いでくれたんです。

 あの頃僕は――この幸せな関係が、永遠に続くと思っていました。そして僕は将来、大人でも妖精が見えるようになる研究をしたいと考え始めました。そうしたら、本当にサリィと再会できますから。

 でも、僕と彼女の関係は、長くありませんでした。

 ――僕が彼女を、振ってしまったのです。

 あんなにも、彼女を愛した僕が。

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