第2話 青年の話(1)

 ――八歳になった春、僕は両親の元を離れて、祖父の家で数日過ごすことになりました。

 祖父の家は、実家から遠い場所にあり、僕は一人で列車に乗って、祖父の元へ向かいました。何故両親が僕と一緒に来なかったのかは、わかりません。ただ、いま考えれば、両親は二人だけの時間が欲しかったのかもしれません。祖父との仲も、そこまでよくなかったのかもしれません。

 駅に着いて、そこで僕は祖父に迎えられました。この時、僕は初めて祖父に会ったのですが、祖父は怒ったような顔をしていて、少し怖い人だと思いました。無口ですし。それがいつもの顔で、無口なのも、もともとだと知ったのは、数年後です。でもそんなことを知らない当時の僕は、びくびくしながら祖父の後をついて行き、家へと向かったのです。

 祖父は見た目が怖い人でしたが、家はかわいらしいものでした。森のすぐ隣にある、小さなお屋敷のような家です。祖父はそこで一人で暮らしていました。到着して、僕はここにいる間、自室として使う部屋を案内され、しばらくそこで休んでいると、やがて祖父に呼ばれ、一緒にお茶をしました。お茶と言っても、楽しくお喋りするものではありませんでした、祖父は何も話そうとしませんから。ただ紅茶を飲んで、お菓子を食べるだけです、二人向き合って。当時は祖父が何がしたいのかわかりませんでしたが、多分、僕とお喋りしたかったんだと思います。

でも祖父は口下手ですから、結局、僕に『ここにいる間、この家の掃除をして欲しい』と頼んだだけで終わりました。祖父は高齢で、この家を隅々まで掃除して綺麗にするのは大変です。どうやら僕は、掃除をするために、ここに呼ばれたみたいでした。

 といっても、僕は掃除嫌いではないですし、そう頼まれて嫌な気分はしませんでした。逆にどきどきしましたよ、祖父の家にはおもしろそうなものが沢山ありましたから。次の日からは、探検するような気持ちで掃除を始めました。それに難しくはありません。掃除のやり方は祖父が教えてくれましたし、どの部屋からやるか、何日目に何をやるか、というスケジュールも作ってもらいましたから。あと、掃除をするといっても、一日の半分以上は自由時間です。その自由時間、僕は祖父の持つ骨董を眺めたり、近くの森を散歩したりしていました。

 さて、ある日の自由時間、僕は家の中を探検していました。その日、僕は屋根裏部屋に行ってみることに決めていました。この屋根裏部屋なんですが、掃除リストには入っていない部屋で、前日にそのことに気付いたんです。それで行ってみようと考えまして……ほら、屋根裏部屋って、なんだか楽しそうな響きでしょう? それに、祖父の話によると、屋根裏部屋には使わないものをしまってあるらしいですから、より何があるのか気になってしまって。だから、探検してみることにしたんです。

 細く、急な階段を上がって扉を開けば、ごちゃごちゃとした屋根裏部屋がありました。壊れた棚やランプ、古びた小物が詰まった木箱など、想像通り様々なものがありました。でも、思ったよりも多く、屋根裏部屋は迷路のようになっていたんです。そんな中を探検するのは、本当に楽しかったですよ。埃っぽく薄暗いけれども、全く気にはなりません。

 そのうち僕は、小さな箱を、汚れたテーブルの上で見つけました。その小さな箱には奇妙で複雑で、でも美しい模様が全面にあって、僕はそれがすぐに秘密箱だってわかりました。祖父がいくつか持っていたんです。掃除をしている時に見つけて、何かと尋ねたら、遠い地方の箱だって教えてもらいました――見たことありますか? 秘密箱。仕掛けを解かないと、開けられない箱なんです。

 その秘密箱の中には、何か入っているようでしたから、僕は開けてみようと思いました。でも中々開け方がわからなくて。それで僕は、近くの椅子に座って、じっくり時間をかけて開けてみようと思いました。

 でも、椅子に座って改めて手に持っていたものを見ると、僕は、秘密箱じゃなくて、小さな花瓶を持っていたんです。

 あの時はびっくりしました。僕は一度も秘密箱を手放してはいないのに、花瓶になっていたんです。縁の欠けた、小さな花瓶に。もう理解ができませんでしたよ。そこで顔を上げると、テーブルの上には、最初のように秘密箱があったんです。とりあえずは箱があったから、僕はそれ以上、どうして秘密箱が花瓶に変わったかなんて、考えませんでした。花瓶を置いて、もう一度秘密箱を手に取れば、また椅子へと戻りました。この時までは、僕は確かに秘密箱を手にしていました。けど、椅子に座ってしばらく仕掛けを動かしていたら――気付いたら、僕が持っていたのは、ティーカップになっていました。

 テーブルを見れば、やはりそこに秘密箱がありました。けれどもよく見ると、最初にあった位置から、まるで僕から逃げようとするみたいに、動いていました。それでも僕はまた秘密箱を手にとって、開けようとしました――変でしょう? こんな奇妙なことが二回も起きた上に、僕は特に何も思わないなんて。でもその時僕はまだ子供で『奇妙だ』ってことが理解できなかったし、とにかく秘密箱を開けてみたかったのです。

 秘密箱はその後も、別のものと入れ替わりながら逃げましたよ。気付けば燭台になっていたり、ぬいぐるみになっていたり、またなんて言えばいいのかわからないものになっていたり……それから、秘密箱はテーブルから離れ、床へ逃げたり、棚へ逃げたり、見つけるのが大変になってきました。それでも僕は、必死に開けようとしたんです。でも……いい加減疲れてきてしまって。探すの、本当に大変なんですよ。

 だから、また逃げた秘密箱をなんとか見つけたものの、僕はもう止めようかなって、溜息を吐いたんです。そしたら――くすくすって、笑われたんです。

 ちゃんと聞いていないと、そよ風かなと思うような声でした。僕はやっと、不思議なことが起きていると気付いて、誰かがいる、と、あたりを見回しました。でも、屋根裏部屋に、人影はありません。けれども、僕は見つけたんです。壊れたランプの下に、小さな小さな女の子がいるのを。

 その子が、妖精サリィでした。

 妖精。あなたは信じますか?

 ……最初は陶器の人形かと思いました。それほどに……完璧な姿をしていた、とでも言ったらいいのでしょうか。そう、妖精の陶器人形。ほんのりと桃色がかった白色の髪。そこに小さな赤色の花で作った花冠を被っていて、大きな耳は先が尖っていました。身体は華奢で、着ている服は……着ている、というよりも纏っているようでした。靴は履いていなくて、背中にはガラスのような蝶の羽がありました――ほとんど、世の中で「妖精」といわれてぱっと想像できる姿です。だから僕は、最初、作り物だと思ったんです。

 けれども彼女、瞬きをしたんです。大きな金色の瞳を、ぱちりと瞬きさせて笑うのを、僕は見たんです。

 僕は彼女が本物の妖精だと気付いて、驚きました。それから、この変な現象が彼女の仕業だとも、わかりました。

 僕が驚いていると、彼女は更に笑って、近づいてきたかと思えば、ふわふわと周りを飛び回りました。でも、ゆっくりになったかと思えば、僕の顔の前でぴたりと止まって、首を傾げたんです――仲間じゃない、もしかして人間? って。

 どうやらサリィは、僕を妖精だと思ったみたいなんです。それで、普段は人の前に出ることなく、姿を隠しているそうですが、僕が妖精に見えたから、イタズラをしたそうです。

 僕が人間だと教えても、サリィは最初、信じようとはしませんでした。僕の周りを漂って、本当に人間なのかじっくり観察したり、再び尋ねてきました。やがて、本当に僕が人間だとわかると、少し怖くなったみたいで、最初に隠れていたランプの陰に隠れてしまったんです。それでも彼女は、そっと顔を出せば、いろいろなことを聞いてきました。僕の名前や、どこからきたのか、何をしていたのか。僕も聞き返しましたよ、彼女の名前、本当に妖精なのか、どうしてここにいるのか――そこでようやく、僕は彼女がサリィという名の、本物の妖精で、この屋根裏部屋には様々なものがあるから、遊び場として使っていたことを知りました。

 会話をしていくうちに、サリィは警戒心が解けたようで、夕方になる頃には、僕の隣にいました。でも、完全には解けていないようで、僕が動いたりすると、まだ距離を取っていました。それでも、僕が夕食の手伝いをしなければいけないから、もう戻ると言えば、彼女、明日もここにいる? って聞いてきたんです。僕も聞きましたよ。彼女が明日もここに遊びに来るかどうか。そうしたら、僕が来るなら明日も来るって言ってくれたので、また会おうって約束したんです。僕はもっと、彼女について知りたかったから。彼女もそうだったのかもしれません。

 その日以来、自由時間はほとんどサリィと一緒に過ごしました。あの屋根裏部屋でお喋りしたり、遊んだり、森を一緒に散歩したり。時には、彼女、夜に僕の部屋にこっそりやってくることもあって、一緒に本を読んでそのまま眠ってしまうこともありました。祖父の目がないときは、掃除を手伝ってもらうこともありましたよ――祖父には、サリィのことを黙っていました。祖父に教えて、サリィに何かあっては困りますから。ほら、妖精って……空想の存在だと、普通の人は思っているでしょう? それに彼女も、あまり祖父に存在を知られたくないようでした。勝手に人の家に上がり込んで遊ぶだけではなく、時にはものを持ち出していたみたいですから。

 つまりサリィは、僕の秘密の友達だったんです。

 ところで僕は、サリィの他に妖精はいないのか、聞いたことがあります。彼女がいうには、いるけれども、ほとんどが妖精の世界にいて、人間の住む世界にはあまり出てこないのだそうです。それでも、彼女のように好奇心の強い妖精もいて、遊びに来るそうです。でも彼女、やはり一人で遊ぶのは少しつまらなかったみたいで、僕と友達になれて嬉しいと言ってくれました。僕も、もちろん嬉しかったです、僕も、ここでは友達がいませんでしたから。

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