サリィの花冠
ひゐ(宵々屋)
第1話 出会い
幸い、ボックス席が丸々一つ、空いていたのだ。
この列車に乗る際は、いつも人が多く、結果どこかに相席させてもらうことになる。相席を頼めば断る人はいないものの、それを頼むのが私は苦手で、すぐに見つけた席へと座り込んだ。半ば個室のようになっているこの席を、一人で使えるなんて、珍しい。
間もなくして、列車は動き始めた。さてこれから、目的地まで、時間がかかる。そのこともあり、疲れていたこともあり、窓際で景色を見ているうちに、私はうとうとし始めてしまったのだ。
そして、ふと、目を開けると、窓の外には、小さな緑の山が見えた。綺麗だと聞いたことのある山だ――この山が見えたということは、出発してからかなりの時間が経ったということらしい。つまり、そのかなりの時間を、私は寝て過ごしてしまったということだ。とはいえ、起きていてもやることは特にないのだが。
向かい合う席に、いつの間にか一人の青年が座っていることに気付いたのは、起きてしばらくしてからだった。
起きて少しの間、寝ぼけながら景色を見つめていた。あの山が流れていくのを、ぼんやり見つめる。と、その時ふと正面を見ると、向かいの席に人が座っていたのだ。いつからいたのだろうか。きっと、相席したくても私が寝ていたために、声をかけずに座ったに違いない。そんなことを、ぼんやり考えたのだが、それも一瞬だけだった。
目の前に座っていたのは、幻かと思うほど、美しい若い男だったのだ。
男の私ですら、見とれるほどだ。天使や妖精だと言われても、納得できるほど、美しかった。彼を見かけた人間は、その瞬間、考えていたことを忘れてしまうだろう。悩み事はもちろん、それ以外のことも、その美しさで照らしてなくしてしまうかのようだった。
彼は、曇りのないガラスのような瞳で、本を読んでいた。と、私が目を覚ましたことに気付いて、これまた美しい声で、断りもなく席に座ったことを謝ってきた。そのことに関して、私は責めなかった。起きていても、私は彼がそこに座ることを許しただろうから。それに、こんな天使のような彼に文句を言おうなんて、思えなかった。
と、私は彼が読んでいる本が気になった。いや、正しく言うと、彼自身に興味を持ったのだが。一体何の本を読んでいるのか尋ねると、
――少し前に流行った、そこそこおもしろい本ですよ。
見せてもらうと、私が以前読んだ本と、同じ作者のものだった。だからそのことを伝え、まだ彼の持つ本を読んでいないことを伝えれば、そこから彼との話が弾んだのだ。
やがて、人生から考えればかなり短い時間ながらも、彼と親しくなった頃。私は、彼の左手の薬指に、焦げ茶色の糸のようなものが巻き付いているのに気付いたのだった。だから、それは何かと尋ねると、彼はわずかに目を伏せた。それはそれは美しかったが、何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと、私は焦った。けれども違った。
――この指輪の話、聞きたいですか?
――でもこの指輪の話をするかわりに、あなたに一つ、頼み事をしたいのですが、それでもいいですか。
彼が何かを隠している。そう感じた。気にならないわけがなかった。だから私は、聞かせてほしいと答えた。けれども、頼み事とは一体何なのだろうか。
彼はその頼み事について、尋ねてもすぐに答えてはくれなかった。
――難しい頼み事ではありませんから、不安に思わないでください。それに……きっと、この指輪の話をしている間に、僕が何を頼みたいか、気付くと思いますよ。
そうして彼は、左手の薬指に巻き付いた糸を見つめながら、話し始めた。その口調は優しく、愛おしい何かを思い出すかのように。
――長い話になります。どこから話せばいいのか、いつも困ってしまいますが……やはり、僕とサリィの出会いから話すべきでしょう。
――サリィに出会ったのは、僕が八歳の時です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます