第4話
桜の舞う季節、紅葉の美しい季節、個人的な意見でもある。
どちらも過ごしやすくて好む、穏やかな気持ちで過ごせる方も多いのだろう。
僕は、殆んど泳げないので夏のプールは強いては行かない。
いや、彼女とイベント感覚で1度は行った様な。
僕は、大人数でワイワイガヤガヤするのもたまにはと思う。
竹之内、あかりちゃん、ナンシー、中田もいたっけ。日程を合わせて行った。
彼女は、スク水とまではいかないが、紺の水着で子供っぽくて殆んど変わらない。、
選んで上げても良かった。通販でも何でも。
それからレジャーシートとテントも張ったら眠ってた。暑くても、そうなるらしい。
俺的には、値段と形状で、ビキニやセパレートを着こなして欲しい。
種類が豊富。僕でも迷う位だ。
僕は女の子のリボンの付いた衣服がお好みなので。
縫製でもしてあげようかな。
僕の水着は、彼女に選ばせたら真剣に選んで、白をベースのグレー?グラデーションのにブランドのロゴ入りだった。
「これがここの店で一番似合うと思ったから。」
流石は美術の専攻でセンスには長けてる。
本人のスク水擬きはさておき。
まー、中学入学前に、友達数人とでナンパをしてみたくて、その時に買ったハイビスカスの青はあったんだけども。
その海でのナンパは女の子は誰一人としておらず、一泊をした翌日はざざぶりの大雨で海水浴は中止。
代わりに近所で美術展がやってたので鑑賞が趣味なのでそっちに行った。
僕は、文系だ。以前にも書いたけども。
時として、暇ををもて余せば?
要は、文章が書きたくなった。
長文は、一々修正が必要だが致し方がない。
それはそれとして。話は戻るけども。
俺は、冬の過ごし方は、とかく温泉がお好み。
健康センターみたいな大浴場の温泉が慣れてる。近郊の温泉はいろいろと行った。
これも彼女と趣味が合う。
彼女は、冷え症もあるので末端で特に足は靴下を二重に履いたり、祖母のプレゼントの手編みの靴下を愛用してた。
今更ながら彼女にラブレターでも書こうか?
驚くかな?メールで十分って言われるかな?またいろいろ、彼女に付いての考え事が尽きない。
また季節は巡り、月日は流れに流れ、何処かで聴いた様な台詞やら歌の歌詞やらだ。
僕は、大学とバイトの両立がムリで中退をした。
都道府県立で、通信はなかった。
レポートの提出などがかなり厳しい大学だった。
よっぽど金と時間に余裕のある奴でないと卒業はムリだったろう。
6年生の弁護士やら医者等はもっと家が金持ち、或いは勉強が出来る方だろう。
仮に奨学金制度を使っても返すべきもの。
他人を羨んでも仕方がないし、格好が悪いだけなので、俺が今出来ることをするしかない。
しかし、日本の社会はどうしてこうも。
正確には、中小企業や大企業を問わず、どこの会社でもよくある話らしい。
安い給料でも雇えるバイト学生や、パート御姉さんを使いたがって学業等に専念ができなくなる。
自分で経営してるのは、やはり元より余裕がある方々である。
資本主義の格差社会の決定的な問題点のひとつである。
時給500円位でも雇ってる時代もあったらしいけども。最近では漸く地元の地域の都道府県の法例で、時給800円以上が定められた。
そうして、少しはましになったけども円安が著しく、食品。生鮮から、加工品から、何もかんも値段が上がった。
食材の買い込みの日の度に気付かされる。
自販機で飲み物を買う機会がある方は分かるだろう。10円の値上がりでも頻繁に買えばそれなりの出費である。
儲かってるのは政府にコネやらのある一部の有名な大企業である。
めぐみも、実は高校から少しはバイト、卒業をしたらフリーターになったけども、例のブラック企業だったのだろうか?
時給は、高校生は680円程度でファースト・フード店で酷使をされてた。
フリーターでも平均して事務系に分類をされるコール・センターでも1、000円そこそこ。
丈夫に出来てない彼女にもつはずもなくどこのバイトも続かない。
履歴書には毎回、自主退社とは書かせない。
一身上の都合、或いは解雇とした方がベスト。
社会保険労務士の受け売りだが、法的に有利なのでそう書く様に教えた。差別的な意味ではなく何よりも今の御時世もだが高卒では、とも思う。
彼女は、高校の恩師からデッサン等へ対する技術や腕の良さをとかく買われた。
先生の側から積極的に東京の大学の推薦状を書くという話も聞いた。
実は、美術講師(教師)になる為、地元の大学の入試は、高1の時から視野に入れてたらしい。
だが当時は学費の心配ありき。
高卒で正社員。
どう考えても不向きな立ち仕事で本人にとっては相当の疲れも相まって半年どころか、5ヶ月で退職。
母親が、一応、御父さんにも話なさい。と言うので言ってみれば。
せっかく高給取りになれる可能性のある正社員をなんで辞めちゃうんだ?って嘆かれたとも言ってた。
当時は、フリーターと言う造語が流行り出した頃。
彼女は、横文字の職種に憧れるという妥協した形ではあるが夢が叶ったって喜んでた。
だが、眠るのが中心の生活は変わらなかった。
彼女は、二十歳を過ぎた。
僕は、暫くして大学を中退後は暫くはバイトを続けて後に営業マンになった。
だが、営業の職務がどうも不向きで主にメンタル面の苦痛で職場を変えた。
転職先は、とある、隣接県に支店もあって業員数も多く地元ではそこそこ名の知れる警備の会社だ。
そこもそれなりに何年かは続いたけども大手降って喜べる会社ではなかった。
余談ではある。
後の、その会社はお上のゴタゴタだか友達の憶測だが、会社名を変えたか、支店を別に作って左遷をさせられた方々もいるらしい。
アルバイトの僕には、殆んど関係ない話であるが、仲間内のその会社を辞めた友達から聞いたので一応報告まで。
ある日の出勤時の早朝。
当日の朝に事務の人から突然その報告を受けた。
その会社に、家で眠ってるだけだと思ってた彼女が突然、僕の部下として現れた。
しかも偶然会社名をそれほど仲良くもない人から行ってみればと半ば投げ槍に言われたからだと後に語った。
つまりは、僕がそこにいることを知らないで来たと言う。
久方振りに見る彼女は、色を明るくした茶髪の長めのボブ風で机にふっつぷして眠ってた。
僕の上司から起こされた彼女は見るからに眠そうな表情を浮かべる。
「今日は。本日、隊長の者です。」
そんなに会ってない時間が長かったのか?
僕の方が外見が年で変わってしまったのか?
それとも演技?には見えない。
覚えてない風な感じだった。
彼女は、無言で、現場に向かうためのワゴン車に向かう。
僕は、当時、運転免許がない。(後に彼女の奨めで原付ならば取得をさせらされた。)
次の誕生日の直前で連絡一本で以前と同じなのはショルダー・バッグだけ。
少しだけ背も伸びてたが、それで更に痩せ形になってワンルームに来てくれた。
まさかとは思ったが、かなり稀少な確率であり得ない事もない。
彼女は、記憶喪失になってた。
もう云わずもがなであろう。
僕から、今の彼女に、いろいろ言っても余計に混乱をするだけだ。
仕事をして忙しくては言い訳になるけども。
彼女は、本当に久方ぶりに会えた。
試しに、言ってみた。
「次の、平日休みの真ん中だけど、うちに泊まりにくる?」
「はい。」
そういう、運びとなった。
滅茶苦茶だったワンルームの家内を整理整頓をした。
大量に買い込んだ書籍や漫画は本棚とデスクに積み上げた。
ちょっと、見られたくない、雑誌類は一見では分からないところに仕舞う。
僕は、彼女の何もかもを覚えてる。
彼女は、何を話しても思い出せないらしい。
もう言葉は必要ないんじゃないのか?
実は、僕は、その数年前には、離婚した両親の、父さんが他界してた。
ある日、突然鬱が悪化をして会社に行かなくなった。
会社からも心配の連絡は来てたが出ない。鬱病を病院にも行かず。朝、僕が会社に出かける日の事。
父さんへ、自販機でブドウ糖飲料のアクエリアスを買って上げたら大喜びだった。
僕が、残業で日付が変わる時間の直前に携帯だったか会社だったかに一本の電話。
当の本人は高卒で頑張って仕事人間だった。
鬱が酷くて仕事にもいけないならばせめて入院費を工面して、メンタルでも何でも入院治療をさせてやるべきだった。
今朝までは、元気に話してた。
それが、夜にはこんな事にって顔色を見てもどうしても暫くは本当に亡くなったとは思えないけども。取り合えず、葬儀屋に電話って流れだった。
話が前後をするけども、両親が離婚をしてからというもの何度か、別居してた母さんのアパートへ様子を見に行ったら、日毎に食生活が滅茶苦茶になってた。
生活保護の需給だった。鯨の塩漬けが好物で、それしか食べない。
僕が来た日には袋ラーメンの醤油しかないと御馳走はする。
とある仕事日に病院から連絡があって直ぐに見舞いに行った。
中国人の名医で、肝炎、膵臓も良くなかったのか、糖尿病の合併症との診断。
母さんの食生活は、薄味の体に優しい味付けをすすめられて、良き日に退院をさせてくれた。
だが、暫くして更に仕事の忙しくなった頃に再度病院から入院の電話があった。
また見舞いに行って、後にアパートの鍵を借りて玄関を開けて部屋を見回してみた。
畳の部屋に大量の吐血の後、肝炎の方だった。
出きる限り、一生懸命に綺麗に拭いてもどうしても後が残る。苦しんだのであろう事は想像に容易い。
何度かお見舞いには行く。体そのものが弱りきってる母さんの姿。
僕は、にも関わらず営業マンの時でとかく仕事が忙しい。
1ヶ月そこそこの入院中に危篤との連絡があった。お見舞いには行く。殆んど目を覚まさない。そうして、帰宅する。やはりと覚悟はしてたが、それから数日の後に他界してしまった。
一時は退院して元気な姿をみられたのに、得意の医学書を漁ったが駄目だった。
母さんは、元は、昭和のホステスで、酒も呑める。
父さんは、酒には弱いけども、店の常連でママさん狙いだった。
父さんは、いつも店の端っこで一人で呑んでる。
それを、某一流企業の勤めと聞いて、勿体ないじゃない!私が行くわ!とばかりに同席した。
ママさんは見込みないんだから私にしなさいよ!って姉さん女房になったのが馴れ初め。
そうして僕が生まれて、名長男で一人っ子。玩具は独り占め。
だがある日、母さんが健康マニアになった。
いつも、おやつは煮干しと牛乳。
弁当は、エビフライやハンバーグやオムライス等の子供の好きなメニューを作れない。
全体に茶系統の煮物等で隠しながら食べたりしてた。
ただ、高校の時に遊びに行く度に、牛肉のゴロゴロ入ってトマトもがっつり入った贅沢なカレーと熱々の味噌汁には驚いた。食った分だけがたいも良くなった。
しかし、辛かった。そして、味噌汁も熱い。
言えば、後には生のセロリが入ってた。
気性の荒い母さんだったが、僕の、産みの親だ。
母さんは亡くなったと父さんに伝えれば、一言、二言、交わした程度だった。
それで僕は、父さんはもう母さんに対する愛情はなくなってたのかもしれないと思ってた。
男同士の父子家庭で、ふたりでキャチボールをプレイしたり。
とある台風の日だったかな?ざざぶりの大雨の中でわざわざ外出をして「うおーーーーー!」って、走り回って楽しんで帰って来たりの思い出が甦る。
両親供、葬儀の時は、スピーチもこなして務めて明るく振る舞った。
ひとりぼっちになった僕は、家に帰ってからは、大泣きに泣いた。
武士は人前で涙を見せぬもの。
別段、武人ではないが男の子なので。
そういう内容を端的に、めぐみに話した。
彼女は、一言、「大丈夫だから!」と励ましてくれる。他は余り覚えてない。
僕の雰囲気を見た時に思ったらしい。
「この人は何とかしなきゃ!」
数年前からいまでもだが。
僕も、彼女も、思ったことと同じ。
そんなことまで?
現場に向かう直前に、彼女が突然思い出して「会社の机に携帯を忘れました!取りに行きます!」ダッシュで取りに行く。
彼女は、起きてるときはいつでも一生懸命。
そんな後ろ姿はいざというときの行動力の変わらなさにやっぱり、こういう子なんだ、って思ってた。
車内で、コンビニの炒飯を一人で食べながら彼女へと話しかける。
誕生日を聞いてみる。
男の癖になんて言わないで欲しいけども占いの本を読んだり、ホロスコープもお好み。
「その星座だと、僕と愛称が良いですね。」
言ってみたら、恥ずかし気な表情を見せるので後は特に何も話した覚えがない。
他の隊員たちと話す間も眠そうな眠ってるかどっちかの彼女。、、、変わらない。
一緒に仕事をして、簡単な立ち仕事でもふらふらのへとへとになった彼女と隊員の運転する車で一旦は会社に戻って解散。
無事に帰れたか心配もあったが信じた。
結論を先に立てると出来婚である。
コンビニからワンルームまでは大人の足で徒歩5分以内の道のり。
僕は、さくさく歩ける。
だが、普段は原付きのめぐみはそれでも遠いらしく付いてくるのがやっとだ。
丈夫に出来てないのは変わらないらしい。
仕事上がりで眠いのもあるのだろう。
自宅に着いた。めぐみはやっと着いたと言わんばかり、になんだか辛そうにしてる。
やっと、また会えた。
やっと、また来てくれた。
僕にしてみれば、長いこと一人きりだったとも言えるし、或いは気楽だったとも言える。
僕のマンションは、白が基調の洋風の作りで観葉植物に吹き抜けもある外観がお洒落ではある。
ネイティブな会話を交わせる人たちも多い。
ただ、それも保証会社が付けられるということを最大の理由に、家賃がやたら高かった。
ワンルームの2階のエレベーターの側。
彼女は、記憶がない状態でその間は何を考えてたのだろう?
そうして玄関の前に二人して立つ。
「これが鍵だよ。」
こういうマンションにありがちなカード・キー。
後に、合鍵を渡した。
電気コンロを駆使して、夕飯の手料理、弁当、健康に良いからってかなり濃いめのドクダミ茶。
それだけ作って実家に帰る。暫くは、彼女のお父さんの口癖みたいな通い妻の状態。
動蛋を極力除去する誤った健康法にハマる辺りのも、僕の母さんにそっくりだ。
母さんは、砂糖除去の健康法だった。似た様なものだ。
彼女は、当然の様に稼ぎが少ない。
もやしを一袋しか買えない。
だが、持ち前の器用さで火加減が良い感じで、塩コショウだけの味付けでも、十二分に玄米のおかずになる。
後に、「酪農とかっても、皆が実際に肉を食い過ぎだよね。ちょっと、控えれて食物繊維を増やせば良いだけなのに。」と言いつつも。
僕は、元より野菜も食べるけども、お肉が大好きだ。
「肉を食べるのは人間の業だよ。」教えといた。
数年越しで理解を示して、BBQの大好きな僕の男の手料理を好んで食べてくれるようになった。
話が脱線をした。
横目で見る彼女は更に少し痩せてた。
差し込み口に入れて、ドアを開ける。
「入って。」
「お邪魔します。」
彼女と、僕と、二人きりになった。
もう早い人ならば就寝する様な時間帯である。
そうしてふたりきりの長い夜。
そして、翌日はどちらも休日。
愛し合える時が始まるのだった。
(続く)
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