第11椀 筑前煮からの「リメイク酢豚」。2度おいしくて余りも出ません

「ごめんね、ちょっと作りすぎちゃったみたい」

 伊緒さんがぺろっと舌を出しつつ、申し訳なさそうにそう言った。

「そんなことないです!すごくおいしいですよ」

 慌ててぼくが否定したけど、目の前のお皿には珍しく料理が残っている。

 たいがいは食べきってしまって、もっと食べていたいなー、と思うような余韻にひたることが多いので、これはとてもレアなケースだ。

「晃くんくらいの年齢の男の子が、こういうのをモリモリ食べるわけないわよね…。わたしとしたことが不覚だわ」

 あっ、待ってください、そんなに落ち込んでるんですか?違うんです、おいしいんです、とっても!

 でも、ホラ、なんというかおかずとしてバクバク食べるフンイキじゃないというか、あの、その…。

 ぼくがしどろもどろになって、伊緒さんを落ち込ませてしまったのは、これだ。

 山盛りの「筑前煮」。

 お正月のおせちになくてはならないものにして、気の利いた居酒屋なんかで突き出しの小鉢として供されたりする、伝統の煮物だ。

 里芋や蓮根、人参にしいたけ、タケノコにコンニャク等々、たっぷりの根菜を鶏肉と一緒に炊き合わせた、手間のかかる贅沢な料理だ。

 もちろん伊緒さんが作ってくれる筑前煮は、ふくよかな出汁を吸い込んだ野菜に、炒めたときのゴマ油の香りがほのかにかおる、とってもおいしいものだ。

 でも、おいしいんだけどご飯のおかずとして大量に食べる、という感じの料理ではありませんよね…?

 え?人によりますか?

 ごめんなさい、自分はそうでした。ごめんなさい。

 なので、おいしいのにモリモリとは食べない、という矛盾に苦しみつつも伊緒さんを傷付けてしまった。

 どう言い繕ったところで、お皿に残った料理の量はごまかすことができない。

 あまつさえ、

「ごめんね、晃くん…。明日はちゃんとおかずになるお料理にするからね」

 とまで言わせてしまった。

 ああ、伊緒さん、そうじゃないんです。気の利いたことを言えずにごめんなさい。

 本当に、すごくおいしいんですよ…。


 ややしょんぼりとした気持ちを引きずりながら、翌日の晩を迎えた。

 ほんとはもっと言うべきことがあったのに、きちんと思いを伝えることができなかった。

 今度こそ、伊緒さんをがっかりさせるような曖昧な態度を改めよう。

 家に帰る道すがらそう思いつつ、玄関のドアを開けると、香ばしくも甘酸っぱい独特の香りがふわあっと押し寄せてきた。

「おかえりなさい、晃くん!」

 伊緒さんがいつものように、元気に出迎えてくれる。何か含むところがあるのか、笑いを堪えたようないたずらっぽい表情を浮かべている。

「はい、クイズです!今日の晩ごはんはなんでしょう!?」

 突然伊緒さんが大きな声を出したので、ぼくはビクっとして、

「ひゃいっ」

 と、声が裏返った。

 でも、この香りは多分間違いない。大好物の中華料理だ。

「酢豚、ですよね?」

「はい、大正解!おりこうね!」

 さあ、食べましょう!と、言ってぼくをぐいぐい食卓の方に押していく。

 なんだなんだ、えらい上機嫌ではありませんか。

 いったいどうしたというのだろう。

 テーブルには、まごうかたなき酢豚が用意されていた。

 とろみのついたタレは黒っぽく、ケチャップではなく黒酢を使った、本格派の味付けであることが見てとれる。

 さあさあ、熱いうちに召し上がれ!と、いつもよりテンションの高い伊緒さんにすすめられるまま、いただきますの唱えごとももどかしく箸をとる。

 酢豚には珍しく、里芋や蓮根などの根菜類がたくさん入っているようだ。

 油通しされたそれらの具材が存在感を放ちながら、ほっこりとした口当たりで楽しませてくれる。

 ジューシーな豚肉も、黒酢の力強い風味が絡んで脂の甘みがより引き立っている。

「とってもおいしいです!伊緒さん」

 ぼくはいつもより力を込めて、そう言った。

「そう、よかった」

 伊緒さんが満面の笑みで応えてくれる。

 しかし本当においしい。

 具材には下味がついているのか、黒酢のソースの合間にほのかな出汁のような風味が……。

 ん?出汁……?

「あっ!」

 ぼくは思わず声をあげてしまった。

 伊緒さんがドヤァ!と笑みを浮かべ、

「気が付いた?おりこうさんね!」

 と言って、ころころと笑い出した。

 この酢豚の具材はほとんどが、昨日の筑前煮のものだ。

 玉ねぎやパプリカなんかを追加して、巧みに調理されていたので分からなかった。

 筑前煮をリメイクして、根菜たっぷりの酢豚にしたのだ。

 すごい!完全に意表を突かれてしまった。

 でも出汁を含んだ具材が、黒酢ソースと絶妙の相性を生み出している。

 めちゃくちゃおいしい。

 食欲は正直なもので、ぼくはご飯をお代わりしてモリモリ食べてしまった。

 伊緒さんはニコニコしながら、ぼくが喜んで食べる様子を見ている。

 素材の味を殺さずに、一度作った料理を別の料理に生まれ変わらせるという技に感激していた。

 しかも、ぼくのために。

「実はこれも南極料理人さんの本で読んだのよ」

 伊緒さんが言うには、かつて南極調査のチーム内で同じことが起こったのだという。

 極寒の地で過ごす観測隊員たちは、カロリーの高い食べ物を身体が自然に要求する。

 そこである日の食事で出た筑前煮が大量に余ってしまった。

 しかし調理担当の隊員は機転を効かせ、それを酢豚に転用して大好評となったのだという。

「一度ぜひやってみたかったの。えへへ」

 と、伊緒さんがぺろっ舌をだす。

 味味をしたところ、とってもうまくいったので上機嫌だったのだという。

 ……かわいい。

 ありがとう、伊緒さん。あったかい心遣いが胸にしみました。

「伊緒さん」

 ぼくは彼女に向き直って、昨日から言いたかったことをちゃんと伝えようと思った。

「昨日はごめんなさい。本当に、おいしくなくて残したんじゃないんです。とってもおいしかった。今度は、お正月用にまたつくってもらえませんか?」

 そう一気に言うと、伊緒さんはみるみる頬を赤らめて、

「もちろんだよ!」

 と、怒ったように宣言して、そして満面の笑みを浮かべた。

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