モルメス国の復讐者

 ◇◆◇◆◇◆


(この儂がおくしただと……)

 ソフロム・トゥワ・モレットは無意識に後退りした自分のつま先を見つめた。

 百の魔術が扱えるようになった。齢六十にして肉体はモルメス国の誰よりも強固な鋼と化した。細胞の九十九%は、すでに人間ノーマル種のそれとは違う。

 だというのに……。

 鋼の表情を初めて歪まし、形相の変わったミストナを見やった。

 あの髪と同じ虎のような縞模様が全身に広がっている。肌が見えている肘から腕。脚の一部。

 顔面に至っては、部族が闘志を高める際に使われるような血化粧が浮かんでいる。

 魔力に反応してか、あの無骨な鉄塊も装甲のように変化していた。外回りに三本。太いパイプのようなものが肩部まで伸びている。

 が——、今の自分に恐れはない。

 この屈強な鋼体に獣の爪や牙は通用しない。

(たった一%未満。残った人間の細胞……その本能が危険色に反応したというのか)

 この異常行動は魔術の副作用や、脳の欠陥ではない。人であった名残りだ。

 そう結論付けたソフロムは体中に散らばった五十五個の心臓を次々に潰し、複製し直す。そしてまた潰し、複製——を繰り返した。

 強制的に鼓動を落ち着かせ、微小に残った血の色を銀色へ。限りなく人を捨てていく。

 高圧縮された魔力の柱には一目置いたが、今は消え失せた。使う様子は無い。あれは攻撃に転換出来る代物ではなかったと判断する。

(顔の血化粧が気掛かりだ。何かの呪詛じゅそ魔術にも見えるが……。しかし、獣人は一つしか魔術が扱えないクズのはず)

 大小含めた二十五の脳。その一つに展開していた解析魔術に分析を求め、解答を得る。

(——持たざる者の浅知恵か。くだらぬ)

 ミストナ自身の持っている体内魔素。頭上の魔術陣から集めたこのダンジョンの体外魔素。

 これらを混ぜ合わせ、瞬時に何百万回の反発を繰り返す。強制的に急成長した魔力。その全てを小さな体に閉じ込めた。

 あの顔面に浮かび上がった血化粧は、圧迫された毛細血管が浮きぼりとなった結果。

(柔軟で強靭な身体能力を活用した、諸刃の荒技。モルメス国の獣人からは聞いた事も無い技だが——)

 そうして、ソフロムはにやけた。

 。それだけの事だ。

「大層な演出に見えたがことわりを超える魔術ではない。本当に嫌われているな。世界からも、ダンジョンからも。獣人という種族は!!」

「フッ、フッ、フッ、フッ、フッ、ガルルルルルル…………フッ、フッ、フシュウウゥゥゥ、ゴルルルルッ」

 声をかけてみるがミストナと視線が合わない。目を見開き、獣じみた唸り声をあげている。

 解析すると上昇した血液が脳の細部まで行き渡っていた。

「進化しただと? 理性を無くしたの間違いだ」

「グシュウウウウウウゥゥ……。今の、うちに、笑っときなさいよ、これから、その口が、聞けなく、なるんだから」

「ほざけ。骨格の形を変え、筋組織の密度を上げ、血を滾らせて反射速度をあげる。そんなもので、ククククッ。この儂の足下にも届きはせぬ」

「そう、なら良かった。もう限界、なのよ」

「自滅するのがか?」

「このままだと、ペレッタまで襲いそうだから。今からの私は————超強い」

 ミストナの全身の傷が蒸気を立てて塞がった。

 治癒ではない。上昇した高温度の血流が外気に触れ、火傷のような症状で無理矢理に塞った。

「泥臭い方法を」

「ガァアアアッッ!!」

 叫んだミストナが視界から消えた。

 残像を辿るソフロムは視神経を集中するが、地を踏み抜いた音や砕け散る小石しか認識できない。

「ほとほとに足りぬわ」

 吐き捨てるように言った。

 もはや見える見えないという次元の低い問題ではない。自分自身ここしかあり得ないからだ。

 悟られているかどうかは知らないが、背後にあるゲートにも通路と同様の接触型魔術を設置してある。触れたが最後。灰すら残らない術式が発動する。

 術者本人がここから離れない限り、ゲートを通過する事は絶対に不可能だ。

(重量を百トン。いや、試しに限界の三百トンまで増やしてやろう)

 ソフロムは自分の優位を疑わず、あえて両手を大きく広げた。

 天井の爆発じみた衝突音に気を取られ、右半身の警戒が遅れる。眼前に映ったのは、馬鹿でかい鉄塊に振り回されるミストナ。

 六芒星の瞳に希望を込めて、体の中で魔術陣を複数展開した。

「ソフロムゥゥゥウウウウウーーーッ!!」

 胸元に直撃した鉄塊は予想を上回る推進力だった。超重量の身体がズズズズ——と後方に押しやられていく。鋼の胸に亀裂が入り皮膚が砕けた。

 しかし優位は変わらない。衝突時こそが威力の最高地点。ここからは速度が落ちる他ない。

 靱性うんぬんで捌き切れぬと見極め、ソフロムは皮膚の修復に魔力を注ぐ。

「力が足りぬ。頭が足りぬ。血筋が足りぬ!! 所詮は獣人クズ! 所詮は半端者!! 儂の方が遥かに上だっ!!」

 鉄塊の勢いが止まりかけたその時。

 虎が牙を光らせた。

「背中を押せええぇぇ!! 私のカイナァァアアアッッーーーー!! グルアアアアアァァァ!!!」

 肩まで伸びた装甲のパイプ。その一本から危険色の蒸気が警笛音と共に吹き出た。

「血液を燃やしただと!?」

 失われつつあった勢いが、衝突時よりも加速する。

「たかが血を燃やした程度で、これほどの力を生むのか! ありえぬ! ありえぬぞ!!」

 右上半身に深い亀裂が走り、砕け散る。

 勢いのまま回転したミストナは間髪入れずに、左の鉄塊を振りかざしていた。

「もう一発っっ!!!」

 余裕ぶってはいられない。残った左腕を胸に当て、ミストナの追撃を必死に受け止めた。

「くおおおぉぉぉ! 押し負けるというのか!? 一つの魔術しか使えぬ獣人クズなんぞに!!」

 背後に目をやると壁面がすぐそこまで迫っていた。

『敗北』

 それだけは絶対にあってはならない。

 王とは唯一無二の支配者。頂点に君臨したのならば、蟻ほどの進撃すら許されない。

 いくつもの魔術を扱えるようになって、ソフロムはより痛感していた。

 臆したその瞬間から瞳に影が宿ってしまう。自身も若かりし頃はその瞳をしていた。

 前王は他国との関係で分が悪くなると、すぐに物資や土地の分配等で話をつけた。小競り合いが長く続き辟易していた民衆は平和な王だと持て囃していた。が、貴族の立場から見れば害虫に侵略を許しただけに過ぎない。

 今でも目に焼き付いてる。養子に来た妹とそっと眺めていた。

 水底から浮かび上がった貴族達のドス黒い泡が一つ、二つ。憎悪の連鎖を。

(それだけは断じてならぬっ!!)

 削られた皮膚の補修が間に合わない。代替えに防御壁を五層にして展開。

 バランスが保てない。身体の後方から、支えとなる管を三十本創造。地に、天井に突き刺した。

 体幹たいかんが不安定だ。ホワイトウッドの電脳ベースに繋ぎ、憑依魔術を使用。実力があるのならばどの戦闘職でも良い。種族の範囲も問わない。

 魔力の循環が間に合わない。魔素の排出口をあと三十増やす。

 ソフロムは素早く各脳に伝達。激流に押さ流されるように後退していた身体が、合計十八の魔術によって静止した。

「……止めた。止めたぞミストナァァァアアア!!」

 へしゃげた左腕をしならせてミストナを弾き返す。鋼管を操り捕まえようとするも、視界から姿が消える。衝突音がした天井を見上げると、ミストナが逆さまに張り付いていた。

 そしてまた。暴風に巻き込まれるように、視界に残像の帯が走った。

(通常の視覚では捉えきれぬ)

「ガウウゥゥゥオオオオ!!」

 懲りずにミストナが突っ込んできた。

 限界まで重量を増やし、鋼の強度を増しても表面が幾度と壊れる。受け流そうと流動化に比率を置けば、容易く噛みちぎられた。

 顔を形成していた鋼も砕け散った。だが、顔のないソフロムは腹の底で笑う。

 これらはだ。

 ミストナの腕は二本。脚を含めても四本。この臓器複製の魔術を止めるには、全ての面を同時に潰さなければならない。指の一本も残してはいけない。何を繰り出されようが、単純な打撃ではこの体には何のダメージも通らない。絞りきった魔核は廃棄し、また作り直せば良い。

 この体に真の物理ダメージを与える事など、獣人には不可能なのだ。

 そしてミストナが血液を燃やし続ける以上、長丁場には不向き。あれは短期決戦向きの形態。

 最初の一撃がミストナの本気だろう。徐々に力が落ちている。

 顔を再形成したソフロムは堪えることが出来ず、含み笑いを一気に吐き出した。

「ククククッ、ハッハッハッハッ!! 弱い犬ほどよく吠える。いや、お前は猫科か。だとすればさっきのは負け猫の遠吠えか!」

「私の動きが見えてないくせに良くそんな口が叩けるわね。あんたが小さな石ころになるまで削り取ってみせる!」

「何のことは無い。視覚が足りぬなら増やせば良いだけだろう」

 飛び散った体の破片を集合させ、身体中に目を創造した。

 ギョロギョロと瞬きする目玉の視神経を繋げると、残像だけだったミストナの軌道がはっきりと見えた。

「白き炎よ! 攻撃箇所を示せ!!」

 動きが追えるようになったなら後は簡単な作業だ。赤子を捻るよりも容易い。

 人智を越えた速さであってもこの魔術には関係が無い。

 ソフロムの視線上に白い道筋が浮かぶ。そこにゆっくりと左手を伸ばすだけで——

「グウウゥゥッ!?」

 獣のか細い首が掴めた。

「正に先見の魔術。この白き炎の前では目障りな蝿と変わらぬわ」

 首を叩き折るつもりで地面に投げ捨てるが、しぶとい。息苦しそうにミストナは地面で悶えた。

 不用意に近付きはしない。狩猟と同じだ。手負いの獣ほど厄介なものはいない。

 二メートルほど距離を取り、無防備な土手っ腹に掘削弾を一斉射撃した。

「ガアアアアアアッッッーーー!!!」

「悲鳴なのか獣の叫びか、儂には区別がつかぬ」

 薄っぺらな胸当てを貫通し、掘削弾が皮膚を突き破る。が、すぐに傷口が蒸発し塞がった。

 身体を透かして調べると内臓まで届いていない。獣の血液に触れ、魔術の効力が掻き消されていた。

(鬱陶しい劣等の血だが、時間の問題だ)

 五十発以上を打ち込んだ所で魔力の循環が止まった。抑えつけたまま魔核を廃棄し、新たな魔核を体内にて複製する。

「獣のあるべき姿だな。ゴミのように這いつくばって息絶えろ」

「……その汚い目で、私を見下すな」

 半開きになった口から血を垂らしたまま、ミストナがうめく。

「勝手に倒れたのだよ。脆弱ぜいじゃくすぎてな」

「何言ってるのよ。戦況を有利に進めているのは私じゃない……。だからあんたは私より目線を低くしなきゃいけないのよ。分かったなら足を退けなさい……これ、触手かもしれないけど」

「命乞いという言葉を知らぬようだ。それとも血を入れ替えて本当に狂ったか?」

 この期に及んで。

 抑えつけたミストナが『にししっ』と笑う。

「死ぬ時に笑う、か。いくら解析魔術を用いたとしても、獣人の思考はほとほとに分からぬ」

人間ノーマルは魔術体得範囲が格段に広いわ。だから突出した技能を持っていない。スライム種は体の柔軟性に富んでいる。だけど眼球運動が遅く、視野が狭い」

「だからどうした」

「種族には必ず短所と長所があるわ。私の速度はね、それほど早くなっていなかったの。あんたが追えきれなかったのはスライム種に細胞を近づけた弊害よ」

「ほう。参考にさせてもらおう。私に歯向かう奴など今後一切現れないと思うが」

「ついでにゴーレム種のデメリットも聞きなさいよ。確かにこの種族は耐久力に優れている。だけど聴覚は殆ど使えないって聞いたわ。だから表皮から振動を感知して気配を察知したり会話するのよ。人間ノーマルだったあんたなら……簡単に気付けたのにね」

 何を——とは聞かなかった。聞く必要もなかった。

「敗北者からの助言ほど役に立たないものがあるか。あの世でほざけ。二人ともだ」

 左手をミストナの頭部に向け、右手を横たわるペレッタの心臓に向ける。

 手の平に大きな孔が空き大砲ほどの掘削弾を覗かせた。

「あの世なんて信じてないから、あんたのその攻撃は外れるわね」

「この距離を外す馬鹿がいるか!!」

 分厚い轟音が一つに重なって鳴り響く。

 自信満々に撃ち放ったそれが——二つとも僅かに逸れ、地面に埋まっていった。

「くっ!?」

「ほらね」

「——ええい! この後に及んでわずらわしい!!」

 理由は分かっている。まただ。また右足が後ろに動いた。

 まだ人間の感性が残っている事にほとほと嫌気がさす。

 この獣人クズとペレッタさえ始末すれば、すぐにでも王位継承の儀が行える。悲願であった妹への手向けが用意出来るというのに。

(人であった事を忘れる。生物であった事すら忘れよう。儂がモルメス国の真王。いや、如何なる鋼をも生み出せる希望——かまどの神だ)

「……もう良い。白き炎よ、儂に新たな魔術を教えろ。一番強力な魔術はなんだ。このくだらぬダンジョンなど全壊させても————っ!?」

 三度目だ。またもや足が勝手に動いた。

 獣は組み伏した。状況はどう考えても優勢だ。

 これは、絶対に、恐怖心なんかではない!

 ハッとしたソフロムは見た。背後のゲートに向かって白い軌跡が続いてるのを。

「……まさか、お前が導いたのか!? 身を退かせているというのか!?」

 邪魔をしていたのは、肩横に佇む白い炎だった。術者にとって最良の選択を指し示すその魔術が、ソフロムの身を退かせていた。

「プププ、ププッ」

「黙れ!! 今すぐ押し潰して殺してやる!」

「笑うなっていう方が無理あるわよ。だってその魔術はんだから」

「ええい!! 目障りだ! 今すぐに消えろ! 消えろというのが分からんのか!?」

 掻き消そうとソフロムは腕を振るが、まだ役割が残っていると言わんばかりに揺めきを続ける。

「白い炎の代わりに超賢い私がもう一つ教えてあげる。私達を即座に始末出来なかった時点で、あんたは撤退するのが正解だったのよ。これは——時間との勝負」

 白き炎がゆっくりと動いた。背中側だ。

 奥に向かう通路をぼんやりと照らし、やっと飛散した。

「負け犬は知らないけどね。負け虎が吼えるのには、それなりの理由ってものがあったのよ」

 その方向を見て身体中の目が固まった。

 しんと静まった通路から飛び出した者が居る。

(接触型魔術が作動していないだと!?)

 理解できぬまま、その愚か者はこちらに向かって大きく跳躍した。

 渇いた舌を出し、この異形の身体に向かって馬鹿みたいに突っ込んでくる。ゴーグルの奥。血のような赤い眼を光らせて。

 その卑しい眼を十代の頃に見た事があった。狩猟に山へ入った時だったか。不注意で怪我を負い、のそのそと下山している最中だった。

 そいつは単騎で現れた。

 いくつもの山を越えて、血の匂いを嗅ぎつけるこいつの眼はまるで、まるで、————狼。

「呼んだらさっさと来なさいよ、バカメイド」

「こっからずっとあたしのターンだ!!」

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