腹をくくるっきゃない!2

(確かにソフロムの顔面に直撃したはずなのに!!)

 動揺を隠しきれないまま、ミストナはピンと張った尻尾の先に魔力を集中させた。

 歯を食いしばり、壁の奥深くに埋まった鉄腕を「おりゃああああ!!」と目力で引っこ抜く。

「何が戦う力は無いよっ! 狸の獣人が化けてるんじゃないでしょうね!」

「叔父様は生まれも育ちもモルメス国の人間です!」

「えぇ、そうでしょうね!! じゃあどうしてホワイトウッドの魔術が使えてるのよ! しかも私が全ーーっ然知らないやつ!」

 ソフロムの頭上の魔術陣にはホワイトウッドの文字が浮かんでいる。術式の傾向からして身体強化に近いものだろう。

 ただ、そこまでしかミストナには分からなかった。

 公表されている数百の術式は全て頭に叩き込んでいる。そこから派生する複合魔術も式のパターンでおおよその検討がつく。

 ——だが、ソフロムが使用した魔術には心当たりがない。

 鉄腕カイナの重量は片手で四十キロ。それを時速百キロほどでブッ放した。インパクトの瞬間には魔力だってみなぎらせたはずだ。あの大型飛竜ですら内部の肉が波打ち、よろけ、呻き声を上げた。数トンにも迫る衝撃だったはずだ。

 ミストナは弾かれた鉄腕の感触を思い出す。手応えがまるで皆無だった。反動すら無いなんて————、そんなの有り得ない!!

「魔術とは便利な物だ。そう思わぬか? ミストナ君」

 ゆっくりと目を開けるソフロムが、先程までと変わらない口調で話す。渾身の一打を気にした様子はない。

 ミストナの虎耳に警戒が走った。

「獣人にそれを聞くなんて……良い性格してる」

 ゆっくりと。注意を払いながら鉄腕を側に呼び戻す。

 ソフロムは視線をやる事すらなかったが。

「ダンジョン恩恵に嫌われた獣人クズには分からぬか」

「嫌われてないから。ダンジョンはツンデレなのよ」

「ツンデレ、が何かは知らぬが。未知の力というのは例え些細な効果であっても、今までの常識がひっくり返る」

「新しいおもちゃを手に入れて浮かれるなんて、ただの子供と同じじゃない」

「おもちゃではない。ダンジョンに寄生しなければ生きていけない我々のだ。そう、どれだけ歳を取っても探究心だけは残る。心臓に深々と刺さったくいのようにな。ミストナ君もそうだろう? 死ぬまで……我々はこの欲求から逃れることは出来ない」

「わざわざご教示ありがとう。で、私の鉄腕カイナを食らって一歩も動かない種明かしも、ついでにお願い出来るかしら」

「理性も、感情も、遺伝子すら思いのままに操る魔術だ」

 ミストナは目を疑った。

 顔の深い皺が伸びて消えていく。肌にハリが出て、目尻が上がり鋭さを増した。白髪混じりの髪もあっというまに若々しく黒に染まる。

 たった数秒で。ソフロムは青年に変貌した。

「言っておくがこれは若返りでは無い。活発な細胞のみ選別して組み替える魔術だ。だが——この力にはその先がある」

「そのまま赤ちゃんまで退行してくれたら、こっちは超都合が良いんだけど」

「ハッ。畏怖いふしているというのに口だけは達者だな」

「そんなこと、無いわよ」

 ミストナは小刻みに震える尻尾を、力で無理矢理に押さえ込んだ。

「分かりやすく形体を変えてやろう————カイプ・フジョン。ホワイトウッド君の街では“生態超越”などと呼ばれているらしいな」

 ソフロムのまとっていた全身甲冑フルプレートが内側からはち切れた。押し留められないほど、筋肉が膨らみ溢れ出したからだ。

「もう人間ノーマル、じゃない……」

 三倍ほど膨れ上がったソフロムの肉が元のサイズに収縮した。皮膚の下がうごめき、見覚えのある色が浮かび上がった。曇った鏡に似た艶——モルメスの国色、鋼色だ。

 鼻、口、髪の一本。その瞳の中までもが硬く冷たい鋼に成り代わる。

「全身の細胞を組み替えて、鉱石系統の魔獣——ゴーレムに似せた。鉄魔晶ニビルと呼ばれる最高亜種にな」

 聞いた事の無い魔術に憎たらしさを覚えた。

 恐らく上位の冒険者のみに知られる超弩級ちょうどきゅうレベルの魔術だろう。事細かな種族名など知った話では無いが、ゴーレムと聞いて納得がいった。

 ホワイトウッドには鉱石魔人ゴーレムウォーカーと呼ばれる魔族が居る。その種族は姿形は人に似ているが、体内に溜めた砂や石を圧縮し重量を操る事が出来た。

(だからって、どれほどの密度を込めれば私の空の落ちこぼれ星屑の腕を弾くっていうのよ……)

 簡単な話だ、

 推測だが全力のカイナでビクともしないなら、ソフロムの体重は数十〜数百トンの重量が秘められている計算になる。

 とんだ化け物だ。

「諦めてペレッタを殺させてくれぬか? 順当に言って、儂は次の王を継ぐ立場だ。感情に任せて弱者をなぶり殺しにしたくはない。それは愚か者の行為だ」

 足元の地面をひずませながら、ソフロムは背後に設置してある水瓶ゲートを確認した。

「叔父様……嘘ですよね、そんな……」

 ペレッタの反応に鉄板顔のソフロムはうすら笑みを浮かべる。そこに全ての答えが詰まっていた。

「ペレッタ……ペレッタ・トゥワ・モルメス。お前は誰からも疎まれる存在だ。血縁である儂からもな」

「私は叔父さんを信頼しておりました。なのに!!」

 唯一の肉親であるソフロムから発せられた辛辣な言葉。ペレッタは必死に涙を堪えていた。

「大穴で買収された。本命は……遺恨かしらね。前王もそうとう悪い事してたんじゃない?」

「私の父は叔父さんにまで迷惑をかけていた、そう仰るのですか……」

「えぇ。子供の為に悪い事の一つや二つを澄まし顔で出来るのが親心ってものよ。大切な一人娘を守る為なら全世界の人間だって敵に回す。ペレッタのお父さんはそれほどの心境だったのよ」

 腕の中で震えるペレッタを、きつく抱きしめながら言った。

「儂の妹——お前の母親はな、前国王に殺された」

「母は私を産んだ時の後遺症で亡くなったと聞きました! 叔父さんがそう言ったのです!」

 飽きれたようにソフロムが首を振った。

「嘘に決まっているだろう。そもそもだ、全てが間違って産まれたお前に真実を教えてどうなる? 何が良くなる? 余計な情報は国政が悪化するだけだ。そんな事は誰も望んでいない」

「作り話など聞きたくありません!」

「厳しい国の戒律をお前はまだ知らぬのだ。宿というものをな」

 もはやソフロムはただの人間ノーマルではない。身振り手振りこそ人を装っているが、硬い鋼の液体と言って良いだろう。皮膚に鋼の艶が波を打っている。瞬きもせず、唇も動いていない。どこから声が出ているかさえも分からない。

「モルメスの後継者は唯一無二だ。王女か、その子供か。生まれた時に王が決めるのが習わしだ。不測の事態を招かぬようにな。だからどちらか一人を後継者の座に就かせて、もう片方を国外に追放しなければならない。それがモルメス国の不動の戒律だ。それを……貴様の父親は破った。手前勝手な私利私欲でだっ!!」

「いやっ、違————」

「妹は王の身勝手で匿われた! そして見つかり斬首された!! 遠征から帰ってきた王は激昂し、妹の処刑に関わった貴族を次々と断罪し消して回った! 血を血で洗う内紛の始まりだ。全て、、、お前の父親の我儘わがままのせいではないかっ!!」

「違います! 聞いてください! きっと母は父の側に少しでも居たかっただけです! これは母が望んだ結末です! 証拠に私の部屋にある古いアルバム、それはどの写真も同じ部屋の中で撮られていました。赤ん坊の私を抱いた写真もあります! それでもっ! 母の顔はいつだって笑顔で溢れていました!!」

 ペレッタにも意地があった。

 記憶にも残っていない母親との唯一の思い出。その領域だけは誰であっても踏み荒らされたくないのだろう。

「……だからどうした。大切な妹は帰ってこない。首をねられて死んだのだからな。埋葬したのは、この儂だ。ペレッタ、お前に何かしらの利用価値があると思い今まで見逃してきたが、それも必要無くなった。神に……この秘術を与えられたのだからな」

 最悪だ。ミストナは後退りしながら驚愕した。

「あんた……その瞳は……」

 ぐるんと縦に回ったソフロムの目玉。その回転が止まった時、あの忌まわしいA級賞金首の六芒星の魔術陣が浮かんでいた。

完全なる幸福の届け人パーフェクトオーダーの術印!!」

「魔術とは実に便利なものだ。そう思うだろう、ミストナ君。たった一つの希望を与えられただけで——百の可能性が道開くのだからな!!」

 ミストナはもう説得など不可能だと感じた。

 六芒星の呪いに加え、ソフロムの鋼鉄の顔からは何の温情も感じない。全て。これから行う処刑の罪状を述べているだけだ。

 ソフロムは真の復讐者だった。妹が死んだその時から上辺だけを取り繕って生きてきた。その感情の下は鋼と等しく、冷たく固まったまま。

「あんたがモルメス国反乱の主犯って訳ね」

「もう部外者は黙っていてくれぬか。これは私達の国の問題だ」

「……誰が首を突っ込んだと思ってるのよ。星屑の使者のリーダー、ミストナよ。この虎の牙が一口噛んだなら、主役にだって成り代わってみせる」

「ならば終演にしよう。長い復讐劇はこのダンジョンにいる全員の命を持って、幕引きだ」

 ソフロムの背中から鋼の太い管が十本伸びた。それぞれが天井や壁面に突き刺さる。蜘蛛の網に似ている。その中心の管に小さな穴が開いた。

「終わりじゃない! ペレッタの冒険は今ここから始まったのよ!!」

「内乱罪。国家転覆教唆罪。王室に対しての不敬罪。逃亡罪。まだまだ罪状は余っているが、どれか一つでも死刑に値する。使い物にならぬ兵士に代わって——これより儂がペレッタの処刑を執行する!」

 ——バンッッ!! 

 鋭い音が空洞を揺らした。穴から発射されたのは小粒の塊。空気を切り裂く一発の弾丸。

 判断が遅れ脚が鈍った。ならばと、ミストナは片手を振りかざす。

「その程度、この拳で弾き返す!!」

 ペレッタに向けて一直線に飛んできたそれを、魔力を迸らせた右の鉄甲を合わせ——撃ち抜く!!

「っ!?!? がぁぁああああああぁぁぁ!!!」

 指に燃えるような痛みが走った。

 恐る恐る拳を開く。弾丸は鉄甲グローブを容易く貫通し、中指と人差し指の肉を裂き、ようやく手の平の中で止まっていた。

(これは……弾じゃない!!)

 それは螺旋状に作られた極小の剣だった。

 掘削くっさく力と推進力を向上させるために、鉤爪のような返し刃まで付いている。言わば貫通力に特化したドリルのようなものだ。

 これを胸当で受けていたら……。ミストナは痛みに耐えながらゾッとした。

「ミストナさんっ!?」

「……大丈夫、大丈夫よ。思ったより威力があった。それだけだから」

 中指を舐めて、ソフロムを睨みつける。

「ペレッタの脳天を狙ったのだが左に逸れた。このダンジョンの影響を受けたか、まぁ誤差の範囲だ」

 淡々と分析し、そしてくだの穴数が一気に増える。十、五十、百……数えたくもない穴が開く。

「半端な抵抗はやめておけ。見苦しく死ぬだけだぞ」

「生憎だけど大人しい死に方なんて、生涯で一度も習ってないのよ!」

「では、のたうち回って死ね」

「防ぎなさいっ!! カイナ!!」

 鉄腕を正面に並べ、盾代わりに身を隠した。

 ドガガガガガガガガガガガガガガッッ!!! 

 連射された暴威で、鼓膜が破れるかと思った。まるで真正面から突っ込んできた嵐のようだ。

 ミストナは鉄腕に背を預けながら、ペレッタに覆い被さった。

(ヤバイヤバイヤバイ!! こんなの鉄腕カイナがもたない!!)

 鉄腕の表面がこそぎ落とされ、えぐり抜かれ、瞬く間に破壊されていく。

 かといってこの弾丸の嵐の中に姿を晒す訳にはいかない。対抗できる魔術道具アイテムも持っておらず、ペレッタ共々蜂の巣になるだけだ。

 ——ベリル達が追いつくのを待つ? 今にも崩壊しそうな鉄腕カイナの盾の中で……いつまで。

(このままじゃジリ貧……。一体どうすれば)

 弾幕と消炎の中、ミストナが声を絞り出した。

「地面に埋まっていた冒険者の中にモルメスの兵士達が居たわよね!? どうして仲間の兵士まで殺す必要があったの!!」

「あれは中立派の兵士達だ。ここの冒険者を殺した時に止めようしたのでな。どうでも良い存在だった」

「本当最っ低ね!!」

「モルメス国とは違い管理されていないダンジョンはこうも都合がいいものだとは。全てを吸収し、無に帰す。神隠しには持ってこいの場所だ!」

 場繋ぎするつもりは無かったが。不思議と弾幕の嵐が静まった。

「……えっ?」

「ふむ。この魔術は初めて使ったが、魔力消費がいささか大きいようだ。細かい造形に割を持っていかれたか」

 好機だ。この機に乗じてミストナはペレッタを抱えて、カイナの影から飛び出した。

 目指すは最深部に続く通路。ダンジョンの奥に逃げて、ベリル達と合流。体制の立て直し。

 それが最善策と思ったが、ミストナは通路の前に立って甘い考えを捨てた。

 一本に伸びた通路には天地左右と、無数の接触型魔術陣トラップが仕掛けてあった。

(抜け目のない奴め! ————だったら!!)

 ミストナはペレッタを抱えて跳んだ。壁に手をかけ、尻尾をかけ、的を絞らせないように跳ね回る。

 ズタボロにへしゃげた二本のカイナの影に隠れながら。

撹乱かくらんしながら攻める、か。いかにもクズらしい獣人の発想」

 ポンプのように脈を打っていた管が静止した。

 体内から魔力を充填し、装填が終わったのだろう。力強く光った六芒星のソフロムの目。また無数の弾丸が雨あられと発射された。

「うるさい! クズって言う方がクズなのよ!!」

 重ねたカイナを二つに分ける。右腕にペレッタを隠し、左腕に自身を潜ませた。

「二択か。ペレッタはどっちだ」

 考えさせる暇もなく、左の鉄腕に隠れたミストナが飛び出した。腕を交差させ、膝を曲げ、急所だけを守りつつ急降下。

「私の相手をしなさい!」

「力の差が分からず牙を剥く。さすが獣人だ。呆れを通り越して哀れだな」

 弾丸が鉄甲やブーツを容易く貫く。

 血を吹き出しながらも、ミストナはソフロムの肩に両脚を乗せた。

「捉えた!!」

「何をだ?」

 頭を両手でガッシリと掴み、力任せに首を捻る。ゴキッ! という脊髄せきずいを断つ音が聞こえない。ソフロムの体内構造はすでに人間ノーマルとかけ離れていた。

「無駄だよ。ミストナ君」

 首が一周回ったソフロムが不気味に笑う。

 それでも良い。種族が違えど、どこかに思考を判断する脳があるはず。情報信号を流す神経があるはず。

 爪を尖らせ、心臓部分を貫く。貫手は背中の薄皮一枚まで達した。

 すぐにくるんと回転し、腹部の中心に踵をめり込ませた。貫通したが。ソフロムの表情に変化はない。

「無駄という言葉を知らぬ無知か?」

「それくらい知ってるわよ!」

「ならばもうやめておけ。幼稚な戦闘は」

「あんたがどれだけ強くても、この距離なら私は負けない!!」

 足元に滑り込み、右膝に強烈な足刀そくとうを打ち込む。くの字に折れるが倒れはしない。次に左足に肘を叩き込んだ。そのまま右腕を掴み、背中に持っていって捻じ曲げた。

(関節が存在していないのは分かっている。だけど、脳はどこ!? 心臓は!? 魔力供給となる魔核はどこに!?)

 急所を殴りながら、疑問に思った事がある。

 カイナで殴りつけた時よりも遥かに柔らかくなっている。硬い水飴のような、溶かしたての鉄のような。

「ぐにゃぐにゃとうっとうしいわね!」

「いくら重量が増したとは言え、鋼の強度には限界があるからな。僅かな傷から亀裂が走り決壊する。だから細胞を組み替え混ぜ合わせた」

「靱性を強化したってわけね。軟体魔獣……おそらくスライム種の何かに!」

「ご名答だ」

 首をぐるんと元に戻したソフロムが、歪に曲がった脚をしならせる。

 その鮮やかな軌道を見て、ミストナは動けなかった。思わず見惚れてしまうほどに、鮮烈で強烈な回し蹴り。

「オグッ!!」

 脇腹に直撃し、軽い体が地面を跳ねた。

「そして儂は武術でも、ミストナ君に負けはしない」

 悠々とソフロムが数々の蹴り技を披露してみせた。それは武に長き時間を割いてきたミストナから見ても、感嘆してしまう出来栄えの演武だった。

「ミストナ君は長い年月をかけて、血の滲むような努力をし、これまで鍛錬を積んできたのだろう。本当に立派だ。あぁ、心からそう思っている。——数週間前の儂ならな」

 ソフロムは背中から生えた管を体内に戻し、左腕を引き千切った。そして自分の右肘にくっつける。

 右半身を半歩踏み込んで独特の構えをとった。

 この戦闘スタイルをミストナは知っていた。ホワイトウッドの武術家を調べればトップページに載っている有名な人物だ。

「ホワイトウッドの情報を使った憑依魔術だ。モデルになった武人は、隻腕せきわんにて二腕のゴウド・エグドロル——らしい。誰かは知らないが」

 胃液を吐き出し、ミストナは再び立ち上がる。

「……数百年前に死んだ気高きトップランカーよ。この街の冒険者に多大な貢献をしたの。あんたが、、、無差別殺人者のあんたなんかが、気軽に口にして良い名前じゃない!!」

「その権限はミストナ君にあるのではない。魔術を使用した、儂だ」

 感じたことの無い気迫に、ミストナは動けなかった。

 強烈な片腕の二撃がミストナの鼻っ柱と鳩尾に直撃する。百本の針が貫通したような強烈な痛みが、頭から意識だけを掻っ攫った。

 なす術なく三度頭を地に打って、ミストナは壁面に埋もれる。

 だらしなく開いた口からむせ返るような血反吐がビチャビチャと垂れる。鼻が折れたせいなのか、臓器が傷付いたのか。どちらの理由かは分からない。

「ククククッ、これは気力を奪う体術か。興味深い」

(……立たなくちゃ。立って……立って)

 ぼやける視界の中で立ち上がろうとするが、膝がガクガクと笑っていた。脚がもつれ、べちゃりと地に平伏し、ただソフロムを睨みつける事しか出来なかった。

「白き炎よ、獣は大人しくなった。ペレッタを最も仕留めやすい魔術を教えろ」

 自問自答するソフロムの右肩に、白い炎が浮かび上がる。

「それは、、、このダンジョンの魔術っ」

「そうだったのか。いくつか魔術を試しているが、これほど便利な魔術はないぞ。道案内だけでは無い。状況に最適の戦闘魔術すら選んでくれる」

「一体あんたは、いくつの魔術が使えるの」

「さぁな。あやつは百はくだらんと言っていたが、まだ半分も試していない。なにせ相手の命が持たぬ威力ばかりでな」

「そいつの正体は……。完全なる幸福の届け人パーフェクトオーダーの正体は————」

 途端だ。腕を元の位置に戻したソフロムの上半身が半透明になり、中の臓器が透けて見えた。

「しつこく探していたのはこれだろう」

「有り得ない、そんなの、有り得ないわっ……」

 それは小さな群だった。

 五センチほどの心臓が。脳も魔核も隙間に存在し、二十数個確認できる。臓器をでたらめに複製する魔術だ。

 必殺の場所が存在しない理由が今分かった。

 例え前の攻撃で潰れていたとしても、いくらでも替えが効くと言う訳だ。一つでも困難だというのに、その全てを破壊する事など……到底出来やしない。

「儂は喜劇を見て常々思う所があった。まぬけな悪役ほどリアリティを欠如させる、と」

「待ちなさい……待ってよ!!」

 雄弁を垂れながら、指揮者のように腕を振るソフロム。

「待つ訳がない。言ったろう、ミストナ君やこの街の冒険者はどうでもいいのだよ。何かあればこちら側からゲートを封鎖すれば良いだけの話。絶対に始末しなければならないのは——」

「ねぇ!! 待ってってば!!!」

「ペレッタだ」

 ソフロムの腹部に無数の射出穴が出来上がる。

 ミストナから向きを変え、着地していたペレッタに的を絞った。

「ペレッタ! 逃げてえええええぇぇぇ!!」

 爪先が言う事を聞かない。まだ意識が上の空だ。それでもミストナは懸命に脚を動かした。手を伸ばし、前に。一歩でも前にと。絶対に間に合わないと知っていながら。

 不法投棄された置物のように転がっている左右のカイナ。それを視線で動かそうとするも、すでに七割以上の損傷を受けている。

 ビクビクとミストナの命令に反応するだけで、浮かぶ事すらままならなかった。

「ようやく理解したか。落ちこぼれのくだらぬ鉄屑魔術ではどうする事も出来ないと。獣は獣らしく地に這いつくばっていろ」

 膝をつき怯えていたペレッタが、意を決して立ち上がった。

「——ソフロム叔父さん。訂正してください。ミストナさんは獣ではありません。獣人です」

「モルメス国と居た時と目の色が違うな。それは儂も同じだが」

「ミストナさんは星です。私の目標となる真の冒険者です!」

 震えている両手をソフロムにかざし——。

「お前が冒険者だと? 何も生み出さない、何も成長しない。唯一貢献できる事といえば……このダンジョンで誰にも知られず、ただ死ぬ事だけ。そのお前がか?」

「私は変わりました。自分の意思で“変わる”と決意したからです」

「らしくない事を言うでないペレッタ。人生の殆どを孤独な部屋の中で、ぼぅーっと過ごしてきたではないか。変われるはずが無い」

「私は、このダンジョンをクリアしました。もうホワイトウッドの冒険者です! ——生命の火フィ・レイタム!!」


 ペレッタが白い炎を召喚した。

 ソフロムの肩に漂う炎よりもふた回り小さく、遥かにか弱い灯火を。

「ククククッ。お前はこの魔術の使い方を知らぬようだ。これの攻撃性能は皆無だぞ?」

 まだ届かない距離にいるミストナすらもそう思う。ソフロムのあの銃弾を防ぐ事など絶対に出来ない。

「例え小さくても、弱い炎でも。私にとっては歩むべき道を照らす希望の光」

「その道が無ければどうする? 照らす事も出来まい」

「道はあります。生きてれば、生きてさえいれば——私の勇者様、ミストナさんが新たな道を作ってくれるからっ!!」

 フワフワと漂う白い炎を、ペレッタはヒールの横に落とす。まったく意味の無い行動に見えた。

 むしろ魔術を取り下げたようにも思える。魔力限界の焦燥。無念の諦め。そうタカを括っていたソフロムが態度を急変させた。

「おい、それは、その脆弱な生物はなんだ? 何処から沸いて出た!?」

 いつのまにか。戦闘の余波に誘われた白い幻獣モンスターが居た。

 小さい体ではあるが中には高濃度の可燃性ガスを抱えている、あの“膨れ鼠”が。

「ネズミさん、ごめんなさいっ!」

 炎が膨れ鼠の口に触れ、引火の震えが空洞内に伝わった。

「やめんかっっ!!」

 瞬く間に空洞内の酸素が燃焼され、真っ白の大爆発が巻き起こった。

 ペレッタは成すすべなく吹き飛び、ソフロムは苦渋の顔を両手で抑える。

 ミストナは体制を低くくして衝撃に備えた。全ての視界を遮る濃い雲煙くもけむりの中で。

「下手な知識を身に付けおって! それになんだっ、この不快な臭いは!」

「ペレッタ!!」

 無闇に乱射される銃弾の中。脳震盪のうしんとうから回復したミストナは、聴覚を頼りにペレッタの元へ辿り着いた。

(鼻を慣らしておいて良かった! これが初体験だったら、今頃は白目を向いて倒れてる!)

 と言っても、あのバカメイドに感謝する事は絶対にないが。

 うつ伏せに倒れていたペレッタを担ぎ、そのまま雲煙に姿をくらませる。

「ミストナ、、、さん」

 絞り出すのもやっとなくらい、弱々しい声だった。

「無理させたわね……ごめん」

 大爆発がゼロ距離で起こったのだ。即座に気を失っていてもおかしくない状態だった。

 ペレッタはまともな防具を着ておらず、訓練も受けていない。生足を晒していた膝下の皮は剥がれ、焼け焦げている。それはまだマシなほうだ。

 ペレッタ自身は気が付いているのだろうか。今だけはまだ、悲惨な事実に気付かないで欲しい。

 血だけが流れ続ける、虚空になった両目を。

「私、嬉しい、です。ミストナさんのお役に、立てて……」

「もう喋らなくていいからっ!」

「……これで、本物のパーティーメンバー仲間になれましたよね」

「もうずっとなってるわよ! あんたが納得してなくても、私が仲間って言ったら仲間なの! 友達なの!」

「生きていて……生きていて……本当に良かった……ちっぽけだと思っていた人生が、たった今、意味を持ちました————」

 満足気に微笑んだあと、ペレッタの全身の力がするりと抜けた。

「ペレッタ! ペレッタ!!」

 急いで手首を掴む。ゆっくりだが、まだ脈を打っている。

「その台詞……。ホワイトウッドでもう一度聞かせて貰うから」

「どこだペレッタ!! ここから逃げれはせんぞ!!」

 雲煙の流れが一点に集中し始めた。その先でソフロムが魔術を使い、吸い込んでいるのだろう。

 位置が分かれば銃弾の軌道が読める。ペレッタだけは守れる。

「あんたはこのダンジョンとホワイトウッドこの街の冒険者を舐め過ぎた」

「そこか!!」

 と、無数の弾丸が発射されたが、ミストナは既に別の場所に跳ねている。

 壁面をえぐるけたたましい音だけが、体に響いた。

「私はね。自分のを決める時に、『何をもって正義とするのか』を小さい頃から考えてた。ずっとよ。戦闘訓練してても、ベッドの中でも」

「——何の話だ!!」

 激昂するソフロムをよそ目にミストナは立ち止まる。ペレッタを背後にそっと置き、まだ見えぬソフロムの方を向く。

「だけど今だに正義が分からない。この街に着いて余計に分からなくなったわ。きっと死ぬまで完璧な答えは出ない。だから……私はこういう首輪(かせ)にしたの。“自分がと定めた者”にのみ、虎の本能を解放するって」

 “冒険者の流儀”とは偽善だ。

 本当は冒険者同士がリスクを回避する為の、格好の悪い口実なのかもしれない。不毛な争いこそが、生物として正しい本質ということも。

 ミストナは知っている。偽善の正義を。知っていてなお——、その誇り高い勇姿に憧れている。

「冒険者の流儀。その十、移転装置ゲート付近での戦闘を禁ずる。その十七、ダンジョンの独占行為及び、占領を断じて禁ずる。その十九、ダンジョン内に置いて一方的な暴力行為を禁ずるっ! あんたは私が定めたルールを三つ破った!! これでかせを外せる!!」

 雲煙が全てソフロムの魔術陣に吸い込まれた時、ミストナの首元には分厚く大きな首輪が存在していた。ミストナはがっしりとその首輪を掴む。ズタボロのカイナも後方を掴んでいる。

 そして四方に引き千切った。

 上空に巨大な魔術陣が展開した。それはいつもの愛らしい虎の絵では無い。今にも命を食らい尽くさんとする、どう猛な野生の虎が三者を睨みつけている。

 そこから降り注ぐ黄色の光柱がミストナを覆った。

「遺言はあの世でほざけ!!」

 発射された数十発の弾丸が光柱に触れた。ミストナの眼前にて蒸発し掻き消える。

「物理的に押し負けただと!? どういう理屈だ!?」

「——私は否定する。認められない現実を、世界の全てを否定する」

 自己暗示。眠れる虎を呼び起こす掛け声だ。

「——私は肯定する。望むべき行動を、私の全てを肯定する」

 我がままで良い。我がままが良い。

 獣らしく自分の思い描く理想を強く願う。それこそが純粋な力に直結する。

「星屑の使者の命を持って、危険色の権利を行使する。勇敢なる虎よ……このノルルン・ミストナ・エイティックの怒りをありがたく喰らいなさい!!」

 ミストナが黒の魔力を天に放つ。

 黄色の魔力と黒の魔力が交わり、危険色に変わる。何者も邪魔できない王者の絶対聖域。

 その膨大な魔力の全てをミストナは身に留め、えた。

「ガオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォンンンンンンン!!!」

 心臓が乾いて仕方ない。咆哮した息は燃えるように熱い。沸騰直前の血液が体内を駆け巡り、虎毛皮が指先や太腿を覆う。

 そして、顔面に異様な紋様が拡がる。骨もバキバキと軋み、ミストナの体躯はより獣じみた前傾姿勢となった。

「……ソフロム。確かに獣人は魔術を一つしか覚えられない。不便で退屈な種族よ」

「分かっているじゃないか! 数多あまたの種族を超越出来る儂を倒せはしない!」

「でもね、奥の手の一つくらいは持ってるわ」

 ズタボロになったカイナを引き寄せ、両腕に装着する。地面に引きずるほどの重厚な超鉄甲を用いて、ミストナは拳を握り直した。

 目には目潰しを。拳には鉄拳を。相手が百の種族に変化するなら、こっちは


「何千年なんて待ってられないから、私は超獣戯化ちょうじゅうぎか——完了ッッッ!!」

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