腹をくくるっきゃない!

(今ソフロム叔父さんって言ったわね……。あれがペレッタの亡くなった母親の兄、か)


 幽霊でもみるように目を瞬かせるソフロムに、ミストナは注意を払う。しかし、喜びを露わにするペレッタを見てすぐに考えを改めた。

 色眼鏡で見なければ冒険者通りの片隅でお洒落なバーを営んでいそうな、優しくて落ち着いた印象だ。

 この人物こそが極秘裏にペレッタ救出を頼んだ依頼主。つまり——警戒する必要のない、協力者だ。


(ここにソフロムが一人で居るって事は……新たな追っ手が近くに居る可能性は低い)


 んっふっふー。鼻を鳴らして尻尾を振る。

 ここに来てとてつもない追い風をミストナは感じた。と言っても、当たり前の運の良さ事態なのかもしれない。

 ゴミはきちんと分別して曜日別に出してるし、配達員には『ご苦労様』と若干引きつった笑顔ながら最低額のチップも渡している。

 誰かをぶっ飛ばす時だってきちんと街のルールに従って、指定された壁にめり込ませてきた。

 日頃の行いがめちゃくちゃ良いから運も味方につくのよ、ベリルと違ってね。と、ミストナは一人納得して肩の力を抜く。

 大切な贈り物を届けるように、ソフロムの元まで歩み寄った。


「おおぉ、無事だったか! ペレッタ!!」


 大きく手を広げるソフロム。皺が寄った目元には、うっすらと涙が浮かんで見えた。


「私は平気です! 叔父様こそ無事で安心しました。離れの牢に隔離されていると聞かされていましたので」

「中立派の面々に目をかけてもらってな。隙を見て馬車に乗り込み、何とかモルメス国から脱出する事が出来た。ほれ、見てみろ。どこも怪我などしておらん」

「それは……本当に、良かった」

「泣くなペレッタ。お前の母——儂の妹はどんなに辛い時でも泣く事はなかった」

「はいっ」


 泣くなと言ったソフロムからは涙が溢れている。

 両者の空気を察し、ミストナはペレッタをそっと地面に降ろした。


「君は——」

「こんにちは。アニマルビジョン所属、賞金稼ぎ班のミストナです」


 借りてきた猫のような自己紹介をしている状況でもないが、ペレッタの今後に関わってくる人物だ。無下な態度を取る訳にはいかない。

 膝を軽く曲げ、虎耳をぺこりと折り、尻尾を二度振る。エイティック家で受け継がれる伝統的な挨拶だ。


「まさか、このような可憐な少女に危険な依頼が回っていたとは。儂が叔父のソフロムだ」

「可憐っ!?」

 申し訳のない表情のソフロムに対して、機嫌良く眉を上げる。

“可憐”など、久しぶりに聞いた言葉だ。右も左もならず者だらけのホワイトウッド。この街に住み着いて聞いた覚えすらない。


「んっふっふー。気にしないでちょうだい。女同士の方がペレッタと打ち解ける可能性が高かった。鹿野の判断は至極当然だと思う。だから可憐で、繊細で、聡明な、私はなーんにも気にしていないわ」

「国の政治ごとに付き合わせてしまい、心からの非礼を詫びる」

「どこの世界も似たようなものよ。でも良かった。こうして無事に助け出せたから」

「……本当にありがとう」


 胸の鉄板を小突いて、「どういたしまして」と応えた。


「こう見えても叔父様は、兵の指南役を何年も務めた事があります。凄くお強い方です」

「現役を退いて十年は経っている。ペレッタは儂を過大評価し過ぎだ」

「そんな事はありません——」


 久しぶりの再会だったのだろう。

 妹の忘れ形見を労わるソフロム。希望に満ち溢れる双眸のペレッタ。


(……)


 そんな両者に反して、ミストナの脈が強く打った。

 ——ドッ、——ドッ、——ドッドッドッドッドッドッ。

 心音が早まり、尻尾の先がモゾモゾムズムズ痒くなる。


(ペレッタはこれで助かった。唯一の肉親にも会えて感動の再会のはず。なのに、どうして私は————、)


 ミストナは自分の手を苦い顔で見つめた。


(このが離せないの?)


 状況に反して、獣の血——虎の本能が“最後の警戒を解くな”と、訴えている。

 こんな時に何か便利な魔術が一つでも使えたら、疑問もすぐに解決出来るかもしれないのに。

 獣人という種族は本当に不便だ。どこにメリットがあるのか教えて欲しいくらいに。


(何かを見落としている? 一体何を……)


 ぐるりと空洞内を見渡しても答えは浮かばない。壁面の鉱石に変化は見られないし、ここの匂いも湿気った土の匂い。魔素の濃度にも変わった様子は感じない。


「あの、ミストナさん、ミストナさん?」

「————え、なに?」


 いつから名前を呼ばれていたのか。

 ペレッタは繋いだ手を見つめ、「もう大丈夫ですから」と、訴えていた。


「分かってる。だけど……」


 頭の整理が追い付かず、もごもごと口ごもるミストナ。

 一方のソフロムは顎をさすりながら、ペレッタの擦りむけた膝を注視していた。


「ここは異国のダンジョンだ。抗体の処置もせずに連れさられたのだろう。待っていろ、塗り薬を持ってきている」

「私の事は構いません。それよりも奥でガロンが……、ガロンが……っ」

「ガロンだと!?」


 言い辛そうに切り出すペレッタ。

 さっきの緊迫した場面を見ていない者からすると、ガロンはペレッタ暗殺を目論む同行者にしか映らないだろう。


「何故ガロンがあの隊に加わっている!! あれだけ面倒を見てやったというのに、革命派に寝返ったというのか!?」

「聞いてください! 私を守るために命を懸けて、兵士を足止めしてくれています!」

「なに? ……敵ではないのか?」


 誤解されれば味方同士である、ガロンとソフロムの戦いが勃発する。

 ペレッタはそれを食い止める為に、必死の弁明を見せた。


かまどの神に誓ってガロンはいつも、いつまでも、私の味方です! 信じてくださいっ!!」


 あご髭をさすったソフロムが、ふむと頷いた。


「……分かった。は儂に任せておきなさい」


 ペレッタの向こう——背中側の通路に向かって、一歩を踏み出す。


(っ!?)


 途端にミストナは大きく瞳を見開いた。

 ソフロムのを見て、だ。慌ててこのスタート地点全体の地面を確認する。


「止まりなさいっ、ソフロム」

「一体どうしたというのだ?」

「近寄るなって言ってんのよ!!」


 肩を跳ねたペレッタが、理解できない様子で顔を覗いてくる。


「ミストナさん——きゃっ!」


 返事もせずにペレッタを抱え、急いで後方に距離を取る。待機させていた鉄腕を左右に呼び寄せ、尻尾を逆立てた。


「儂に警戒したのか? この奥でガロンが危ない目に合っているのだろう。助けに行こうとしただけだ」

「私思ったんだけど、あんたはここで突っ立って何をしてたの?」

「まさか、叔父を疑っているのですか?」

「だって本当に心配なら、このダンジョンの中を血眼になって探しに行くでしょ。ラビィがピンチになったら私はそうする。絶対によ」


 自信満々にミストナは言うが、


「儂はこのダンジョンの知識も無い。言いたくはないが、見ての通りの老体だ。随分とガタがきている。モルメス国のダンジョンならまだしも……。この通り、身を隠す為の甲冑は用意してもらったが、剣を持ち出す事は出来なかった」


 揺さぶりにはかからなかった。

 確かにその腰元には、剣を収める鞘すら無い。

 心臓がキリキリと痛んだ。もしこの荒唐無稽な考えが間違っているとしたら、本当に失礼すぎる事を言っているだろう。


「ソフロム叔父さんは物心ついた時から、私の面倒を見てくださっていました。去年の誕生日の夜中の事です。ガロンにどうしても庭園に出たいとわがままを言いました。その時に許可を出してくれたのがソフロム叔父さんです! そうですよね?」


 息を巻いたペレッタの言葉に、また胸が締め付けられる。

 ソフロムは、目を逸らしながら「……あぁ、そうだったな」と、歯切れ悪く呟いた。


「一昨年の城下町を見てみたいと言った時もです! あの時はガロンのマントに隠れながら外出しました。それもソフロム叔父さんの協力無しでは出来無かった事だと、ガロンは言っていました!」


「え? 本当か? 本当の本当か?」と、ソフロムは目を白黒させた。

 ガロンが上司に虚偽報告していたかどうかはさて置き。ミストナはゴホンと咳払いを挟む。


「どれだけ歳を食っても外見に騙されるようじゃ、この街で賞金稼ぎなんてやっていけない。事実、あんたは入り口ゲートを塞ぐように立っていた。不必要な会話をして、さっさと街へ避難するように私達を誘導しなかった」

「だとしてもだ。ペレッタを守るように依頼したのは儂だ。敵がペレッタの救出など頼む訳が無かろう」

「それは……」


 唇を薄く噛んで、ミストナはうつむく。

 筋は通っている。いや、通り過ぎている。

 咄嗟にこうも上手く言い返す事が出来るだろうか。用意されていた言葉を、ただ並べて、置いただけではないのか。

 疑いが増すほどに、そうにしか聞こえない。


「私もソフロムを信用したい。だから——私達から離れてちょうだい。そうね、ゆっくりと向こうの壁際まで行って。ついでに目を瞑って百秒数えてくれると嬉しいわ」

「……」

「その隙に責任を持ってペレッタを安全な場所まで連れて行く。最初からそういう手筈だったし。すぐにトップランカーのパーティーに預けて、モルメス国の奴らが調べても探し出せないような異界の隅っこに匿ってもらうわ」

「……済まないが、君達の仕事はここまでだ。これから先は信用に値しない。ペレッタも私と居た方が落ち着くだろう」

「信用に値しない? そんな相手に依頼するのっておかしいでしょ?」

「誤解しないで欲しい。私なら命を懸けて守ってみせるという意味だ。それともミストナ君は命を捨ててまで尽くしてくれるのか? 街に戻った途端に奇襲にあったらどうする。儂は君達の掛け値が分からない。そう言いたかったんだ」


「——もういいわ。これ以上は押し問答ね」


 ペレッタをきつく抱き上げ、ミストナは体勢を低くした。両側の鉄腕を浮かび上がらせ「ガルルルルッ」と喉を低く鳴らす。


「ミストナさんっ! おやめください!!」

「ペレッタは黙ってて」

「黙りません!」

「じゃあ黙らないでいいから、力一杯しがみついときなさい」


 ソフロムの顔は穏やかだった。

 こちらに両手を見せて、敵意のないポーズを示した。そんな体裁はミストナにとって何の意味も持っていない。

 信じられるのは、だけだ。


「儂はミストナ君と戦う気はない。ペレッタを救ってくれた恩人じゃないか。それに、我々は会話が出来る。そうだろう、納得いくまで話し合おうじゃないか」

「冒険者の流儀——その十。ゲート付近の戦闘行為を禁ずる」

「なんだ、それは?」

「この街の善良な冒険者なら誰でも知ってる心得よ。ゲートから転移した直後に攻撃を仕掛ける行為は卑怯以外の何者でもない。または巻き込まないようにするため。それをいさめる言葉よ」

「戦闘など……、儂は何もしておらん」


 ミストナは辺りの地面を見るように、ソフロムに目配せした。


「じゃあこのの理由を聞かせてくれるかしら」

「地面? これはダンジョンが見せているただの地面ではないのか」

「二時間前……。私達が来た時の地面はもっと硬くて、そしてめちゃくちゃに荒れていたのよ!!」


 左右の鉄腕がミストナの意思によって、上空に浮かんだ。


「何をする気ですか!?」

「——掘り返す」


 相対する両者の間に、鉄腕の両指が勢い良く突き刺さる。シャベルのようにザクザクザクザク!! と、土を掻き分けて掘り進んだ。


「やっぱり柔らかい。踏みしめられていないし、ダンジョンの復旧機能もまだ働いていない」


 ミストナの勘が的中した。

 そう、突入時はもっと踏み荒らされた形跡があった。

 先に入った冒険者達。あのモルメス国の兵士だって同じだ。初心者向けダンジョンと言えど、命を落とすかもしれない場所だ。

 賢明な者は地盤を確かめるように踏み歩くだろう。

 たける者は剣を地面に突き立て鼓舞するだろう。

 聡明な者は座り込んで装備の最終調整をするだろう。

 そしてバカメイドなら「あーあ、こんなゴミみたいな仕事やってらんねぇーよ」とボヤきながら、卑猥な文字と記号を地面に刻むだろう。


 そのダンジョンも認める数々の爪痕つめあとが何一つ残っていなかった。

 これこそが、ミストナが不意に感じた違和感の正体だった。

 すぐにカイナの指先が、冷えた何かに触れる。撫でるように土を払うと、いくつかの装備が視界に映った。


(この古びた布は……)


 生唾をゴクリと飲み込んだ。

 思い出す。すれ違った冒険者だ。双子の孫に手を引かれていたお爺さんが着ていたローブ。

 その横には競争していた若い集団。その真新しい軽装備が血塗れになっている。

 下には物思いにふけっていた青年が、逆くの字に折れ曲がっていた。


 全員。さっきまで元気に挨拶を交わした冒険者達が、変わり果てた無残な姿になっていた。

 知らない成人男性の遺体も確認出来た。粉々に砕けた装備には、モルメス国の紋章が。

 覗き込んだペレッタが、悲鳴を上げて顔を背けた。


「この人達が、、、この人達が何したって言うのよっ!!!」


 危険色の尻尾が怒髪天を突いた。前のめりになる姿勢。剥き出しの牙。目一杯握りしめた拳が、勝手に走り出しそうになる。

 ミストナはそれらの激情を必死に抑えた。下唇を強く噛み、鉄の味が口いっぱいに広がった。


「わ、儂はこんな奴らなど知らぬっ! この人数と戦う気力も体力もない。幻獣モンスターの仕業だ!」

「この冒険者達とは一時間前にすれ違ってる。全員が帰宅者よ! 中の幻獣を倒して帰宅途中なんだから負ける訳が無い! あんたがこの冒険者達を殺したに決まってる!!」

「野盗かも知れぬっ! そう言えば怪しい奴と街のゲート付近ですれ違った。その後にわしがここに来た!」

「ダンジョンで起きた事はどんな理由であれ、ホワイトウッドの罪に問われない。だからさっさと自白しなさい。襲われたでもムカついたでも、何でも良い。それだけでめちゃくちゃにぶっ倒す理由になる」

「会ったことも無い! 本当だっ!!」


 ブチッッッ!!! と、何かが切れる音が聞こえた。

 あぁ、これは。虎の血が理性を引き違る音だ。


「あんたの言葉は聞き飽きた。こっから先は態度で示してもらう」


 ここしかない、ミストナはそう判断した。

 あれだけ警告したにも関わらず、力強く踏み込んだソフロムの右足。

 臨戦態勢の虎がそれを見逃すはずがない。


「近付くなって、私は二度も言った」


 威勢良く、啖呵を切った。

 右の鉄腕を浮かばせ——号令。尻尾を素早く振ると、唸りを上げて突進した。


(もし間違っていたらすぐ魔術医に見せに行く! 三日三晩土下座でも何でもする!)


 土煙を吹き上げながら迫るカイナ。その影から顎髭をさするソフロムが見えた。口元が薄く開いている。それはとても気味悪く——したたかな笑みを浮かべているように感じた。


「劣等種族の癖に。中々どうしてさといじゃないか」

「なっ!!」

「——カイプ・フジョン」


 激突の際に、呟かれた詠唱。

 ソフロムの頭上に見た事も無い魔術陣が展開した。

 そして、ミストナの顔が引きつった。

 自慢の鉄腕は何の反撃動作も見せなかったソフロムの後方に弾き飛び……壁面にブッ刺さった。

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