二兎追う者にしか、二兎は得られず。

 ◇◆◇◆◇◆


 ベリル達と離れてしばらく。

 出口に向かって全力疾走するミストナが、ズザザザザーーーッ!! と、幻獣——大ムカデの足元を滑り込む。


「カイナ、道を開きなさいっ!!」


 頭上を唸るように飛ぶ、二つの鉄腕。

 ミストナはそれらを視線で操り、立ち塞がる大ムカデ達の側頭部に豪速球で次々とブチ当てた。

 塩酸じみた体液を吐き出しながら、くの字に折れ曲がる巨体の群。その背中を蹴って、跳んで、駆け抜けて、出口へと急ぐ。


(この先を左。次の坂道を抜けたら右。あと十五分——いいえ、あと十分でここから脱出してみせる!)


 ミストナは胸元に抱えているペレッタを見つめる。両腕を首の後ろまで伸ばし、ぎゅっと目をつぶっていた。


「ギルド支部に預けたら、すぐにガロンも救出するから!」

「……はいっ」


 震える返事に、ミストナは前方に視線を逸らす。

 気丈に振る舞ってはいるが、恋する乙女。手負いだったガロンが心配でたまらないのだろう。

 そんな不安を和らげようと、ミストナは駆けながら別の話題を考えた。


「ねぇ、私達獣人って変な生き物に見えるでしょ? 人間ノーマルに似ているけど、尻尾や獣耳が生えてるし。えらく中途半端な種族よね」


 唐突な質問に、ペレッタは慌てて首を振ってみせた。

 皮肉めいた言葉に聞こえただろうか。他の話題が良かったかもしれないが、ペレッタのこれからの生活は、数百の他種族がひしめき合うこのホワイトウッドが中心となる。

 足だけが歩行している——普段は腰から下しか映らないようにしている透明族や、臓器の塊に毛が生えたような、特殊な魔獣が偉そうに踏ん反り返っている宝石屋だってある。

 ビックリして腰を抜かさないように、獣人の特徴くらいは予備知識として慣れていて欲しい。


「私はたまに思う所があるの。獣の本能のままにめちゃくちゃにぶっ壊したいし、それでいて人間ノーマルの欲望のまま欲しい物を全部手に入れたい。そんな荒唐無稽こうとうむけいな二つの衝動が、いつも胸の奥で絡まってる」

「破壊衝動が人間ノーマルよりも強いのですね」

「強いというか、発散して当たり前っていう考えがポンっと浮かび上がるのよ。爪研ぎ用の板が気にならない感じに似てるわ。大切な物ほど壊してみたくなる。でも、余程の出来事が起こらない限りそうはならない。殆どの獣人はダンジョンでストレスを発散してるから」


 湧き上がる闘争本能。場合によっては凶暴性と言うのかもしれない。

 ベリルに負けず劣らず。皆をまとめるミストナにも、秘めたる獣のさががドクンドクンと心臓と一緒に躍動している。

 いつまで飼い殺すか。どこであふれさせるか。それだけの些細な違いでしかない。


「それが獣人の性格かな。もちろん穏やかな獣人も居るけど、基本的には暴れたがりが多いの。だから偏屈な魔族よりも、厄介者に見られたりするのかも」

「不自由な選択、ですか」


 決して相容れない破壊衝動と獲得欲求。ペレッタはそんな欲望を、誰もが耳にした事のある例え話に見立てた。

 崖から落ちそうな母親と恋人。一方しか助けられないとしたら、どちらを選ぶのか……みたいな比喩だろう。


「そうね、“二ラビィ追うものは一ラビィも得ず”。冷静なツバキなら、きっとこう言うでしょうね。リスクを犯すより確実に一つを求めた方が合理的。頭の良い考えだと私も思う。だけど、それがどんなに例え無理難題だとしても……。どうしても両方が欲しい時は、


 ゴオオォォオオオオ————ンンンッ!!

 背中から伝わった重い衝撃音が、虎耳の毛先を震わせた。ベリルが戦っている余波だろう。

 ミストナとペレッタは後方を振り向き、暗い通路の先を見つめた。


(ベリルのやつ、大丈夫かしら)


 悪運の強い狼女だ。身を案じている訳ではない。

 心配なのは暴走せずに、ちゃんとガロンを守れているか。最深部にて兵士が見せた不可解な魔術。それも少し気がかりだった。

 差し掛かった曲がり角。迷いを振り切るように、勢いそのまま壁面をガン! と蹴って、方向転換を決める。


「両方を掴めるでしょうか……」

「私達には偶然にも二つの腕が生えている。きっと欲しい物が同時に掴めるように出来ているのよ。そして私の場合は、カイナがあるから四つも掴めるわ」


 と、左右に並走させる鉄腕を操り、Vサインを作って見せた。その親指と小指の間には小さな白い魔石が摘んである。大ムカデが落とした報酬も隙あらば拾って進んでいく。


「だから信じて。ペレッタもガロンも、それこそ仲間のあいつらも。全員揃ってホワイトウッドへ帰還する!」


 ぐいっと鉄腕の親指を立てる。

 少し緊張がほぐれたのか、ペレッタが明るい笑みをこぼした。

 ——大丈夫。厄介な護衛は振り切った。このまま無事に乗り切れるはずだ。


「あの、一つ宜しいですか」

「どうしたの?」

「ミストナさんはその腕で、何を掴みたいのですか?」


 ミストナは唇を尖らせて、うーん……と悩んだ。

 いざ聞かれてみると、咄嗟とっさに答えられないものだ。頭にふわふわちらちらと、色々な妄想が浮かび過ぎて。

 無意識的に、鉄腕も腕を組んだ形になっている。


「欲しい物、というより“夢”はいっぱいあるわね。仲間達と楽しく過ごす事。悪い奴をやっつける事。それに冒険者とアニマルビジョンの地位向上でしょ、資金の蓄えは——ちょっとで良いわ。でも、美味しいものをいっぱい食べて、新しい鉄甲と鉄靴ブーツを新調して、小型の通信魔機も買い戻したい。バカメイドがすぐに壊すのよ。あとは背と胸が大きくなって欲しい。あ、尻尾もまだ伸びて欲しい。ラビィにもっとお洋服を買ってあげたいし、ツバキには髪飾りを送ってあげたい。ベリルは……逆に貰いたいくらいよ。あとは——」


 両手の指で数え、次に鉄腕の指を使って数え、それでもまだ足りなくて。

 このままだと足の指を使っても無理な事に気付いて、ミストナは一人苦笑した。


「私って自分で思ってるより、欲張りさんだったのね」

「ミストナさんなら全部叶えられますよ。私は信じています。だって、ミストナさんは私の勇者様ですから」

「んっふふふー」


 気をよくしたミストナは激しく尻尾を揺らした。

 これが『正義の味方です』だったなら、消え入りそうな小声で『それは違うかな……』と答えていた。賞金稼ぎなど、法に触れるスレスレの仕事ばかり。

 ベリルとツバキなど、片足どころか腰までどっぷりと泥水に浸かっている。

 だが、ミストナ理論によると『勇者』ならばセーフ。勇者とは、“勇ましくる者”だから。


「少しは私の事が分かってきたわね。でも、一番は……そうね。勇者みたいに自分の意思を貫けるが欲しい」

「他の事は分かりませんが、ミストナさんは十分にお強いと思います!」


 目を輝かせるペレッタだが、獣人は生涯に渡って魔術が一つしか扱えない。それが抗えない宿命だ。

 用途は限定的となり、やがて他の種族より頭打ちが見えてくる。


「ペレッタが本格的にこの街で冒険者を始めたら、すぐに抜かれちゃうわ。強さだけで輝けるほど、ダンジョンもホワイトウッドも甘くは無いの」


 ミストナは魔術陣を宙に映し出す。

 そこには三歳の頃に描いた、ごろ寝する愛らしい——下手くそな——草原に眠る虎の絵が描かれていた。

 絵の虎は伸びをして、欠伸を一つ。そしてまた丸くなって眠った。

 その側に、一冊の絵本が転がっていた。


「あの本はこの大陸に古くから伝わる、【冒険者の流儀】っていう絵本よ」


 あくまでミストナが魔術陣用に描いた模写だ。

 本物の表紙は「もっとカッコいいのよ」「小説版は大人っぽくて——」と、補足して。


「私がこの街に来た理由。それは、この絵本に書かれていた内容——勇者が集めたとされる数種の秘宝、“”を探すためなの」

「絵本? お伽話のたぐいではないのですか?」


 ペレッタは至極当然の疑問を述べたが、ミストナは眉をあげて否定した。

 小さい頃の話だ。大人達に「子供騙しの絵本」「虚言癖の落書きだね」なんて、身も蓋も無い正論を叩きつけられた記憶もある。

 だが、ミストナは絵空事とは微塵も思っていない。作者は不明だが、この物語の全てがホワイトウッドで起きた史実だと信じている。

 真実を知りたくて。この街に辿り着き。そしてあの鹿野に問い詰めた。やんわりと苦笑いを返す鹿野だったが——、否定の言葉は聞かなかった。


「必ずこの街にあるわ。その遺産があれば、獣人の特性を取っ払って私はもっと強くなれる……はずなの。で、今の私は情報収集も兼ねて一石二鳥の『賞金稼ぎさん』をしてるってわけ。超貧乏だけど」

「イデアの遺産とはどのような物なのですか? モルメス国の古い言い伝えならば、物を切るだけに留まらず邪悪な精神のみを両断する宝剣や、えにしを断ち切る達人などを聞いた事があります。ですが数年前に、これらは大昔のゲートからやってきた異界人によるパフォーマンスが、大袈裟に伝承されたものだと解明されてしまいました……」

「それは残念だったわね」

「はい」

「でも本当になるかもしれないわ。その可能性がこのホワイトウッドにはある。簡単な話、ペレッタがその本人になっちゃえばいいのよ。私はそれを目指してるもの」


 ミストナは懐かしむように、勇者と仲間たちが賑やかに旅をする絵本のページを頭の中でめくった。


「イデアの遺産は武器系統じゃない。物語の序盤は数種類の防具だった。けど、話が進むごとに形状は変化していった。大切なのは外見——器じゃなかったの。正体はね、“人が抱く願いが具現化した”」


 ——その桁外れな力は、ある時は一滴の夜露となり、昇華して、掴み様の無い雲に変わった。

 そして大陸全土に、錬金術師アルケミストが欲した黄金の雨を三日三晩降らせ続けた。

 ——また別の遺産では、死霊使いネクロマンサーの強い願いが叶い、その日に死んだ全ての生き物を一切の区別なく蘇らせた。

 想像を絶する稼動範囲と、神をも凌駕する効力。

 世界中の人々に、お伽話と揶揄やゆされても仕方がない。


 ミストナも暇を見つけて調べてはいるが、現状に置いてどのような形状で存在しているのか、全くもって分からない。

 どうやってその遺産を見つけ、手に入れるのか。イデアの遺産探知機なんて馬鹿げた魔術道具アイテムなど存在しない。何より誰にも信じられていないのだから。

 噂話を信じるより、その辺のダンジョンをクリアして魔術を体得した方が手っ取り早いのだ。


 しかし。誰かがすでに入手しているとしたら——。

 常識の範疇を超えて暴れ回る、高額賞金首ハイリストが手にしている可能性が極めて高い。

 だからミストナは待っている。待ち焦がれている。虎視眈々こしたんたんと闇に目を光らせて。


 もちろんこの件は、仲間達にも話してあった。

 当たり前だが、可愛いラビィは素直に応援してくれた。

 だが、ツバキとベリルの反応は薄かった。「絶対にあるんだもん!」と、強く話しても信じていない。そもそも興味が無い感触だった。

 ベリルに至っては「ふーん。へー」と目線すら合わさずに相槌を返されて、新しく出来たいかがわしい店の料金表に夢中になっていた。


「じゃあ私はミストナさんを応援する仕事に就きます!」

「ペレッタは本当に良い子ね。ベリルにもこれくらいの可愛げがあったらなー」


 と、ミストナの目の前に白い炎が浮かび上がった。先程授かったペレッタの魔術だ。行くべき道を照らす、このダンジョンの恩恵。


「ミストナさんの道しるべになりたいです! もしイデアの遺産を見つけたら、真っ先に報告します!」

「ありがとう。だけど——今はその魔術を仕舞ってくれる?」


 ミストナは困惑気味に顔を仰け反らせながら言った。


「どうしてですか? 道案内のお手伝いくらいは私にも出来ます!」

「今はやめてって言ってるの。だって、あつ、熱いっ!! 前髪が焦げてる! それと眩しくて前が見えない!」


 いくら蠟燭のような小さな炎でも、火に変わりはない。それがふらふらとミストナの眼前でウロついている。

 さっき獲得したばかりの魔術だ。ペレッタが使いこなすには相応の時間がかかる。


「あ、すみませ————はひゃ!?」


 突然、ミストナがペレッタを頭上にぶん投げた。天井に当たるギリギリの高さだ。

 前方の岩陰から、鋭利なはさみを立てて襲いかかって来る大ムカデ。


「こっちは急いでるのよ!」


 吠えると同時に、正拳突きでガン!! と、打ちのめす。


「きゃあああああーーーっ!!」


 悲鳴をあげながら落ちて来るペレッタをしっかりと受け止め、


「おかえりなさい」

「た、ただいま戻りました」

「さっきの話だけど、超期待しとくからね」




 ◇◆◇◆◇◆




 出口が目前に迫った。

 次のT字路を右に曲がれば、中規模の空洞——ダンジョンの出入り口となるスタート地点に到達する。そこに“水瓶ゲート”が固定されているはず。

 だが、ミストナは少し速度を落として、キョロキョロと周囲を警戒した。


「妙ね」

「どうかされましたか?」


 これまでの道中で、洞窟の形状や幻獣達に異変は無かった。

 ただ、を除いては。

 本来のダンジョンにあるべきもの。それが見当たらなかった。


「この帰り道。他の冒険者達とすれ違わなかったわよね?」

「そう言えば……。探索中は三組の冒険者グループとすれ違ったのに」


 戦闘が行われている最深部付近に近寄らないのは仕方ない。余計なトラブルに巻き込まれるのは誰だって嫌だろう。

 しかし、ここはもうゲート付近だ。億劫な冒険者の一人くらいは居ても良いだろう。

 かと言って、不自然さを考えている余裕はミストナにない。T字路を曲がり、スタート地点となる空洞に入った。


「あれは——」


 ミストナの脚がとぼとぼと止まった。

 水瓶型のゲート前。そこに初老の男性がぽつりと立っていた。

 深い皺の目元。白髪が綺麗に混じった黒髪は整髪料でまとめられている。少し丸みを帯びた背中。恐らく六十歳は超えているだろう。

 くたびれた全身甲冑フルプレートには、モルメス国の紋章が刻まれていた。が、あの目立つ長剣は見当たらない。


「ソフロム叔父様!」


 抱えるペレッタが身をよじらせる。

 そして、嬉しそうに声を弾ませた。

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