【完全なる幸福の届け人〜パーフェクトオーダー〜】編

仮初めの希望

 深く暗いダンジョンだった。

 今にも消えそうな電球が狭い通路を照らしている。低い天井には配管がずらりと列を作っていた。錆びた鉄柵の向こうには悪臭漂う下水が緩やかに流れる。

 不規則にブクブクと浮かび上がる気泡。水面下には凶悪な大型幻獣モンスターが息を潜ませている。

 大昔に廃退した大型下水処理場を模したとされるダンジョン。

 手強い幻獣達を倒しながら奥地まで進むと、殺風景な小部屋が数十ほど用意されていた。

 安息の場ではない。

 ひしゃげた鉄扉の鍵は、ダンジョンがこの世界を作り出した時から壊れている。

 部屋の中は至って殺風景。未来永劫、消える事のない蝋燭が置いてある小さな机と、埃が被ったべッド。

「こんな陽の目も当たらない場所で、誰かが暮らしていたというのか」

 灯火に照らされた神族の男が、酷使し続けていた腰をベッドに預けながら呟く。

 神族の特徴は大きく分けて三つあった。頭上の光輪、純白の翼、神聖の腕輪。どれか一つでも身に持って生まれたならば、神の血を色濃く継いだ者と言える。

 その中で男は神聖の腕輪を身につけていた。肩から無くなった右腕の先に、虚しくそれは存在している。

 本来の神々しい輝きは——、無い。

 廊下の先にある下水のように、酷くよどんでいた。

「下水処理施設で働いていた人間の残滓か」

 魔術が発展したホワイトウッドには、こういった人手のかかる大規模な施設は存在しない。魔石に汚水を吸収させて廃棄等の処理を行なっている。

 だが、異界の文献資料として目を通した事はあった。

 ダンジョンとは『誰かの夢の中』という盲信。

 信じてなどいないが、隙間が空いた鉄扉。その先を男は見据えた。

 そして、を投げつける。

「最後の問いだ。裂傷か、消し墨か。好きな方を選べ」

 立ち上がり、無くなった右腕に魔力を込める。

 神に祈りを捧げ、魔術陣が発動——回転。赤黒い灼熱の大鎌が、男の新たな左腕として形成された。

『——ギィィ』

 扉を開けて現れたのは厚手のローブに身を包んだ、身長差のある二人組。

 オークのような見た目をしており、両手を挙げて無抵抗を示している。自信は無いが、どちらも丸い輪郭をしているので女だと思った。

「のっ。誰にも分からないから、みんな冒険してると思うの」

 小さい方が幼児の声色で話した。内容も子供じみた浅い考えだ。

「……」

 大きい方は話さない。いぶかしげにこちらを見つめているだけ。

「すごいくまなの。大丈夫?」

 警戒心をそのままにしながら、言われて男は目の下をなぞる。

 このダンジョンに潜ってから、一ヶ月以上は睡眠を取っていない。

 それでも男の集中力は途切れていなかった。気だるいほどに感覚は研ぎ澄まされ、こういった不届き者の気配すら容易く感知できた。

「不用意に休息を取ると殺される。幻獣か、お前らのような輩に」

「心外な言い方なの。ちょっぴりお話がしたいだけなのにね」

「このダンジョンの冒険者にはもう何度も襲われた。世界観も、恩恵も、冒険者も。全てがタチの悪いダンジョンだ」

 虚ろな目で起こった現実だけを述べた。出そうと思ったため息すらもう尽き果てた。

 ここは……生半可なダンジョンではない。

 クリアを目的とする者は、日に何匹しか巡り合わない幻獣を数千匹狩り続けなければならない。そうして最終局面に到達できる。

 一度でもゲートを出てしまうと全ての成果がリセットされる鬼畜構造だった。

 持ち込んだ物資はことごとく狙い打ちされ、数週間もしないうちに残されるのは体一つ。

 必然と冒険者通しの奪い合い——否。殺し合いが始まる。それこそが、このダンジョンが求める世界だった。

 身に付けているサイズの合わない肩当ても。様々な血を浴びた外套がいとうも。全て野盗から奪い取ったものだ。

「じゃあ私もあなたも、とても悪い冒険者なの」

「そうだ。だから視界から消え去れ」

「待って。私は貴方の心の声を聞いてここまで来たの。無下にすると後悔するかもなの」

「芝居染みた台詞は——、幻視魔術を解いてから言うべきだった」

 問答無用。襲われる前に襲うのが、このクリア率三%以下を突破する為の鉄則。

 天井を裂きながらよく喋る女目掛けて、灼熱の鎌を振り下ろす。無口だった片割れが前に出て腕を上げた。構わない。もろともだ。二人まとめて焼き切る。

「ぐっ!!」

 食いしばった口から漏れる呼気。

 不可解な金属音が部屋に響いたのは、でしゃばった女の腕の中心部分に食い込んだ瞬間だった。

 鎌が、ピクリとも先に進まない。

 肉が焼ける匂いはする。だが、どういう仕組みか。切断できるはずの骨の部分で止まった。

 女は傷のことなど気にしない様子だった。ひたすらに冷たい目でこちらを見ている。

 ベッドの上に回避しつつ、「お前——」と発した言葉が途中で止まった。

 小さい方が横に並び、庇ったはずの仲間を睨みつけた。おぼつかない手で袖をつまみ、

「勝手な事をしないでなの!!」

 黄色い声の一喝が小部屋に響いた。

「——申し訳ありません。差し出がましい真似を」

 目をつぶり、顎先を引いた相方を無視をして。

「ごめんなさいなの。変身魔術をかけたままだったの。ここまで辿り着くのに、この姿の方が都合が良かったから」

 そう言って二人は幻視魔術を解く。

 小柄な方はまだあどけない顔付きで、瞳の中心にエメラルドのような宝石が見えた。頭部には捻れた角が生え、背中からは蝙蝠よりも深い漆黒の翼を携えている。服は首元まですっぽりと覆った防護服——空色に蛍光塗料をぶちまけたような術式礼装。

 経験の知と神族の血が教える。こいつは直系魔族の少女。それも高名な家系の血筋だろう。

 もう一人はスーツ姿にメガネをかけている人間ノーマルの女。

 そのちぐはぐな二人組を注視するほどに、男の顔色が変わっていく。

「いや、そんなはずは……まさかっ……」

「チィク・チィライト・タクトアーチェ。恩を着せるつもりは無いけど、

 矛先を間違えたと言わんばかりに男は右手の魔術を解き、強く目を瞑った。

「覚えてるの?」

「……ああ、もちろんだ、当たり前だ。俺は、なんてことを……」

 一年前。

 ダンジョンの奥地にて、この少女達に助けられた覚えがある。何の見返りも求めず、ただ人命救助のためだけに活動する冒険者達だ。

 自分とは住む世界が違う。五大勢力にも一目置かれるほどの偉大な人物。

 もちろん技量も遥か格上だろう。一対一だとしてもこの小部屋から逃げる事など出来ない。

 世間には疎いが、ギルドランク二十位前後に名を連ねるパーティーのリーダー。猛者中の猛者だ。

「謝らなくてもいいの。あなたの今の状況は見れば分かる。ここの幻獣……というよりもダンジョンの構造が厳しいもの」

「すまない」

 廊下から幻獣モンスターの呻き声が聞こえた。

 秘書風の女が壊れた鉄扉に魔術をかけて、一時的に施錠が出来るように復元した。

「初めましてになります。お嬢様の付き人、メトロノーム・テンパラートです」

 先程負わせた怪我を気にする様子もなくメトロノームが名乗った。

 魔術を使った気配は無かったが、袖からの血は止まっている。

「メトロノームはもう話さないで」

「申し訳ありません」

 ギクシャクしている雰囲気を露骨に感じる。

 なぜ仲違いしているかは分からないが、このメトロノームという女性にも会ったことがあるはずだ。

 窮地の際に、第一の手を差し述べてくれたのがこのメトロノームという女性だった。

 彼女達のダンジョンでの年間救助者人数は千人を軽く超えている。覚えていないのも無理はない。

「君達のおかげで九死に一生を得た。助けられた恩は言葉に表せられないほど感じているが……今は余裕がない。悪いが一人にしてくれないか」

「——もしもなの。もしも強大な力が手に入れるとすれば、あなたは何を変えたいの?」

 飴玉でも舐めているのだろうか。チィクが口の中で何かをコロコロと動かしながら言う。

 ダンジョンにはこういった商業人が紛れる事がある。大抵は大層な言葉を持ち出し、胡散臭い代物を売り付ける詐欺師ばかりだが。

 もちろんチィク達は違うだろう。そんな事をしなくてもギルドから手厚い待遇を受けているはずだ。

「いつから付与術師から商師あきないしになった?」

「商人じゃないの」

「どちらにせよ、すまない。金目の物は持ち合わせていない」

「金品の要求はしないの。復讐者さん」

「——っ!」

 心の汚れた部分を覗かれた気分だった。

「わざわざ俺を調べたのか? 何故だ?」

「調べてないの」

 ふわりとチィクのつま先が浮く。

 こちらに近付き、返り血が重なった肌着の胸に耳を当てた。神族にあるまじき憎悪の躍動が早まっていく。

「私は特別に耳が良いの。助けられたあなたは良く知ってるでしょ。ほら、魂が叫んでるの。助けて助けてって。苦しいよって。復讐を遂げるという希望を、とても欲してるの」

 あの時もそうだった。

 仲間に裏切られ、悪質な魔術によって出血が延々と止まらない。誰も踏み入る事が無い、暗くて寒い場所。意識が薄れていく中……懸命に助けを叫び続けた。

 やがて声が枯れ果てた。指先一つ動かなくなった。全身が泥水のような感覚におちいっても、心の中で叫び続けた。

 手のぬくもりを。命の生存を。そして、限りない怨恨を。

 魂のある限り——絞り続けた。

 その祈りよりもはかない悲鳴を、チィクは感じ取ってくれた。

 二つ名は『万物の声を聴く者』

 どれだけ離れた異界だろうと、魂の叫びを聞き取れるチィクの特化魔術——『絶対叫感宝石の囁き

「私情に干渉する気は無いの。例え助けた命がより多くの命を奪う悲劇を招いても」

 無垢に笑う上目遣いのチィクを引き剥がし、男はベットに座り直した。

「だったら放っておいてくれないか。俺をハメたあいつらは、善良な冒険者の皮を被った快楽殺人者だ。証拠もダンジョン内で上手く誤魔化している。ギルドは街中でしか動かない無能だ。これ以上の犠牲者を止めるためにも……俺が手を下すしかない」

 今計画を邪魔される訳にはいかない。例え恩人であっても。

「話は終わりだ。もう会う事もないだろう」

 転移魔術を展開し、発動しようとした時——、

「渡したい物は希望なの。異界含めてこの街に根付いたダンジョン恩恵——その全ての魔術をクリア無しで扱える。もちろん相性はあるけど、なの」

 馬鹿馬鹿しい。それが本音だった。

「チィクが優秀な付与術師なのは理解している。それであの時も命が助かったのだからな。だが、クリアせずに恩恵魔術を体得するだと? いつからペテン師になった? あまり俺の魂を冒涜するなよ」

「このダンジョンの幻獣。千匹倒すと現れるというボスまでどれくらいかかるの。半年? 一年? 一日に数匹しか湧かない数で」

「それでもこのダンジョンの魔術さえ獲得出来れば、奴らと刺し違える事が出来る」

「他の冒険者との小競り合いだってあるの」

「分かっている! そんなことは!!」

 痛いほどに……分かっていた。

 それでもあの時の自分を払拭しなければ、前に進めない。かといって他の魔術では決定的に違う。

 このダンジョンの恩恵魔術こそが、完璧な復讐に値する。

「ここの魔術だって自由に使えるようになる。と言ってるの」

「……なんだと」

 口の中をモゴモゴと動かして、チィクがメトロノームの手を握る。

 魔術陣を発動させたのはメトロノームだった。

 裂かれたスーツの腕部分。切り付けた左腕から泥水のような草がうねり、男の左腕に絡みついた。

 瞬きほどの速さだ。視認は出来ても、回避など不可能だった。

「ぬわあぁぁぁぁ!!!」

 左腕に燃えるような激痛が走った。

 勝手に皮膚が口を開き、焼けただれる。自分が付けたメトロノームと同じ裂傷だ。

「確かにこれ以上の仕返し魔術はここのダンジョンだけなの。高等呪術——『怨恨えんこんの還元』。もちろんメトロノームはクリアしていないの。信じてもらえた?」

 チィクが魔術を止めるように目配せし、左腕をつーっとなぞられた。

 傷は何も無かったように消えていた。

「ほ、本物だな……」

「最初からそう言ってるの」

 この魔術の分類は呪術に該当する。効果は自分に傷を負わせた者に、同じ痛みを与えるというものだ。目の前で発動させれば決して防げるものではない。地の果てまで追い続けて、必ず呪術は発動する。

 条件を満たせない例外が一つだけあった。『魔術で傷を癒してはいけない』だ。

 だから背中の大きな切り傷も。頭蓋骨が粉々になるほど打ち付けられた頭部も。失った右腕も。

 そのままの形で自然治癒で治した。

「リスクはあるの。高難易度の魔術を使うほどに、あなたの心と体はむしばまれていく。理性が保てず、一発で廃人になる可能性もある。あと、魔力自体はどうにか自力で供給するしかないの」

「……」

「それでもあなたは受け入れるの?」

 本物の魔術を見せられたのだ。チィクが悪人に堕ちたとしても、わざわざこんな寂れた場所まで来て一介の冒険者を騙すとも考えられない。

 なにより。ダンジョンがクリア出来るまでこの身体が持つのかも分からない。

 どちらにせよ分の悪い賭けなら、恩人を信じるべきだ。

「構わない。俺にその可能性を——最後の希望を与えてくれ」

「取り引き成立なの。この魔術は合意無しに押し付ける事が出来ないから」

「街に帰れば少しだが資金がある。番号と陣の焼印を持って行ってくれ。もう俺には必要ない」

 チィクは首を小さく振って申し出を断った。

「私と会った記憶は消させてもらうの。これは必須なの」

「……記憶を消される前に一つ聞いて良いか」

「のっ?」

「何のためにこんな事をしている? 慈善活動はやめたのか?」

 チィクが少し寂しげな目でメトロノームを見上げた。それにメトロノームが反応することはない。

「私だって……自分の希望を叶えたいの」

「そうか」

「じゃあ始めるの」

 小さな口を開けた。伸びる細長い舌。その上に——目玉が転がっていた。

 意思をもっているようにギョロギョロと忙しなく動く、不気味な瞳。

「魂の救済を叫べ。なんじを求めると」

 重苦しい声色が体の内側——心臓部分から聞こえる。

 チィクの声か。それともメトロノームの声か。判別出来ないほどに意識が朦朧とした。

 膝が崩れていく途中で唯一理解出来たこと。引きつるような視界の中に——あの、歪んだ六芒星が映っていた。

 それは目を閉じきった今でさえ、黒く輝いて見えている。貼り付けられたのは自身の目の内側。だ。

「これは、、、完全なる幸福の届け人パーフェクトオーダーの、、、術印か————」

 僅かに残った意識さえも、濁流の渦に飲み込まれ消えていった。



「のー? パーフェクトオーダー? それって本当にセンスの悪い名前なの」

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