腹が立って仕方がねぇ!

 ◇◆◇◆◇◆


 チッチッチッチッチッ!! 

 メイド服の狼女——レッド・ベリルは大きな舌打ちを繰り返す。


(何が“任せたからね”、だ。ふざけんじゃねーぞ)


 虎娘ミストナの置き土産である、天井から降り注ぐ大岩を回避しながら。あるいは鉄パイプで強引に弾きながら。


(なーんであたしが恋の引き立て役をしなけきゃいけねーんだよ、それも無料タダで。今時、歓楽街の天使族キューピッドでもそんな安請け合いはしてねぇ。むしろ希少価値にかこつけて、ボッタくってるだろうが)


 とにもかくにも爆発寸前だった。

 ぽっかりと空いた消失感と、高濃度の魔素に触れた多幸感と、カジノの大会に行けなかったストレスによる膨大な

 何もかもが腹底でぐちゃぐちゃに混ざり合って、煮えたぎっている。


 ——ガロンと戦えなかった。

 期待していた獲物の大きな嘘は『

 内容はこの際どうでも良い。

 追い込み、追い詰め、ブチのめす。

 抱えた嘘を平らげて小腹を満たすつもりだったが、賭けは自身の余計な失言により

 それだけでも肩をぶつけてきた冒険者(誰でも良い)を裸にひん剥いて、冒険者通りの真ん中に逆さ吊りするには十分な理由となる——が、負けを認めるくらいの許容は、爪の先くらいほどだが持ち合わせている。

 この麗しく、そしていやらしく育った胸の大きさに免じて許してやらなくもない。

『運が悪かった』と。いつもすっからかんになるギャンブルのように割り切れる。


 許せないのは——。

 だ。

 予約していた旨そうな料理ガロンは、既にズタボロに

 これが賭博場であったなら、難癖付けた後に胴元の横っ面を引っ叩いて、倍額で張り直せば良い。

 だが、その手段は使えない。


 ベリルは横目でガロンを睨む。

 ペレッタがこの場から離脱したのを確認してか、気が抜けて膝が折れている。疲労や出血量も相当なものだろう。岩壁に背中を預け、俯き、大きく呼吸をしていた。目を開けているかすら怪しいものだ。

「おい、起きやがれ」と、鉄パイプで軽く小突いただけで、下手すればあの世行き。仮に降り注ぐ落石が直撃したら、何も対処出来ずに一発でただの肉塊に変わるだろう。

 ミストナが計算したのか、不思議とガロンに当たる気配は無さそうだが。


(ケッ。こんな貧乏くじを引くハメになったのは、一体誰のせいだ?)


 欠けた犬耳を触りながら、ツキの悪さを探る。

 あいつ——ぎゃーぎゃーうるさいペチャパイミストナの、仕事を選ぶセンスが悪いせいか。

 それとも寝る前に、『これは一大事。貴女の中に眠る邪神が今にも溢れ出そうなので、早急に按摩まっさーじをしなければ。えぇ、一切の口答えは許しませんよ』と。腹黒デカ狐に安っぽいサービス店じみた台詞を吐かれ、ねちっこく身体中を撫で回されたせいか。

 いや、待てよ。ひょっとすると、ラビィを『すれ違う度に交尾する“エロテロリスト”』と、言いふらした線も。

 そういえばスライム種の冒険者に、絶対呑ませたらいけない屋台を面白半分で紹介したんだっけか? あれはどうなった、結局ぶちまけたのか? 屋台が空いてたのは昨日だ。見に行くのを忘れてた。


 ……思い当たる節があまりにも多過ぎて、ベリルは考えるのをやめる。

 そして——。

 鉄パイプを地面に深く突き刺した。

 陣取ったのは最深部扉前から少し離れた通路。出口であるホワイトウッドに繋がる、一本道のど真ん中。


 崩落も収まり、距離を縮めてくる仏頂面の兵士達。とりあえず、こいつらこそが

 そう決め付け、真っ赤な瞳で凄んだ。


「今から起こるのは一方的な事故みたいなもんだ。出来るだけ派手に、地べたでのたうち回ってくれるとあたしは嬉しいんだけどよ。なぁ? 色男」


 仲間より三歩前に出た、三十半ばといった異界の兵士。

 無表情に見えるが、内心は怒り心頭だろう。その真剣さも相まってか、面持ちを改めて見直すとタイプではないが良い男と呼べる。

 少なくとも歓楽街の客として来るのなら、当たりの部類の人間ノーマル


「……」

「チッ、無視かよ。あー、やだやだ。純粋な人間ノーマル様は他の種族とはお話が出来ません、ってかー? あたしのホワイトウッド歓楽街調査によるとだな、そういう奴は大抵が歪んだ性癖を持ってて、一発濃厚な夜を過ごせば淫魔サキュバスにドハマりして————ん?」


 前口上の途中で、ベリルの口がへの字に曲がる。

 その特殊性癖予備軍愚か者とは、微妙に視線が合っていない。

 背後。ペレッタの方を見て「逃がすか!」などと、を叫びだした。


「……あ、あああああ??」


 そして、あろうことか地面を力強く蹴る。

 広がる魔術陣の跡。全身甲冑フルプレートの重量を微塵も感じさせない爆発的な脚力で。

 今、たった今。犬耳の上を悠々と越えた。


 ベリルにはもう、全く意味が分からなかった。

 足元を通り過ぎる影を恨めしそうに睨む。ただでさえイラついてるというのに、この麗しい身体を差し置いて。

 なんて——。

 一体こいつらは誰を前に舐めた口を開き、バカ丸出しの態度を取っている。

 ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな————ふざけんなっ!!


 ベリルは直立させた鉄パイプを、グッ! と握り締めた。


「あたしだぞ……。お前らの目の前にいるのはちゃちな脇役でも無ければ、三流の賞金首リストでもねぇ……。あの! 噂の! 悪童————レッド・ベリル様だぁぁああああああーーっ!!!!」


 牙を剥き出しにしたベリルが身体を背後にひねりあげた。すぐに壁を蹴り、天井を蹴る。

 直線軌道の螺旋を描くようにベリルは飛び跳ね、跳躍する兵士の前に躍り出た。


「こんなを前に、無視してんじゃねええええええええええ!!!」


 狼の猛襲。

 兵士の腹めがけて、力任せに鉄パイプを叩きつける。咄嗟に剣の腹で塞ぐ兵士。だが、支えの効かない空中だ。体制を崩し、仲間の居る後方へ押し戻った。


「獣人! 今すぐそこを退け!!」

「おいコラ。てめーらはそれでもオスか? 偉そーにぶら下げてんのは、ふにゃふにゃのスライムかなんかか? こっちはよー、最初はなっからいきり勃ってんだよ! まずはあたしの相手をしやがれ!」

「お前などに構ってる暇など無い!」

「状況を考えろよ。男だったら力づくで押し倒して、エロいことが出来る最高のシチュエーションだろうが。あたしが負けたら約束通り、ベッドの上で天国を見せてやるあんあん、泣かせてやるよ」

「そんな約束を誰がするか!」


 ベリルはなまめかしく鉄パイプを擦り、楽しそうに尻尾を振った。


「細けー事は良いんだよ。何でも良いからあたしと戦え。そう言ってんのさ」

「俺達は扉の中に侵入したチェスターの一派とは別だ! ペレッタ抹殺を邪魔しなければ危害を加えるつもりは無い!」

「へぇー」

「繋がったホワイトウッドの住民とは、良き隣人でありたいと思っている。本心だ」

「そりゃあ大層な心構えなことで」

「察するに、お前達は誰かに頼まれた無関係の者だろう。提示された三倍の報酬をこちらは出す。いや、五倍でどうだ。もちろんホワイトウッドの貨幣に換算し直しての金額だ」


 ベリルはぐったりと鉄パイプに寄りかかり、「あーあーあー」と、溜めた不満を吐き出した。


「良いか、勘違いしてるようだから一つ言っとく。ペレッタだとか、ミストナだとか、派閥だとか、ホワイトウッド、異界、ダンジョン、報酬……そんなもんはこのあたしに関係ねーんだよ」

「だったらお前は、何の為に立ちはだかる!?」

「決まってるだろ。この火照った体を鎮めたいだけだ。血の匂いを嗅いで。浴びて。飲んで。ビシャビシャになるまでだけなんだよ」

「狂人かお前はっ!」

「あたしを見ろ。あたしだけを見ろ。あたしも——“お前らから目を離さねぇ”からよぉ」

「っ! 話の通じない奴め」

「ハッ。聞き飽きた言葉だぜ」


 鉄パイプを一文字に構え、ベリルは視線で四人を牽制した。

 ピクピクと動く犬耳。遠ざかるミストナの足音がまだ聞こえる。距離は稼げていない。


「気をつけろ、この獣人は素早いぞ」

「——あっ、ちょっと待ってくれ」


 下半身に手を伸ばしたベリルが、スカートの中をまさぐった。

 何事かと警戒する兵士は、注意深く目を細める。その視線を楽しむように、ギリギリ見えないラインを狙って——もう全て見られているが——するりとパンツを脱いだ。


「聞きてーんだけどよ、お前らの世界にもこういう店はあるか?」

「ストリップなど我々は興味が無い」

ねぇ。ホワイトウッドの言語化が効いてるって事はあるんだな。今度遊びに行ってみるか」

「行くぞ、俺は正面からだ」


 兵士は首を動かし、後方に合図を送った。

 どうも話が噛み合っていないが、ベリルは全く気にしない。

 紫の紐——際どいTバックを人差し指に引っ掛け、くるくると回して遊ぶ。


「これいるか? 観客に一枚プレゼントってな。あたしが遊びに行く店でいつもやってる」

「ただの時間稼ぎか。小賢しい」

「このメイド服もな、あのデカ狐が作った。パンツだってそうなんだぜ」


 八メートル……六メートル……と、兵士はジリジリと間合いを詰め寄り、いつでも飛びかかる体制に入った。


「あー見えてデカ狐は、夢見る処女みてーな部分がある。あ、縫い物の事じゃねーぞ。よく聞くだろ? 重りを付けて日常生活を過ごしたら強くなれる、とかいうくだらねー話。あぁいうお伽話を、本気で信じてやがる」


 ブゥン——、ブォオオン————。

 Tバックが回転する度に、轟音が加速していく。


「つまりだ。このパンツはあたしの魔力に反応して重量が増える仕組みになってる。そりゃ重くてパンツが落ちるってもんだ。なのにミストナときたらピーピーピーピー、アヒルみたいに喚きやがって。あぁ虎だっけか? 猫の種類なんか知らねーけどよ————あっ」


 パンツが指からすっぽ抜け、宙を舞う。いや——宙を斬り裂いて飛ぶ。

 戯れ言だと過信していた兵士が、慌てて正面に剣を構えた。投げられた三角形は、通常通りふわふわと形状を変える事がなかった。

 正に鉄製のブーメラン。殺傷性を孕んだ凶器。


 ギン!! と、剣で弾いた兵士が恐る恐るといった様子で手を見つめる。

 兵士が持つ薄刃の剣は約三十キロ。にも関わらず、手に痺れが残っていた。押し負けたのだ。


「ぐっ!?」

「ダァーハッハッハ! いやぁ、悪い悪い。滑っちまった——で、あたしのパンツはただの布だったか? それともがたっぷりと詰まったエロ下着だったか? 童貞じゃないなら答えてくれよ」

「この馬鹿力め! 一人でも良い! あの獣人を掻い潜ってペレッタを殺せ!! 命に賭けて、だ!」

「よく聞け、異界の新人冒険者ルーキー共。お前らが百人の命を救った賢者だろうと、百人の命を奪った異常者だろうと。あたしにとっては知ったこっちゃねぇし、知りたくもねぇ」


 鉄パイプを持ち直し、ベリルは切っ先を兵士に向けた。


「要するに、だ。地面に向かって脳内ストリップするのは、お前らの方だぜ」

「おおおおおぉぉううう!!」


 速く強く。迷いの無い兵士の踏み込み。振り落とされる剣先が、ベリルの頭上に迫る。

 ベリルは「へっ」と薄ら笑みを浮かべ、鉄パイプで乱暴に弾き返した。


「——と、見せかけて。ってか」


 言ってベリルは右に跳ねる、直後。

 ザクザクザクザクザク!!! と、地面から次々に剣が穿うがち、天井目掛けて次々と連射された。


かわしただと! 陣は地中に展開した。音も匂いも全ての気配を消したはずだ!」

「さぁて。どうしてだろうなぁ」


 立ち位置は風下を陣取っている。

 意識せずとも、兵士から溢れるがベリルの脳裏にフェイントを教えた。

“相手を追い詰めるほどに、嘘を読み取る”。魔術ではない。卓越した嗅覚が共感覚として結び付き、脳にイメージが焼きつくのだ。

 言わば第六感に相当し得る、恐るべき分析力。


「攻守交代だぜ」


 尻尾を二度、三度大きく揺らし、ベリルは突進した。魔術放出の反動か、兵士の表情に焦燥が見える。

 ガラ空きになった胸当てプレートに鉄パイプを叩き入れ、鈍い激突音が鳴り響く。

 よろけた兵士は三歩後ろに下がる。だが、それだけだった。


「……ぬぅ。力は相当だが武器が貧弱だ。棒切れ如きでは、我々の甲冑に傷一つ与えられん」


 ベリルはくの字に曲がった鉄パイプを見て、ポリポリと犬耳を掻いた。


「けっ。だったらどうしてガロンあいつの鎧は砕けた?」

「この剣には甲冑以上の素材と術式が組み込んである。最も、扱えるのはモルメス国の血を継ぐ者のみ。異界の獣人には扱えん代物だ」

「勘違いすんな。だーれが刃物なんか使うかよ。お前らは本当に頭が悪いな」

「なに?」

「あたしは剣が嫌いなんだよ。だから鉄パイプを棒にしてる。理由は二つ。一つはベッドでぐっすり眠るため。二つ目は、相手に起き上がるチャンスをやるためだ」

「下らん。固有魔術に恵まれなかっただけ。劣等種の言い訳に過ぎぬ」

「ハッ! 足りない頭で考えやがれ。玩具おもちゃを切り刻んでバラバラにしたらどうなる? 答えは、だ」

「せいぜい強がって————いろ!!」


 右からの横一閃。低い軌道の太刀筋は腰から膝に変化し、両足を狙う。

 ベリルは飛んで躱し、前傾姿勢の兵士の頭を踏み付ける。


「——あぁ?」


 鼻先に嫌な匂いが掠めた。攻撃は本意では無い——罠だ。

 左右を素早く睨むと、保護色が消えて実体を表した二人の兵士が、剣を上段に構えていた。


「やれぇえええい!!」


 叫んだのは踏みつけた兵士。言葉の中に、正気の沙汰とは思えない覚悟が秘められているのを感じた。

 後から回復する手段があるのか。それとも己の命を投げ打ってまで、ペレッタ抹殺の任に燃えているのか。


誘わハメられた!? 下の仲間こいつ諸共、斬る気か!)


 ベリルの鉄パイプは契約により、一本ずつしか召喚出来ない。即ち、どちらか片方しか防ぐ事は出来ない。


(が、まだ甘ぇ。バイト先の“萌え萌えごちゃまぜ酒チャンポン・ア・ラ・モード”より甘ちゃんだぜ)


 舌舐めずりしたベリルが、踏み付けている兵士の左腕に手を伸ばし——逆方向に、引き千切る。


「一本借りるぜ」

「ぬぅうううううおわああああああ!!!!」


 右。魔力を迸らせた鉄パイプを側頭部に叩き込む。

 左。他人の左腕の籠手で剣を防ぎ、鉄パイプをそのまま流れで振り抜く。


「関節部分は繋ぎ合わせねーといけねーから、強度が格段に下がる。どの鎧も同じだ」


 千切れた肩を抑え、断末魔を上げる者が一名。

 当たりどころが悪かったのか、剣を手放して頭を抑える左右の二名。

 あっという間に無傷の兵士は、後方に残された一人になった。


「ほらよ、返すぜ。ペレッタを諦めるってんなら、縫合の得意な魔術医を紹介してやる。もちろん紹介手数料は抜かせて貰うけどな」


 片腕を元の位置辺りに投げ捨て、ベリルは残った一人に追い討ちをかける。

 ガタガタと怯える剣を弾き飛ばし、首筋を掴み、全力疾走。

 壁に叩き込み、そのまま『ドガガガガガガガガガガガ!!!』と数十メートル引きずった。


「どうだ? ペレッタの立場————狩られる側の気分ってのはよー」


 片手で持ち上げながら、ベリルはニヤついた。


「や、やめっ……」

「やめねーよ」

「お願い、します、命だけ、はっ」


 厚い兜の奥で。若い兵士は顔をぐしゃぐしゃにして涙を流している。

 戦力差を悟ったのか。このまま解放すれば、すぐにでも最大限の降伏を示す勢いだ。

 だが、ベリルは唇が触れ合う手前までグッと顔を近づけ、


「その台詞。お前らの作戦が上手くいってたとして——命乞いするペレッタを見逃したか?」


 悪魔の質問を囁いた。


「……あ、あぁ。見逃していた。本当だっ! だから、もうやめてくれ!!」


 兵士は懇願するように言う。

 だが、ベリルはその言葉を信用しない。首筋に鼻を当てて、自分の嗅覚きゅうかくに審議を委ねる。

 脳内に広がるイメージ。それは純白とはかけ離れただった。

 手を離した途端。隠してあるナイフで奇襲を仕掛ける。そんな二手、三手先の思考までもが鮮明に見えた。


「お前、だな」


 瞳をカッと開いたベリルが、岩壁に兵士を叩き込んだ。

 一度、二度、三度!!

 深く埋まった兵士からは、小さな呻き声すら聞こえなくなった。


「鎧に傷は付かなくても、中を揺さぶれば衝撃は伝わる。今度から耐震性能でも付与しとくんだな」


 意識の無くなった兵士を引っ張り出して、投げ捨てる。

 ——カチャリ。

 再び。ベリルは背後で揺れる甲冑の音に振り返った。


「……………悪鬼めえええぇぇぇ!!」

「鬼? 魔族じゃねぇ、“麗しの狼メイド”だ。いい加減覚えてくれよ、色男」


 あの剣を自在に出現させていた兵士だ。

 無くなった左腕。その肩に手頃な石を詰め込んで止血を施していた。

 そんな方法で意識が保てるはずが無い。正常な思考とは思えない。だからだろう。ベリルが兵士の変化にすぐに気付いたのは。


「第二ラウンドは願ったり叶ったりだが、あたしはを許した覚えは無いぜ」


 肩に鉄パイプを担いだベリルが、じっと男のを睨みあげた。


「おおおおおおおおおおおおおおああああ!!!」


 ひっくり返った眼に宿る——歪んだ六芒星の術印。


(落とした飛竜と同じ国とは思ってたが、やっぱ繋がってやがったか)


 千切れた左肩に魔術陣が出現。埋め込まれた石が弾け、そこから黒い鋼鉄じみた左腕がズルっと生えた。

 再生。あるいは創造の魔術。

 深い一呼吸で底知れぬ落ち着きを取り戻した兵士は、先ほどまでの焦燥を感じない。

 むしろ逆だった。

 片目から垂れ流れる黒い魔力が、兵士に非合法魔薬じみた高揚感を与えているようにも見える。


「ペレッタはどうあっても殺す……! 民の為! 平和の為! 今ここで逃すわけにはいかぬのだ!」

完全なる幸福の届け人パーフェクトオーダーの呪いに身を委ねても、か? お前は知ってるのか。発病したら最後……数時間後は廃人同然に——」

「そんなものはどうでも良いっ!」

「どうでも良くねーだろ。死ぬより辛いぞ」

「死に恐れはない。今この時の為だけに、俺は命を捨てる!」

「……ケッ。くだらねぇ」


 ベリルは少しだけ目を伏せた。

 匂いを嗅がなくても分かる。残った正常な片目が、綴る言葉の一つ一つが。嘘偽りの無い真っ直ぐな“白色”だと語っていた。

 大きな決意を背負って立つ、男の姿。

 この男は何一つ間違っていない。己が正義を貫きそうとしているだけ。そう信じ切っている。

 例え異常で過剰な力に頼り、死よりも凄惨な奈落の縁を歩もうと——。


(末期症状の発狂を超えやがった。なんとか踏ん張って、適応しちゃいるが……もう手遅れだな)


 雄叫びの後からだろうか。

血色の良かった兵士の顔色が、灰のように青白く変わっていた。


「この秘術があれば、お前を超えてペレッタの首に手が届く!」

「……どいつもこいつも腹が立つ。腹が立って仕方がねぇバカ野郎共がっ」


 ベリルの腹わたが再沸騰した。

 戦闘狂とうたわれるベリルだが、快楽殺人者のそれとは違う。獲物を追い詰め、定期的に嘘を取り込む必要があるだけだ。

 命を奪う事に躊躇ためらいは無い。が、自分の意思と関係なく死闘に付き合わされるのは、また別の話だ。

 それにミストナから受けた命令は足止めのみ。報酬外の仕事殺しを請け負うほど、安い女でもない。


 だからと言って——。この男の決意を汲む事は出来ない。おずおずと見逃せば、ミストナとペレッタに危険が迫ってしまう。

 ならば、選択肢は一つ。

 面倒くさい事この上ないが、最期の灯火が弾ける瞬間を鉄パイプで受け止める。


(あたしの遊び狩りに横槍入れるなんざ……やってくれるじゃねーか! 完全なる幸福の届け人パーフェクトオーダー!!!)


「神よ! ペレッタ皇女の首をこの手にいいいいいいぃぃ!!」

「ぎゃーぎゃーうるせー、死に損ない。神族だか、宗教だかは知らねーけどなぁ。見えない何かにすがっても、何も掴めないのが自然の摂理だ」


 鉄パイプをすっと召喚し直したベリル。

 無駄な装飾も無く、野暮ったい鈍色の得物。だが、愚直なベリルの性格を表した、真っ直ぐな鉄の棒だ。


「我らの神を冒涜する気か! 全ての者が神のかまどから生まれた! 神は火を教え、鋼を与えたもうた! 敬うべき希望——絶対者である!」

「その神の腹を憎み、牙と爪で掻っ捌いて這い出たのがあたし達獣人だ。押し付けんじゃねぇよ」

「やはり獣! 知性の乏しい犬畜生に過ぎぬ! 真っ当な人間とは相容れぬわ!!」

「否定出来ないのが辛い所だぜ。今からお前を引き裂いて、叩き壊して、踏み潰して——」


 やる事は変わらない。

 薄ら笑みを浮かべ、尖った牙を見せ、赤い目を新鮮な血のように滾らせる。


「粉々に噛み千切ってやるんだからなぁ! なっ!!」


 そして——レッド・ベリルはいつものように悪態を吐き散らした。

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