その背中
◇◆◇◆◇◆
(3……2……)
光に包まれるミストナは、心の中で全力疾走へのカウントダウンを始める。
腕の中のペレッタをいち早く連れ出す。兵士も
そう心に決めていた。
この不可解な光景を見るまでは——。
「えぇ!?」
視界が開けたと同時。
最高のスタートダッシュを決めたミストナが、大慌てで
足が絡まり、体制が崩れ、「あだっ!」と地面に顔面を打つ。それでもペレッタだけは傷付けない。王様に
「うぅぅ……」
もそもそと立ち上がりながら、半信半疑の前方を確認する。
扉を抜けて最初に目に入った人物は、長身体躯の男——ペレッタの元・側近兵士、ガロンだ。
ガロンを含めた残りの兵士五人が、この場に居る事は想定内だったのだが——。
「あぁ?」
遅れて現れたベリルも、口をへの字に曲げて立ち止まる。
ガロンを見つけ次第、飛びかかると予想していたが、さすがのベリルもこの状況が飲み込めないようだった。
ミストナが凝視しているのは、上半身の甲冑が剥ぎ取られたガロンの背中だ。
垣間見える剣は刃こぼれが目立ち、地に捨てられた兜はへしゃげ、黒い長髪は血に濡れている。
——最深部の中に突入する前。
チェスターの命令により何人かの兵士が反旗を
それはあくまでも人間関係のもつれ。ペレッタを抹殺するという全体の目的は変わらないはず。
あわよくば仲間割れをしているうちに出し抜けたら……。ミストナはそう考えていた。
それがどうだ。
今のガロンは見るからに異常だった。まるで親鳥が巣を守るが如く、懸命に扉の前を死守している。
(これって、つまり、その……これ以上、奴らを侵入させないように私達を守ってたって事よね? 本当に?)
ミストナは自問自答を繰り返す。
こちらを一瞬だけ振り向いたガロンが、抱えるペレッタを見て大きく目を見開いた。
しかし、何事も無かったように兵士達に視線を戻す。襲ってくる気配は無い。
やはり考えている通りのようだ。
「ガロン!!」
「っとと。暴れないで」
興奮するペレッタが、腕の中から抜け出そうと体をよじった。
「獣人よ……。ペレッタを連れて逃げてくれ……、頼むっ!!」
傷だらけの背中でガロンは語る。
「一つだけ確認させて。あんたはペレッタの味方って事よね!? それで良いわね!? 返事は“はい”しか認めないわよ!!」
「そうだ。俺は——。俺はペレッタを守る為に、ここまで来た!!!」
そこまで言って、数十本の剣が頭上高くに浮かび上がった。向かい合っている兵士の魔術だ。鋭い切っ先の全てが、腕の中のペレッタを指す。
気付いたガロンがこちらへ下り、構える。が、肩で大きく息をしているのが分かる。
どう見ても、全てを捌き切れる体力が残っているとは思えない。
「そんなズタボロで格好つけてるんじゃないわよ! 来なさい、
降り注ぐ剣の雨に、ミストナは固有魔術を発動させた。
二本の巨大な鉄腕が出現。一本はガロンの前で盾に使い、もう一本を術者本体目掛けて突進させた。
「外野は黙っててくれないかしら」
剣の空襲を防ぎ切った後。
砕け散る岩盤。吹き飛ぶ内壁。二本の鉄腕がミストナの想い一つで猛威を奮う。
苦渋の顔で
「ベリル! 見て聞いて感じたわね。約束通り、賭けは私の勝ちよ」
「おいミストナ! 先に入って
「どんな催眠術よ! 例え私が手と足とラブリーな尻尾とチャーミングすぎる虎耳をフル稼動させても、そんな芸当が出来る訳ないでしょ!」
「あーあー。聞こえねーし、何にも見えねー」
「ふんっ!」
弾け飛ぶ石。その全てがベリルへと向かう。
旧式の散弾銃を思わせる威力だが、ベリルは巧みに鉄パイプを操り捌き切った。
「わざと狙っただろ!」
「あんたがふざけるからでしょ! ガロンを攻撃しちゃダメ! ううん。ペレッタのために、あんたはガロンを守りなさい! これは命令よ!」
「また今度なー」
こんな状況が二度あってたまるか!
ミストナはベリルの尻の肉をギュッとつねった。
「いいいっ!?」
「賞金稼ぎは即金払いが
「わーったよ、うっせーなぁ! やればいいんだろーが」
「何を揉めている!? 早くペレッタを連れて先に行けっ!!」
「おいおい優男、よく見てみろ。こいつの乳は正真正銘の鉄板だ。揉むほどねーよ」
「あるわよ!!」
今にも倒れそうなガロンに言われるまでもなく、もたもたしている暇は無い。
援軍が様子を見に来る可能性も、十分にあり得る。これが街中ならどうにかなるが、現地点はダンジョン内だ。
それも寂れた初心者用ダンジョンの奥地。激しい戦闘音が聞こえたならば、他の冒険者は尻尾を巻いて逃げてしまうだろう。
「任せたからね、ベリル」
「チッ」
尻尾でベリルの尻に
(崩せっ!!)
顔を上げ、カイナを天井に突進させる。一打、二打、五打、十八打、三十六打!!
瞬く間に崩落する天井。目くらましには丁度いい。もっと。もっと場を荒らし、掻い潜る隙を作らなくては。
「っ!!」
ミストナの指先に痺れが走る。
兵士に攻撃されたのではない。これは天井を打ち抜くカイナから伝わったイメージ。鉄腕の先端が薄く削り取られた。
凹んでも傷だらけになっても、頑強な
そのカイナが術者に痛みを伝達するなど、それ相応の
原因はすぐに分かった。
この世界——ダンジョンの構造部分であり、探索の限界地点。“外殻”にブチ当ててしまったのだ。
思ったよりも天井の岩壁は薄い。厚さは約十メートルといったところか。
つまり戸惑いの洞窟は高低差、五十メートル以内の平面に近い世界で構成されている。横面ならいざ知らず、上下に掘り進めば何もかもを
——ならば。
ミストナは等間隔にカイナを飛ばし、天井を均等に崩しにかかった。
「今の内に逃げるわ。しっかり掴まっててね」
舞う砂埃の中。ミストナは虎耳を集中させ、岩陰の隙間を縫うように駆ける。
それでも勘の良い一人の兵士が、ゆらりと前に現れた。両手に剣を持っている。二刀流の兵士。
「必死になって追いかけてくる男は嫌いじゃないけど、今はストーカーって呼ぶべきかしら」
余裕ぶるが、カイナは数十メートル上空。戻すには間に合わない。
本物の腕はペレッタを抱えているため、塞がっている。
「行かすと思うかぁぁああああーーーっ!!」
大ムカデの鋭いアゴを思わせる、両サイドからの鋭い
思わぬ伏兵だ。実力を隠していたのだろうか、ガロン以外にこれほどの腕の立つ者が居たとは。
(くっ!! 鉄甲で受ける、ダメ、この威力は貫通する、ペレッタを離す、リスクが高い、回避、どこに、その後の追撃は、来る! 来る! 来るっ! 来るっ!!! 真っ二つ————)
「こんのおおおおーーーっ!!」
咄嗟の判断。
倒れるほどに上体を逸らしたミストナは、ペレッタに触れるスレスレで交差する剣を交わした。
そのまま、両足を勢いよく蹴り上げる! 寸分のズレも許さないタイミングで、鉄靴は剣の腹の真芯を捉えた。
上段に跳ね返る二つの剣。だと言うのに、垣間見えた兵士の表情は落ち着いている——いや、笑っていた。
感じる重苦しい威圧。ミストナは素早く体を背後に
「身体強化なんか使わなくても——。獣の聴覚を舐めんじゃないわよ!!」
先の大袈裟な両刀切りは
本命は掛け声に乗じて出現させた、後方の数百本に及ぶ剣だ。
舞う砂粒と金属音が当たる微かな音を、ミストナの虎耳はしっかりと捉えていた。
先手は打ってある。
同時進行で打ち抜いた天井の岩盤だ。
ミストナに剣が直撃する間際で、巨石が剣の束を押し潰す。策が失敗し、兵士の怒鳴り声が鼓膜の奥を震わせる。
再び体制を低くし、砂埃の中に影を紛らせた。
「もう許さないわ! ボコボコにしてやる! ペレッタはここに隠れてなさい!!」
わざとらしく大声で叫ぶ。
もちろん嘘だ。カイナによる崩落で自身の位置を誤認させつつ、ミストナは出口の続く通路に向かう。
「聞いて、違うのよ。本当はお
「思ってませんからっ! それより、ガロンを放ってはおけません!」
「あぁ見えて、ベリルは一度交わした約束は守る奴よ。信じてあげて」
「でも、舌打ちで返事を……」
「ベリルは嘘を食べる狼女。素直になれない奴なの」
「嘘を食べる?」
「そう。あいつは定期的に人の嘘を取り込まないと生きていけない。色んな意味で変態ね」
「食事と同じようなものですか?」
ミストナは強く頷いた。
「呪いと言い換えても良いかも。その反動であんなにツンツンしてるのね。バカな部分は……残念ながら生まれつき」
ニシシシっとミストナは微笑む。
「あいつの内心は尻尾振って喜んでた、と思うわ。短い付き合いだけど、なんとなく分かる」
「ほ、本当にガロンを助けてくれるのでしょうか……」
潤んだ瞳で聞き返されても、実の所は返答に困る。あの気まぐれ狼のことだ。簡単に言う事を聞いてくれるなら、今までに
ただ、ここにペレッタを置いておくという選択肢だけは無い。絶対に無い。もう兵士達はなりふり構っていない。
足手まといは連携に隙を生む。万が一ペレッタの身に何かあれば、ここまでの苦労は水の泡。
嘘か誠か。今はあのバカメイドを信じて、孤独な
「……あ、うん。多分、絶対、大丈夫よ?」
出来るだけ爽やかで、にこやかな表情——自分では舞台女優レベルと思っている——を発動させる。
「ミストナさんは嘘が下手ですね。でも、信じます。信じたいです。私はベリルさんの
「んふふ。本当にペレッタは冒険者としての才能があるわ」
ミストナは背中の崩落音を置き去りにして、脱兎の如く地を蹴り続ける。
——まだ遠い出口へと向かって。
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