腹が立って仕方がねぇ!2

「——穴の空いた胃袋ロッゾ・サムスズ・ダリンディ


 舌を噛みそうな異界語の詠唱。

 兵士の漆黒の左腕に、幾何学的な立方体の魔術陣が浮かび上がる。その中に小さな“黒点”が一つ誕生した。


「あぁっ!?」


 と、一度仰け反ったベリルが姿勢をすぅーと元に戻す。よくよく考え直せば、どんな術式の内容だったか全く思い出せない。

 ただ、かなりヤバい事だけは分かった。

 ゾゾゾと逆立つ犬耳と尻尾の毛。身体だけがその脅威を覚えている。


(あたしがこの前に試した朝までハイになっちまう”アレ”……。アレは陣の色がもっと毒々しい感じだったか? サイコロの目を変える魔術……んな訳ねぇか。あーなんだっけな、もうちょっとで思い出せそうなんだけどよ)


 あーでもない、こうでもない、と。大きく揺れる尻尾がピタッと止まる。


「——っ! 思い出したぜ!!」


 言うよりも早く。ベリルは凄まじい脚力で地を蹴り、兵士に向かった。


(呪術師が対ボスに使う、の代名詞——“混沌の触手”じゃねーか!!)


 混沌の触手と比喩される兵士の魔術。

 黒点が成長し、立方体を圧迫。そして、その檻が壊れたら最後——。標的の生命力を吸い尽くす“悪魔の球体”が完成する。

 優秀な呪術師が何十人と集まって、発動出来るかどうかと言われる超高等魔術。


 ベリルはその猛威を、ダンジョンの奥深くで見たことがあった。小遣い稼ぎにボスの報酬を掠め盗ろうと、茂みに潜んでいた矢先。その正確無比な悪意を目撃し、手を出さずに退いていた。

 当時は対ボスに使用していたので、事無きを得たが。標的にされたのであれば……逃げ切る事は困難を極める。


 しかし。駆け行くベリルはに落ちない。

 男は一介の剣士。それも異界の新人だ。安易に扱える魔術でないのは、火を見るよりも明らか。

 例え獲得出来るダンジョンをクリアしても正規の手段を踏んでも、適正無しと見なされ魔術を授る事すら不可能なはず。


(一体どうなってやがる。さっきからホワイトウッドの魔術をバンバン使いやがって、まるで本チャンの魔術師かっつーの。何がなんだか知らねーが……発動前に叩き潰すしかねぇ!)


「騒ぐな、獣人」

「このあたしが『承知しました、ご主人様』……って、言うとでも思ってんのか!!」


 兵士までもう少しという間合いで、ベリルは素早く横に跳ぶ。

 地面から数十に及ぶ剣の切っ先が、こちらを睨んでいたからだ。


「へっ、それはバレバレなんだよ」

「先の事は考えない。今はお前を倒す事だけに全力を注ぐ」

「——っ!?」


 回避した途端。

 真上に巨大な氷塊がいくつも形成されているのに気が付いた。無慈悲に焦点が定まり、瞬く間に降り注ぐ。


「同時並行で魔術を三つ!? っざけんな!!」


 乱打とも呼べる鉄パイプ捌きで、叩き落とす。

 そして——。

 背中に鈍重どんじゅうな衝撃が走った。


(四つ目……だとっ)


 不穏を察し、咄嗟に鉄パイプを背中に回していた。が、全ての衝撃は受け流せない。

 細かな骨が砕ける音が、体の真を通って犬耳まで届いた。

 突き飛ばされながら、ベリルは背後を睨む。

 ねじくれた大木のような土柱が、壁から数本突出している。


「この野郎っ! やりたい放題しやがって!」


 口の中に混じった砂利と、逆流した胃液を、恨み節と共に吐き出す。

 すぐ様起き上がり応戦するが、四方八方から襲いかかる数々の魔術に対処を強いられた。

 この男はどれだけの魔術を、同時に乱発出来るというのか——。

 安めに見ても、ギルドの中堅パーティーなら頭を張れる力量だろう。

 獣人の視覚、聴覚、運動量。嘘を見抜く嗅覚。天性の感の良さ。それらを駆使しても、洪水のように押し寄せる魔術の前では児戯に等しい。


「おい色男っ! 他の魔術はまだ良い。だけど、その左腕——“混沌の触手”だけは発動するな!」

「ここにきて命乞いか?」

「するかボケ! 回復魔術でどうこう出来るレベルを超えちまうぞ!」

「回復? お前は何を言っている」

「お前の体がって言ってんだよ! 美人の言う事は素直に聞けっ!!」

「命を捨てると断言したはずだ。治す気など——毛ほども考えてはいない」

「この野郎っ……。吐いた唾を飲み込んじゃねぇぞ」


 魔術陣は未だ回転を続けている。立方体の中の球体は半分ほど成長した。

 が、発動までに至らない。当然だ。魔力も相性も足りていない。それでも兵士は魔術発動を願い続ける。すると、どうなるか。

 ベリルはこの先の展開を予感して、氷塊を砕く鉄パイプにより力が入った。

 魔力をひたすらに求める魔術は、に移行する。——という段階に。

 甲冑の中から『ベゴン! バギンッ!』と、耳を塞ぎたくなる不快な音が聞こえた。

 臓器や骨が消費されたのだ。


「ほれ見ろ、言わんこっちゃねぇ。次は何が無くなる? 運が良ければ足の爪……運が悪けりゃ、心臓が丸ごとイッちまう」

「——っ——っ」


 声帯付近の筋肉か神経が削り取られたのか。ザラザラとした兵士の声は聞き取りづらい。


「お前がすがってる魔術ディーラーは、湖の女神ビッチでも無ければ、駆け引きを持ちかける死神チンピラでもねぇ。何の感情も持たないただのだ。それ以上、そのルーレットを回すのはやめろ」

「——か」

「それにお前一人が命を使い切った所で、その魔術は次元が違う。使える訳がねぇんだ。六芒星の後遺症だってある。意識がまだある内に診察台ベッドの予約でもしとくんだな」

「——一人なものか」

「あぁ? なんだと?」


 声帯を調節した兵士が、大量の血反吐をビチャビチャと垂れ流す。

 そして六芒星の輝きに身を委ねた。


だ。命が一つで足りぬなら、他の三つを使えば良い。のだからな。——墓守りの裏切りフォーエブ・ソォゾミィ!」

「っ!?」


 男の右手に浮かんだ禍々しい複合魔術に、ベリルは目を疑う。

 他者の体力や魔力を無理矢理に奪う、劣悪な魔術だ。指定先は意識が無い地に伏した兵士達。

 調整はされていない。抵抗出来ない兵士達は頭部から分解され、魔力に昇華されていく。

 吸い込まれる先は、あの立方体だ。


「てめぇ! 仲間をかてにしやがる気か!」

「仲間ではない。国の為に命を捧げる“同士”だ」

「同じ意味だろうが!」

「獣には分かるまいよ」

「勝手に人の命を吸い尽くす奴の気持ちなんか、こっちから願い下げだっ!!」


 魔術をしのぎながら、ベリルは説得を続ける。

 三人の全身が消え去り、甲冑の中を砂埃が通り抜けるまで——。


(イカれてやがるっ! これもパーフェクトオーダーの影響か!)


 三人の遺体と——。

 術者の肉体の一部を持って——。

 立方体が割れた。


 現れたのは闇の奥底を思わせる、無機質過ぎる球体。殺意も敵意も生も死も感じない。何千年とその場に佇んで居たような、人智を超えた存在感。

 その球体から——二本の触手が伸びた。

 正確には触手ではない。実態があるかすらも不明な、闇の腕。


「クソッ!!」


 なりふり構わず背中を見せたベリルが、猛スピードで駆け出した。

 もはやガロンなどどうでも良い。ミストナの依頼も、ペレッタの安否も知った事ではない。

 全てを置き去りにして必死に通路を駆け出す。


「尻尾を巻いて逃げるのか? さっきまでの威勢はどうした」

「うるっせぇ! こんなどうでも良い仕事で、犬死にする気はねぇんだよ!!」

「誇りを持たぬ、野良犬らしい答えだな」

「麗しのメイド狼だっつーの!」


 挑発には乗せられない。

 立てた中指だけを後ろに見せつけながら全力疾走。捕まれば、『死』が見えている。

 ——だが。獣人の脚と、影が伸びる速度。どちらが速いかなど一目瞭然。考えるまでもなく、ましてや考える余裕などなく。

 ベリルは成すすべなく闇に捕らわれた。


「離せーーっ!! 離しやがれぇっ!!」


 肉体の全てを駆使して、ベリルはまとわりつくもやを振り解く。

 ——当たらない。掴めない。触れられない。

 ベリルの手持ちのカードでは、対処不可能なこの魔術。焼けるような低温に肌がひりつき、首から下が完全に闇に覆われた。


「まだだ。ペレッタと獣人一匹を殺すくらいの力は、残っている……」


 ギリギリの生命を繋ぎ止める兵士が、拳を握り直す。顔を出口に向け、足に強化魔術をかけた。

 ベリルに視線をくれる事も無く、静かに真横を通り過ぎる。


「待てやゴラァァァアアアアアーーッ!!」


 威嚇と悲鳴が混じった怒声をベリルは発する。

 ギィィ……! と、軋む骨。体面に凄まじい圧力がのし掛かった。


「ガハッ!!」


 それだけではない。尻尾の付け根が掴まれるような、強い脱力感に襲われる。まるで全身がぞうきんのように絞られる感覚だ。

 ツバキが丹精込めて裁縫したメイド服。それもジワジワと綻びを見せていく。

 相棒である鉄パイプも手から消え失せ、本格的な吸収が始まった。


(手はねぇーのか……。何でも良い……何か)


 防御の為に生産する魔力が、圧倒的な速度で消費されていく。持って十分、いや五分。

 ベリルは必死に首だけを動かして辺りを探ったが。


(——って、何も思い浮かばねぇぇえええええ!!)


 窮地を脱するアイデアが、簡単に転がっているはずもなく。犬耳の先まで、完全に闇の中に取り込まれた。


(ちくしょう、がっ。犬掻きよりクロールが得意なこのあたしが……溺れ死ぬだとっ……)


 まるで宙に浮かぶ巨大な闇水槽。その中をベリルは必死にもがいた。薄く見える兵士の背中を朧げに見つめながら——。


(も、もう、息が…………っ)


 ゴバァ!!

 苦しみから逃れるため、ベリルは大口を開けて空気を求めた。

 体内に闇の気体が入り込む。それにより肉体があっという間に溶かされる。

 しかし、そんな事は承知の上だ。

 およそ百メートル先。あの最深部の扉さえくぐり抜ければ、この魔術を切り離せる。


(一か八か、この闇を全部吸い込んで脱出してやる!)


 そんな無謀過ぎる起死回生を考えていたベリルが、


「…………あ、あああああああ???」


 間抜けな声を発した。


「————なっ!?」


 兵士がその声に振り返り、立ち止まる。

 闇の球体から尻尾がはみ出て、犬耳が飛び出し、ベリルが顔を覗かせた。


「なんだこれ? 一体どうなってやがる?」


 新米冒険者が生み出した小さな炎であっても、魔力で体面を覆わないと、たちまち黒焦げになってしまう。飛竜の炎もそうだった。

 それがどうだ。

 ベリルは自分の体をペタペタと確認する。メイド服の一部が溶けているが、肉体そのものに異変は感じない。

 先までの重圧も何処へやら。手足も自由に動かせる。冷たいと感じていた温度ですら、洞窟内と変わらなかった。


「な、何故だ!?」


 驚愕する兵士。この男も理解出来ない様子だ。


「それはこっちが聞きてーんだよ。混沌の触手は、こんなしょーもない魔術じゃねぇだろ」


 無愛想に答え、鼻をスンスンと効かせる。

 脳の奥を刺激する好物の匂い。だ。


「おい色男。さっきから気になってたんだけどよ、今までの魔術はホワイトウッドのやつだろ。どうして、ホワイトウッドの新人ペーペーが使える? 時系列的に無理があるだろ」

「——っ」


 兵士は答えない。

 だが、匂いで確信する。完全な否定の色ではないことを。


「ダンジョンをクリアした恩恵じゃねーな。じゃあ理由は一つだ。お前は心のどっかで、この魔術を

「魔術にっ……。魔術なんぞに信用があってたまるか!!」


 殴りつけるように兵士は言った。


「アホか。魔術ってのはな、唱えればホイホイ使える愉快痛快な道具チートじゃねーんだよ。どこの世界のご都合主義だ」

「これだけの代償は捧げた。魔術希望は叶うはずだ!」

「魔術はダンジョンをクリアして自分の手で掴み取った恩恵。魂に刻んだ想い。“生きた結晶”だ」

「そんな話など聞いていない……! あの神が言ったのだ! この六芒星を用いれば、如何なる魔術も扱えるとっ!!」


(——魔術を使えるようにする神だと?)


 ベリルの中で散らばっていた違和感ピースが、合致する。

 魔術飛び交うホワイトウッドに置いても、さすがにあり得ないと半信半疑だった。しかし、こうも正面から言われては疑いの余地が無い。

 先からの系統が違う数々の魔術。その全てが、完全なる幸福の届け人パーフェクトオーダーによるものだと。


「ダァーハッハッハ! が魔術を授ける、か。そうくるとはな」


 髪を搔き上げながら、ベリルは楽しそうに笑った。


「何がおかしい!!」

「あのなぁ、ホワイトウッドでは魔術をバラまいて冒険者を無差別に強化。あげくの果てに昏睡状態にさせる奴をとは呼ばねーんだよ。そんな悪党はな、“高額賞金首ハイリスト”って呼ぶんだぜ」

「違う! あのお方は力を求めた我々に、希望を与えて下さった! 長き禍根を断つ、革命の糸口を見出してくれたのだ!」

「ハッ。お前の世界、はどう思っているんだろうな」


 ベリルの問いに、寒気が走ったように兵士は肩を震した。


「俺の、祖国の、ダンジョン……?」


 胸に手を当てて、大切な物を探るように動揺する。少しだが、片目に宿った六芒星の術印が和らいで見えた。


「それとも、ペレッタの尻ばっか追いかけ過ぎて思い出せねーか? てめぇの魂に刻まれたダンジョンへの想いは」

「……忘れてはいない。忘れるはずがないだろう」


「ふん」と鼻で小馬鹿にし、ベリルは召喚した鉄パイプで残りカスのような闇を払う。


「モルメス国のダンジョン恩恵は鋼の強化、及びそれに関する剣術。つまりだ——お前自身が最後の最後に信用していたのは、って事だ」


 兵士の腰元に収めてある寂しそうな長剣。

 そこにベリルは鉄パイプの先端を向けた。


「……違うっ」

「違わねぇ。あたしは追い詰めるほどに、嘘を読み取れる狼女だ。お前から発する匂いで、その奥底の真実すら見えちまってる」


 兵士は黙って剣を見つめる。

 決して高価な装飾が施されている代物ではない。使い勝手の良さそうなシンプルな銀の柄と、薄い鞘。褪せた塗装に、何度も補修を重ねた跡がある。あえてそうしているのだろう。秘めた決意を、日々の鍛錬を忘れないように。


「その薄い剣は一世一代、か。死ぬまでに一本の剣しか与えられない。例え折れたとしても、ぎ合わせて使い続ける」

「俺はっ……、俺はっ!!」


 ベリルは目を背ける兵士の代わりに言った。

 胸につっかえた物を吐き出させるように。


「気の遠くなるような鍛錬を積んで、染み込ませた油と手垢。それに相反して刃の厚みが紙より薄くなっていく。達人の域に達すると肉は傷付けないで、中の骨だけを切る——大した曲芸だな。小銭が楽に稼げそうだぜ」

「馬鹿にするなっ!!」


 その怒号にベリルはヘラヘラと笑ってみせた。


「じゃあ他に何が出来るんだ? 自分の口で言ってみろ」

「剣を振り抜く想像だけで相手をほふる事すら出来る……。お前などに止められぬ!」

「そいつはおっかねぇな。で、この状況をどうするよ。今すぐホワイトウッドで治療を受けるなら、見逃してやる。それとも——」


 ベリルが口にする前に、兵士は自らの決意を示した。

 身体強化の術式どころか、全ての魔術を解く。みるみる血色が悪くなり、フラついた足を支え直した。

 そして、苦楽を共にした相方に手を伸ばし、静かに。ただ静かに腰元から剣を抜き、両手持ちで構えを取る。


「兵士として……。国の騎士として……使命を全うしたい」

「あぁ、そうかい。ならあたしが全部取り戻してやる奪ってやる。てめぇが背負った六芒星の呪いごとな」

「行くぞ」

「来いよ、色男。そしてさよならだ」


 赤い瞳が軌跡を描く。

 兵士は突っ立ったまま鞘から剣を抜かない。それを良いことに、ベリルは鉄パイプを振り下ろす。

 目の前で光る煌めき——、見えぬ斬撃だ。

「ピュウ」と、ベリルが思わず口笛を吹く。直前にて鉄パイプが弾かれた。

 確かに兵士は剣を抜いていない。培った研鑽けんさんが見せた、モルメス国のダンジョン恩恵。


たぎってくるぜ! 次は右か、左か!? もっとあたしにそれを見せてみろ!」

「ぬぅっ!!」


 兵士がゆっくりと剣を引き抜いていく。その間にも数々の斬撃が放たれる。

 ただでさえ薄すぎる剣の厚み。それも相まって普通では視覚認知不可能な、必殺の攻撃だろう。

 だが、ベリルも普通ではない。卓越した嗅覚による対処法がある。

 兵士はベリルの問いに決して答えない。自らの攻撃箇所を宣言する馬鹿はいないのだから。

 即ち、不意打ち——嘘が混じっている。

 ならば会話の中に質疑を織り交ぜるだけで、ベリルは大方の攻撃が読めた。

 死角。背後からの斬撃を弾き返し、ベリルは頬を掠めて滴る血を舐めた。


「どうした? 正面からは突破出来ないと、このあたしに恐れおののいたか? あぁ?」

「っ!」


 兵士が息苦しく苦渋の表情を浮かべる。

 すでにどこかしらの臓器が無くなっているのだ。このまま長丁場に持ち込むだけで、ベリルの勝利は見えていた。

 ——それは、本気でつまらない。

 だからベリルは致命傷だけを紙一重で凌ぎ、白い腕や太ももを鮮血に染めながら、兵士との距離を詰めていく。


「こんなもんかぁー!!」

「モルメスの、誇りに賭けてっ!!」


 肉薄された兵士が地面を深く踏み抜きながら、愚直なまでの唐竹割りを放つ。

 ——が。ベリルの欠けた犬耳に触れただけで、刃先がぴたりと止まった。


「欠けた犬耳の分。あたしの勝ちだ」


 ベリルの体勢は低かった。

 地面スレスレまで腰を落としながら、鉄パイプを突き出し、兵士の腹部を深くえぐっていた。

 そのまま。

 溜め込んだ血溜まりをブチ撒けながら、兵士は仰向けに倒れた。


「良い筋いってたぜ、色男。手負いじゃなかったら、百回に一回くらいはあたしが負けてたかもな」

「……何が間違って見えた、獣人の女」

「そんなもん知らねぇよ」


 と、ぶっきら棒に答えたベリルは、兵士の顔を覗き込む。


「知らねぇからな、聞いてやってもいいぜ」

「王は死に、革命は最終段階……。隠し子のペレッタさえ亡き者にすれば、民に平和が訪れる……。一人の命で穏便に事が進むのだ……」

「へぇ。そうか」

「本当に何万人の人間が不幸になるっ。これは事実だ。死者も多く出る」


 嘘を言っていない事は匂いで分かる。その上で、ベリルは口を開いた。


「数千人の命を守る為に、お前はペレッタを狩ろうとした。結構な大義名分だよなぁ」

「……」

「うちのミストナペーぺーはな。目の前の、たった一人のガキを守る為に戦ってる。お前達とあたし達の思想。牙が噛み合うはずがねぇ」

「常識的に考えて、どちらを優先すべきか分かるだろっ」

「あぁ、分かるぜ。顔も見た事のねぇ連中より、乳を揉んだことのある

「貴様なんぞに問うた俺が間違っていた……。国の、希望は、ついえる」

「何が希望だ。愛国心溢れるお前の立場に置き換えてみろ。あたしらはお前の国の、。たったそれだけの事じゃねーか」

「救った……救っただとっ!?」

「あぁそうだ。女、子供を上が見捨てるような革命なんざ、。そう思わねぇのか?」


 視線を外した兵士が、おぼろげに虚空を見つめた。


「なぜ、そんな単純な事に気付かなかったのか……。なぜ」


 それこそが六芒星の呪いと、ベリルは安易に言えなかった。すでに兵士の呼吸は微かに聞こえる程度。風前の灯火だった。


「まぁ心配するな。このホワイトウッドって街は激流だ。お前の所みたいな異界の小国は、跡形も無く飲み込まれる。と言っても利用価値があるから潰される訳じゃねぇ。鋼の上に七色の落書きが描かれるだけだ」


 ダンジョン主義のホワイトウッド。この街の歴史を振り返っても、小競り合いはすれど異界を侵略する事はない。

 ゲラゲラと笑いながら、ベリルは兵士の手を握った。


「……賑やか……だ……な」

「あぁ。だから安心して逝きな」


 眠るように目を閉じていく兵士。

「あぁ!!」と。ベリルの尻尾が、何かを思い出すようにピンと立った。


「待てっ! 逝く前に答えろ! 六芒星——その魔術を授けた“神”とかいう奴の正体だ! お前は会ったんだろ!?」

「…………ぐ……ふっ」

「あっ、待て! もう喋れねぇなら馬鹿正直に答えるな! 適当に嘘を吐け! そしたら読み取ってやるから!」

「…………」


 ベリルに揺さぶられながら、少しの笑みを残して兵士は息を引き取った。


「なんだそりゃああああああ!! 自分だけスッキリして死ぬ奴があるか!」


 死んだ人間からは嘘が読み取れない。

 ベリルは頭をガシガシと掻きむしりながら『ダン!』と、足を踏み鳴らした。


「クソったれ! 良い男ってのは、どうしてこうも早死にしたがる! 最後は“腹上死で逝け”って教わらなかったのかよ!」


 そんな悪態を付きながら、出口に向かったミストナの方角を見つめる。戦闘を始めて二十分は経っている。足音は既に聞こえていない。

 ミストナの速度を考えると、とっくにゲートに到着して良い頃合いだ。となれば。

 振り返り、最深部への扉を見つめる。

 遊んでいるのだろうか。ツバキ達はまだ出て来てはいない。


「……ムラムラする。食い足りねぇ」


 ベリルの真っ赤な瞳が爛々らんらんと光った。

 本来ならば、ガロンの大嘘を食らうはずだった。それが取り巻き兵士達の中途半端な嘘を読み取ったせいで、微妙な腹具合になってしまった。

 舌舐めずりをしながらベリルは決める。

 先に行ってもろくな獲物は居ないだろう。

 ならば決まりだ。

『ツバキが戦っている獲物の横取り』

 チェスター。期待出来そうにないが、あの男に根性があったなら少しは腹も満たされるかも知れない。


「っていうか、神って誰だよ。そいつが六芒星の正体か?」


 そんな独り言に答えるように、小石が落ちた音が聞こえた。


「ん?」

「——モルメスは鋼の国だ。どの神話や偉人においても共通点がある」


 まだ話せる人間が居たか? と、足を止めて声がする方へ向く。完全に死んだと思っていた人物。

 壁に寄りかかるように座り込んでいた、大嘘付き——ガロンだ。


かまどの神とは——武器の加工、生産に特化した者を表す。鍛治師はモルメス国で事足りる。ならば、鋼に別の価値を付ける“付与術師ふよじゅつし”の事だろう」

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