お腹が減りました
◇◆◇◆◇◆
ミストナ達が白い光の中へ消えていく。
着物姿の狐人——シチダイラ・ツバキは、扉の前である境界に立ち、三人の姿を見送った。
(ふぅ、いけませんね。このままではまたペコが鳴いてしまうかも知れません)
今にも悲鳴をあげそうな腹具合を考えながらも、置かれた状況は十分に理解していた。
ミストナ達を先行させ、ペレッタを逃す事が最優先事項。
着いて行った捻くれ者の
野暮な口は挟まない。
何よりも。ツバキは楽しみにしていることがあった。
この賞金依頼が成功した暁には、好物が一品……
「ミストナさん……」
肩に乗せていたラビィが、
元・従者として。唯一無二の親友として。いつでも
——自分と違い、とても小さく愛らしい存在。
こんなに可愛いらしい仲間が出来て嬉しい反面、ツバキの胸にちくりと小さなトゲが刺さる。
これ以上、ラビィが天使を超えた存在になってしまうと、長年連れ添ったベリルの立場はますます危うくなるのではないか?
いや。道端に捨てられた狼に、傘を差し出し手を伸ばす。そこから始まるくんずほぐれずなまぐわいの物語というものも——。
(ああっ、ベリルいけません。そこに牙を立てないで下さいまし。
この間、二秒。
浮かび上がった妄想に決着がつき、ツバキは素知らぬ顔でラビィのフォローへと回る。
「ペレッタが生きる決心をしたとはいえ、意思とは些細な事象で揺れ動くもの。それらを盤石の物とする為に、もう
「分かりました、です。ミストナさんもきっと同じ考えと思いますですので」
聞き分けの良い返事が上から聞こえた。
帰ったらベリルに、兎の尻尾の毛を
今でこそ背もすらりと伸びて、狼の尻尾も胸も出るとこは出た成人に見えるが、出会った時は互いにラビィよりも小さな子供だった。
(もしかすると、あの初々しいベリルが帰ってくるかもしれません)
だからと言って、ツバキが秘めた想いは変わらない。姿形がいくら変わろうと、憎たらしいほどに愛してやまない
「それはそうと——」
「どうしましたです?」
ラビィをひょいと持ち上げ、優しく地面に降ろす。閉ざされた眼差しは、とある一点に向いた。
ローブの上から掛けてある、カエル型の圧縮ポーチだ。
「じーーー」
「えと、あのっ」
「もう食料は残っていませんか?」
「待って下さいです」
ずぼっと。ラビィがポーチに肘まで突っ込んだ。
『ゲコゲコ……オオォ……オボォ! オボボボォ!!』と、苦しそうな声と光悦の表情を浮かべる、なんとも不思議なカエルのポーチだ。
明らかにラビィの腕より小さいが、不思議と突き抜ける事は無い。入れた物が縮んでしまうのか、何処か別次元に収納されている仕組みになっている。
このポーチもホワイトウッドに流通している便利な
『オボボボッ! ムリムリ! モウムリムリムリムリリリリ!』と、ポーチが喋った気がするがきっと空耳だろう。
嬉し泣きするポーチに、ラビィはぐいぐいと肩奥まで手を伸ばした。
「あぅぅ。さっき内緒で食べたベリルさんの分が、最後になりますです」
「それならば仕方ありませんね」
「寝る前に用意が出来ていれば……。ごめんなさいです」
「昨日の深夜に引き受けた仕事なのですから。ラビィが気にすることではありませんよ」
「でも、私はミストナさんの従者ですので。はぅぅ」
垂れた兎耳を引っ張って、ラビィが顔を隠した。
場面的に考えて。これは良く見かける照れ隠しの仕草ではなく、反省を込めた顔隠しだろうとツバキは解釈した。
主人であるミストナから任された大役——“料理長”としての責任を果たせなかった、自分を叱咤している様子だ。
「料理だけでなく。文字を覚えたり、店の場所を把握したりと、ラビィの頑張りは十分に伝わっていますよ。誰が何を言おうと、その事実を
小さい子をあやす様に、ツバキは滑らかなロップイヤーを撫でる。
「本当です?」
「えぇ。ラビィほど頑張り屋な女の子は、ミストナ以外には居ないでしょう」
「えへへへ」
「しかし。このダンジョンは
「はいですっ! ツバキさんの為に、いっぱい晩御飯を作るです!」
「ふふっ。果たしてどのような馳走がやって来るのか。
『ゴシャアアアアアアーーーン!!!!』
大空洞の中に。ガラスが次々と崩れ落ちるような大音量が鳴る。
ツバキの言葉は、そのけたたましい音に掻き消された。
「……」
「ふぇ!?」
後方に顔を向けたツバキが、「ふぅ」と眉根を寄せた。
兵士達を閉じ込める為に展開していた立方体の結界。それが粉々に砕け散っている。
破壊したのは額に血管を走らせた兵士の一人、チェスターだ。
(そう言えば彼らが居ましたね)
お腹が減って存在を忘れていた訳ではない。
あまりにも興味が持てなかったので、ほんの少し視界に入らなかっただけ。
「
「舐めてるのか! お前らはっ!!」
「舐めていませんよ。如何なる時も心穏やかに。それが
ツバキは出口である扉の正面から動かない。ラビィもだ。立ち塞がるように彼等を見つめる。
——ミストナとペレッタの為に。この先へは絶対に行かせない。
「何か気に障ることでもありましたか」
「あるに決まってるだろ! ペレッタを逃がしやがって!」
「ペレッタの救出が私達の
「何もしていない女の子を一方的に処刑するなんて……許せないですっ!」
「全くもってラビィの言う通り」
「このっ、獣人の分際で言ってくれるなぁーっ!!」
ツバキは首を捻り少し考えた。
そして、迫ってくるチェスター達にすぅーと人差し指を立てた。
「ちっちっち。存分に言ってやりますとも。我らが
そこまで言って、ツバキは人差し指の腹を見つめる。
「時にラビィ。ちっちっち、のやり方は合っていましたか? ミストナに教えて貰ったのですが、少々不安があります。指は右から振るのが正しいのか、それとも左から振るのが作法なのか……」
「こんな時に何を言ってるですっ!?」
「こんな時、だからですよ。心配せずともラビィは心を休めておきなさい」
間合いが十メートルに迫った所で、チェスターが停止の合図を取った。
剣の切っ先をゆらゆらとこちらに向けて、卑屈な笑みを浮かべる。
「本当に頭にくる女——いや、小汚い人間崩れの雌共め」
「獣人と言えども汚くはありませんよ。毎日湯浴みをしていますし、このように身嗜みには気を使っておりますので」
金色の大きな尻尾を左右に振って、チェスターに見せつける。
今朝に塗った特殊な花から抽出したオイル。そこから空中に甘く放たれる煌めきは、現在も効力を失っていない。
「そういう意味で言ったんじゃねーんだよ!」
「はて?」
「どこまでもとぼけた面しやがって。まぁ強気な女の方が好みだがなぁ。これから自分達がどんな目に合うのか、想像も出来ねぇのか、あぁ〜〜?」
全身を舌で這わされるようなチェスターの視線。
こういった軽蔑には慣れている。尊敬の眼差しも、侮蔑じみた視線も。多種多様な種族が住まうホワイトウッドを歩いていれば、誰もが体験する日常の一つだ。
「この後の想像くらい出来ますよ。あなた方を倒して、私達は住処に帰ります」
「俺達を倒すだと? クク……グアーハッハッハーーッ!!」
仲間の顔を見回しながら、チェスターが鼻息を荒げた。
「俺達が負ける訳が無いだろぉ? 理由は自分が一番分かっているんじゃないのか? だってよぉ、お前らは十中八九——守る事しか脳の無い、ディフェンダーとサポーターだろーがっ!」
「——っ」
戦闘手段がバレている? ツバキは思い当たる節を心中で探した。
ダンジョンを探索している時、ツバキ達は常時チェスター達のずっと先を進んでいたはずだ。見えるはずがない。
ならばどうやって……。
その答えは、ホワイトウッドに置いて一つしか無かった。
「まさか……。幻獣との戦闘を魔術で見ていたのですか?」
「ヘッヘッへ、そうだ。魔術でずっとお前の姿を盗み見していた。お前達はあのメイド女が暴れているのをずっとサポートしていただけだろ? 全部分かってんだよ!!」
「はぁ。殿方の覗き見は協定違反ですよ」
『一つの世界に、一つの固有ダンジョン』これが世界の法則となっている。
確かモルメス国の固有ダンジョンのクリア恩恵は鍛治系統だったはず。少し逸れたとしても、剣術に伴う何かだろう。
畑違いである監視系統の魔術など、本当にモルメス国で獲得出来るのだろうか。特殊な血統で受け継いだ? 可能性は低いが、一つくらいの魔術ならあり得る話か。
いや、しかし、一体、何故——。
思案するツバキをよそにチェスターがへらへらと、余裕ぶった口を開く。
「さっきの結界もそうだ。少し本気を出したら、あっけなく壊れやがった。この程度ならモルメス国の皿の方がまだ硬いってもんよ。なぁ? 結界術師さんよぉ」
「
「なんだって同じなんだよ。さっきはあの縞模様のクソガキに面食らったが、お前らなんぞ俺が本気を出したら五分も持たねぇ。裸で命乞いをする気になったかぁ? なぁ?」
「なぁと聞かれましても……返答に困るとしか言いようがありませんので」
「アッハッハッハ!! 困ったときたか。そりゃあそうか!」
「えぇ。ミストナは必ずペレッタを救出致します。そして私達は獣ですので、命乞いは致しません。ですから——貴方の願いは両案共に叶わないので困ったな、と。大変に可哀想な方だな、と思う次第です」
「……このっ! いつまでもふざけやがって!! その高そうな服をズタズタに引き裂いて、犯し尽くして、腹わた撒き散らして殺してやる!!!」
チェスターが罵りを始めた途中。ツバキはラビィの兎耳をそっと塞いだ。
「汚い言葉は止めてくださいまし。ラビィの教育に悪影響を及ぼします。
聞き取れなかったラビィは「ふぇ?」やら「あの、あの」と、二人のやりとりを見比べた。
「もう目撃者なんて関係ねぇ! ここからダンジョンの出口まで、出会った冒険者共は全員殺す! お前らは犯した後にぶっ殺す! ペレッタは最優先で抹殺だ!!」
「これではどちらが獣かわかりませんね。いや——人間も、“人間という獣”でしたか」
「「「おおおおおぉぉぉーーっ!!」」」
怒号と共に、一切に走り出した兵士達。
ツバキは素早くラビィを背後に回した。
「良い機会です。ラビィに戦いの基本を教えましょう」
「わ、私も戦いますですです!」
その震える声を、ツバキの狐耳は聞き逃さなかった。
「適材適所——。誰かが傷付いた場合、回復手段は
「でも!」
「これから先、何度もラビィにしか出来ないことが必ず来ます。戦う事のみが、ミストナを支える行為にはならないのですよ」
パーティーの中でラビィは戦闘向きではない。年齢が幼いという事もあるが、性格が優し過ぎる。
だが、時として自分の身を守らなければならない場面も来るだろう。
だからツバキは前に出る。
狩りの見本を見せる、親狐のように。
「あぅ。じゃ、じゃあツバキさんを精一杯応援するです!」
「ありがとうございます。では、たった一人の可愛らしい観客の為に、このシチダイラ・ツバキ——華麗な舞いを披露致しましょう」
チェスターを筆頭に。上段に剣を光らせながら、飛び交って来た五人の兵士達。
「お前一人で五人を相手にするだと? 複数プレイがお好みとはなぁ……。そのガキも同じ目に合わせるけどよぉ!!」
「えぇ。是非に満足させて下さいまし。四枚札——
ツバキは袖口から四枚の札を取り出し、すぐに宙に貼り付けた。それぞれの頂点が結ばれて、平面の結界が展開。
『ギィィイン!!』と、衝突する五本の剣と結界。互いの魔力がせめぎ合い、激しい光が生まれる。
「ふふっ」
ツバキの口元が微かに笑みを見せる。
結界は、ツバキの意思に反応するかのように、強固な姿勢を示していた。
「なっ!? ヒビすら入らないだと!?」
「良く鍛えられた
打ち破れなかったチェスターが着地。焦りながらも、再び剣を振り下ろした。
「はるか昔。迫り来る敵軍の猛襲を、たった四枚の札で一夜防ぎきった事から名付けられたこの結界術。そして、私が丹念にしたためたこの札の魔力。その程度の実力ならば、三夜を超えても突破は困難でしょう」
淡々とツバキは言った。
桁が違う。自分は異界の新人に遅れを取るような、一介の冒険者ではないのだと。そう、力の差で知らしめる。
「さっきはこんなに固くなかっただろ!!」
「あれはミストナ達を脱出させる橋の役目。加えて広範囲でしたからね。比べてこれは小さな平面結界。場面に応じて当然、強度も調整致します。でないと……すぐにお腹が減りますから」
結界に片手を添え、グググッ——と押し込むように。
やたら滅多に剣をぶち当ててくる兵士達を一歩、また一歩と、後方に追い込んでいく。
「貴方の国の剣術は対人専用ですか? その程度の技量ならば残りの兵も知れていますね」
「……アレをやるぞ」
距離を取ったチェスターが唸るように言った。
兵士達の頭上にふと浮かび上がる魔術陣。その術式で、ツバキは何の魔術を発動させたのか、すぐに理解が出来た。
(身体強化……)
それはホワイトウッドでは良く見かける、身体能力を数倍に引き上げる魔術だ。種族によりけりだが、中級レベルの冒険者なら大抵は獲得している。
だが、その見慣れた文字と術式に、ツバキの疑問が再燃する。
「何故——」
「「「ぬおおおおおおーーーーっ!!!」」」
魔術の恩恵を受けて兵士達の甲冑がギチギチと軋む。筋肉が、神経が、限界を超えて内部で盛り上がる。
「——ラビィ。少し確認したいのですが」
トン。と後ろに退き、ツバキはラビィの横に並び立つ。
「ど、どうしましたです? 食べ過ぎてポンポンが痛くなりましたですか?」
「いいえ。ミストナはこの兵士達が住む異界・モルメス国とホワイトウッドが繋がったのは二週間前……。長く見ても一ヶ月前と言っていましたね?」
「はいです。ファフニールさんから預かった資料に、そう書いてあったそうです」
その辺の情報屋ならいざ知らず。アニマルビジョンを経由した情報ならば、信憑性は極めて高い。
「それまでの長い間。モルメス国は他の異界、つまりダンジョンとの繋がりは無かったと——」
「そうなりますですねっ!」
ロップイヤーをブンブンと縦に振りながら、頷くラビィ。
ツバキはもう一度、消え掛かった陣を確認する。やはり見慣れたこの街の文字だ。間違いない。
「では何故、あの方達はホワイトウッドに存在するダンジョンクリアの報酬——身体強化の魔術を体得しているのでしょう? 記憶に間違いが無ければ、あのダンジョンは最低でも三ヶ月は滞在しなければならなかったはずが」
「ですっ!?」
そこまで言ってラビィも理解した様子だった。
ダンジョンをクリアせずに魔術を授かるなど、本来ならばあってはならない仕業だ。
——対価を支払わずして得た能力。
ツバキの
「私達の存ぜぬ深い闇が……関わっているのかもしれません」
筋骨隆々となったチェスターが、一振りで結界を打ち破った。魔力の質も比例して膨れ上がっているようだ。
が、扱い慣れてはいないのだろう。首筋や左頬の筋肉が歪に膨らんでいる。正規の手順を踏んでいないから、という可能性も捨て難い。
「なぁ〜〜、お前らよぉ〜〜、いい加減諦めてくれねぇか〜? おぉん?」
喉周りの皮膚が圧迫しているせいなのか、口調に違和感。態度もさらに高圧的だ。
全身からドス黒い魔力を撒き散らしながら、チェスターがすっと片手を
「——
「ラビィ!! 下がりなさい!!」
咄嗟にラビィを庇ったツバキ。
刹那。
傷一つ無かった頬に、圧縮した紫電が掠めた。触れた頬の肉は焦げ、ぷつぷつと浮かぶ血が静かに地面に
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