ミストナとモルメス国の視察団3

 ミストナの虎耳がくるんと九十度。後方に傾いた。兵士の靴音が強まった気配を捉えたからだ。

 ペレッタの頭部に近付き過ぎたのが、不味かったのだろうか。何食わぬ素振りで離れ、ミストナは手を繋ぎ直す。


(はいはい、何もしないってば。のはあんた達の方でしょーが)


 とりあえず、兵士達に向かって手と愛想笑いを振り撒いて置く。

 一番に距離を狭めていたのは長身体躯の兵士——ガロンだった。その距離は約二十メートルに迫っている。


 接触してくるか? と思っていた矢先。ガロンは威圧感を内に潜めた。歩行速度を落として、ゆっくりと後方の兵士達の隊列に戻って行く。


(常に一定の距離を保ってるわね……。鼻の下伸び伸びチェスターなら、ツバキのお尻を追い掛けそうな気がしたけど……。面倒な幻獣モンスターを押し付けて、体力を温存するつもりかしら)


「きゃっ」


 よそ見をしている間に、ペレッタが小さな悲鳴をあげた。

 ミストナが前方を向くと、小さな白い鼠が足元に現れていた。おどおどしいもやを発する魔石を尻尾の先にぶら下げた、幻獣モンスターの一種。

 正式名を提灯鼠ちょうちんねずみと言う。


「もう。ベリルの奴、ふくれネズミを一匹逃してるじゃない」


 ダンジョンの数に比例して幻獣の種類は増えていく。ミストナは正式名でなく、似たり寄ったりな種類を含めた総称名を口にした。


 こんなヘマをするのはやる気のない狼女の仕業に違いない。きっとツバキの監視の目を盗んで、適当に倒したフリをしているのだろう。

 ミストナは遥か先で、欠伸のようなポーズをとっているベリルをじっと睨んだ。


「これも動物でなく、幻獣ですか?」


 怯えていたにも関わらず、その愛くるしい姿に興味が湧いたのか。ペレッタは興味津々といった態度で、よくよく提灯鼠を観察している。


「ダンジョンが生み出した物には、印として魔石が体の一部に埋め込まれたりしてるわ。その白い魔石よ。付いてないのはホワイトウッドから来た魔獣——冒険者の可能性があるから、迂闊うかつに攻撃したらダメ」

「どうして魔獣に攻撃してはダメなのですか?」

「どうしてって、ケンカになっちゃうでしょ。魔獣だろうと一定の知性があれば、この街では冒険者として地脈に認められるから。ホワイトウッドでは飛竜だけじゃく、スライムもグリフォンもその辺の犬ですら冒険者の可能性があるわ」

「多種族のみならず魔獣まで……。ホワイトウッドとは本当に寛容な街ですね」

「寛容というより大雑把なのよねー」


 甲高い鳴き声を放ちながら、提灯鼠の体が見る見る膨れ上がる。限界まで空気を流し込んだ大きな風船のように。


『ヂュウウウゥゥーー!!』

「ひゃっ!」


 およそ一メートルの球体に膨れ上がった提灯鼠。

 その円らな目や小さな口は、子供が書いた落書きみたいに左右に伸び切っている。


「ぷっ」


 ミストナは思わず噴き出した。

 自分がデザインしたパジャマの下手くそな狼の絵に似ているかも、と思ったからだ。

 しかし、初めてこの種類の幻獣モンスターを目の当たりにしたペレッタは、怯えるようにミストナの背中にしがみついた。


「大丈夫だって。これはプクッーて体を膨らまして威嚇してくるだけだから」

「ど、どう対処すればっ!」

「うーん、斬るのは問題外ね。臭いガスを吹き出しちゃう」

「魔術で攻撃するのですか!?」

「一般的な五行属性の魔術もダメよ。特に火の魔術なんてもっての他。爆発したら通路が煙だらけになって、視野が悪くなる。潰してもダーメ」

「では一体どうすれば……」

「にししっ」


 だからと言って提灯鼠を破裂させても、飛散する匂いに有毒性は無い。ただただ不快な匂いを発するだけだ。

 ペレッタの初々しい反応を楽しむミストナだが、この“戸惑いの洞窟”にはもちろん入った事はない。今日が初潜入だ。

 話を聞いたのは昨日。現場を確認する時間などあるはずもなく、完全なる知ったかぶり。全て今朝方に詰め込んだ情報が元になっている。


(まずはペレッタにダンジョンの楽しさを知ってもらう。上手くいけばペレッタの心は、自然とダンジョンに惹かれていくはず……)


「どのように倒すのが有効なのですか? 私達に残された手段は何も無いのですかっ!?!?」

「おおおおちちちちつきななさいよよよよよ」


 ミストナは大きく肩を揺さぶられ、呂律ろれつがあやふやになる。

 『安心して』という素振りで、ペレッタの手を優しく握り、肩から手を離させた。


「良く見ててね、こんな感じで————」


 鉄甲に刻まれた四匹の動物の刻印をなぞり、ミストナは深く息を吸う。

 低い体勢から提灯鼠の懐に滑り込み、


「ハッ!!」


 小突くように、腹部にアッパーをかました。

 ボオオオンと強く押し出されるような衝撃を受けた提灯鼠は、ゴムボールのように壁や天井にバウンドを繰り返し、通路の奥へと消えて行く。


「ね? 魔力を込めて突き飛ばすように押すの。そうしたら破裂せずにそのまま飛んでっちゃうから」

「いっ、今のがですか??」

「そうよ」

「……本気で殴ったのでは?」

「私が本気を出したらこの通路ごと崩壊するわ。まっ、ここはダンジョンだからすぐに自動修復すると思うけど」


 ペレッタの顔が若干怯えているように見えたが気にしない。もっと早く、もっと深く、互いの存在を知り合わなければならないのだから。


 そこに——なにやら猛烈な勢いでこちらに走ってくるベリルの姿が見えた。


「お前らあああああーー!!!」

「なによ。あんたは先に行って幻獣やっつけててよ——って、臭っ!! 臭すぎるわ! 近寄らないでよっ!」


 腐った果物を煮詰めて一週間放置したような悪臭が『もわっ』と、ベリルの体から放たれている。

 どうやら頭に提灯鼠が直撃したらしい。灰色の髪やメイド服には、ドロリと白い液体が滴っている。


「ゴホッ! ウェ!! 目にしみる!」


 あまりの激臭に、ミストナは鼻を摘みながらえずく。

 鼻がもげる。皮膚が溶ける。髪の毛が枯れ果てる。嗅いだ事の無い想像以上の悪臭だった。


「お前があたしにデカくなったクソ鼠をぶつけたんだろうが! もろに食らったぞオイ!」

「……良いから離れて。本当に鼻が取れたらどうすんのよ」


 ミストナはダミ声で反論しながら目を逸した。

 確かに自分が原因かも知れない。だがそれは不可抗力だ。誠実に任務を遂行する中で起きた、悲しく不幸な事故。

 今、優先するべきはペレッタの保護だ。ここはベリルに抑えてもらう他ない。


「もう。優秀なラビィが居るんだからペイルシャワー淡い木漏れ日で消してもらったらいいでしょ」


 ミストナが解決案を出す。

 ペイルシャワー淡い木漏れ日とは、精霊術師シャーマンが扱える体面の汚れを落とす回復系統の初歩魔術。

 非戦闘向けの精霊術ばかり体得しているラビィだが、こういった場面ではとても重宝する。


 水浴びが出来ないダンジョンや、長期間滞在しなければならないダンジョン等も少なくはない。野暮な男共と違って、女だらけのパーティーは何かとエチケットにはうるさいのだ。

 最も自堕落王の名を持つベリルに至っては、ラビィがこの魔術を扱える事を知った途端、風呂に入らなくなり日常的にペイルシャワー淡い木漏れ日をやってもらっていた。

 発覚してからは、引きずってでも銭湯に連れて行ってる。


「お前は何もわかってねぇ。ラヴィに治して貰うのは後だ。あたしはな、人生の厳しさってやつを直々に教えに来たんだよ」

「なによそれ。変態露出狂狼女に一文字だって人生を語られたく無いんだけど」


 シッシッ。あっちいけ。シッシッシッ。

 餌を欲しがる野犬を追い払うように、ミストナは鼻摘みを継続しながら手を雑に振る。


「あたしがここへ戻って来た理由ってのはな——」


 いやらしく笑みを浮かべるベリルが、両手を大きく広げてミストナに詰め寄った。

 その悪魔じみた口角の上がり方に、ミストナの背筋に寒気が走る。


(まさか……)


 ベリルの赤い瞳に最悪の展開が映って見えた。


(このバカメイド、悪臭を分け与える気っ!?)


 ミストナはジリジリと壁際に追い込まれていく。

 それでもペレッタだけには不快な思いをさせてはいなけい。絶対に守らないと! ——そう思い、ミストナは振り返る。


「大丈夫! 大丈夫だからねっ! ペレッタには触れさせないから!」


 しかし返答は無かった。むしろ背後に居たはずの姿さえ見当たらない。


「あれ? ペレッタ?」


 気付けばペレッタはベリルの向こう側、通路の真ん中にぽつりと立っていた。


(ベリルが来た時は確かに背中に引っ付いてたのに! いつの間にあんな場所に!?)


 一瞬、ペレッタと目が確かに合った。が、まるで顔を見たことが無いお隣さんとばったり出くわしたような、なんとも言えない苦笑いをされて、視線を進行方向に戻された。


「ね、ねぇ、ペレッタ……」


 呼んでも顔は動かない。どこからか降って湧いた地蔵のように何も無い虚空を見つめている。

 詰まる所——完全完璧な無視である。


(ここここ、この裏切り者!!)


 守り抜く気持ちは何処へやら。ミストナはペレッタを心の底から恨めしく思った。

 そうこうしている内に、悪臭を放つベリルが指をいやらしく動かしながら眼前に。


「ほーら、ご主人様。麗しいメイド様の奉仕の時間がやって来たぜー?」

「様が被ってどっちが偉いかわかんないわよ! って、ちょっと嘘でしょ!? わざとじゃないんだって! 謝るから許してよ!」

「あぁ、あたしは良い女だからもちろん許してやるよ」

「ほ、本当っ!?」

「このクソみてーな気分を、お前が味わった後になっ!!」


 ——やばい!!

 ミストナは即座にしゃがみこみ脱出を図った。

 だが尻尾を掴まれ、手繰り寄せられ、宙ぶらりに。

 恐る恐る目を開けると、悪臭を放つ狼女のニタニタした顔が目の前にあった。


「つーかまーえたーーー」

「いやああああああああーーーっ!!」


 そのままくるりと上体は反転させられ、ガバッと抱き締められる。

 スリスリスリスリスリスリスリ……。足も腕も胸も顔も。身体中を密着させられて、これでもかと白い粘液と匂いを擦り付けられた。


「なぁああああーーっ!?!? やめなさいよ離しなさいよバカメイド! 頬擦りはこんな時にする行為じゃないでしょ!」

「うるせー! お前がいつも言ってんだろ! 仲間は痛みを分け合うってよー!」


 ミストナは必死に抵抗するがベリルの方が体は大きい。それに悪臭が気になって思うように力が入らない。それなのに良くベリルは耐えられているなと、逆に感心するくらいだ。


「臭い匂いは分け合わなくて良いの! あっ、ちょっと、なにこれっ!? 間近は本当にやばいっ! 鼻が腐る!」

「腐ったらアンデッドになれるじゃねーか。種族変更の手続き用意しとけよ」

「バカ! なりたかないわよ! ラビィ助けてーー! 鼻が無くなっちゃうーーっ!!」

「アーーハッハッハ!」


 やっとの思いでベリルから解放された後、慌てて走って来たラビィにペイルシャワー淡い木漏れ日をかけてもらう。

 これで匂いは跡形も無く消え去った。脳の奥にこびり付いた、忘れる事の出来ない不快な思い以外は。


 ベリルは特に悪びれる様子もなく、口笛を吹きながら通路の先へラビィと共に戻って行く。

 あぁ。心底、憎たらしい。


「仲が良いんですね」


 一連の様子を見ていたペレッタが呟いた。


「……私を置いて逃げたわね。今はパーティーメンバーなのに!」

「逃げたのではありません……少し、離れただけです」

「嘘よ! 私を置いて逃げたわ! 良い奴だって信じてたのに!」

「だってベリルさんは敵ではなく味方なのでしょう? 味方からというのは表現として不適切では?」

「そそそ、そうなんだけどねえええぇぇーっ!!」


 まともな反論が思い浮かばず、叫び声で返事をしてしまう。

 全くもってその通りだ。それもこれもあの狼女のせい。積み上げた算段をことごとくひっくり返してしまう。

 まぬけな失態を晒してしまい、ペレッタに愛想を尽かされたかも知れない。不潔な獣人と思われたかも知れない。

 しかし、


「ふふっ。ふふふふっ」


 口元に手を当てるペレッタが、もう堪える事が出来ないといった様子で声を出して笑った。

 出会ってから初めての快挙だ。


 ミストナも釣られて笑う。臭いのはもう沢山だが、思わぬ収穫をくれたベリルに少しだけ感謝した。こういうアクシデントを楽しんでこそのダンジョンだ。


「もう、笑わないでよね。こっちは大変だったんだから」

「ベリルさんは本当に楽しい方ですね」

「アイツとは出会ってから世話を焼かされっぱなしよ。被害を拡大させて楽しむ癖があるのよね。素直に慣れないというかなんというか、バカなのよ。前世はきっと、大量殺人を起こしたバナナの皮の親玉か何かよ」

「でも、きっかけを作ったのはミストナさんでは——」

「え? どういう意味? 私、何かしたかしら?」


 ミストナはうーんと考えるが、悪い事をしたという心当たりは特にない。サボっていたバカ狼に膨れ鼠がぶつかっただけ。

 昨日の大型飛竜に比べれば、とてもとても些細な事象だ。


「いえ、お気になさらずに。私は羨ましく思います。同年代の気を許せる親友など居ませんから」

「今から作れば良いじゃない。ペレッタなら人じゃなくても友達がいっぱい出来るはずよ。あっ、良いこと思いついた」


 ミストナは粒のように前方に映るベリルに向かって、


「あんたの鉄パイプ貸してくれるー!?」


 声を張り上げて手を振った。


 反響した舌打ちと共に、鉄パイプがクルクルと飛んで来る。尻尾でキャッチして、ペレッタに渡す。

 いつまでも眺めているだけじゃダンジョンの面白さというものは伝わらないだろう。

 何が何でも体験して貰い、魅力を伝えなければ。


「これがベリルの固有魔術の鉄パイプ。私と同じ武器召喚ね」

「わ、私がこれで戦うのですか?」

「そうよ。頑張ってみて」


 ペレッタの身長には少し長い得物。だが、それでも棒という武器は初心者にも扱い易い代物だと、ミストナは思う。

 鉄パイプの中は空洞になっていて、それほど重量がある訳でもない。棒術の基本は相手に力一杯ぶつけるだけ。姿勢も自然と身に付いたもので何とかなるだろう。

 兵士達が持っている真っ直ぐに振り抜かなければならない剣よりは、遥かに簡単に扱える。


「ツバキーー! 膨れ鼠を一匹、生きたまま放り投げてちょうだいーー!」


 叫ぶとすぐに膨れ鼠が二人の足元に転がった。

 無造作に放られ『チュウウー!』と怒っている。たちまちに白い体はまた大きく膨れ上がっていく。


「ここはダンジョンよ。人智を超えた異空間であり、試練の場であり、夢の世界。夢だったら好きにやらなきゃ損ってもんよ」

「こ、こわいです……誰かを殴った事すら私にはありませんので」

「乗り越えられるはずの試練から目を晒すなんて、ダンジョンに怒られるわよ」

「でも、相手は罪もない鼠さんですし……」


 おかしな事を言う少女だと思い、ミストナは虎耳がピコピコと上下した。


(ペレッタにだって罪は無いはずよ。それなのに不遇な運命を背負って死のうとしてる……自分の事より周りの事が優先なのね)


 優しい性格で見るなら、ペレッタの適正な職業ジョブ後衛職サポーター回復術師ヒーラーか、神官プリースト辺りが無難だろうか。

 他者を労わる気持ちが強いなら、変わり種だが召喚師サモナーにも向いてそうだ。


 しかしどの職業にも言える事が一つある。

 ダンジョンに挑戦し続けるというのは、自分の手で戦う時が必ず訪れるという事だ。

 不測の事態に備えてミストナは狩りの仕方を教えなければならない。獣人として。先輩冒険者として。


「ペレッタの世界で毎日食べている物って、命の無い無機質な物な訳?」

「それは……違います。お肉も野菜も食べます。だけどそれは加工された物であって——」

「だったらやりなさい。“対価を支払って面倒な事を省くのは良い”。だけどね、“対価を支払う行為を、嫌な事から目を逸らす言い訳にしたらダメ”。それが自分に関わる本質であればあるほど。これはある意味、命を奪って生きる練習よ」

「……目を逸らしたらいけない」


 ペレッタは噛み締めるように言葉を繰り返した。


「生き物を殺す事は悪じゃない。戦って食らい、奪い合って生きてる。それが生き物の避けられないさが。まぁこの幻獣モンスターはダンジョンの一部だから、生きてるかって言われたら微妙な所になるけどね。だから幻獣げんじゅうとも呼ばれる訳だし」


 命の尊厳。

 ミストナはペレッタに知って欲しかった。生きる事の厳しさを。そして乗り越えた先にある、喜びを。


「私に……出来るでしょうか」

「出来る。だってダンジョンは乗り越えられる試練しか与えないから」


 ミストナの強い眼差しを受けて、鉄パイプを握る手に力を入れるペレッタ。

 威嚇している提灯鼠にじりじりと近付き、間合いを詰めて行く。


「上から叩き潰したらダメよ、横から薙ぎ払うの。やってみて」

「——い、いきますっ!!」

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