【異界の姫君】編

死にゆく姫とダンジョン

 ボロ宿二階の一室。

 ミストナ班はおまけ程度の小部屋を四人一緒の寝室として使っている。本拠地ホームのメインはボロいながらも、それなりに広いリビング。

 駆け出し冒険者達はこの空間を使ってくたびれた装備の手入れをし、ダンジョンの作戦会議をしながら夕食を楽しむのだろう。

 だがミストナ班は普通の冒険者とは違う。

 主な活動は“賞金稼ぎ”。ギルドに張り出されるミッションや賞金首の詳細と睨めっこするだけではなく、個人的な依頼の請け負いも想定している。なのでリビングには来訪客の応接を兼ねた二組のソファと長机が用意してある。同じく。小さなラヴィ料理長が真心込めた一品に、舌鼓を打つ場所でもあった。

 かくいうラビィはそのソファの周りをぐるぐると回っていた。見掛けの五倍は持ち物が入る圧縮収納ポーチ(がま口タイプ)の中を何度も確認しながら。

 ベリルは本棚の下段に置いてあるガラクタ入れの段ボール箱に顔を突っ込んでは、次々に中身をひっくり返している。

 この本棚は壁一面にずらりと並んでいた。下段以外は隙間なく、ミストナが収集した古本や絵本がぎっしりと詰まっている。お気に入りの“冒険者の流儀”という絵本もこの中だ。

 部屋の角には二畳半の畳が敷かれており、古風な鏡台と小さなタンスがその上に。ここがツバキ専用スペースとなっている。ツバキは唇に細紐を咥え、着付けの最終段階。同時に。狐の尾に塗った高級オイルを乾かすために金色の塊をしとやかに振り続けている。

 窓際にはミストナの仕事用デスク。ギルド登録の書類、アニマルビジョンに加入した書類もこの中に保管してある。この街の重要なやり取りは書類か直接会って取り決める事が多い。魔石による通信手段もあるのだが、様々な者に魔術等で傍受されている可能性が極めて高かった。

「あんた達ー。早く用意しなさいよー」

 仕事机の回転椅子に座り、ミストナは叩き起こした仲間達を一瞥いちべつする。

「おいツバキ、あたしの防塵ゴーグルどこにやった。隠しただろ! あれが無いとやる気が出ねーんだよ」

「知りませんよ。それよりもラビィ、携帯食の準備は出来ましたか?」

「はいです。ポーチに詰めれるだけ詰めましたです」

「その着物の中に隠してるんだろ! 返しやがれ!」

「強引に脱がさないで下さいまし。あぁ、いけません。ベリルの乱暴な指がわたくしの甘美な部分をなぞって……ラビィ、良く見て勉強するのです、これが、大人の、あぁん——」

「あわわわ! 朝から激しすぎるです……はぅ!」

「わざとらしい声を出すな! ほら見ろ、尻尾の付け根に隠してやがった。あぁ!? ラビィが倒れちまってる!」

 急な仕事と聞いて朝からバカ騒ぎを見せる仲間達はさておき。ミストナは仕事机に頬杖を突く。

「……このパーティーで、淑女しゅくじょって言葉を使う時は来ないかもね」

 ベリルに引っ付いて眠ったのが良かったのか。睡眠時間は不十分にも関わらず体調は良好だ。

 魔石から浮かび上がる透過映像に視線を映す。異界の姫君、ペレッタが突入すると思われるダンジョンの資料だ。

『ゲートの物体移転装置——オブジェクトとは通常の方法では壊す事も出来ず、移動させる事も出来ない』

 備考欄にはこう書いてあった。オブジェクトに触れると別次元——ダンジョンへ突入する事が出来る。異界へのゲートも同じような造りだ。オブジェクトとは街のどこかに突然現れる。あるいは既存物を乗っ取って勝手に固定化する。場所も形態も性質も千差万別。

 同じ構造や仕掛けギミックのダンジョンは二つと無い。広大な森林であったり、狭い闘技場コロシアムのような作りもある。当然、中の幻獣モンスターも違えばトラップの種類も違う。

(だからこそ、ダンジョンは最高よね)

 ラビィが焼いたくるみ入りのパンをミストナは口いっぱいに頬張った。飲み込み、指先をぺろりと舐める。

 ミストナはダンジョンが好きだ。最大の敬意を払わなくてはならない相手だと信じている。幾千万いくせんまんの冒険者の命を奪って来た迷宮にも関わらず、だ。

 この街にも多く居ると言われるダンジョン信仰派。ミストナもその一人に違いなかった。獣に準ずる種族は神を決して信じない。目で匂いで爪で。五感で感じた存在しか認める事が出来ない。広大な大地。照らす太陽。恵の雨。そういった肌で感じる事の出来る自然と同列に、ミストナは人智を超えた強者——“ダンジョン”に強い憧れを抱き続ける。

 未知と出会える空間。

 素晴らしい景色を見せてくれる夢の舞台。

 ギリギリまで自分を高めてくれる試練の場。

 どんな出来事が待っているかを想像するだけで鼓動が早まり、爪先も尻尾も落ち着きを無くす。

 ——だからこそ許せない。

「素敵なダンジョンに政治の思惑を絡めて、しかも女の子の処刑場にするなんて……」

 冒険者同士のいざこざは良くある。収集がつかなくなった仲間同士の殺し合いも含めて。しかし突発的に起こった事象と予め準備された事象は決定的に違う。

 膨れ上がった悪意の大きさが。

 ミストナは透過映像の資料を弾くように指先でめくった。

「これがペレッタが入る“戸惑いの洞窟”か」

 去り際に鹿野に聞いた通りだ。場所は遠くはない。五番街の中央部から北西に続く民家の集合地帯。そこに古くからやってる小料理屋があった。店先に並ぶぼんやりと光る“水瓶”。大それたゲートしか知らない者が聞けば『何を言ってる?』と、首を傾げるのは間違いない。しかし、この水瓶こそがダンジョンが自分の意思で選んだ紛う事なきオブジェクト。

 水瓶に触れるとホワイトウッドから別次元——戸惑いの洞窟と呼ばれるダンジョンに転送が完了となる。

 ダンジョン特有の幻獣モンスターの種類やギミック。毒に始まる身体機能障害、食料の確保、天変地異じみた突発的なアクション。戸惑いの洞窟に関してはこれらは特に注意する必要は無かった。洞窟内部の地形さえ知っていれば往復二時間で帰れる距離。

 このダンジョンの難易度は冒険者にとって極めて安全な星一つ。遠足感覚だ。

 クリア報酬である魔術の恩恵も、この街で乱発される魔術に比べれば些細なものだった。今では新たに出現したダンジョンに押され寂れつつある初心者向けと記載されている。

 それ故に——モルメス国の護衛達はこのダンジョンを選んだとも受け取れる。

「モルメス国のゲートから距離が近い。加えて人気も無い。幻獣モンスターも弱い。わざわざこんな所を選ぶなんて決定的ね」

 一団が近くのギルド支部に顔を出すのが十一時。そこから一時間ほど会合を開くと鹿野は言っていた。

 となると移動距離を含め、決意を固めたペレッタと暗殺を目論む護衛達が突入するのは十二時前後となる。

 ——現在の時間は十時。

 そろそろこちらも出発しなければ。

「ペレッタに……戸惑う気持ちが残ってれば良いんだけど」

 洞窟内の入り組んだ地形を頭に叩き込み、ミストナは鉄靴ブーツの紐をキツく縛った。



 ◇◆◇◆◇◆



 壁に埋め込まれた細かな鉱石が発光し、洞窟内を薄明かりが照らしていた。どこまでも続くと思わせる幅広の通路には、大小いくつもの岩が邪魔をするように行く手を阻んでいる。

 生温い風が地をう。剥き出しの岩壁と擦れ合った風は亡霊の囁きじみた声に変わり、複雑に絡んだ洞窟内を不気味に反響していく。

 共鳴するように巨大な岩陰の裏で呼吸を始めたのは、濡れたようなつやが光る頑強な皮膚を持った大きな影。

 ざわざわと。岩の足下を素早く移動したのは、外敵から身を守る為に進化を遂げた小さな影。

 狂気の、戦慄の、暴力の——影達。

 侵入者を食らわんと闇にうごめく、幻獣モンスター

 冒険者として最初の決意が試される場所——【戸惑いの洞窟】



 いくつもの影と無骨ぶこつな音が、洞窟内に落ちていく。鉄兜を被り、関節部位まで仰々しく覆う全身甲冑フルプレートを着込んだ十人の兵士達。全員が腰に長剣ロングソードを携えている。

 胸元にはかまどの火を模した紋章が鋼の素材で装飾されている。

 先頭の男が止まった。

 薄明かりの中だ。大岩と同じ保護色で擬態していた幻獣モンスターを見抜けなかった。

 ずるりと直立し兵士達の頭上に大きな影を作ったのは三メートルを超えた“大ムカデ”。歩肢は百本などで足りるはずも無く優に千を超えている。黒い鉄板を繋ぎ合わせたような頑強な胴は、成人男性の二倍以上の太さを有していた。

 カチカチカチカチカチカチカチカチ、ガチチチチッ!!

 巨大な下顎——太い牙が打ち鳴った。ぽとりぽとりと滴るよだれには酸が混じっているのか、大ムカデの足下に小さな穴が空いていく。

 先頭を歩く男はその異形の化け物と対峙しても、動揺を示す事は無かった。慣れた手つきで腰の鞘からすぅと剣を抜き取る。一般的な剣の厚みに比べ、薄すぎる両刃の長剣ロングソード

 細さとは脆さ。鋭さとは危うさ。

 それは何の魔術も用いない職人が打った剣の話だ。鋼に関わる生活が主流とされるモルメス国は違う。

 鉱石の源光を弾き、銀色の輝きがさらに増す。重心の移動を見せぬほど男は自然に掴んで入るがその重量は三十キロ。魔術によって質量の限界を突破するほど、鋼の魂を打ち込んでいる。

 細いほど強固に。鋭いほど頑丈に。

 モルメス国の魔術のずいを込めた、一片の刃こぼれさえ許さぬ威圧感が刃先からほとばしった。

 跳躍からの——『一刀両断』

 立ちあがったムカデの中心線に音も無く筋が入る。滑るようにズレが生じ、縦真っ二つに胴体が別れた。一切の迷いを感じさせない太刀筋。

 大ムカデは尻の付け根に付いてあった魔石を一つ落とすと、光の粒子となって壁の中に吸い込まれた。モンスターとは幻の怪物。ダンジョンが生み出した偶像でしかない。エネルギーを無駄にしないためにもダンジョンが回収を始めたのだ。

 冒険者の立場から見れば、魔石という“報酬”を置いて。ダンジョンの立場からすれば『おいでおいで』と、迷宮の奥底に引きずり混む為の“釣り餌”を置いて。

 しかしながら兵士達は転がった魔石に目をくれる事なく歩を進める。消滅を始める大ムカデの間を通り、魔石は後方を歩く兵士に踏み潰され砕け散った。

 一団の中心に、この場にふさわしく無い格好をした少女が居た。陽の光を知らぬ白い顔。病弱とは言えないまでも何かを諦めたような瞳。しかし顔は前を向いている。聡明で誇りを秘めた表情。

 格好は凝った装飾が飾られたドレスに高めのヒール。首からはモルメスの国章を示す鋼素材のネックレスがかけてあった。

 ペレッタ・トゥワ・モルメス——異界・モルメス国の次期王女。

「——っ」

 小石に足を取られてペレッタの体制が大きく揺れた。履き慣れていないヒールのせいだ。思わず黄色い叫び声が出そうになるのを、手で抑えて我慢した。

「モルメス国のダンジョンとは構造が違いますね」

 等間隔で甲冑の擦れ合う音。砂利を踏み締める音。ペレッタはその中にぽつりと感想を置いた。

「……」

 返事も、ましてや振り向く兵士すら一人も居ない。

 体の小さいペレッタを完璧に護衛するように。そして逃げ道を塞ぐように。十人の兵士達が足並みを乱す事はない。

「……そうですか」

 諦めるように一人で会話を終わらせる。そしてペレッタもただただ奥へ向かって歩く事だけを考える。しばらくぼぅと歩いていたペレッタだったが、びくりと体が強張こわばった。

「——退け」

 先頭を歩いている体躯の良い隊長——ガロンが他の冒険者を追い払った。兵士達の隙間から、見慣れない種族の冒険者が走り去る姿をペレッタは見る。

 白い翼のようなもの。神族と呼ばれる希少な種族か。または空を飛ぶ獣人の種族なのか。

 ペレッタの世界は人間ノーマルが圧倒的な割合を占めているが、少なからず亜人達は街や城の中に存在している。最近になってホワイトウッドから流れ着いた特殊な種族も見かけ始めたらしい。これらはあくまでも噂だ。使用人同士の会話を盗み聞きして知り得た情報にすぎない。

 生を受けて十四年。外部から隔離された館から自由に外出を許されなかったペレッタにとって、本で得た知識のみでの種族判別は困難だった。

「もっとこの街の人達を見てみたいな……」

 純粋な気持ちがこぼれた。

 当然のように返事は無い。こんなに多くの人達が側に居ること自体初めての経験だというのに。

「岩壁、魔石、幻獣。これが全てダンジョンの意思によって生み出される創造物だというのは信じられません。どの世界にとってもダンジョンとは偉大なものなのですね」

 モルメス国にも異界を構築している核——ダンジョンが一つだけある。クリアの恩恵は剣の強度や切れ味を増す鍛治系統の魔術。

 モルメス国は鋼の国。それらの恩恵に授かり独自の発展を遂げてきた。国中の人々が事あるごとにダンジョンにおもむくのに対しペレッタは年に一度しか行く事が許されなかった。

 大理石が立ち並ぶ神聖なダンジョン。信頼のおける仲間と共に突入し、立ちはだかる強敵モンスターに立ち向かう。数々の困難を突破して報酬となる魔石を確保する。

 助け合い、いがみ合い、泣きながら、笑いながら。

 ダンジョンの入り口に立ったペレッタはすれ違う冒険者達に一喜一憂の思いをせながら——きびすを返す。余計な会話を禁じられた使用人達にうながされて。

 

 これがペレッタの知るダンジョンの全てだった。

 冒険者としての血筋を色濃く受け継ぐものは、定期的にダンジョンに潜らなければならい。三大欲求と並んだ、抗えないさががある。言わば最低限の生命活動を維持する為だけに、ペレッタはダンジョンの入り口に訪れるのだ。同時に、屋敷から外出許可の下りる唯一の日でもあった。

「初めて、ダンジョンの中を歩いてるのに……」

 ドレスの裾をぎゅっと握る。自分はなんて情けない格好をしているんだと。

 ギルド支部との会合の後、ダンジョン用の装備に着替える時間は十分にあった。しかし、それすら許されなかった。死に行く者に装備は不必要という事だ。

 あの時に見た同じ世代の若者達のように皮や鋼の装備をまとってこの場所を歩きたかった。

 ——いつか。——いつの日にか。

 ずっとそう考えてきたが。叶うことの無い夢だと悟ったのは一週間前だった。

 隊長のガロンにはっきりと告げられた。目を合わせ、一呼吸置いて、冷静な口調で。

『ペレッタ様にはホワイトウッドのダンジョン内で死んでいただきます』

 父の暗殺から一週間後の事だった。

「……私はここで構いません」

 覚悟の言葉で行進はピタリと止まる。

 柄に手を伸ばす者。魔力を高める者。冷たい兜の隙間から有り余る敵意がペレットに向けられる。

「止まるな。まだ先に進む」

 意に反して、仲間を静止させたのは先頭を歩くガロンだった。

「姫様の有難いご所望だぞ? ここで方が帰りが早くなるって気を使ってくれてんだよ。ガロン

 挑発するような態度で、貴族お抱えの兵士——チェスターが決断を早めた。

「なんだと?」

 兜を脱いだガロンが詰め寄る。

 まとめてあった黒い長髪が背中に流れ、険しい双眸そうぼうが露わとなった。普段はまだ青年の範疇を抜け切らない顔つきをしているが、今は見る影も無い。任務を忠実に遂行する一兵士の顔だ。

「雑魚冒険者共の目なんか気にする事はねぇって言ってんだよ。目撃した奴は全員切り殺せば良い」

「貴様! それでもモルメス国の兵士か!」

「おいおい、何を怒ってるんだガロン君は。さっきのギルドとか言う奴らも言ってただろ。この街にあるダンジョンの中ではホワイトウッドの法律は適応外だってな。つまりは、強姦も、強奪も、殺人も——自由だ」

 ペレッタは目を細めた。

 チェスターは当たり前のように言ったが、後半の部分をすっぽかしている。法律が無いから冒険者の真の心が問われるんだと。魂に委ねているんだと。ギルドの職員は確かにそう言っていた。

「だからどうした。今の発言は我々には関係が無い。俺が怒っているのは下された命令に従わないからだ。君主の言葉は“”だったはずだ」

「固いねー。現場に合わせて自己判断する事も出来ないのか? それとも習ってないのかな? 元王族側のガロン君は」

「この街の冒険者は我々の知らない魔術を多く扱える。もしこの件が国民に知れて怒りを買ってみろ。お前の一族は根絶やしになるぞ。国民は王が暗殺された事を知らない。姫が早急に座に着く事を待っている。

「あのっ……」

 ペレッタは手を伸ばしたが、ガロンに触れる直前に自分の胸に帰した。触れなかった。二人はどこで殺すかで揉めているだけ。それなのにまるでガロンが自分の事を助けているように見間違えてしまったから。

「じゃあ身寄りの無いお前がれば解決だな」

 チェスターの軽い口調はそのままだ。

 ガロンの正論に同意する事は無かった。

「……ここでは殺人が問われないんだったな。お前を先に切り殺しても良いんだぞ」

 兜を乱暴に被り直したガロンが剣柄に手を添える。

「いくら隊長に任命されたからって調子に乗るな。先輩の意見を立てろ」

「貴様より俺は新たな君主にめいを立てる」

 ガロンは冷え切った本気の目をチェスターに向けた。

 いかなる反逆者はんぎゃくしゃにも仇討つ覚悟を見せる為に剣を抜いた。

「っと、分かった……分かったよ。本気になるな。暑苦しい。仲間打ちはこっちも勘弁だ」

 両手を上げながらチェスターは引き下がった。傍観していた他の兵士達から、小さく嘲笑する声が聞こえた。

「行くぞ」

「……ガロン」


 ペレッタは振り返ったガロンの姿を悲しげに見つめた。


 亡くなった母方の兄。叔父おじの計らいで二年前にペレッタの専属護衛として赴任ふにんしてきた、側近兵士——ガロン。

 ペレッタは当時十二歳。ガロンは十九歳。

 年齢は七つ離れていたが、それでも館の中では年が近い方だった。ペレッタが屋敷のどこに行っても着いて回り、従順にその役目を果たしていた。


 ガロンの任務内容の中には、余計な会話コミュニュケーションを取る事も含まれていた。

 選りすぐった使用人と言えど、貴族の息がかかった裏切り者が紛れる可能性がある。

 ペレッタが見たこと、素直に感じたこと。その中から違和感を見つける事もガロンの役目だった。

 最初はぎこちないただの“報告”だった。それがいつからだろうか。“お喋り”と感じるようになったのは。

 二人が会話を弾ませ、心を開くまでに時間はかからなかった。


 ペレッタは自分は公に出てはいけない立場だと十分に理解していた。言い聞かされて育った。

 父親の独裁を良く思っていない貴族達から狙われないように。

 世間から隠れるように生き、誰にも知られず死ぬ。それが与えられた使命だ。


 ガロンとの距離はみるみる縮まっていったが、あくまで護衛される関係に留まっていた。

 狭い檻のような暮らしの中で、恋や愛という正の感情がペレッタに芽生える事はなかった。

 それでも——唯一気を許せる相手。それがペレッタの知るガロンという青年だ。


 そんな彼も今は変わってしまった。

 反乱貴族側の圧力に取り込まれ、あの優しい物腰は夜露が朝日を浴びて蒸発するように消え去った。

 彼だけじゃない。モルメス国の兵士達は殆どが貴族側に寝返るしかない状況に陥ってしまった。


 それに対して恨む事は一つも無い。家族を、命を危険に晒されれば誰だってそうするしかないのだから。変わらなければ、誰かを救えないのだから。


(おずおずと生き残れば、貴族達の負の念が国民の生活にまで滲み出て苦しめてしまう。国の混乱を治める為には、私は死なければいけない。それが私に残された最後の役目。生きてきた証)


「最後の頼みです。私は——ガロンの手で死にたい」


 ペレッタは歩き出したガロンの背中に語りかけた。

 一人の命で国の混乱が収まるならそれで良い。だけど、最後のワガママくらいは聞いて欲しい。


「ここはまだ冒険者が多いようです。姫様もが落ち着いて出来ぬというもの」


 岩陰からこちらを覗いていた先ほどの冒険者を睨みつけながら、ガロンは方便を使った。


「白々しい芝居はもうやめて下さい。あなたが言ったのでしょう。私を殺すと。今ここで殺さなくても……言葉まで濁す必要があるのですか!」

「姫様」

「私は死にます! 覚悟を決めています! しかし、私の冒険者としての覚悟を侮辱する事は許しません!」

「姫様っ!!」


 ひどく冷たい言葉が洞窟に反響していった。


「最深部ならば人目も少なくなります。それまで姫様には我慢して頂きます。宜しいですね」

「……」


 あくまで業務的な態度のガロンに、ペレッタは唇を噛み締めて答えた。


(……以前はペレッタとお呼びになったのに)


 奥へ奥へ。一行は薄明かりの下を進んで行く。

 兵士達に取っては新たな君主の為、自らの功績の為への道。

 ペレッタにとっては最後の場所に繋がる道を。


「あっ……」


 大きな影がペレッタの足元に広がった。

 おそらくさっきの大ムカデがまた出たのだろう。きっと顔を上げる前に、ガロンが切り捨ててしまう。

 そう考えていると——


「とりゃぁぁああああああああああああああああああああああーーーーーっ!!」


 女の子の怒号と同時に、影が真横に吹き飛んだ。めり込んだムカデの絶叫と崩壊する岩壁が、さらに騒がしい音を作った。


「よしっ! これで三匹撃破ねっ!」


 くるりと宙返りしながら着地したのは、猫耳に長い縞模様の尻尾を持った獣人の女の子だった。

 これだけ派手に暴れたにも関わらず、彼女は入念に手首をほぐしている。準備運動が足らないと言わんばかりに。


「魔石頂きーっと。でもこの魔石を一つ取ったところで、ツバキのオヤツ代にすらならないのが果てし無く虚しいわ」


 器用に尻尾の先で魔石を弾き、女の子はパシンと小さな魔石を掴み取った。


「なんだ貴様は?」


 ペレッタを背中に寄せたガロンが、警戒しながら対立した。


「ダンジョンに潜ってるんだから冒険者に決まってるでしょ。まっ、その中でも私は最高峰の志を持つ“”だけど。んっふっふー」


 腕を組み、縞模様の尻尾を左右に揺らしながら、その女の子は自信満々に言い切る。大勢の屈強な兵士達に臆する事もなく。


 ペレッタはその見かけぬ種族をまじまじと観察する。本物の動物のように動く猫耳と尻尾は、アクセサリーの類では無いだろう。

 覗く犬歯や光量を調整する瞳孔こそ獣の特徴を見せているが、顔はさほど人間ノーマルと変わらない。

 そこから察するに同じ年齢か、年下なのかもしれない。それなのに凄い跳躍力と身軽さを発揮した。


 服装は重く垂れるような銀色が光っている。モルメスではあまり使われない鉄だ。加工しやすく柔軟性に富んだ鋼とは違う。曲がる事が許されない真を持った物質。

 鉄甲、銀の胸当て、鉄靴ブーツ。ダンジョンに適した誇らしい軽装備だ。


 (何一つ……私は持っていない)


 冒険者に強い憧れを持つペレッタだったが、悔しいとは思わない。

 いつもの様に目を伏せて、じんじんと痛む胸の衝動が引くのを待った。


「我々は他の冒険者と関わる気は無い。早々に立ち去れ」


 任務を遂行するために、ガロンは突き放すように少女に忠告を始める。


「冷たいわねー。そんなんだから、そこの女の子がビクビクしちゃうんじゃないの?」

「そんなつもりはない。彼女は自分の意思で我々と行動を共にしている。パーティーメンバーだ」

「本当かしら? ダンジョンの奥で寄ってたかってエッチィ事をするロリコンさんじゃないでしょうね?」


 女の子はにししっと笑いながら、こちらを覗き見て指差した。


「侮辱する気なら少女だからといって容赦はしない」

「ふーん。あっそ」

「警告はしたぞ」

「これも何かの縁だからよく覚えておきなさい。私の行動の全ては、この私が決めるの。他の意思では絶対に左右されない——この危険色に懸けてね」


 虎縞の尻尾を弄びながら言った。

 この大勢を前に挑発しているのか。ただ無邪気が過ぎるだけなのか……。


「よく分かった。貴様はギルドが注意しろと言っていた追い剥ぎと呼ばれるダンジョンの野党か、その類の蛮族ばんぞく。返り討ちにしてやる」


 適当な理由を付けて切り捨てるつもりだ。

 ガロンの右腕が剣柄に近づくのを見て、ペレッタはそう思った。

 他の兵士も同じ考えだったようだ。殺気を隠そうともせず、獣人少女の周りを取り囲んだ。


「追い剥ぎじゃないしー。何よ、いちゃもんつけて女の子を苛めようっていうの? 大人気ないわねー」

「貴様が執拗に突っかかってくるからだ」

「私はね。男ばっかに囲まれるそのドレスの女の子が、寂しくないのかなーって思っただけよ」

「何だと?」


 自分の事を言われた。

 ペレッタは思わずガロンの背中から半身を乗り出す。そして目を丸くした。

 その獣人少女は兵士達の殺気を気にも止めずに、頭の後ろで手を組み、軽い足取りでこちらに歩いてくる。

 少しでも不穏な行動を起こせば、即座に首が吹き飛ぶかもしれないというのに。

 そのあまりの無防備さにガロンも拍子抜けしたようだ。グイグイと手の平で押し動かされて、大きな背中は視界から無くなった。


「あんた名前は?」


 希望に満ちた瞳が向けられた。

 自分とは違う。真っ直ぐで混じりっ気の無い、生きている人の眼差し。


「ペ、ペレッタです」

「私はミストナ。見ての通り猫じゃ無くて、イタチでもなくて——虎の獣人よ」

「虎は……知っています」

「そうなの!? あんた中々見所があるわね。どう? このダンジョンをクリアするまで、私とパーティーを組みましょうよ」

「……え?」

 意外すぎる言葉にペレッタは戸惑った。

 なぜ自分なのか。言葉通り寂しそうな顔をしていたからか。からかっているのか。安全に奥に進む為なら、周りの兵士達に頼めば良いのに。

 そう思っている間に——。


「きっと——忘れらない冒険になるわよ」


 鉄甲が伸び、手を握られた。握手だ。

 他人の身体に触れたのはいつぶりだったか。はっきりと思い出せないくらいに久しい。


 ——顔を上げる。

 そこには見た事も無いようなミストナの眩しい笑顔が待っていた。

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