迷惑な訪問者

 五番街北部。冒険者通りから入り組んだ路地を抜けた一角に、二階建ての簡素な木造住宅がある。良く言えば貧乏冒険者の懐に優しい格安の宿。悪く言えば……廊下の一部がマンドラゴラのような叫び声をあげる今にも潰れそうなボロ宿だ。

 二階。突き当たりの部屋。

 ここだけが他の部屋とは違い、頑丈な鉄の玄関扉に変わっている。そこには異質とも呼べる四つの歪な傷が目立っていた。

 真っ直ぐに殴りつけた、拳の形のへこみ。

 乱暴に固い物をぶち当てた、角が目立つ傷。

 上から下まで一直線に裂かれた、大きな切り込み。

 コインで引っ掻いたような、愛らしい引っ掻き跡。

 獣の縄張りを主張するこの鉄扉の向こうが——“星屑の使者”。ミストナ班の本拠地ホームとなっている。



「……ふんっ」

 ソファに座るミストナは腕を組み、ぷくーっと頬を膨らます。

 虎と兎と狐と狼。四匹のデフォルメ化された動物が、仲睦まじい姿を見せるアップリケが付いた特性のパジャマ。お気に入りの一品を着ているにも関わらず、ミストナの機嫌はすこぶる悪かった。

「いつもは手紙かフェルニールがのに。何であんたまで来てんのよ」

 半目で見据えるのは対面のソファに座る二人の来訪者。

 一人は昼間に会った空の制圧部隊・隊長、鷹人のフェルニール。瞬き一つしない眼光は現在の時刻、夜になるとさらに凄みを増している。

 そして問題なのがフェルニールの隣に座る、淡いピンクのワンピースを着た鹿の獣人。ダンジョン存続に全てを費やす【アニマルビジョン】という組織の頂点に君臨する女——“鹿野クリフォネア”だ。

「来ちゃいました。ミストナさんっ」

 顔を合わしたのは数回にも関わらず、まるで昔からの親友のような軽い口調で鹿野は言う。

「来ちゃいましたって、あんたねぇ……」

 この鹿野という女はアニマルビジョンの偉い奴という事以外はとにかく謎だらけだった。年齢も教えてくれなければ、発言が冗談か本気なのかも分かり辛い。終始フワフワしているような態度だ。

 それは表情からも見て取れる。下がり眉のせいでいつも困っているように見えるし、細目だからかニコニコと笑っているようにも見える。二十代なのか、もしくは四十を超えているのか、外見からの判断は難しい。

 確実に分かる事と言えば、ヘラ鹿の血筋を受け継いだ獣人であるという事くらい。小さな鹿耳と頭部にはしっかりと削られた鹿の角が確認出来る。

(鹿の角ってめすは生えないでしょ。まさか、鹿野の性別は男!? って事は……無いわね。服の上からでも分かるもん。フェルニールと同じで無駄に胸がある。無駄に)

 間近でジーッと二人の胸を見比べた後、ミストナは再び腕を組み直す。

「鹿野が私達の本拠地ここに来るなんて初めてでしょ。超嫌な予感しかしないんだけど」

「そうでしょうか。鹿は“森の平穏を守る者”という意味合いがあります。鹿人の血筋を受け継ぐ私は言うならば平和の象徴。イメージとしては平和の象徴、白鳩さんの親戚ですねっ」

 指を絡めながら、鹿野は少し照れた。上手い事を言ったつもりなのだろう。それがさらにしゃくに触る。

「どこがよっ!?」

 テーブルに『バシン!』と手をついて、ミストナは鹿野に詰め寄った。

「え? あの? その」

「どこがのよ! あんた今何時だと思ってんの! もう夜中の一時を過ぎてる! 私のこの格好を見なさいよ! 完全で完璧な就寝装備服、パジャーーーーーマよっ!」

 胸のアップリケの部分を引っ張り、細目の鹿野でも言い逃れできない眼前に押し付ける。

「私の! 平穏が! たった今! 乱されてるわ!」

 狼の部分だけが『むにょーん』と横に伸び、まぬけな顔に変わっているが気にしない。

「あらあら。可愛いらしい寝巻きですね」

「あっ、やっぱ鹿野もそう思う? これ自分で作ったのよ。リーダーとしてって、アピールしておかないと。愛情は思っているだけでは伝わらない、でしょ? これがミストナ流、信頼関係の築き方……って違ーーーうっ!! こんな夜中にあんた達は何しに来たのよ! 迷惑なの!」

「近くに寄ったもので、顔だけでも出そうかなと……テヘッ」

「居酒屋かここは!」

 悪ぶれる様子も無く、鹿野はフェルニールと目を合わせた。

「は、はいっ。鹿野様の仰る通りで」

「ありがとう。フェルニールさん」

「いえ。鹿野様の言葉は全てが正しく、全てが美しく——」

 珍しく緊張しているフェルニールの眼光がどんどん充血——血走っていく。瞳をあちらこちらに移動させ、隊服の胸のボタンは鼓動を打つ度に膨らみ、はち切れそうだ。

“空の制圧者”とまで呼ばれた鷹の二つ名はどこへ行ってしまったと言うのか。上司の前では鷹ではなく子猫、いや初恋をした少女のようだ。

「はいそこ! 夜中の人の家でイチャイチャしなーい! どーん!」

 見つめ合う二人の間にチョップを入れて引き離す。肩を落とし、ミストナは背もたれに気だるく体重を預けた。

 ギルド関係から届いた書類の記入を終え、そろそろ寝るかなと思った矢先がこれだ。この街は本当に油断も隙もありゃしない。

 ミストナは改めて、鹿野の格好をじぃーと見つめた。

 ピンクのワンピースに、膝の上にはランチボックス。常に装備を着込む冒険者が多いこの街において、まるでピクニックにでも行くような服装だ。こんな時間に関わらず正隊員の服を着ているフェルニールを見習ってほしいものだ。

 年がら年中メイド服を着ている狼女も居るわけだし、他人の事をあれこれ言える道理は無いが——。

「はぁ。あんたがこのしっちゃかめっちゃかなホワイトウッドを仕切っている一人だなんて、今だに信じられないわ」

「ここにいるフェルニールさんや、他の隊員様のおかげですよ」

「ミストナ! 今のを聞きましたか!? 鹿野様のご慈悲溢れる格言を!」

 フェルニールが大きな翼をソファにバサバサぶつけながら興奮し始めた。

「はいはい、惚気のろけご馳走さま。夜食は太るわよ。ついでに羽根を巻き散らすのはやめてくれない?」

 フェルニールが敬称を付けたり気を使っているのはこの鹿野のせいだ。鹿野は何故かミストナを気に入っている雰囲気をフェルニールは感じ取っていた。

(きっとあれね。鹿野が適当な事を言って、フェルニールは信じてしまったのね。可哀想に)

 掴みようのない態度の鹿野だが、水面下ではよくギルド本部と衝突していると聞く。それでものらりくらりと渡り合って来たのだから、組織を動かす手腕は相当な持ち主なのだろう。

「ミストナさん。ちょっと虎耳を拝借しても?」

「何よ?」

「ここへ来た本来の目的というのはじゃないですからね。そこだけは勘違いしないで下さいね。めっ」

「誰がするかっ!」

 少し顔を赤らめながらも反論する。

 ギィと、寝室のドアが軋む音がした。このボロ宿は大きな広間と小さな寝室の二部屋しか無い。大声を出しすぎて仲間を起こしてしまったようだ。

「……あぅあぅ」

 現れたのはこくりこくりと首を落とす、寝ぼけ眼のラビィ。

「お客様に、おもてなし、するです、です」

「気にしなくて良いわよ。夜中にれられるお茶の気持ちになってみて。可哀想でしょ?」

「……そうです、ね」

「それはちょっぴり言い過ぎではないでしょうか」

 鹿野が困ったような顔を向けた。

「傷付いたなら泣きながら帰ってもいいわよ。絶対に引き止めないから」

 ガルルと不審者もどきを睨みつけ、ラビィを寝室に優しく押し込んだ。

「さぁベッドに入って、私とイチャイチャする夢の続きを見なさい。ラビィが私をイヤらしく責める。ラビィが私をイヤらしく責める。ラビィが私をイヤらしく責める——」

 ラビィの耳元で呪詛じゅそを擦り込むように言い聞かせた。

「私が、ミストナさんを、責めちゃう……」

「んっふっふー。そうよ。いつもと

「逆パターン…………はぅん!」

 最後にロップイヤーの根元に吐息を吹きかけると『ぽんっ!』と、顔を紅潮させベッドの中央に倒れるように眠りについた。

(さすがラビィね。眠たいにも関わらず私の為に奉仕するその心。私への自己犠牲。なんて美しい愛なのかしら)

 ミストナはそれに比べて……と。一つしかないベッドを見やった。

 四人で寝るには窮屈きゅうくつなベッドの端。大柄なツバキはその身長に似合わず、ポンポンが着いた三角帽子。狐耳にはしっかりと耳栓を。そして宴会用のふざけたアイマスク。完全安眠三点セットを着用して熟睡している。

 この装備を付けたツバキは、恐ろしいほど目覚めない。例えこのボロ屋が爆発して、ベッドごと騒がしい冒険者通りのど真ん中に着陸しても、朝まで起きる事は無いだろう。

(寝る子は育つって聞くけど、育ち過ぎじゃないかしら)

 ベッドの窓側には豪快なイビキをかく全裸のバカ狼が寝ている。

(また脱いでるし。何回言っても治らないんだから。っていうか、胸デカッ!? ツバキ並みにあるんじゃないの!? なんで寝る時に胸が大きくなるの、この変態狼女は! 私に少し寄越しなさいよ!)

 自分のあまり成長してない胸をペタペタと確認し、「はぁ」と溜め息を漏らす。くしゃくしゃになったシーツを三人に掛け直し、ミストナはゆっくりと扉を閉めた。

「ラビィさんでしたか。見かけたのは二回目になります。とてもいい子のようで」

 鹿野がランチボックスから取り出したクッキーを摘みながら微笑んだ。

「あげないわよ。ラビィは私の大親友なんだから」

「残念ですね。そう言えばラビィさんはミストナさんと一緒にこの街に来たのでしたね。従者として」

従者よ。これ言ったら『私はずっと従者です!』って、ラビィが泣きそうになるからあんまり言わないけど。私は従者としてラビィを見たことなんて生涯で一度だってないわ。友達だもん」

「ずっと有ったものが無くなる事に距離を感じているのでは?」

「そうかもね。私には良く分からない感覚だけど。だって自慢じゃないけども一緒のベッドで寝てるのよ。自慢じゃないわよ? 本当よ」

 ミストナはふふんと鼻を鳴らし、勝ち誇ったように言う。

「今はそれが四人になったと」

「宿もベッドも狭いったらありゃしないけど、余計な物に回せるお金が今はないのよねー」

 フェルニールの冷たい視線がグサっと胸元に突き刺さった。下手くそだけどアップリケの刺繍には狐に金糸。狼には銀糸をふんだんに混ぜてある。

 だから……言わんとする事はだいたい分かる。

「仲良くなったみたいで安心しました。やはりミストナさん達と、ベリル組を引っ付けて正解でしたね。特にベリルさんはだいぶ落ち着かれたようで」

「ふん」

 そもそもだ。この街にラビィと来て、狐と狼とパーティーを組む事になったのは目の前の鹿女のせいだった。

 アニマルビジョンに加盟した当初。有益な情報を率先して流す代わりに、問題児トラブルメーカーであったツバキとベリルを上手く手懐けて欲しい、と。

「そりゃ満足頂けたようで何より。で、そろそろ本題に入りなさいよ。夜更かしが過ぎるとお肌が荒れちゃうでしょ」

 改まった鹿野がテーブルに小さな透明の魔石を置いた。記録媒体が詰まった映像用魔石。

 フェルニールが魔力を促すと、テーブルの上に一枚の映像資料が浮かび上がった。左上に人間ノーマルの女の子の全体像が写っている。年齢は同じ十四歳か、少し年下だろう。青い縦線が入った見かけないデザインのドレスを着ているが、高級そうなのは何となく分かる。随所に細かな加工に不向きなはずの、鋼細工の装飾が散りばめてあったから。

 だからこそ疑問に思う。何故この女の子は影を落としたような暗い顔をしているのだろう、と。女の子以外は詳細文で埋め尽くされている。眠いから読むのは鹿野の話を聞いてからだ。

「五番街に新しく定着した異界の話をご存知ですか?」

「うん。知らない」

 即答で返す。

 日々増え続けるダンジョンや異界との入口ゲートを先陣きって把握するなんて一々やっていられない。新たな世界に興味が無いと言えば嘘になるが、探究心溢れる先駆者の資料に目を通してから行動しても遅くはない。

(興味が無い事を示して、はた迷惑な客人にはお帰り頂くのが利口な選択ね)

 ダンジョンならまだしも……異界絡みの話などろくな案件ではない。この前の依頼など、蓋を開けてみればホワイトウッドを征服しようと企てていたアンデッドの族長と秘密裏に話をつけて欲しい、とかいう無茶苦茶な任務ミッションだった。

 結局は決闘タイマンに持ち込み何とかねじ伏せれたから良かったものを……何千の種族が総出で向かって来てたら、命がいくつあっても足りない所だった。

「世間知らずでごめんなさいね。今回は力になれそうもないわ」

 ミストナは早々に話を終わらせようと席を立つ。

「ご存知でしたか。さすがミストナさん、話が早いですね。つまる所今回引き受けてもらう依頼というのは——」

「知らないって言ってるじゃない。なんで強引に話を進めてるの!?」

「このお姫様を守るという——」

「聞けぇえええーーっ! 帰れーーっ!!」

「困りましたねぇ。現状ではミストナさん達が最適かと思ったのですが……」

「断る! 聞こえないー! あぁ何も聞こえないーー!」

 鹿野が頬に手を当てて、フェルニールに困った顔を向けた。

「鹿野様。今日の冒険者通りに落ちた大型飛竜の墜落事故。誰に落とされたか知っていますか?」

「誰に……ですか。その報告はまだ受けていませんね。ミストナさんは何かご存知ですか?」

 脳内から全消去したはずのキーワード達に、血液が一瞬で沸騰し頭からボトボトと汗が流れ落ちた。

「シ、シラナイ」

 ミストナはゴクリと生唾を飲み込む。

 終わった。バカメイドが飛竜を落とした事がバレている。鹿野はそれをカードに交渉を持ち掛けてきた。

 依頼を引き受けるだけならまだマシだろう。のほほんと見えてやりくり上手なこの鹿女。きっと多額の請求を吹っかけてくるに違いない。

「なぜ片言に聞こえるのでしょう? この街の地脈に足を踏み入れた者は、自動でホワイトウッドの翻訳魔術が働いてるはずですが」

「ワタシタチハ関係ナイ。ナニモワカラナイ」

「これがレッド・ベリルが飛竜の口から出て来た映像です」

「ヒィ!!」

 フェルニールが取り出した魔石の映像を、鹿野は黙って見つめる。そこには、はっきりくっきりと昼間の大騒動の様子が映し出されていた。

(誰が撮ったか知らないけど、余計過ぎる事をしてくれちゃって! 覚えてなさい!)

 ミストナは震える拳をゆっくり解き——叫んだ。

「……私が実行犯なの!」

「何を言っているのですか?」

「私が飛竜を落とせってベリルに無茶な指示を出したのよ! 冒険者通りに落としたのも、建物を倒壊させたのも、全部ぜーーんぶ! 私のせいよ!」

 ミストナはテーブルに置いてあった魔石や、ランチボックスを端っこに寄せ、すっとテーブルに寝そべった。

「ミストナさん? ここはお布団じゃありませんよ?」

「……ごめんなさい。今の私達には資金が無くて、弁償費が払えないの。煮るなり焼くなり牢屋に連れて行くなり好きにしてちょうだい」

 鹿野とフェルニールは困ったように顔を見合わせた。

「牢屋には連れて行きませんよ」

「そう。どうにかして身体で払えってことなのね。歓楽街のいかがわしいお店……か。出来れば皮膚が分厚い種族が良く来る所が良いわ。オークやゴブリンなんかが最高かもね。爪や犬歯がすぐ伸びて傷つけちゃうから」

 ミストナの閉じた瞳から一筋の涙が流れ落ちた。

(例えこの身を汚してでも、私は仲間あんた達を守るわ……)

「ミストナさん」

「何よ。早く連れて行きなさいよ」

「何を勘違いしているか分かりませんが、被害額の請求はしませんよ」

「へ?」

「落ちた理由は今となってはどうでも良いのですよ。全ての原因は完全なる幸福の届け人パーフェクトオーダーにある、という事でアニマルビジョンこちらが話をつけましたから」

「……なるほど。なるほど」

「はい」

「うん。そうきたか」

 ミストナはなるべく澄まし顔を装って、テーブルの配置をいそいそと元に戻した。

「じゃあ改めて……そのお姫様の話とやらを聞かせてもらおうかしらねっ!」

 赤面を吹き飛ばすような威勢を張り上げて、ミストナはソファに座り直した。

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