2.恋愛感情
仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。
「矢野くーん」
ちあは見慣れた人影に声をかける。
「ん?あ、おはよ」
「うん、おはよー」
席は離れているし、なかなか話す時間もないのだが、昼休みは体育館近くの木の根元で会うようになっていた。始まりは、四時間目の体育をさぼって木の根元に座り込んでいる矢野を見つけたちあが、いつもより早い時間に終わった授業後に声をかけたこと。
昼休みだからとその場にとどまる矢野の隣で、ちあは「ここは風が気持ちいいね」と言って、そこに座った。他愛のない話をして、昼休みが終わる少し前に更衣室で着替えて教室に戻ったのだが、その日以降、昼休みはそこに行って話すようになっていた。
金曜日。
「今日、泊まりに行ってもいいかな?」
ちあは矢野と急激に仲良くなり、泊まりに行くことも何度かあった。
たいていは、ちあが家族とけんかして帰りたくないから泊めてほしいとお願いすることでお泊り会が発生していた。
「どーぞ。ま、僕はゲームしますけどね」
「いーよいーよ。帰りたくないだけなんで」
二人の距離が急激に縮んだ理由もここにあった。
「おじゃましまーす」
「どーぞ」
勝手知ったる人の家。ちあはいつものように床に荷物を置いて座る。
「ね、宿題やろ」
ちあが学校で終わらせることのできなかった宿題をカバンから取り出していると、矢野は「あー、もう終わらせました」とゲームのスイッチを入れた。
「早い」
ちあは恨めしそうにその姿をじーっと見て、すぐにあきらめた。
矢野は、何でもできるわけではないが呑み込みが早く、勉強はわりとできる方だった。
夜。シャワーを借りて服を着替えたちあは、ドライヤーを借りていた。今は矢野のシャワータイムだ。
髪を乾かし終えたちあは、ベッドに転がった。
「ふぁ~……、眠い……」
その時、矢野のスマホが光った。どうやら電話が来たようだ。
「……矢野くーん。電話なってるよー」
シャワー室に向かって声をかけると、水の音が止まった。
その後、シャワー室から出てきて、スピーカーモードにして電話を始めた矢野。ちあは、会話を聞きながらダメージを受けて目がさえてしまった。。
普通なら他愛のない会話というかお悩み相談や愚痴でしかないのだが、自分とは関係ないところで起こっていることであるのに、自分の経験やトラウマに似通ったものがあり、会話と自分を重ねてダメージを受けたのである。
そして、その電話は朝まで続いた。
「あー、俺も彼女ほしー……」
それは、何度も聞いた言葉だった。いつも、「作ればいいじゃん」だとかいう適当な返事をしていたのだが、ちあもメンタルがボロボロだったその時ばかりはそう言えなかった。
それでも、一度や二度は「作ればいいじゃん」「作りなよ」と返事していたのだ。けれど、三度目。とうとう、ちあは言えなかった。
「……ごめん。今は、彼女ほしいとか言わないで」
「え?なんで?」
ちあは、言ってしまってから「しまった」と言葉を止めた。
しかし、一度出た言葉はなかったことにはならない。
ボロボロのメンタルでは、上手な言い訳が浮かぶこともなかった。
「……じゃあ、これは、今だけはまじめな話」
顔を見られないように背を向け、両手で顔を覆いながら、ちあは言葉をつづけた。
「いつも、冗談っぽく、クラスでは矢野くんが一番好きって言ってるけど、あれ、本気なんだよ。友達だからとかじゃなくて、本当に好きなの。だからさ、そう何度も「彼女ほしい」って二人の時に言われると、「お前は対象外」って言外に言われている感じがしちゃうからさ……」
ちあは、泣き出しそうな気持ちを抑えて矢野に告げた。それはほぼ、告白の言葉のようなもの。
「え……?」
矢野はその言葉に困惑せずにいられなかった。
そして、今までのことを思い返す。矢野はちあに色々な話をしてきた。過去の恋愛や最近仲がいい女の子の話なんかも。
「ごめん……。ごめんね……。こんなこと言うつもりなかったの。困らせたくないし。でも、今回は、ごめん。さっき君が電話でしてた話、自分に重なるものがあって……。今、情緒が安定してないの」
二人の間に流れるのは沈黙。
次第に脳が冷静になってきたちあはまた、言葉を重ねた。
「ごめんなさい……。困らせたよね。返事はいらないから。今まで通り、友達として仲良くしてくれたらそれでいいから。ほんとに、ごめんね」
「いや、それは……」
「今の発言はなかったことにしてくれていいの」
距離感が、心地よかったのかもしれない。
話すことが楽しくて、うれしかった。
話を聞くのが楽しかった。
自分の知らない世界を知っている。その世界を見たいと、そう思わずにはいられなかった。
出会って一か月半。でも、初めて会った日から数日で、ちあの中にはもう、恋心は芽生えていた。
それからは、本当に早かった。
声が好き。匂いが好き。見た目も好き。センスが好き。手がすき。優しい雰囲気のその瞳が好き。
気づくものすべてが好きだった。
ちあはずっと恋愛をしてこなかった。中学卒業後、中学で一番仲良しだった後輩を好きになったけれど、昔好きだと言ってくれたその子を自分が好きになるころにはその子にはすでに可愛い彼女ができていた。
けれど、ちあは気づいていた。本気で好きなわけではないと。
自分に好意を寄せてくれるから好きになったというだけ。見た目をかっこいいと思ったこともなかった。本気で好きになれる対象じゃなかったから、自分も恋愛感情で好きになれるまでに告白されてから三年という長い月日がかかったんだ。
初めてだった。すべてがこんなにもいとおしいのは。
そして、いや、だからこそ。
ちあは矢野に幸せになってほしかった。
可愛い彼女を作って、自分にのろけてほしかった。幸せな姿を見せてほしかった。
何でも話せる友人というポジションでよかった。それ以上を望むことは許されないと、自分で思っていたから。
大丈夫。諦められる。今までと変わらない。
……その、はずだった。
「今は返事できないけど……だからって、なかったことにするのは、悪いよ」
一言で、ばっさり切ってくれたら。まだ、よかったのに。
なかったことにするわけでもなければ、バッサリ切るわけでもなく。
一番つらい。心が締め付けられる。
それから、いつの間にか、二人とも寝てしまっていた。
次にちあの目が覚めた時、ちあの中に渦巻いていたのは恐怖だった。
もう、一緒にいられないかもしれない。
お別れかもしれない。
返事なんていらないから、彼女ができるまででいいから、隣にいたいのに……幸せになるところを見届けたいのに。
このままきまずくなるの?そんなのやだ……。
そんな恐怖にさいなまれていた。
そして、心の奥底に住む何かがささやいた。
寒くて抱き合って寝た時のように、また、抱き合えばいい。恋愛感情を抜きでも今までやれていたことを、また同じように恋愛感情抜きでやってしまえばいいのだ、と。
そんな声に耳を澄ませていたら、不意に矢野の起きる気配がした。ちあが矢野の顔の方を見ると、パチリと目が合った。
「……ねぇ……ぎゅってしてくれませんか……?」
口をついて出た言葉はいつも通りにはならなかったけれど。
矢野はその言葉に応じてちあをぎゅっと抱きしめた。
ちあは息苦しいほどに強く抱きしめてくれた矢野に、泣きたくなるのを必死にこらえた。
そして、強い力が抜けたとき、矢野の腕の中で体を半回転させ、矢野に背を預けた。
―――矢野くん、困らせてしまってごめんなさい……
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