第5話 aurora@1

 制止する冷たい空気が、動いた。寝ぼけ眼に、白い影が三つ映る。


「おはようございます。もう朝ですよ」


 学校ジャージの姿をしたスティアが、酒場の扉を叩いて覚醒を促した。その傍には、スティアとも似た白髪に、緑色の瞳を抱えた少年と少女が手を繋いで、スティアの両脇を埋めて、つんとした鼻をひくつかせる。


「おはよう。レジーナ達は?」


 了が尋ねると、スティアは首ふるふると横に振った。


「レジーナさんはおそらく熟睡していたお三方を置いて先に帰ったのでしょう。南さんは知りませんが、多分、奥の部屋の方で寝ているのではないでしょうか」


 呆れたような、そんな表情をすると、スティアは通学鞄を持ち直して、両隣の二人を酒場の中に推し入れる。


「ヒヨさんが上でカフェの開店準備してます。朝食も用意してありますから、食べてとっとと昼間の仕事をしてください。ナミとナギはもうストックの方を食べましたから、置いて行きますからね」


 淡々と、業務報告を連ねる彼女は、そう言って、踵を返す。ほわほわとまだ眠たげな三人と、スティアを見送るように手を振る二人の少年少女が、酒場に取り残されていた。


「とりあえず、上、行くか。ナミ、ナギ、奥の部屋で南が寝てたら起こしておいてくれ」


 晶がそう言うと、ナミとナギと呼ばれた二人は、うん、とだけ言って、奥の扉を引いて開ける。パタパタと音を立てて、何処か部屋の中に入ったのだと思われた。二人は鼻がよく、南が何処かの部屋にいるならば、すぐにそれを見つけ出すことだろう。


「結局、あの少年は目を覚ましたのかね」


 夜が一言置くと、了と晶が顔を見合わせた。


「もう目覚めても良い頃だろうけど、そういえば、臭いがおさまってるな」


 了が自分の鼻を指してそう言う。確かに、あの獣のような、腐った生肉のような蠅の集る異臭は既に薄れていた。

 不思議に思いながらも、三人は酒場の出口に向かって階段を上る。カツン、カツン、と、ゆっくり日差しを飲み込むように地上を目指す。施錠用の鍵をチャリチャリと言わせるのは、夜であった。三人全員が地上に出たことを確認すると、夜は鍵束から二つ鍵を取り出して、一つはドアノブに、一つは地面付近の鍵穴に差し込んで回す。

 ふと地面を見ると、昨晩三人が作った、タイヤからの熱による地面の黒い筋が、くっきりと残っていた。


「あれだ、あの少年の話のついでに、管理課に隠蔽頼んどくか」


 夜が運転手であった晶を小突いてそう言った。頭を平手打ちされて、夜ははいはいと少し困ったような笑顔で、地上階のカフェの入り口を見る。まだ開店まで暫くある酒場の上のカフェでは、店主である片山かたやま比寄ひよりが、食器類を磨くなどしていた。こちらに気づいたらしい片山は、歯を見せて威嚇し、早く入れと口をパクパクとさせる。

 カランカランと扉の音が鳴る。まだ「closed」と書かれている札を動かさず、三人はおはようございますと笑う。


「昨晩の話は聞いている。カズがグラス代の分をキッチリ働かせろと言っていた。今日はキビキビ働いてもらうからな。わかったら早く飯食え。スティアが作っておいてくれてる」


 女のようにも見える冷淡な美しさを持つ片山は、酷く冷静に、三人にそう突き付ける。皿の上にはまだ温かいホットサンドが載せられていた。


「コーヒーと紅茶、いつも通りで良いな」


 至極面倒くさそうに、片山は両手に冷め始めた三つのカップを持って、席まで移動する。一番奥の、外から見えにくい仕切られたテーブル席。そこが、店員としてアルバイトをしている三人の特等席だった。

 敷居の向こうを見た了が、突然立ち止まった。


「どうした、了」


 晶が問うと、了は皿を持たない手で、その方向を指さす。その先には、昨晩の異臭の根源、あの、孔雀の瞳を持った少年が、一つの席を陣取り、山のように盛られた握り飯を頬張っていた。





————同日、全く別の場所。亥島にある唯一の高校である私立黒稲荷高校では、二学期の期末試験の最終日を迎えていた。これさえ終わればあとは冬休みだと、生徒達が和気藹々と、少ない教科書を手に、廊下を歩く。皆が、指定された教室に向かう。その中で、スティアは暗記ノートを目の前に、まだ暫く時間のある試験会場で席についていた。

 暫くして、他の生徒も教室に入って来る頃、一人の輝くような少女が、花の香りを纏って、スティアに近寄る。


「喰ちゃん! おはよう! 今日も早いね! 気合入ってる?」


 その少女はクスクスと朗らかに笑みを浮かべて、スティア、喰の目の前を陣取った。喰は彼女の青天のような瞳を見る。


「マリア、近い」

「うふふ、ごめんなさい」


 マリア、マリアンネ・ルートヴィヒは悪びれも無く喰の顔を見ていた。マリアは喰の暗記ノートを指で少しだけなぞる。


「今日ってこの一教科で終わりだよね。後でカフェに行く? それとも他に何か用事ある?」


 喰に尋ねるマリアは、少しだけ心配そうな、狼狽える様な表情であった。


「……マリア、アリョーシャさんからまだ何も聞いてないのか。昨日、酒場の方で少し騒ぎがあったんだ。管理課の方にも関わる案件のはずだ。そのうち、テストが終わったら集まれとでも連絡が入るはずだぞ」


 喰は表情筋をあまり動かさずに、ノートのページを捲る。マリアは手で口を押えて、自分のスマホを見た。


「そうなんだ。じゃあ、葉月君も集合するのね。あ、でも、彼の今日のテスト、午前最後まであったはずだから、先に一緒に行った方が良いよね、喰ちゃん」


 自分が、マリアが指す、一緒、の先らしいと考え付いた喰は、首を傾げて、ポリポリと頬を掻く。


「できれば、出来ればそうしたいんだが。多分、難しいと思う」


 困ったように喰が言った。その目線の先、テスト開始の近い廊下から、バタバタと革靴で走る足音が聞こえた。


「喰! 課題のノート写させて!! 二時間で返すから! あ! テスト終わってからで良いよ!」


 黒と金を混ぜた髪が、青と赤の瞳を光らせる。その青年は、怒りを顔に出した喰を一目見て、口をきゅっとつぐんだ。


暁星あけぼし! 課題は!! テスト前に!! やらないと!! 意味が無いんだよ!!」


 マリアの隣で、般若の形相で暁星、千宮せんのみや暁星あけぼしを怒鳴りつける。喰は咄嗟に逃げようとする暁星の首根っこを持って、席に座らせた。暁星は自分の髪を掴んで離さない喰を見上げ、フルフルと震える。


「毎度のことだがな! お前は少し学ぶということはないのか! いつもいつも尻拭いするわけじゃないんだぞ私は! 自立しろ! 毎回毎回頼るな! 夏休みの課題なんてマリアの手まで借りやがって! お前はいつになったら一人で課題提出するんだ! アホ!」


 暗記ノートを暁星の机に叩きつけ、バシバシと音を立てる喰の勢いは止まることを知らない。


「喰ちゃん、もうテスト始まるから、ね?」


 マリアが喰を止めようと優しく声をかけるが、もう二人とも聞こえていないらしく、微動だにしなかった。テスト準備のチャイムが鳴る。暫くしても、やって来るはずの監督教員は時間ギリギリにも入室しなかった。後のことではあるが、テスト開始時間になっても、この教室に教員が現れなかったのは、彼女の怒気が廊下まで漏れ出、監督教員が入るに入れなかったからであった。

 本来の開始時間を大きく遅れて、マリア達の三年生二学期の最後のテストが開始された。




 その正午頃、昼休みのチャイムが鳴った。冬休み前最後のテストが全て終わり、多くの生徒が黒稲荷高校から下校していく。その中で一人、葉月はづき千歳ちとせは、白い息を吐きながら、三年生の教室に足を向けていた。まだ少し生徒が残る教室の中、一回り大きい先輩達を見上げて、葉月はその中の一人に声をかける。


「ルートヴィヒ先輩、いますか。の話があって来たんですけど」


 冷淡に言葉を連ねる葉月の問いに、学ラン姿の青年は、あぁ、と指を指す。その指の先には、黒い殺気を放ちながら、暁星にノートを取らせる喰と、それを応援するマリアいた。あれだけの殺気を目の前にして、それなりに早くペンを動かせる暁星に少しの関心を持って、葉月は溜息を吐く。


「マリアさん」


 葉月は机を掻き分けて、マリアに近寄る。マリアは、あっと声を出して、葉月を手招く。


「丁度良かった。もう少しで終わるから、待ってくれる? 喰ちゃんも一緒に行くから」


 マリアがそう微笑むと、葉月ははあっとまた溜息を吐いた。


「今回は僕達の仕事なんですから、そいつ関係ないじゃないですか。置いて行きましょうよ」

「ううん、喰ちゃんも今回は目撃者の一人だから、着いて来てもらわないといけないみたいなの。だから、本当に、ちょっとだけ待ってて」


 心底嫌そうな顔をして、葉月は喰を見る。葉月は自分のスマホを取り出して、その文面を見た。それには、マリアと共に酒場に来いとしか書かれていない。だが、マリアが嘘を吐くこともない。故に、また、連絡役が連絡をし間違えたのだろうと納得する。

 暫くして、暁星が机にへたり込んだ。ドーピングが切れたように、彼は少しボロボロになった課題ノートを震えながら喰に差し出した。


「大学から出てる課題は頑張るので許してください……」


 暁星は弱々しくもそう言って、喰を見る。喰はフンッと鼻で蹴散らして、ノートを受け取り、傍で待っていたらしい回収係に、二人分のノートを投げた。


「マリア、終わったぞ。行こう。ん? あぁ、葉月もいたのか。小さくて気付かなかった」


 機嫌の悪さも相まって、意地悪く、喰はそう言って、葉月を見下す。マリアが押し黙って、二人の間に立つ。しかし、始まった二人の睨み合いは、三人が酒場に着くまで、黙々と続けられた。

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