第4話 omnibus@1

 ふと、トントントンと、店の奥から体重が足で階段を下る音がした。少し焦るような、そんな速度を聞いて、クイーンが溜息を吐いた。


「もう終わってるわよ。良いから寝てなさい」


 扉が開いた瞬間、レジーナが呟いた。その目線の先、スティアが目を見開いて扉から顔を出している。唖然とした表情の彼女が、レジーナへの言葉を模索する。その様子を見て、カズが口を開いた。


「襲撃があった。多分、了達が拾って来たあの少年が原因だ。夜と南がこれから遺留物の鑑定をする。お前が出る場面じゃない。ゆっくり休め」


 説明は後でする、と付け足して、カズはスティアを見つめる。少し黙った後に、スティアは階段を降り、扉を閉めた。皆の傍に寄ると、腕を組んだ。それなりに大柄な成人男性を軽く超す身長が、スティアの鋭い目に更なる威圧感を加える。


「眠れないなら何匹か猫でも貸すか?」


 難しそうなスティアの表情に押し負けることもなく、カズは自分の影を指さす。そこからは、ニャーと一声鳴いて、すらりとした肢体の黒猫が這い出た。すりすりと喰のジャージの裾に頭を擦り付ける。


「そうじゃありません。私にも仕事をください。重要なことが起きたのでしょう? 学生だからって省かないでください。どうせ、今のこの学生生活に意味はありませんから」


 そう言って、スティアは足元の猫を抱き寄せて、顔の近くまで持っていった。問答を推し進めるように、猫がナアと鳴く。


「……確かに、そのうち、ここでの生活は意味が無くなるかもしれない」


 晶がそう呟いた。だが、と続けて、了が言葉を繋いだ。


「それでも、お前や他の学生達が学校で真面目で居てくれないと、学校の情報が上手く集められない。明日お前が朝遅れて、あちらでの情報を聞き逃したら、それだけでロスになる」


 落とした言葉を、スティアは拾い上げたらしい。猫の頭に鼻を埋めながら、溜息を吐いた。そのまま猫を吸うように、深呼吸をする。もう一度目を見開くと、付け足すように吐いた。


「明日、帰ってきたら報告お願いします……それと、この子、お借りしても?」


 勿論、と、カズがスティアの頭を撫でた。そうすると、大人しく、くるりと背を向けて、猫を抱いたまま奥の扉に吸い込まれるように進んだ。

 鼻で溜息を吐いたレジーナが、了と晶を見た。三人で目を合わせると、すぐに、南に衣類を手渡された夜に迫る。


「で、見えるの?」


 レジーナの突飛な質問に、夜は少し困った様子で頷いた。


「縁は見える。だが彼女は下請けだ。指示で動いていただけ。雇い主とやらがわからない。推論を言うならば、多分、あの少年を運ぶはずだった先」


 夜がそう唸るのを、南はソファに寄り掛かりながら、飲みかけだったココアを啜って見つめる。そして、首をかしげて、一言呟いた。


「つまり、何もわからないわけだ。用心深いね。暫くは似たような襲撃に備えようか」


 南の微笑む先、双子とキングとレジーナは頷く。夜はもう一度遺留物を見つめて、そこかしこを触った。


「ポケットの中に物品も無い。カズさん、女が持って来た紙切れは?」


 ほれ、と、カズが夜にぺらりとA4の紙一枚を与えた。そこには複数の日本語であっただろう文字化けした何かの羅列があった。夜は眉間に皺を寄せて首をかしげる。


「酷いなあ。呪術どころじゃないな。魔法に能力に術式がぐちゃぐちゃだ。わざとだろうけど、流石に、管理課に委託だ。これは一人じゃ無理」


 撫でつける紙面に、ぐるぐると唸る。テーブルの一つに用紙を置いて、飲みかけのココアを夜は一口啜った。冷め始めたそれは、あまり体の疲れを癒すには至らない。

 困り果てた表情の夜を見て、レジーナが溜息を吐いた。そして何かを思い当たったように、了に目を合わせる。


「アンタ達、さっき、あの男の子のことを知っているみたいに喋ってたけど、何か知ってるなら吐きなさいよ」


 ねえ、と、レジーナは詰め寄った。赤い瞳同士が線で繋がれたように焦点を合わせる。答えに淀む了は、辛うじて口を開いた。


「子供の頃、僅かだが顔に見覚えがある。でも、俺にとっては十数年前の話だし、その時から歳を食っていないのはおかしいし、似ている奴に出会った時の、あいつは、あんな死体のような体じゃなかった」


 それに、と付け足すように、了がまた呟く。


「重複した存在なのかもしれない。確実に関係があるとは限らない。ああいう状態の人間も、似たような奴ならこっちに来てすぐに見たことがある。ただ、それは運ぶための術式で、仮死状態のようなものだ。今は眠っているだけだから、そのうちに起きて話が聞けるようになると思う」


 吐き出した言葉の一つ一つを、反芻するように、晶もうんうんと頷く。その隣でキングが黙って部屋の方向を見る。ふうん、と鼻を鳴らしたレジーナが、突き飛ばすように言った。


「隠し事はしても良いけど、嘘は吐かないで頂戴よ。何度も言うけど、私、嘘は嫌いなの」


 ひらりとスカートと長い黒髪を靡かせる。靴の踵を鳴らして、レジーナは店奥の扉のノブに手をかけた。


「何処に行くんだ」

「あの少年の所よ。様子を見たいの」


 晶の問いに適当な言葉で解したレジーナは、そのまま扉を開けて、温もりの廊下に消えていく。


「あぁ、じゃあ、僕も様子見てきますね。体、汚いみたいだったし、少し拭いてあげようかなって」


 南が続いて、棚の中から数枚のタオルと、温そうな湯をたらいに入れて、扉の中に消えていった。それを手伝うつもりか、キングもそれに繋がって店から逃げるように消える。

 残された了、晶、夜は、ソファの背に凭れかかって、疲れを空間にまき散らすように関節を溶かす。カップを洗い、鼻で溜息を吐いたカズが、煙草に火を付けながら、三人の前に座った。


「……疲れたなあ」


 夜が呟く。それに文句をぶつけるように、晶が最早自分のかもわからなくなったカップを突きながら、ひとりごとを返した。


「月読の化身が何を言っているんだか。神の化身の癖に、ちょっと能力使っただけでダラダラかよ」

「神の化身って言ったって、体は人間だからね、俺」

「カズさん手伝う用に強化して生み出されてるって、前に自慢してただろ」

「怪我と病気に耐性があるだけだよ。ねえ、カズさん?」


 煙草を咥えたカズが、んー? と、肺に煙を満たしながら、その答えを待たせる。ようやく煙と共に吐き出された言葉が、テーブルに置かれていく。


「俺は『俺レベルの体力を持った、うちの義弟レベルの美男にしてくれ』って注文したんだけどな。どっちも掠りすらしなかった」


 冗談かどうかは知らないが、カズはそうやって夜を言葉で突き回し、また煙を吸う。少し甘い、妖美な香りの巻き煙草であった。


「義弟と言えば、スペルビアとアケディア、何で今日いないんだ?」


 了がふと、仲間内の二人を思い起こす。スペルビアはカズの義弟であり、アケディアはその彼と常に同伴する、了と晶の義兄であった。いつもはよく酒場に顔を出して、飲んでから自宅に帰っていたが、今日に限っては見えない。


「スペルビア、ここ最近、クリスマスが近くて仕事多かっただろ」


 それでだろう、と、カズが次の煙草に火をつける。


「ということは、二人でホテルか。お盛んなことだな」


 さらりと晶が呟いた。男同士のそれ、そういう関係である二人を思い浮かべて、夜は更に体を深くソファに沈めた。


「大丈夫だとは思うけど、あいつ等の所に襲撃が来ると怖いな。ホテル街って、野良の能力者とか、暗殺業者もいるし」


 夜がそう言って、誰もいない左側に、上半身を傾けた。そのまま目を瞑ると、眠りに落ちようとしているのか、手で枕を作り、息を薄める。


「大丈夫だろ。アケディアいるんだぞ。スペルビアに近づいただけで木端微塵にされるわ」


 晶が唱えた信頼という恐怖心に、あー、と、一同は賛同の声を上げる。夜が更けていく。


 朝を迎えるころ、様子を見に行くと言って奥に戻った三人を待っていた四人はソファにひっくり返りっていた。待ち望んでいた三人にかけられた毛布を寝ぼけて床に落とし、朝の寒さと店への扉を開いたスティアに叩き起こされ、地下に辛うじて差す入口の窓の光に、目を瞬いた。

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