第3話 cardia@1
了と晶は、実に悪意に過敏であった。相手が何者かもわからぬうちに、女を二人がかりで地に伏せる算段を立てる。別生命体であるはずの二人は、同じ思考で、同じ動きで、女の肩を掴みかけた。
「了! 晶! 動かすな!」
キングの叫び、二人はその声のままに女を動かさず、触れる直前で動きを止めた。
「座標ずれは厄介だ」
そう呟いているキングは、右の目玉に手を当てて、擦るように、抉るようにぐちゅりと音を立てる。それに気づいた女が、その行為を止めようと、了と晶の間を潜ろうとした。
だが、もう遅いと言わんばかりに、了が女の首を掴み、瞬時に動きを止める。
「首が落ちても知らねえよ?」
べっと舌を見せて、了は女の顔を覗く。次の瞬間、空間が歪む。どっしりと重く圧し掛かる空気は、そこにいる全ての人間に感じられていた。
幸い、誰の首も落ちていない。失うは王の目のみ。その様子から、キングが何か、魔法か能力のようなものを使って、右目を媒体に、この異空間を作ったのだとわかった。
景色は騒乱。誰かのおもちゃ箱のように、誰かの夢のように、乱雑なモチーフを疎らにまき散らしたそこは、空も大地も空間も、寂れて赤く見える。
「あの部屋を壊したらまた怒られるからなあ」
ケラケラと笑って、女を前にするのは、夜であった。女は一歩身を引いて、了と晶からは既に距離を取っている。だが、それを二人は黙認しており、何処か、まだ、殺気は薄らいでいる。
女の挙動と言えば、余裕綽々というようではなく、瞬時に移動させられたこと、敵陣に今、一人でいるということを以って、不振に陥っていた。
「……俺達のやり方までは聞いてなかった感じ?」
女の様子に、夜がそう問いかけた。だが、女は何も答えない様子で、ただ、立っている。
「答えてくれなきゃ帰せないよ。俺達だって無暗に敵を作るわけじゃない。アンタらに何か重要な理由があって、あの子供を連れて行きたいなら、ちゃんと応じるからさ」
悪意を消す。夜は他の了や晶、キングなどとは別で、ハッキリとした意識を女に向けていない。女は探ろうとするように、やっと口を開いた。
「……貴方達に理由を言う必要はない、と、伺っております。兎にも角にも、あれを回収することだけが必要とされていますので」
他人の示唆を落として、女はもう一歩下がる。それを合図にか、レジーナが、キングの隣から早足で女に迫った。驚きの表情を見せる周囲を他所に、レジーナは一瞬逃げようとする女に、一声放つ。
「逃げるな。座ってろ」
その途端に、女は、庭園に置かれたティータイムセットのようなものの一つに座らせられる。茶菓子も無ければ紅茶もないが、椅子とテーブルだけが、二人分用意され、その一方は未だ空いている。
「埒が明かない。お見合いパーティーじゃないのよ。お互いの妥協点を見つけるなら、話すしかないわ。幸い、私達もあの臭いやつについて、まだ何も知らないの。渡した時のこちらの利益が最大限であるのなら、そのまま差し出してもいい」
手札の提示に答えをと、女は口を動かした。だがそれを遮るように、レジーナは椅子に乱暴に腰かけて、溜息を漏らす。
「真名でなくても、名乗りくらいしなさいよ。おばさん」
軽い挑発を、女は飲み込むように、レジーナと似た溜息を吐いた。
「っ……水仙、と呼ばれています」
詰まる息をするだけ邪魔だと、女は覚悟を決めたように、腰の位置を直した。レジーナ以外の男達は、カズと南を除けば皆空間の中でレジーナの背を見ている。見渡せば、カズと南はこの空間からははじき出されていることが分かった。
「そう。水仙さん、お話合いのことで、一つルールを敷きたいんだけど、よろしいかしら。そんなに難しい事じゃないし、極々常識的なことよ」
否を言わせぬレジーナの語り口に、水仙は口を開ける。
「えぇ、良いでしょう」
水仙の言葉に、レジーナは口元を抑えて、目線だけで合図を送った。隠していても、彼女の口が動いていることは、顔の動きでよくわかる。
「隠し事はしても、嘘を吐かないこと。それだけよ。約束、してくれるわよね?」
一息飲んで、水仙は、はい、と了承を言葉に示す。そうするとまたレジーナは唇を指でなぞって、赤い瞳をてらめかせた。
「失礼。私の名乗りがまだだった。私は
提示した札を、慎重に選ぶように、水仙は首をかしげる。問の答に迷いつつある。素性を知られるべきでない立場であることは、それで明白であった。
「……出身は毒花の末端ですが……今はそれとは全く別の機関に所属しています」
嘘ではない。約束をたがえてはいない。レジーナは一つ考えごとをするようなフリをして、後ろに指で合図を送った。その様子は水仙には知られているようで、そもそも隠してすらいないそれで、呼ばれたのは了と晶であった。
「……悪いが俺はこいつは見たことは無いな。宮家では間違いなくないとして、管理課でも魔女でもないだろう。多分、別のグループ」
晶が水仙を見ながら、クイーンにそう伝える。その様子を、水仙は苦虫を潰した様な表情で睨みつける。
「つまりあの汚物も宮家のものでも管理課のものでも、魔女のものでも無いのね。不思議だわ。宮家以外がどうしてあんな封印をして、一体誰が何に使うのかしら」
独り言の様子で、聞かせるように水仙に語る。レジーナは顔を傍に置く晶の目線を、水仙に一直線に向けた。水仙からは、その瞳が酷く作り物のように見えた。もう一方の黒髪赤目の青年と、表情や骨格から、双子ではあるはずだが、どうも、持つ雰囲気が全く異なる。
「さあ、何に使うかは私には伝えられておりませんので」
気丈に、水仙はふるまう。またしてもこれは嘘ではない。彼女は末端であった。運ぶだけである。持って帰ってこいと言われただけなのだ。その実情に、レジーナは溜息を吐いて、テーブルに足をかけた。長いスカートが、揺れた。
「……じゃあ保留ね。明け渡すことでどうなるかわからないんじゃ、私達の利益も見えないわ」
どういうことだと、水仙は眉間に皺を寄せる。その様子を見て、レジーナは嘲笑するが如く言葉を続けた。
「悪いけど、金も地位も、うちには欲しい人が誰もいないの。だって十分に保証はされているから。だから、私達が欲しいのは、身の安全の保証。これだけはこの世界では、いくら金と地位があっても、私達には全くと言っていいほど無い」
つらつらと連ねる言の葉は、どろりと溶けるように、水仙の耳に入ってい
「私達は能力者のグループ。能力者が複数人で組むということは、敵対組織や強力な敵が存在しているということ。私達の身の安全とは、それらの動きや目的を把握し、危険な場合は阻止すること」
レジーナの目は赤く光っていた。血に染まるような、怪しい夕日のようである。水仙は既にそれに引き込まれていた。
「宮家でもなく、管理課でもなく、魔女でもないということは、それは私達とは別の組織に身を置くということ。それは、私達と敵対するということ」
語り口は止まない。寺の鐘が鳴るように、水仙の耳には、うるさくレジーナの言葉がこだまするようであった。
「正体不明のものを、あんなに厳重に封をされたものを、呪物と思わず何と思う? それを使うということは、何か、大きな事態を引き起こすということ。もし目的が私達と同じであれば手伝えるでしょう。でも、そうじゃないなら、私達はあれを渡せない」
レジーナが一つ言い切ると、水仙は溜息を吐いて、彼女を見た。
「悪いのですが、真に、私は、あの子供の使い方を知りません。買って来いと言われただけです」
水仙がそう言うと、レジーナは再度、考えるふりをする。そのうちに、後ろのキングと夜も、集まり始めた。
「……じゃあ、こうしましょう。それがわかる人を連れて来て。勿論、護衛が居たって良い。私達と反するときは、戦争になるでしょうけど、それを見越して貴方達が人を多く連れてくればいい」
レジーナは舌なめずりでもするように、水仙を見た。そして、再度置いた。
「もし都合が合えば、敵陣で自分達に反する敵を潰せるのよ? 良い機会でしょう? わざわざ奇襲をかけることもしなくて良いのだし」
女王はそうやって、一輪の毒花に問いかけた。水仙は深く考える様な素振りをして、椅子から立ち上がる。
「……良いでしょう。交渉してきま――――え?」
――――唐突であった。女の体が、その陰に引きずり込まれる。ずるりずるりと手が浮かび、女を既に半分、闇の中に取り込んでいった。
「なっ……何、これは! これは!」
水仙の驚いた声に、レジーナは反応しない。酷く冷めた瞳で、女王は道端の花を見た。
「嘘つき。だから毒花って嫌なのよ」
飲み込むは影。飲み溶かすは赤子の声。暴食の魔闇に、水仙は食われていく。テーブルと机は既に影に溶け、夜が笑っていた。皆、立ち去ろうとする中で、キングだけが最後まで手だけになった女を見ていた。
王の異界が壊れていく。それは異界の存在理由が消えたことを差していた。先程までココアを飲んでいたあの暖かな空間が見えた。
「おかえりなさい」
にへらと笑う南が、足元の服や物品を畳んで、夜に手渡す。それがあの女のものであることが、ごく自然に、皆、理解できていた。
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