第4話 烏の瞳



 情報の時間にパソコンがマルウェアに感染したという、衝撃的な事件が起こってから、3日が経とうとしていた。

 被害にあったパソコンは、マルウェアがどのような挙動をしたか調査するフォレンジックにかけられるとかで、業者に引き取られていったようだ。他のパソコンには被害はなかったようだが、しばらく情報の授業は休みになった。


 あれから、マルウェアをダウンロードしてしまい涙を流していた女子、 小山内おさない 柚月ゆづきさんは体調不良とのことで、ずっと学校を休んでいる。自分のせいで大変なことになってしまったと、気に病んでいるのだろう。

 彼女にメールの添付ファイルを開くように言ってしまった、烏谷からすだに 瑠奈るなさんも同様に、今日も欠席しているようだ。


 そんな二人の状況とは裏腹に、クラスの他の皆はまるでマルウェアに感染したことなんてなかったかのように、いつもの日常を送っている。休んでいる二人を心配する声は時々聞こえてくるが、学校の備品が1つ使えなくなったところで、大して問題ではないと事件自体のことは気に留めていない様子だ。


 柊斗くんだけはまだ引きずっているようで、お昼の時に「怖いよなぁ」とか「お前なんであんな慣れてるんだよ」とか思い出したように吐き出してきて、僕はただ、あはは、と苦笑いを返すしかなかった。


 『WHITE MAGE’S CAVE』を見ていたからマルウェアの存在は良く知っていて冷静になれたというのはある。けど、そのことを柊斗くんに言ったところで、しょうがない。逆に「なんでそういうサイト見てて危ないってこと知っているのに止められなかったんだよ」と言われて胸が痛むのは目に見えている。

 止めようとしたけど、間に合わなかった、としか返すことができない。そんなのは言い訳で、間に合わずに感染してしまったという事実に違いはない。

 パソコンは最悪初期化すれば元に戻るが、ショックを受けてしまった人の心はなかなか元には戻らない。

 



 考えてもどうしようもないことでずっとモヤモヤする僕の悪い癖を発動していると、教室のドアががらっと勢いよく開いた。

 腰の少し上くらいまである長い黒髪をたなびかせながら、凛とした表情を浮かべてスタスタと教室に入ってくる女性が見えた。


 学校を休んでいた、烏谷 瑠奈さんだ。


 烏谷さんは今日は休みだと、朝のホームルームで言っていたが、どこか吹っ切れたような雰囲気からして、もう回復したのだろうか。


 彼女の姿を目に留めるなり、クラスの女子たちがぶわっと彼女の周りに集まった。

「瑠奈やっときたぁ〜!!3限あと10分くらいで始まるよ!」

「もう一生来ないかと思った!」

「ごめん。心配かけちゃって」

「パソコン1台くらいでどうってことないって。別に瑠奈が壊したわけじゃないんだしさぁ」

「ありがと。もう大丈夫だから」


 いつも通りにさばさばと受け答えする彼女を見て、少し安心した。

 彼女は、この2年3組の代表委員で、普段の対応はさらっとしているが相談等で彼女を頼ると親身になって聞いてくれると評判だ。しかも、長い髪にくりっとした二重のアイドル顔で隠れファンもいるらしい。戻って来てくれて、喜ぶ人も多いだろう。

 

「あいつ来たんだな。よかったな、湊太も結構気にしてたじゃん」

 突然声をあげる柊斗くんに、首を傾げる。

「いや、僕そこまで気にしてたっけ……?」

「ほら、”僕が彼女達を守れていれば……僕に力がなかったばかりに……”って騎士ナイト発言してただろ?」

「そ、それはそうなんだけど、騎士っていうのはちょっと恥ずかしいというか、なんか違うというか……」



 そんなやりとりをしていると、女子に囲まれていた黒髪の彼女が、こっちの方に向かって歩いて来た。最初、彼女自身の席に向かうのかと思ったが、彼女の大きな瞳が僕の顔を映していることに気づいて、背中がざわっとした。


「待って、柊斗くんが変なこと言うから」

 焦って柊斗くんを見ると、くくっ、と笑いを堪えていた。間島くんもそうだし、この人もそうだし、どうして皆女子に絡めて僕をからかってくるんだ。よく分からないけど、これもセクハラってやつじゃないのか。

 


「水無瀬くん、」

 ほんのりしたシャンプーの香りを纏った彼女は、背筋をピンと伸ばして「はい!」と返事をする僕を訝しげに見ながら、机に手を置いた。


 長いサラサラとした黒髪が、目の前で揺れる。


「後でお話があるの。放課後付き合って」



 その後、目が点になった僕を中心に、教室中がヒューヒューという冷やかし声と入ってきた先生の怒号で溢れたのは言うまでもない。









「呼ばれたのは湊太なのに、何でオレまで行かなきゃいけないんだよ」

 柊斗くんが使い古したネイビーのスクールバッグを気だるそうに背負いながら吐き出した。


 烏谷さんと二人になるのは恥ずかしいから、という本音を飲み込んでそれっぽい理由をつける。

「だって、例のマルウェアの話だったら、柊斗くんも気になるでしょ」

「それはそうだけどさぁ。オレ、烏谷みたいなタイプ苦手なんだよ」


 予想外の言葉に僕は「そうなの?」と、目を丸くした。

 柊斗くんほどのコミュ力の持ち主ならどんなタイプの人間とでも難なく仲良くなれると思っていたけど、苦手なタイプなんてあるんだな。

 烏谷さんは人と話す時、カラスのようにくりっとした大きい目で相手を真っ直ぐ見つめるから、確かに少しドギマギしてしまうかもしれない。良い香りもするし。



 「今までそんなに話したことねーけど、なんか心の中を見透かされてるような感じがするし、表情変わんねーし、気味が悪いんだよなー」

 ピアスを弄りながら口を尖らせる彼に、「まぁ、ミステリアスって感じだよね」と頷くと、彼は口角をにっと上げた。

「その点、湊太は考えてること全部表情に出るから、一緒にいて気が楽だわ!」

「それ、僕、喜んでいいの……?」

「当たり前じゃん。それも才能だって。他の一人でもできないことで、自分にできることがあったら、どんな些細なことだって胸張って誇れよ」



 ……才能か。考えてみると、朝家族に起こされなくても一人で起きれる人は心底尊敬するし、どの授業でも眠いそぶりも見せずにしっかり目を開けて話を聞いている人なんて、天から唯一無二の物凄い力を授かったとしか思えない。何か大きなことをしなくたって、そういったことでも僕から見たらすごい才能だ。 


 そして、僕が持ってないものを、僕のすぐ隣にいるこの男はたくさん、羨ましいほどたくさん持っている。


「そんなこといったら僕から見た柊斗くんなんて才能だらけで眩しいくらいだよ」

「それはこっちのセリフだって!湊太のこと、結構尊敬してるんだぜ」

「柊斗くん……!」

「湊太……!」


 僕らは固く手を握った。


 窓から差し込む夕日が僕らを色づかせ、頭の中では、音楽番組でよく聴く青春の曲が流れていた。





「遅くなってごめんなさい!急に委員の仕事が入ってしまって。……お邪魔したかしら?」

 青春映画のワンシーンのような雰囲気に入り浸っていた僕らは、息を切らして教室に飛び込んできた烏谷さんによって急速に現実に引き戻されてしまった。


 柊斗くんは、やれやれといった感じで握ってた手を離す。

 「せっかく男の友情ってやつを噛み締めていたのに、これだから……」

 

 対する烏谷さんはそんな言葉など聞こえていないように不思議そうな表情を浮かべる。

「私が呼んだのは水無瀬くんだけなのだけれど。何で天城くんまでいるの?他にお友達いないの?それとも暇なの?」

「はぁ!?」

「違うよ烏谷さん、柊斗くんは友達たくさんいるし予定もいっぱいあるんだけど僕が無理やり……」


 僕のせいで彼のイメージが悪くなってしまったらたまったものじゃないと、必死で弁解しようとする僕に、烏谷さんは呆れた目を向ける。

「そんなことどうでもいいわ。……それより、本題なのだけれど」


 自分で聞いたんじゃないか、という不満を飲み込んで、次の言葉を待つ。



 彼女は一度視線を横にずらし、しばし何かを考えてから、うん、と僕の目を真っ直ぐに見つめてきた。

 目と目が合って、本当に曇りのない綺麗な瞳だなと、一瞬胸の奥が小さく跳ねたが、彼女の口から出て来た言葉に、そんなことを考えているどころではなくなってしまった。

 


「私、マルウェアを送りつけてきた犯人を捕まえたいの」

「……へっ?」


 あの事件の話をしたいんだろうということは分かっていたが、まさか、彼女がそんなことを考えていたとは思いもよらず、変に裏返った声が出てしまった。


 何と返したら良いか分からずに隣の柊斗くんを見ると、彼も驚いたようであんぐりと口を開けている。


 彼女はそんな僕らの反応を予想していたようで、「教室で話すのもなんだし、場所を移しましょう」と落ち着いた声で言い放ち、急に教室を出て行った。




 その後、僕らは急いで彼女を追いかけ、なにを聞いても沈黙を決め込んでいる彼女にただ無言で後をついていくことしかできなかった。

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