妄想現実化チケット(不思議)

 夏休みが近づくある日のこと。

 高校の帰り道で永実えみは一枚の小さな紙を拾った。


「妄想現実化チケット……?」


 その紙には『妄想現実化チケット』と書かれていた。


「何、これ」


 手書きであれば子供が作ったものだろうと思うところだが、その文字は綺麗に印刷されていて、まるで売りもののチケットのようだ。

 だけど、妄想が現実になるなんてことがあるわけない。

 これを警察に届けるのも変な気がするし、もしもゴミなら道に落としたままでは申し訳ないしで、永実は迷った末、どこかのゴミ箱で捨てようと制服のポケットに入れた。


 妄想現実化かあ。

 もしも妄想が現実になるなら、何を妄想するだろう。


 そう考えると、永実の脳裏にある男子の笑顔が浮かんだ。同じクラスの曽田そだくんだ。永実の片思いの相手である。

 残念ながら、永実は男子と話すのが苦手で、曽田くんと話したことはほとんどなかった。いつも見てるだけだ。もしも、今、曽田くんが現れて話しかけてくれたら……。


 そう思ったところで、「井上いのうえさん」と話しかけられた。井上とは永実の苗字だ。

「はい?」と言いながら振り返り、永実の顔が固まった。

 曽田くんが立っていた。


「井上さん、ハンカチ落としたよ」

「え!?」


 曽田くんの持つ赤いギンガムチェックのハンカチは、確かに永実のものと一緒だ。

 ハンカチを入れていたはずのポケットを確認しても、さっき入れた変なチケットが出てくるだけで、ハンカチはなかった。

 学校を出てから、チケット入れるときしかポケットを触っていない。さすがに手を出すときに一緒にハンカチがついてきたら気づきそうなのに、いつの間に落としたんだろう。

 不思議に思いながらも、「ありがとう」とお礼を言って受け取ると、曽田くんは「それじゃ」と道を先に行った。


 曽田くんに話しかけられちゃった。

 さっきのチケットをもう一度見る。


「妄想……現実化」


 いや、そんなまさか。

 偶然……だよね?

 たまたま、曽田くんに話しかけられたらなんて考えてるときに、曽田くんが通りかかっただけのはず。


 これが偶然ではなく、チケットの不思議な力だなんて、そんなことあるわけない。

 それでも、永実は穴が開きそうなほどチケットを見つけた。

 もし万が一でもチケットの力だったら……。

 魔法のチケットだったら。

 永実の喉がゴクリと鳴った。


 偶然なのかどうか、もう一度試してみたらいいのよ。永実は歩き出しながら考えた。

 でも、それなら今度はどんな妄想を願う?

 永実は頭を悩ました。

 妄想が現実になるかもしれないと思うと、簡単には浮かばない。

 考え込みながらふと前を見ると、もう曽田くんの姿はなかった。


「歩くの早いなー」


 できればもっと長く曽田くんと話したかった。

 駅に着き、改札を通りながら、永実は頭に浮かべた。

 曽田くんとまた偶然会って、今度はもっと長く話せたら幸せだろうなー。


「あれ、井上」

「曽田くん」


 心臓がドキリとする。

 エスカレターを上ってホームに立つと、その目の前に曽田くんが立っていた。


「なんだ、井上も同じ方向だったんだ。知らなかったよ」

「わたしもびっくりした」


 ははは、と笑うが内心、ドキドキしていた。

 もちろん嘘だ。曽田くんが同じ方向の電車に乗っていることは知っている。だけど、今まで声をかけるなんてできなかったし、いつも同じ車両に乗っていたら気持ち悪く思われないか不安で、わざと違う車両に乗るようにしていた。

 ここは曽田くんがいつも乗る位置ではない。どうして今日に限ってここなんだ。


 チケットを持っていなかったら、偶然と思って終わるちょっとしたことではあるけど、チケットを持っている今、手放しでは喜べなかった。

 妄想が現実になるというのは、どんな未来でも思いのままになりそうで、嬉しいのと同時にすごく不気味だ。

 現実的に考えて、そんなことが起こるわけない。ドラマの世界ではないのだから。


 ここで曽田くんと別れて違う車両に乗るべきなのか、クラスメイトなのにそういう対応したらおかしいのか、またもや悩んでしまっているうちに、電車が到着した。

 自然な流れで曽田くんと一緒に乗り込み、そのまま降りる駅に着くまで二人で話し込んだ。



「本当に、長く話せちゃった」


 自宅の最寄り駅に着き、家まで歩く道で、永実はチケットを眺めながらつぶやいた。

 電車に乗っていた15分間、曽田くんを好きになってから今までで一番長く会話をした。

 チケットの効果は不気味だけど、本当に長く話せたら、今まで知らなかった曽田くんの一面を知れたりで、嬉しいが勝ってしまった。


 やばい、やばすぎる。

 次はどんな妄想をしようか、考えるだけでにやけてくる。

 と、そこで、家の近所のコンビニが目に入った。


「そうだ、今日発売の雑誌が欲しいんだった」


 永実はコンビニに寄っていくことにした。


「いっらしゃいませー」という声に迎えられて店に入る。どうやらお客さんは他にいないようで、ガランとしていた。

 まっすぐ雑誌売り場に向かうと、永実は買う雑誌とは違う雑誌の立ち読みを始めた。

 なんだか平和だ。


 永実は昨日見たニュースを思い出した。どこかのコンビニに強盗が押し入ったとか。

 そんなことが起こりそうにない。本当にそんなことがどこかであるものなんだろうか?


 永実には悪いことを想像してしまう、嫌な癖があった。

 だから、つい考えたのだ。

 もしもここでコンビニ強盗が入ってきたら……なーんてね。

 と思ったところで、全身黒づくめで目だし帽を被った男が入ってきて、「金を出せ!」と店員にナイフを突きつけた。


 えっ……まさか。

 い、今のキャンセル! キャンセル! 妄想じゃないわ!


 と永実は心の中で慌てたが、すでに起こったことはどうしようもない。

 コンビニ強盗はレジの前に立ったままだった。

 永実は音を立てないようにそうっと雑誌を戻した。

 このまま見つからずにコンビニを出ることはできないだろうか。

 すり足で、出入り口に近づく。しかし、そうはいかなかった。


「おまえ、何してる!」


 永実の方を振り返ったコンビニ強盗が、ナイフを振りかざしてすごむ。永実は「ひっ」と小さな声をあげて、息をのんだ。

 心臓がバクバク言っている。

 男は永実に近づくと、腕を痛いほど掴んで、永実を引き寄せた。

 あっという間だった。

 永実は男の前に立たされ、首には男の左腕が回り、目の前にはナイフの鈍い銀色が光っていた。


「早く金を出せ! でないとコイツを殺すぞ!」


 男は永実にナイフを向けながら、店員に向かって叫んだ。

 永実はすっかり頭が真っ白になっていたが、手が動いた拍子にポケットに当たり、カサッと音がしたのを聞いて、チケットの存在を思い出した。

 そうだ。今こそチケットの力を使うのよ。


 もしも、今、曽田くんが飛び込んできて、強盗から救ってくれたら……と必死になって考えた。

 しかし、残念ながら、何も起こらなかった。


 ど、どうして……?

 男は店員に金庫まで案内させ、永実を引きずるようにして歩いた。

 一歩進むたびにナイフが揺れて、永実に当たるのではないかとヒヤヒヤする。


 永実はもう一度妄想した。

 もしも警官がやってきて、助けてくれたら……。

 しかし、やはり何も起こらない。

 どうして、どうして!?


 永実は焦っていた。

 お金は盗られるかもしれないけど、わたしと店員さんは無事に助かる。

 それでも、なんとか妄想を現実にしようと想像した。

 店員は金庫を開けた。


 男は「へへ、ありがとよ」と笑ったような声を出すと、永実を突き放した。

 床に体を打ち付けながら、助かったのだろうか……と永実は思った。

 そのとき、「うわっ」と店員が声を上げ、永実は顔を上げた。男と店員がもみ合い、男は店員のお腹にナイフをつき刺した。


 夢を見ているようだった。

 そのくらい現実味がなかった。

 しかし、男は店員からナイフを抜くと、真っ赤に濡れたナイフを持って永実を見た。

 目だし帽で表情はわからないというのに、男が笑っている気がする。

 時間が止まったかのように長く感じた。

 男が一歩、永実に近づく。


 わたしも殺されて終わるのだろうか。

 ナイフを見ているだけで、気が遠のきそうだ。

 そんなことをぼんやり考えていると、何やらバタバタと打ち鳴らす足音を耳が拾った。男も気づいたようで、バックヤードの出入り口を向く。


「ナイフを離せ!」


 警官が2人、銃を構えて駆け込んできた。



 強盗が捕まり、一段落したところで、永実は例のチケットを取り出した。

 妄想現実化チケット。

 警官が助けてくれたし、店員さんも命には別状なかったようだけど、曽田くんは助けに来てくれなかった。

 妄想は現実にならなかったのだと思う。


 では、曽田くんに話しかけられたのも、そのあと、長く話せたのも、コンビニ強盗が襲ってきたのも、すべてチケットのせいではなく偶然だったということ?

 前二つはともかく、コンビニ強盗までもが?


 チケットを睨みつけていた永実は、不意に思い立って、チケットを裏返した。

 そこには『有効回数3回まで』と書かれていた。

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