紫陽花(サスペンス)

 結婚して5年目。紫陽花がもうすぐ咲くという時季に、旦那の圭吾けいごが行方不明になった。何か事件に巻き込まれたのか、それとも自発的に家を出ていったのか、何もわからず、彩音あやねは泣き暮らしていた。


 そんな彩音を支えてくれたのは、圭吾の親友の祐基ゆうきだった。頻繁に家に訪れては、彩音の顔を見て、話し相手や食事の世話などをしてくれた。生きることを放棄しかけていた彩音はげっそりと痩せてしまったが、祐基のおかげでなんとか生きながらえたと思う。

 そして、圭吾がいなくなって一年がたつ頃、彩音は圭吾と暮らした家で祐基と生活をしていた。



「引っ越し、しないか?」

「え?」


 晩ごはんを終え、食後のお茶を飲んでいると、祐基が真剣な目で言った。

 何を言われているのか、理解できなかった。というか、理解したくなかった。


「……わたしは、ここから出ていきたくないわ」

「圭吾との思い出があるのはわかってる。でも、いつまでも圭吾のことを思われてるのは俺も辛い」


 テーブルの上にある彩音の手を祐基が掴む。


「祐基……」


 圭吾のことを忘れきれない彩音が、祐基を苦しめていることには気づいていた。それでも……。


「ごめんなさい。それでも、あの人がいつか帰ってくるかもしれないと思ったら、ここを離れることはできないわ」

「家を出てった最低な男なのに?」

「圭吾が自分から出ていったとは限らないわ!」


 何も言わずに失踪しただなんて考えたくなくて、つい声を荒げてしまう。


「ごめん。言い過ぎた」

「ううん、わたしこそ。このことはゆっくり考えさせて」


 彩音は立ち上がると、窓辺に向かった。

 開けたままのガラス窓から庭を眺める。風が気持ちいい。

 圭吾がいなくなってから、庭を整える余裕はなくなってしまったけど、祐基が代わりに世話をしてくれているので、綺麗に整っている。

 そのまま庭に出ようとサンダルに足を通したところで、祐基が「ダメだよ」と言った。


「祐基?」

「庭は危ないからね」


 笑う祐基の顔を見てると、背筋がゾクッとする。家の中だからとノースリーブのワンピースを着ているのだけど、薄着すぎただろうか。思わず、両腕を反対の手でさする。


「祐基はいつもそう言うわね。どうして?」

「庭には木があるだろ。圭吾をなくしたショックで、木に首をくくるんじゃないかっていつも心配なんだ」

「やだ、そんなこと心配してたの!」


 彩音は思わず笑ってしまう。


「彩音はいつも今にも消えそうな顔をしていたからね」

「圭吾がいなくなってすぐのときなら、そんなバカなことを考えたかもしれないけど、今は違うわ。祐基、あなたのおかげよ」


 彩音は祐基の頬に手を添えると、そっと口づけた。


「わたしはどこにもいかないわ」

「そうか、ありがとう。さあ、冷えるから部屋に戻ろう」


 祐基は彩音の肩に腕を回して、室内の方に彩音の体を向けた。


「うん、あ」


 彩音は庭に植えた紫陽花のことを思い出した。圭吾と結婚した年に植えたのだ。そろそろ花が咲いているはず。


「ちょっと待ってて。紫陽花だけ見たいわ」

「彩音」


 祐基の腕からすり抜けて、庭を進んだ。

 その先にはピンクの紫陽花が咲いていた。


「……ピンク?」


 毎年、紫陽花は青い花を咲かせていた。色が変わっている。


「どうして」


 紫陽花は酸性なら青色、アルカリ性なら赤色になると言われている。祐基が土に何か混ぜて、アルカリ性の土に変えたのだろうか。

 常識的に考えれば、そういうことのはずだ。だけど、彩音はさきほどの祐基の姿を思い出していた。


『庭は危ないからね』


 あれはもしや、彩音の自殺の心配なんかではなく、彩音に見られたくないものがあったのではないか。

 例えば、紫陽花とか――。

 彩音は自分の考えにゾッとした。


 そんな、まさか。

 そうは思うけど、足は紫陽花の元まで進み、しゃがみこむと、紫陽花の根元を両手で掘り出した。

 爪から血が出るのもお構いなしだ。

 まさか、まさか。


 彩音は去年の紫陽花の色を思い出せずにいた。紫陽花が咲く直前に圭吾がいなくなり、庭を見る余裕なんてなかった。

 庭は表玄関の裏側にあるので、意識していないと視界にも入らなくなってしまう。紫陽花はちょうどリビングから見えない位置にある。

 手で掘っているので、それほど深くは掘れなかった。しかし、それは比較的浅いところにあり、彩音は見つけてしまう。


 骨のようなもの。


「……ひっ」


 驚きで、まともな声にならない。


「あーあ。だから庭はダメだって言ったのに」


 こわごわと振り返ると、祐基が不気味な笑みを浮かべて彩音を見下ろしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る