10 ケルベロスの撮影を終えて

 魔王城4階の王の間には石で造られた玉座がある。初代魔王に合わせて造られたそれは、現魔王エウレカには大きすぎる代物だ。だがエウレカは今、口をへの字に曲げてでも玉座に座らなければならなかった。


 玉座の上に正座し、肘掛部分を背もたれの代わりにする。エウレカの背後には救急箱を手にした銀髪の魔族――シルクスの姿があった。魔法ではなく薬草などを用いた治療にしているのは、魔力を温存するためだ。治療に用いられる白魔法はその代償が大き過ぎる。


「痛い!」

「魔王様、我慢してください」

「傷が染みるぞ」

「……上半身の殆どを噛まれてますからね。これで痛くなかったら異常です」

「うう。あとどれくらいだ?」

「やっと頭部の傷に消毒薬を塗り終えたところです。これから他の傷を消毒して、その上に傷薬を塗っていきます」


 エウレカの体は傷だらけであった。赤茶色の髪に紛れるようについた、深い噛み傷に爪痕。ケルベロスの歯型がくっきりとついていたり、爪が皮膚に刺さったり。頭の先からつま先まで至る所が傷だらけである。


 傷の大半は紫色に変色していた。出血しているものも、血液が固まって傷口を塞いでいるものもある。その全てが、動画撮影のためにとケルベロスのケーちゃんと戯れた結果であった。今思えば誰が得するのか疑問に思うほどくだらない撮影だ。


「あれだ。ケーちゃんの寝かしつけは、音楽家に頼むのが一番だな。あと、もふりすぎてはならぬ」

「構われすぎて怒るのはケルベロスに限った話じゃないと思います」

「むぅ。生き物は難しいのう。ドラゴンならこちらの言葉がわかるから楽だというのに。そう思わぬか?」

「……それは、魔王様がドラゴンに見下されているだけだと思いますよ」

「何か言ったか?」

「いえ、なんでもありません」


 ケルベロスをもふった代償として全身に怪我を負ったエウレカ。だが傷とは対照的にその表情は晴れやかであった。


 ケルベロスはあのあと音楽家の手によって速やかに眠らされた。そのままケルベロスの飼育部屋へと数人がかりで運ばれ、そこで大人しく眠っている。しばらくは目覚めないだろう。どうしてケルベロスがシルクスを威嚇したのかはわからないままだ。


 シルクスの猫耳が犬としての本能を駆り立てたのか。シルクスがエウレカへ抱いている気持ちを察しての嫉妬からだったのか。もはや、シルクスもエウレカもその答えを知ろうとは思わない。


「処置、終わりましたよ」

「ありがとう、シルクス。さて、さっそく投稿したばかりの動画を……」


 玉座の上からパソコンへと手を伸ばそうとするエウレカ。だがその指には包帯が巻かれている。白い包帯は一部が赤く染まっていた。エウレカの指が人の温もりに包まれる。


「私が操作しますので、魔王様はどうか安静にしてください」

「すまぬ」


 シルクスがエウレカの代わりにパソコンを手に取った。玉座の肘掛部分にパソコンを乗せて目的のページへアクセス。そして画面をエウレカの顔に近付ける。





 魔王エウレカが運営するチャンネル「まおうチャンネル」。本日投稿した動画は「【魔王エウレカ】地獄の番犬ケルベロスと戯れてみた」という至ってシンプルなタイトルのもの。


 すでに何人か見ている人がいるらしく、閲覧数はもうすぐ「50」になろうとしていた。スライム動画より伸びが悪いのはウケが良くなかったからだろう。コメント欄にはいくつか書き込みがある。


「ためになるケルベロス講座」

「ラスグッラ、俺、日本で食べたことあるわ。甘すぎて1口食べるのが限界だったけど」

「21:13 からの歌声、誰? 魔王様じゃないよね」

「ケルベロスより、歌で眠らせるシーンっしょ。耳が癒される」

「これで魔王城のケルベロス攻略出来るぞw」


 エウレカは表示されたコメントに体を起こす。だが起こすと同時に患部を硬い玉座にぶつけ、痛みに悶えてしまった。ある程度痛みが引いてから口を開く。


「ラスグッラというのは、勇者の多い日本でも食べられるのか?」

「みたい、ですね。通販というもので『取り寄せ』というのをするそうです。ラスグッラを知ってるこの方達は勇者なのでしょうか?」

「なんと! 勇者にその『つーはん』というのを聞かなければな。食べ物を生み出す魔法なのだろうか?」

「私にはわかりかねます」


 エウレカが興味を示したのは、ラスグッラを食べたというコメントだった。そのコメントにはいくつか返信がついており、日本という国でいかにして食べたのかが綴られている。缶詰と呼ばれる物を家に運んでもらったらしいのだが、書き込まれている用語の一部が理解できない。


「次は料理か、魔物について話すか……いっそ、ハーピーやマーメイドに突撃インタビューでもしてみるか。マンドラゴラを引っこ抜いたり、毒草の食べ比べも楽しそうだ。うーん」


 すでにエウレカの頭の中は次の動画のことで一杯だ。もちろん怪我が治るまで無理はできないため、できることは限られてくる。


「では、怪我が治ったら畑を荒らすゴブリンの退治をしましょう。そして、畑でマンドラゴラを育てましょう」

「それは良いな!」

「怪我が治るまでは……珍味を試してみるのはいかがでしょう?」

「珍味、か?」

「はい。ドラゴンの卵、バジリスクの刺身、などが知られてますね。中には異世界の珍味に近いものもあるそうですよ」


 エウレカは一瞬警戒した顔を見せたが、少し考えた末に小さく頷いた。

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