8 ケルベロスに音楽を聞かせよう!
そこは魔王エウレカがプライベートな時間を過ごすための部屋だった。掃除も自らが行うことになっているのだが、プライベートルームの床には様々な物が散らばっている。どうやらここしばらくは片付けをしていないようだ。
今朝、脱ぎ散らかしたばかりと思わしき寝間着。読みかけなのかページを開いたまま床に伏せられている本。動物のぬいぐるみやクッションも床に転がっていた。ベッドのシーツは乱れ、マットレスがあらわになっている。
かろうじて家具は埋まらずにすんでいる。しかし、床に築き上げられた私物の山に、初めて部屋を訪れた者は絶句するだろう。文字通り足の踏み場がなく、立つスペースを確保するのがやっとなのだ。
「……魔王様。失礼ですが片付け、されてますか?」
「そ、そのだな。わ、我は片付けが苦手なのだ」
「では使用人に――」
「ダメだ! その……プライベートルームであるが故、あまり踏み入れられたくないというか、見られたくないものがあるというか……」
プライベートルームの惨状にシルクスが問えば、エウレカがあからさまに視線を逸らす。時折ベッドの下を見ていることから、そこになにか都合の悪いものを隠していることが伺えた。
ベッドの下を確認しようと足を上げたシルクス。その腕をエウレカが強く掴んで引き止める。シルクスが銀髪を揺らしながら、殺気を秘めた笑みで振り返る。
「魔王様。ケーちゃんをどうにかしたら、部屋の片付けをしましょうか」
「うむ。そ、早急に行おう。だから、だからそんな怖い顔をするでない!」
「ところで、この部屋には何があるんですか? どうやってケーちゃんをなだめるつもりですか?」
「……発掘するから少し待っていてくれ。よいか、絶対にそこを動くでないぞ」
足の踏み場がほとんどないプライベートルーム。エウレカは床を埋め尽くす私物の間に無理やり足を突っ込み、足場を作る。そしてバランスを崩さないように気をつけながら私物の山を漁り始めた。だが、その探し方が酷い。
エウレカは手当たり次第に物を掴むと、目当ての物以外は全て天蓋付ベッドに向かって投げた。ベッドの足を埋めるように床に積まれていく私物達。床が見えるようになるにつれ、ベッドは雑貨の山に沈んでいく。
エウレカの動作に伴って埃が舞った。乱雑に投げられた私物のいくつかは狙いが狂い、壁に命中する。本やクッションだけではなく、脱ぎ捨てられた下着や洗濯していない衣服までもが宙を舞う。シルクスは目の前を次々と飛んでいく下着を見て、笑いを堪えなければならなかった。
「あったぞ! この竪琴だ!」
「竪琴、ですか?」
「ケルベロスはな、美しい音楽を聞くと3つの頭が同時に眠る、という性質を持つのだ。もっとも、演奏が下手なら逆効果なのだがな」
「魔王様の成功率はどれくらいですか?」
「3回に1度成功すれば良い方だな。ケーちゃんが暴走することは稀だから、めったに使わぬのだ。我より音楽家に頼んだ方が確実なのもあるな」
竪琴を奏で、その演奏でケルベロスを眠らせれば威嚇の心配はなくなる。そうすれば安心してケルベロスに触れ、その魅力をアピールさることが出来る。ただし、演奏に少しでも失敗すれば動画撮影どころではなくなるだろう。
チャンスは1度しかない。竪琴の演奏が上手くいくかどうかは、エウレカにかかっている。なんとハイリスクで後先を考えない計画なのだろう。シルクスは音で悟られないように気をつけながら、ため息を吐いた。
竪琴を手にしたエウレカが覚悟を決めてプライベートルームから外に出る。ケルベロスはエウレカを見て嬉しそうに目を細めるも、その後ろにいるシルクスに気付いて唸り声を上げた。2つの頭が口から火を噴く。
エウレカの指が竪琴の弦を優しく弾いた。ポロンと奏でられた音に、ケルベロスの耳がピクリと動く。一瞬、ケルベロスの動きが止まった。
1音1音、竪琴の弦を丁寧に弾いていくエウレカ。その音色単体としては美しい。しかしその旋律は細切れの音符の集まりとなっており、どこかぎこちない。時折弦を弾きそこね、弱々しく情けない音が鳴る。それは、ケルベロスが好むという美しい音楽には程遠い演奏であった。
最初こそ大人しく耳を傾けていたケルベロスだが、次第に口から唸り声が零れ出す。口を開けば、弱々しくはあるが火が吐き出されていく。吐息と共に口から溢れた炎がエウレカの黒いマントに火をつける。物の焦げる匂いが廊下に漂う。
「ウォーター!」
エウレカの黒いマントから火の手が上がったと同時だった。カメラを構えていたはずのシルクスが、エウレカに向けて左手を伸ばす。次の瞬間、炎目掛けて水球が飛んでいき、跡形もなく火を消した。
「魔王様、大丈夫ですか?」
「うむ、大丈夫だ。少しマントが焦げてしまったがな。それにしても、この演奏ではダメだったか。仕方あるまい。奥の手を……」
「少し、お待ちください。音楽ならばいいのですね?」
「美しい音楽であれば、基本的には大丈夫であるぞ」
ケルベロスが飼い主であるエウレカを攻撃した。それはエウレカの演奏が意味を成していない証。エウレカの竪琴ではケルベロスは眠らない。それに気付いたシルクスがエウレカに代わって口を開いた。
その口から紡がれたのは、透き通るようなソプラノの歌声。その美しい旋律が竪琴の音色をかき消した。エウレカの歌声に反応し、ケルベロスの瞳が少しずつ閉じていく。
やがて、漆黒の巨体が床に座り込んだ。ぐったりと床の上に横たわり、目を閉じる。3つの頭からはそれぞれ、穏やかな寝息が聞こえてくる。
「もう良いぞ、シルクス。ケルベロスは、1度寝てしまえば2時間は夢の中だからな」
「趣味の歌がこんなところで役立つとは……。では、魔王様。さっそく、寝ているケーちゃんと戯れましょうか」
ケルベロスが眠ったことを確認すると、エウレカがカメラを構えてニコリと微笑む。エウレカの手が、眠りに落ちたケルベロスの背へと伸びていく。次の瞬間、寝ているはずのケルベロスの体がピクリとはねた。
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