7 ケルベロスに菓子をあげよう!

 カメラを右手に握りしめたシルクスと、その左手を掴んだまま離さないエウレカ。ケルベロスから逃げるように階段を駆け下りた2人。彼らが向かったのは魔王城1階にある厨房である。だが――。


「魔王様を厨房に入れることなどできません」

「そこをなんとか!」

「欲しいものは言ってくだされば作りますので、それで我慢してください。無理なものは無理です」

「それでは撮影出来ぬではないか」

「シルクスはいいです。ですが魔王様はこの城の主。魔王様のような方を汚い厨房へは入れられないのです。お許しください」


 厨房の入口までやってきたのはいいものの、エウレカは中に入ることを許されずにいた。厨房には入れなければエウレカを主体とした動画の意味は無い。かといって1人で甘い菓子を上手く作れる自信もない。


 予期せぬ足止めを食らったエウレカは、厨房の隣にある食堂にて頭を抱えていた。しかしただ頭を抱えているだけではないようで……。


「厨房にはどのような理由で来たのですか?」

「ケルベロスというのは甘い菓子が好きでな。ケーちゃんも例外ではないのだ」

「それと厨房にどのような繋がりが?」

「ケーちゃんは、厨房のコックが作る特別なお菓子が大好きなのだ。あれはコックしか作れないし、あの様子じゃレシピも教えてもらえぬ」


 コックに言えば、ケーちゃんの大好物はすぐにでも作ってもらえるだろう。本当はコックに習いながら菓子を作るつもりだった。だが厨房に入ることすら拒絶されてしまった今、エウレカは大人しく待つことしか出来ないでいる。


 シルクスであれば厨房に入ってお菓子を作ることも可能だろう。だがそれでは「まおうチャンネル」に相応しくない。あくまでも主役は魔王エウレカであり、使用人ではないからだ。お菓子を与えた後のケルベロスの反応も大切だが、シルクスはコックお手製のお菓子の方が気になった。


「そのお菓子、コックに頼みましょう。お菓子の説明も、してもらいましょう」

「しかしそれでは動画の意味が……。我は、自分の手で作り、ケーちゃんにあげたいのだ。むぅ」

「今回は諦めてください」


 納得のいかないエウレカだが、ケルベロスの撮影を諦めるわけにはいかない。ケルベロスの機嫌を取らなければ撮影は始まらない。迷いに迷ったエウレカは重い足取りでコックにお菓子とその説明を依頼すると、すぐさま席に戻ってうつ伏せになった。



 コックにお菓子を依頼してから2時間程が経過した頃のこと。淡い青色の肌をしたコックが、黒い大皿にお菓子を乗せてやってきた。


 見た目は白玉のような白い塊。ほのかにレモンの香りがする。底の深い大皿が使用されており、下の方には黄色がかった透明な液体がたまっている。


「これはなんという名前なのじゃ?」

「『ラスグッラ』と呼ばれるものです」

「らす、らすく、らすら、ラスグッラ……なんと言いにくい」

「よかったら魔王様もお1つ食べますか?」

「うむ。ありがたくいただこう。……って甘っ! 甘すぎて頭が痛くなる! だ、誰か、水を、水をくれー!」


 コックに促されるままにラスグッラを1つ手に取り口に含んだエウレカ。ひと噛みしただけで声を上げ、水を要求する。すぐさまコックから水を受け取り、なんとかラスグッラを食する。


「噛むと中からシロップが出てくるぞ。シロップがすごく甘い。あと、見た目で想像した以上に柔らかい。ふわふわしてて、今まで食べたことの無い食感」

「あまり知られていないでしょうから……。インドという、異世界の国のお菓子らしいです。捕虜にした勇者から習ったんですよ」

「勇者が元々いたという異世界では、このような甘いお菓子が流行っておるのか。恐ろしいな。……と、とりあえずケーちゃんにあげてくるぞ。作ってくれてありがとう」


 大皿に盛られた大量のラスグッラ。その正体がパニールと呼ばれるチーズであることを、エウレカは知らない。彼が感じた強い甘みの正体は、チーズを煮るのに使用したシロップであった。





 エウレカとシルクスは再び、魔王城4階にいるケルベロスの元へとやってきた。シルクスが持つラスグッラの匂いに反応してか、ケルベロスの呼吸が荒い。


「ケーちゃん、ラスグッラです。コックに作ってもらいましたよ」


 シルクスがケルベロスの前にラスグッラの入った大皿を置く。匂いに釣られたケルベロスは、起きている2つの頭を器用に使い、黙々とラスグッラを食べている。


 甘いお菓子に夢中になっているおかげなのか、ケルベロスがシルクスを威嚇することはない。エウレカの存在にも気付かず、必死にラスグッラを噛んでは飲み込んでいる。


「甘いお菓子を食べている間は警戒しないんですね」

「と言いたいところだが……ケーちゃんはな、菓子の甘さが足りないとすぐに気付いて怒るのだよ」

「甘さが足りない、とはどういうことですか?」

「コックお手製のラスグッラ以外のお菓子は……あげても、ケーちゃんを怒らせるだけなのだ。我はかつて、お菓子が原因で全身に噛み傷を負ったぞ」


 エウレカは他のお菓子で代用することなくコックの元へと向かっていた。それは苦い過去の経験から学んだが故の行動。当時を思い出してか渋い顔をすると、慌てて首を左右に振り、カメラに向けて満面の笑顔を作り出す。


 シルクスとエウレカが話している間にもケルベロスはラスグッラを食べ進めていく。あっという間に大皿は空になり、底に溜まっていたはずのシロップまで綺麗に舐めとってしまった。


 食事を終えたケルベロスは、シルクスの姿に気付いて再び威嚇をする。食事をしたからだろうか。唸り声も尻尾の振り方も、先程までより迫力がある。


「魔王様、お菓子の他に手はありますか?」

「あるには、ある。上手くいく保証はないが」

「それを試しましょう。どうすればよいですか?」

「一旦我のプライベートルームに向かうぞ」


 長い会話を行う余裕はなかった。元気を取り戻したケルベロスの2つの頭部がシルクスを狙う。大きく開けられた口からは鋭い牙がはっきりと見えた。このままでは撮影出来ない。


 迷う時間はなかった。シルクスに向けて吐き出された火をかわし、2人は魔王エウレカのプライベートルームへと足を踏み込む。

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