3 スライム風呂に入ろう!

 魔王城には浴室がある。それは王族と一部の許された者達だけが使用出来る特別な浴室だ。現在の主な使用者は魔王エウレカとそのペット達だけ。この浴室は少し特殊であった。


 浴室の扉を開ければ巨大な浴槽が目に入る。底は浅すぎず深すぎず。だがその底面積は大人子供に関係なく人が泳げるほど広い。それもそのはず。それは客室と同じだけの面積を誇る巨大な浴槽なのだから。浴槽で一部屋分、洗い場でもう一部屋分。使用する人数を考慮しても少々広すぎる。


 浴槽は高い粘性を持つ水色の物体で埋め尽くされていた。その正体は先程まで撮影で使っていたスライム。スライム風呂とは、スライムの死骸を浴槽に集めて熱し、それを冷まして巨大なゼリー状にした代物であった。


 出来たばかりのスライム風呂を遠くから眺めているのは、魔王エウレカだ。湯気の立たない浴槽、奇妙に揺れる水面。その正体を知り、身震いせずにはいられない。


「あの、あの気味悪い感触に体を入れるなど、聞いておらぬぞ」

「それは魔王様がスライム風呂の真相をご存知なかっただけです」

「知っていたならなぜ教えぬのだ!」

「『教えろ』とは命令されませんでしたので」


 浴室の入口にてカメラを回すのはエウレカの部下、シルクス。長い銀髪を黒いリボンで1つに束ね、クスクスと笑いながらもエウレカを止めない魔族の女性。エウレカの反応を楽しむなんて真似は使用人の身分ではなかなか出来ない。


 動画はエウレカが動かないと始まらない。すでにエウレカはスライム風呂に入るべく上半身裸になっていた。腰にタオルを巻くところまでしたというのに、スライム風呂の正体に怯えて動かずにいる。シルクスはそんなエウレカの手を無理やり引っ張った。


「な、何をするのだ! やめろ! お、お主の胸が腕に当たっておる! 頼むからやめてくれ!」

「では、1人で入ってくれますか?」

「嫌じゃ!」

「入らないと動画配信以前の問題ですが……」

「せ、せめて胸を腕に押し付けるのはやめてくれぬか? その、わ、我も男じゃ。今のままでは理性が消えてしてしまう」

「……魔王様? 理性かスライム風呂か、選んでください」


 エウレカの手を掴み、その腕にこれでもかと胸を押し付けるシルクス。エウレカが狼狽えようと、その動きを緩めることはない。次第にエウレカの顔が赤く染まっていく……。


 狂気すら感じるわざとらしいシルクスの笑顔に、エウレカはついにスライム風呂に入ることを選んだ。だが、その顔は明らかに引きつっている。



 エウレカの指が浴槽一杯に詰め込まれた巨大なスライムに触れる。表面を触ればプルプルとした特徴的な感触が。ズブリと腕を入れればどろりと腕にまとわりつく感触が。独特の感触はやはり慣れない。


 思いきって足を入れてみた。だがスライム特有の弾力のせいか思うように足が進まない。体中にまとわりつくひんやりと冷たい物体は、エウレカの足にまとわりついたまま離れようとしない。


「魔王様、もっとこう、勢いよく入ってください」

「何を――」

「スライム風呂は、こういうものですので」


 シルクスの声は氷のように冷たい響きを持っていた。逆らってはいけない。そう察したエウレカは、目をつぶってもう片方の足も浴槽に入れる。


 体はすぐには沈まなかった。スライムの持つ弾性と粘性のせいかゆっくりと、だけど確実に沈んでいく。途中、体が水中に浮くのに近い浮遊感を最後に、それ以上体が沈まなくなる。


「スライム特有の、ヒヤリとした冷たさ。プニプニとドロドロが混ざった、なんとも形容し難い感触。わ、我の嫌いなスライムそのものではないか!」

「魔王様、それがスライム風呂です」

「気味悪い、気持ち悪い、ネトネトする、スライムが体から離れぬぞ……。こ、こんなところ早く出て――」


 必死にスライム風呂から出ようとするエウレカ。だが浴槽の中で必死に体を動かすエウレカにスライムがまとわりつく。もがけばもがく程にスライムが絡みつき、上手く動けない。ついにはバランスを崩し、スライム風呂に顔面から突っ込んでいった。


 声を出そうと口を開けば、口の中にスライムが入り込んでくる。目を開けても、視界には透き通った水色をしたスライムしか映らない。耳にはスライムが入り込み、外からの音が聞こえにくくなる。鼻にもスライムが入り込み、呼吸が出来ない。もうこれ以上潜るのは肺が限界だ。


(こんなところ、とても耐えられぬぞ。……ファイア!)


 困ったエウレカの指先に赤い光が灯る。その刹那、凄まじい熱気がエウレカを包み込み、周りのスライムを燃やしていった。スライム風呂は一瞬にして火の海に変化してしまう。



 炎が落ち着いた時、浴室に残されていたのは焦げついた浴槽とスライムの飛沫だけだった。浴槽にいたスライムを燃やし尽くすと、エウレカがホッと胸を撫で下ろす。


「このようなものが魔族の間で人気だなんて、信じられん!」

「……スライム風呂が嫌だからって魔法で浴槽を焦がさないでください。後片付けをするのは私達です」

「そもそも! シルクスが我を助けてくれれば――」

「私はただ、動画を撮るという当初の目的に忠実に従っているだけです。スライム風呂、慣れれば気持ちいいんですよ?」

「このようなものに慣れたくない! 気を取り直してゼリーを作るとしよう。キッチンへ行くぞ」


 浴槽で放った魔法により、エウレカの体にこびりついていたスライムの飛沫は綺麗さっぱり消えていた。後片付けを使用人に任せ、キッチンへと向かうその足取りは軽い。


 エウレカのスライムに対する反応に、シルクスは小さくため息を吐いた。

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