17 決意と期待と三本目

――えーっと。何でこうなったのかな……。



 握った長剣を見つめて、アベルがため息をついた。

 あの日、リーゼに起こされた朝は数日前のはずなのに。もう何年か経ったような気がする。

 

 過去を探す旅。

 この五年間よりも前、自分が雪花宮ホワイト・パレス跡で見つかる前の記憶を取り戻す旅。

 

 自分という人間にとって、人生というのは五年分だった。


 、すなわち自分が発見された五年前。彼を知る者は、自分自身を含めてどこにもいない。名前すら持っていない。


 だからといって何も知らないわけではなかった。年相応の常識もあり、それどころか誰も知らないような魔術を知り、剣を振るう力もあった。しかしどうやってその力を得たのかはわからない。

 自分が何をできるのか知るたびに、知らない人の体を勝手に使っているような、もしくは誰かが勝手に自分の体を操っているような、そんな恐怖に苛まれた。


 だがギズワルド王やリーゼ、クレアやシルフィらが作ってくれた、過去を持たないと作ってくれた五年間しょうがいは、そんな恐怖も忘れられるような、幸せなものだった。

 だからこそ。



『広い世界を見てきてほしい。君自身を知るためにも』

 王の言葉が頭をめぐる。

『師匠に向かってその言い草はなんだ!』

 自分を弟子だと言う、剣王の背中が瞳に焼き付く。

『私達の剣とつながる縁。それを腰にするのならば』

 見覚えのない剣なのに、なぜか重さが懐かしい。



 そう、今感じるのは再びの恐怖。

 剣王を前にした死の恐怖ではない。だ。


「……腹は決まったか?」


 ラルフが彼に呼びかける。手にしているのはただの木の枝のはずなのに、その重圧はそこらの剣士とは比べ物にならない。


 これより始まるのはよりによって『三本』。彼が持つあの細い枝を三本折るまで終わらない。甲毛熊を相手取ったほうがどれほど安全か。

 そしてという事は、その先を彼も覚悟しなければならないということ。


――もう鎖は千切れかけている。この剣を振るえば、見ないふりはできない。


 ……だけど、それが今更なんだというのか。



『『最後までついていくに決まってる』』

 二人の少女のまなざしが、彼を見つめていた。



「そんなもん、最初から決まってるんですよ」

 アベルが決意とともに顔を上げ、剣王を見た。



***



――楽しそうやなあ。


 視線の先で対峙する二人。片方は自分の師匠、剣王ラルフ・オルキッド。

そしてもう一人は。


――アベル君、やったっけ。


 出会ったばかりの青年。言葉もほとんど交わしていない。

 最初に見た時、その雰囲気が目を引いた。師の教えの通り観察と直感を重視している彼にとって、目を引くというのは理由がなくとも警戒するべき事態である。

 なかなかの遣い手に見えた王剣隊の少女よりも、彼にとっては未知数の魔導士の少女よりも、そのアベルという青年が、彼の目を引いたのだ。


――しっかし……。兄弟子いう事になるんか?一応。


 師匠の言葉を信じるならば、剣王の一人目の弟子になるはずだ。

 先ほどの立ち合いも確かに速度だけなら目を見張るが、それでも対応できない程ではない。

 剣技だけ見れば、リュウマ自身はもちろん、クレアとかいう隣の王剣隊の少女でも勝てるだろう。


――記憶喪失とかなんとか言うとったが、あの程度で剣王の弟子は名乗れんはず……。ただ、なあ。


 自分の直観は疑わない。そしてそれを裏付けるように、向き合った


――期待してええんかな。


『雹風山の奥、雪花宮ホワイト・パレスってとこにガキが一人いるから、お前そいつとやり合って来い。俺の名前出せば嫌とは言わねえはずだ』


 数日前の師匠の言葉を思い出す。


『いいか、油断すんなよ。この先万が一、いや億が一くらいだが、俺をサシで倒せる奴が現れるとすりゃあ、てめえかそのガキのどっちかだ』


 そして彼の視線の先で、その「ガキ」が師匠に向けて剣を構えた。




***




 両手で長剣『白鶯はくおう』を構える。

 だがいつもの自然体ではない、ドラウステニア王剣隊の基本の構えだ。


 見守るクレアとシルフィが息を飲むのがわかる。そしてその横で興味深そうにこちらを見ているリュウマが、なぜか意識に引っかかる。

 でも、今は。


「……よろしくお願いします」


 覚悟を決めて構えたとたん、無意識にそう言っていた。


「……来い、最後の稽古だ」


 そう言って剣王は、両手に持ったを軽く振るった。


――……なんだ?


 もはや千切れかけている記憶の鎖を未だにつないでいる、最後の違和感が二つ。

 そのうち一つは自分にある。王剣隊の基本、正面に構えた剣の切先をわずかに右に傾ける構え。クレアとの手合わせの時など、アベルから切り込む時に何度か使った何の変哲も無いもの。


――でも、違う。


 まるで寸法の合わない服を無理やり着せられているような違和感がある。

 そしてもう一つは。


――あの構えは……。


 向き合ったラルフの構え。体を半身に傾けて右手の長い枝を前に。左手に持った短い枝の方は体で隠すように後ろに。



――あれも、違う!



「……ハッッ!」


 短く息を吐き、一気に踏み出す。

 そしてその勢いを剣に込めた上段からの降り下ろし。教科書通りの初手。


のろい」


 対するラルフは右手の枝でそれを受け流す。刃こそ潰してあるとはいえ真剣の重量の一撃でも、手に持った枝は折れるどころか傷もつかない。

 

 剣王の技量の一端を目の当たりにしたクレアが息を飲んだ。

 しかしアベルはそれが当然というように、そのまま勢いを殺さず斜めからの切り上げ、突き、そして時には軽装をいかした体術を織り交ぜ、怒涛の攻めを続けていく。


「鈍いんだよ!」


 だがラルフはその一撃一撃を、右手の枝で弾き、流し、躱していく。

 剣戟ではない。木と金属がぶつかり合うにぶい音が鳴り、火花も当然上がらない。


 だが、剣王が弾くたびに流すたびに躱すたびに。

 アベルの頭の中で、鎖がきしむ音がする。


――違う!


 もう少しで何かが思い出せそうな感覚と同時に感じる強烈な違和感。

 これは自分の戦いではない、剣王の戦いではない。

 だってこれは。


「あああああ!!」


 振るう振るう振るう。

 視線だけは剣王の一挙手一投足、細かな動きも逃さんと見つめている。

 だがその攻撃に、もはや型は無い。ただ息の続く限り握った剣を振るう。

 

 勢いだけの、ぐずる子供のようなアベルの剣を、しかしラルフは丁寧にさばいていく。淡々と淡々と。


――違う違う違う!

 

 既視感と違和感が臨界へと高まる。

 後はただ一つ、鎖を壊す小さなきっかけだけ。


「うざってぇ!!!」


 剣王が右手でアベルの剣を大きく払い、アベルの体が開いた。

 とっさに距離を取ろうとするも、剣王の左手は自由だ。間に合わない。

 

 クレアが小さく悲鳴を上げ、シルフィがギュッと目をつぶる。

 あまりにも大きな隙に、剣王が左に持った得物でアベルの体を。


「……なんでや」


 一瞬の静寂。刹那の空隙の中に、リュウマの声が響く。

 剣王の左手は動かない。未だに体の後ろで隠すように構えたままだ。

 そしてその隙にアベルが体勢を立て直す。

 再び攻めに転じるその表情には、当然だが疑問の色が浮かんでいて。



――


 

 瞬間、アベルは鎖がちぎれる音を確かに聞いた。



 違和感が氷解し、既視感は実感へと変わる。

 そして攻めに向かおうとした長剣を体ごと引き下げ、一足飛びに後ろへ。



「あかん!距離とったら!」



 当然、アベルの攻めが止まった瞬間、剣王の攻撃が始まった。

 開いた距離を数瞬で詰め、攻守が逆転する。

 先ほどまでのアベルよりもはるかに洗練された一刀が、アベルの元へと迫る。

 既に木の枝とは思えない、首を飛ばし胴を断ち切る威力のそれを。



「……ふう」


 

 、アベルがそれを打ち払った。



「……ずいぶん、手間とらせたじゃねえか」

「……すみません



 鏡合わせの様に、剣王とアベルが同じ構えで立っていた。

 体を傾け、右手で持った白銀の長剣『白鶯はくおう』を前に、左手には漆黒の短剣『黒熔こくよう』を体で隠すように後ろに構え、アベルが剣王に相対す。


「それじゃあ、仕上げだ」


 そう言うと剣王の構えが変わった。両手の枝をそのままどちらも前に。

 後ろに隠していた左手の枝も駆使した、嵐のような連撃。


 アベルはそれを二本の剣で弾き、流し、躱していく。

 もはや攻めるために剣を振るわない。


 がむしゃらに防ぐだけで手一杯だ。

 だがこれでいい。こちらの相手を圧倒する必要はないのだ。ひたすらに受けとめ、流し、守ればいい。


――そうだ。


 目で、耳で、肌で。自らに迫りくる危機に反応し、反射し、死地より抜けんと手を伸ばす。


「足が動いてねえ!全身で躱せ、目をそらずに動きをとらえろ!」


 当然。当たり前に繰り返してきた反復だ。わずかな動きも見逃さず、刃をとらえて次につなげる。


 そして、激しい打ち合いの最中。アベルの口は

 剣を振るう軌跡、刹那の間に描く紋様。その脚運びに加えて、果ては打ち合う音ですら。

 そのすべてを見逃さず、そして利用する。

 紡ぐ言葉たちと組み合わせ、そしてそれはいつしか奔流となり、アベルの中で獰猛に渦巻く。

 

――これが。


 力を一点に。これは剣であって剣ではない。

 後ろ手に隠すように持った『黒熔』で最後の軌跡を描くと、その刀身、『刻み手』によって焼き付けられた原初文字が淡い光を浮かび上がらせた。



――僕の戦いだ。

 


 一足飛びに距離を取り、刀身が輝く『黒熔』の切先をラルフに向ける。

 

 剣王もまた動きを止め、その光景に満足したように両手を下ろすと。

 両手に持った枝をそれぞれへし折った。


「ひとまず、最低限はクリアだな」


 その言葉で一瞬前までの威圧感が嘘のように霧散し、アベルが脱力して膝をついた。剣の輝きも掻き消え、漆黒の美しい刀身があらわになる。


「……合格ですか?」

 安堵したようにアベルがそう言うと、ラルフは愉快でたまらないといった表情で。


「馬鹿言え。『三本』っつっただろ」


 切り捨てるように言って、両手の枝を投げ捨てた。その言葉にアベルの表情が凍り付き、さらにラルフの笑みが深くなる。

 そして。




「最後のだ」


 ラルフが、リュウマを指さして言い放った。

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