16 後退と前進
「おい、さっさと構えろ」
ゴラティエの村はずれで二人の男が対峙していた。
「いや構えろって……」
顔を引きつらせながらそこに立つのは、ドラウステニア国王ギズワルドの影の盾にして、王国魔導隊に籍を置く青年、アベル。
正面には剣王にして竜殺し、刃の頂点。最強の剣士ラルフ・オルキッド。
そしてそれを見守る者たちが何名か。
「なんやようわからんけど、とりあえず面白そうなことになったなあ」
「と、止めなくてよいのだろうか……」
「いや。かの剣王の立会いなどなかなか見ることはかなわないぞ」
「獣を宿す娘。縁持つ少年の実力は?剣王の弟子だというけれど」
「にゃあ……。アベルは強い、間違いなく。でもそれは剣での話じゃ……」
――……好き勝手に言ってるなぁ。
急転直下の展開に正直混乱しているが、しかし唯一の手掛かりであったラルフ・オルキッドから何も得られないという事態に比べればはるかにましだ。
そして結果的には大当たり、それどころか剣王は「師匠」と言った。
アベル自身は未だにまったく思い出せないが、旅の目的がここで果たされるかもしれない。
当然、喜ぶべき展開だと言えるのだが……。
「いや……それにしたってこれは……」
望外の展開に急な稽古の話にも二つ返事で飛びついたが、正面に立ってみて初めて、想定していたほど簡単な話なのではないという事がわかる。
「なにせ久方ぶりだ。どんなもんか見てやるから、とりあえず。……殺す気で来い」
そびえたつ雹風山を後ろに背負い、剣王がアベルに貫くような視線を向けた。
――これが剣王。これが頂点か。
「稽古」などと言われたところで、ほんの少しも加減する余裕などない。
殺す気で、なんてありきたりな台詞だが、こと彼に対しては一点の虚飾も無いという事が向き合って始めてわかる。こんなもの殺せなければ殺される気配だ。
冷汗が流れ、心臓が早鐘を打つ。逃げるべきだと叫ぶ本能を押しとどめ、アベルは刃を抜き放った。
白の長剣でも黒の短剣でもない、ごく普通のナイフを。
「……あん?」
それを見てなぜかいぶかし気な表情を浮かべるラルフだが、そのまま何を言うわけでも無く、アベルを窺っている。
「あ、合図は」
「要らねえだろそんなもん。さっさとしろっての」
アベルが武器を構えても、腰の剣を抜く気配すらないラルフ。
本来ならば腹が立たないでもないが、相手が相手だ。むしろ僥倖、それどころか無手の状況でさえ、こちらが有利だとは毛ほども感じない。
ここからアベルがどれだけ本気で殺しにかかっても、あくまで稽古の域を出ないという事が悔しいがはっきりとわかる。
しかし、それでも。
ここで全力を出さないなんてあり得ない。
「それじゃあ、行かせてもらいます……よッ!」
そして、アベルは『
そして次の瞬間。僅かな殺気すら出ない、ほとんど脱力したような自然体の構えから、アベルの姿が掻き消える。
――『疾影』。
脱力した完全停止状態から、一瞬で目にも止まらぬ超高速移動。
アベルの得意とする暗殺術。神速の移動法。
本来魔導士であるアベルの本域は魔術にある。
しかし剣士と一対一で相対した状況では詠唱も陣も間に合わず、その上集中しているため敵の攻撃にも満足に反応できない。
これはアベルの魔導の腕ではなく現代魔術の限界、向き合えば魔導士は剣士に勝てないのだ。
そしてなぜか防御一辺倒しか覚えていないアベルの剣術では、当然目の前の剣王に通用するはずも無い。
だからこそ、暗殺術こそが対人戦闘における彼の全力。
外した剣帯が地面につく前に、アベルのナイフは相手の首をかき切らんと迫る!
「……ふーんやるやん。でも」
その速さを見て、観戦していたリュウマが口の端で笑った。
常人には反応できない速度。普通であれば返り血が付く暇もないだろう。
……だが、相手は常人ではない。それどころか。
「……なにやってんだ?お前」
眼にも止まらぬ速さで移動しているはずのアベルと剣王の目が合った。
――やばっ……!
「グッ!……」
ナイフが空を切る。そして同時に駆け抜けるはずのアベルの腹に、剣王の拳が突き刺さった。
手からナイフがこぼれ落ち、そしてアベル自身も膝から雪原に崩れ落ちた。
「ウッ、エ……」
痛みと吐き気で目の前がチカチカする。自分を見下ろす剣王を見る余裕もなく、ただ脂汗を流しながら悶絶するアベルに、クレアとシルフィが駆け寄る。
「アベルっ!」
「大丈夫!?」
なぜだろう、彼女たちに情けない姿を見られたことよりも、ラルフに簡単にやられたことよりも、一瞬視界の隅に映った、リュウマの「こんなものか」とでも言いたげな顔が気に食わない。
クレアとシルフィを大丈夫だと手で制し、震える脚で立ち上がった。
「てめえ、馬鹿にしてんのかッ!!」
木々を揺るがすほどの大音声。先ほど家の中で殴られた時と比べ物にならないほどの怒りを浮かべて、剣王ラルフ・オルキッドがアベルの胸倉をつかんだ。
「てめえの記憶が無くなろうがかまわねえ。だがな、俺が教えてやったことまで忘れて弱くなるのだけは許さねえぞ!」
その剣幕にクレアとシルフィの体がすくむ。黒小人も夫婦でおびえたようにその手を取り合う横で、リュウマだけが相変わらず興味深そうに成り行きを見守っていた。
「どんだけ面倒だったと思ってんだ!?ああ!?てめえのためにわざわざアホみてえなドルイドと、発情した
そこまで言いかけて、ラルフはアベルを突き飛ばすと、怒りを抑えるように一度大きく息を吸った。
「……す、すみません。でも俺は……」
「黙れ。立て。息を整えろ。……剣を拾え」
息も絶え絶えに口を開くアベルに、切って捨てるように言うと。ラルフが先ほどアベルが外した剣帯を指さした。
「い、いや、でも……」
「黙れと言ったぞ。……早くしろ」
有無を言わせないその態度に、アベルも今度は何も言わずに従う。
外した剣帯を再びつけ、目を閉じて殴られた部分に魔力を集中させる。
――肋骨も折れていない。内臓にも問題はない。……なら。
魔力を集中させたまま深く息を吸う。何度か繰り返せば、痛みと不快感は残るものの戦えないわけではない。だが、しかし。
――『疾影』が牽制にもならない。それなら何度やっても……痛ッ……!
その瞬間。アベルが鋭い痛みを感じてよろめいた。
ただし痛んだのは殴られた腹ではなく、頭。
最初にラルフ・オルキッドを見た時と同じ強烈な既視感が、彼を襲った。
殴られた腹に感じる不快感。回復のための魔力集中。腰に付けた二振りの剣の重量。どこかへ歩いて行くラルフ・オルキッドの背中。そして、彼を打倒するための方策を考える自分自身。
それらがアベルの中で噛合って。
鎖にひびが入る音を、アベルは確かに聞いた。
「……仮にも最初の弟子だ。剣を抜け。もう一度だけ機会をくれてやる」
アベルが目を開けた。
その視線の先には、細い木の枝を両手に持ったラルフ・オルキッドがいつものように楽し気にアベルを見ている。
「気張れよクソガキ、『三本』だ」
もはやガキとは言えない年齢のアベルを、あの時の同じようにラルフが呼んだ。それに少しばかり感傷的になるアベルだったが、今はそんなことよりも。
「師匠!さすがにそれは無体や!」
「そうですよ!『一本』でも死ぬ、って……?」
ラルフの言葉に、リュウマとアベルが口をそろえて抗議した。
リュウマはともかく、アベルもラルフの言葉の意味を知っているかのように。
「……あれ?」
自身でも何を言っているのかわからないと言う様に、アベルが首をかしげ、その様子にラルフが少しだけ満足そうに口の端をゆがめた。
***
「リュウマ殿、『三本』とはいったい……?」
記憶が戻ったのかと思いきや、黙り込んでしまったアベルを見ながらクレアが尋ねると、リュウマも驚いた表情のままアベルから目をそらさず答えた。
「……師匠と手合わせするときは、こっちは真剣、あっちはああやって棒切れ使うてやるんや」
そう言ってリュウマは視線の先の二人を示した。
アベルは握った長剣『
「そんでもう一つ、こっちが攻めてる間はよっぽど大きい隙が無い限り、師匠からは切り込んでこうへん。あのほっそい棒切れで防ぐだけや。そやからいずれは棒切れが折れる。『三本』いうのは、手合わせを師匠の枝が三本折れるまでやるいう事や」
真剣そのものという表情でリュウマが語った話を聞いて、クレアが安心したように胸をなでおろす。だってそうだろう。いくら剣王と言えど、真剣とあれほど細い枝なら一度打ち合っただけでも折れてしまう。
そんなクレアの様子に、リュウマは小さく舌打ちすると。
「問題は、この手合わせの時は師匠が本気でやるいうとこや。……剣王ラルフ・オルキッドの本気、見たことないやろ。あの人、あんな棒切れでも折らずに落ちてきた大岩いなすし、甲毛熊の両断くらいは平気でするで」
「……は?」
その言葉に、理解が追い付かないというようにクレアが口をぽかんと開けて、ラルフを見た。
「刃の頂点の規格外は半端なもんやあらへん。ボクでも本気で攻めて一本折るのに何合打ち合えばええか……。アベル君、やったっけ。師匠の弟子いうんは確かかもしれんけど……。さっき程度やったら、ホンマに死ぬで」
「……アベルっ!」
それを聞いて青い顔でアベルに呼びかけるクレアの声も、今はアベルに届かない。
彼は何かを思い出そうとするようにじっと握った長剣を眺め、そして決意したように顔を上げ、剣王を見た。
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