12 緊張と緩和

「へぇ、あの熊ホンマに君らが倒したんか!大したもんやなぁ」



  青年がアベルたちと甲毛熊を交互に見ながら感心したように言った。

 アベルやクレアより少し上、二十歳を過ぎたあたりだろうか。針のようにひょろ長い背丈にボロボロのコート、顔つきは一見すれば人の良さそうな青年だが、背中に背負った大太刀が異様な威圧感を出していた。


「ああ、すまん。ボクはリュウマ。リュウマ・クニオカ。君らのその服、ドラウステニアの王剣隊と魔導隊やろ?こんな辺境まで魔獣退治か?」

「いえ、私達はこの先のゴラティエという村を目指す途中で偶然……。申し遅れました、私はクレア・ガーディニア。仰ったようにドラウステニア王剣隊に所属しております。彼女は同じく魔導隊のシルフィ・ランドック。そして彼が……」


「アベルと申します。……この大きさの甲毛熊をお一人でとは、かなりの腕前とお見受けしました」


 アベルを紹介するのに一瞬詰まったクレアから引き継いで、面倒なことにならないうちに話題をリュウマと名乗った男自身に向けた。


「あー、野ウサギでもと思て森に入ったら、出くわしてもうて。……剣術なんぞよう知らんけど、幸いモノだけはええもんやさかい、無我夢中で振り回してたらうまいこといったみたいでな。いやあ運がよかったわ」


飄々とそんな事を言ってのけるが、魔獣は素人剣術で倒せる相手ではもちろんない。確かに大太刀もかなりの業物なのは間違いないが、この男自身、かなりの使い手のはず。


――一対一なら俺なんて相手にもならないだろうな。それこそクレア以上だろうけど。


 アベルが姓を名乗らなかったことに特に触れては来なかった。まあ訳アリはお互い様だということか。それならこちらが突っ込むのも不作法だろう。


「なるほど、それは災難でし……」

「そんな訳がありません!この魔獣への太刀筋、かなりの使い手だとお見受けしました。甲毛熊に刃でここまで深い傷……。お名前から東方のご出身のようですが、いったいどんな方に師事を……ッモガ!?」


 と思ったら、剣の名門のお嬢様が興奮した様子でまくしたててきた。

クレアはどうもこういう機微に鈍いというか、強い相手に見境がないというか。剣や戦闘の話になると早口になるのがなんだろう、残念だ。

 リュウマもその剣幕に苦笑いしながら若干引いているので、ちょっと口を塞いで下がらせる。


「ははは……。彼女はちょっとこういう場面に何というかアレで。いやあ。……申し訳ない」


 アベルに口をふさがれ、真っ赤な顔をして暴れるクレア。

 とりあえず鎮めるため、アベルは腕に力を籠め抱きしめるように抑え込む。すると途端に目が潤みクタッと体の力が抜けた。よし、これでひとまず放置だ。後で怒られよう。

 そして後ろのシルフィからは殺気が飛んできてるが、こちらには後で甘い物でもあげよう。


「クッ、ハハハ、君らおもろいなあ!いやいや、ええよええよ。剣のお貴族様やもんなあ。……ゴラティエ行くんやろ?ボクもそっちの方なんやけど、途中まで付いて行ってもええか?」


 リュウマが興味深げに、笑った。



***



 甲毛熊の耳を見せたところ、ゴラティエの村長は快く宿を紹介してくれた。

 本来ならば王都に早馬を走らせて依頼を出すところを、偶然アベルたちが討伐したのだ。アベルたちも路銀の節約になるのでちょうどいい。

 そして一時の同行者となったリュウマとは、村に入る直前であっさり別れた。なんでもこのあたりに知り合いがいるらしいので、そちらに向かうとか。


――リュウマ・クニオカ。ただ者じゃないのは分かり切ってるにしても……。あの雰囲気、どこかで……


 夕食を済ませベッドに寝転ぶ。

村から目的の黒小人の家まで、村長が簡単な地図を描いてくれた。明日はそう急いで出る必要もなさそうだったが、想定外の襲撃、そして数日ぶりの温かい寝床とあって、三人とも早めに今日は休むことになったのだ。


 しばし体を休めながらも、脳裏に浮かぶのは先ほど出会ったばかりの男。

 名前にも姿にも全く覚えがない。もしかしたら記憶を失う前に出会っているのかとも思ったが、向こうもそんなそぶりは見せなかった。


――なんにせよ、こんな辺境にあれほどの使い手が現れる理由……。まず間違いなく目的は一緒だろうな。


 ラルフ・オルキッド。

 アベルたちに彼の情報がもたらされたのは、ラルフ・オルキッドの剣を鍛えるという黒小人が、ドラウステニア王室とも懇意だったからだ。

 剣王の威光をあまり知らないアベルには実感がないが、これはその界隈では結構な出来事らしい。こういうことは大事であればそれだけ、誰かが情報を掴む機会は増える。

 

「まあ考えても意味はない、か」


 目的が同じだとしても、別に関係はない。すぐに再会したとしても敵対するわけでも無かろうし。

 そう結論付け、アベルが眠りに就こうと目を閉じると。


「……アベル、起きてる?」


 控えめなノック。そしてその声を聴いて、アベルは思わず苦笑する。


「大丈夫、まだ起きてるよ」


 確認せずとも声の主は分かる。夜にアベルの寝室へ訪れてくる相手に心当たりなど一人しかない。


「や、シル。こんばんは」

「……このあたりは寒い、から。今日は、一緒に寝てもいい?」


 不安げな顔でギュッと寝間着の裾を握り、枕を抱きしめてシルフィが立っていた。

そんなシルフィを見てアベルはいつものように微笑む。すると途端に目を輝かせて、シルフィがベッドにもぐりこんできた。


「重いよ、シル」

「……にゃあ、私重くない。軽い」


 仰向けになったアベルの上で、シルフィが彼の胸元に顔を押し付けてぐりぐりと首を振る。

 王都でも時折、シルフィはこうして夜中にアベルの小屋へと訪れてくることがあった。何か怖いことがあった時や、つらいことがあった時、そして昔を思い出してしまうようなことがあった時。彼女は決まってアベルの元へやってきた。

 その生い立ちを知るアベルにとっても、彼女がやってくればこうして眠れるまで一緒にいるのはやぶさかではなかった。


「……がっかり、した?」

「え?」

「今日、魔獣が来ても私何もできなかったから……」

 弱弱しくシルフィが言う。今日のことはやはりまだ気になっていたのか。

「……嫌いになった?」

 アベルの上で、シルフィの体がかすかに震えている。

「でも、でもでもっ。普段はもっと。精霊がいつも通りいる場で所なら、もっと私も戦えるからっ!だから……」

 アベルに押し付けた顔を上げ、シルフィがアベルの眼を覗き込む。うっすらと涙を浮かべたその表情は、普段の彼女からは想像もつかないほどに儚げで。


「みゃあ。嫌いに、ならないで……。お願い……」


 その言葉に思わず、アベルはシルフィの小さな体を優しく、そしてしっかりと抱きしめて。

「いつも言ってるけど、そんな事あるはずないじゃないか。……シルフィがこういう時、不安になる気持ちはわかるけど、俺がシルフィを嫌いになることなんてないよ」


 そして布団から覗く白銀の髪を、そっとなでると、シルフィが喉を鳴らして気持ちよさそうに耳を動かす。


 クレアが頼れる相棒ならば、こういう時のシルフィはまるで妹のようだ。

 家族のいないアベルにとっても、この暖かさは心地がいい。

 シルフィが寝息を立てるまでアベルはやさしく髪をなでる。そうしていつの間にか、アベルもぐっすりと眠っていた。



それこそ、翌朝起こしに来たクレアの怒声で目が覚めるまで。


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