5 壮行会
気付けば数人の男たちに取り囲まれていた。
青筋を浮かべアベルをにらみつける彼らに気づいた途端、先ほどまであんなにもゆるんでいたクレアの表情が一瞬で冷めたものに変わる。
「そこのお前、クレアとどんな関係だっ!?」
彼らの中心に立つ、一際体格のいい男がアベルの前に進み出て威圧するように言った。
取り囲む男達も同調するように頷く。
「……クレアは俺の友人ですが」
はっきりとそう言い放った途端、男たちの顔が不愉快そうに歪む。なぜかそれだけでなくクレアの顔も一瞬、不満げなものに変わるが、
「ま、まぁ今はまだ友人でいいわ。だってすぐに……フフ、フフフ……!」
なにか呟いたなり、一変して頬を染めると怪しくニヤけた。
そんな彼女の様子をアベルは不気味そうに見て、正面に立つ男は血管が切れるんじゃないかと言うものすごい形相で、なぜかアベルを睨みつけた。
「……友人だがなんだか知らねえが、クレアは俺の女になる予定でなぁ。妙な噂が立つような真似は迷惑なんだよ」
厳つい顔の男は鼻息荒くそう言うと、クレアの肢体を舐めるようにねっとりと見る。
その視線から逃げるようにアベルの後ろに隠れるクレア。そしてアベルはといえば颯爽と彼女をかばうように立つ……ことも無く。
――その「えーなになに、愛の告白!?」みたいな顔をやめろ!「返事は返事は!?」みたいな顔で私を見るな!噂好きの女の子かあんたは!
クレアがアベルの背中で頭を抱える。しかしいつもならこういうアベルの態度に腹を立てるクレアだが、今日、というか今は一味違う。
なにしろ信頼できる人しか誘わないような旅に誘われたのだ。彼のプライベートな部分に深く絡む、本当に親しい間柄でしか同行できないような旅なのだ。……もはや婚前旅行と言ってもいいのではないか!?
だからこそ、時間を無駄にしてはいられない。これからさっさと準備して、外堀……ではなく関係各所に報告しなければ。
いくら騎士団に所属していても、貴族の娘として長期の任務に出る前はそれなりに面倒なこともあるのだから。これもその一つなのかもしれないけれど。
「あの、グラムさん、何度も言ってますけど、私あなたみたいな人が本当に苦手で。隊の先輩だからって、あんまり話しかけないでもらいたいんですが」
アベルには絶対に見せないような冷え切った態度でクレアが言い放つと、グラムと呼ばれたその隊員の顔は羞恥と怒りで真っ赤に染まった。
「このアマ……っまあいい。この女はそのうち素直にさせてやる……おい、その「ご愁傷さまです」みたいな生暖かい目をやめろ!大体誰なんだお前!」
怒りで震える指先を今度はアベルに突きつけて、グラムと呼ばれた大男が叫んだ。
アベルの仕事は基本的に内勤もしくは表立ってできないような外での仕事。必然的に同じ王剣隊の中でもアベルの事を知るのはごく少数だ。
だからこそこういう時は聞かれてしまう。
お前は誰か。
アベルはその問いに明確な答えを持たない。自分は誰なのか、生まれは?育ちは?
その質問が嫌だからこそこの5年間、アベルは自分から他者に関わろうとしなかったのだ。
だがしかし。
「俺はアベル。ギズワルド王の側仕えをしています」
目の前の男から投げかけられた誰何に、アベルはそれでもまっすぐに答えた。
過去は知らない。だがこれから知るのだ。
だからこそ今は。今の自分にもわかる限りでいい。何をしている人間なのか。それは、はっきりとわかる。名と役目は、すべて王が与えてくれたからだ。
「側仕え……?そうか汚ねえガキを拾ってきて側に置いてるなんて噂があったが、お前が……」
しかしアベルの内心など、その秘めた誇りなどは目の前の大男には関係がない。だからこそ彼の名乗りを聞いたとたん、グラムが急に尊大な態度になって嘲るような眼でアベルを見た。
「クレアが懐いてるようだから、どこのお貴族様かと思ったら……。ここは王剣隊の場所だ。テメエみてえな下賤の輩がいていい場所じゃねえんだよ。……さっさと情けねえクソ王のところへ戻って尻尾振ってろ」
国法に照らせば。
原則的に王剣隊は王個人に仕える部隊ではなく、国に仕える部隊だ。もちろん王に忠誠を誓っている者が大多数には違いないが、先王の悪政、また現王も政治手腕はともかく、その見た目で武人たちから侮られやすい。結果、グラムの様に公然と王家を嘲るような態度をとるものも少なくなかった。
解らない話でもない。だからこそ今の言葉も、王剣隊の隊舎でならばいいだろう。しかし彼の、アベルの前でそれは禁句だ。
「……取り消せ。王への侮辱は許さない」
先ほどまでの軽い雰囲気を一変させ、アベルが一歩前に出た。
底冷えするようなその口調に、王剣隊の歴戦の面々でさえ警戒の色を強めた。しかしそれでもグラムは彼を、ひいては王を見下した態度を崩さず、腰に佩いた剣を抜くとその切先をアベルの鼻先に突きつけて言い放った。
「テメエが許さなかったら何だってんだ?いいか、頭に来てんのはこっちなんだよ。……さっさと消えろ。そんでクレアに金輪際近づくんじゃねえ。それとも下賤な馬鹿は腕の一本でも無くさねえと理解できねえか?」
そう言って丸腰のアベルに向けられたのは、刃引きされた修練用ではなく正真正銘の真剣だ。
たとえ修練場とはいえ、王城内で真剣を抜くことは基本的に禁止されている。
許されるのは戦時などの非常時と、王もしくは自分の身に危険が迫った時、そしてもう一つ。
男の獰猛な気配、そして鈍い光を放つ刃にもひるむことなく、アベルはゆっくりと口をひらいた。
「……真剣を向ける意味がわかってるのか?」
アベルがそう言ったとたん、周りを取り囲んでいた男たちから爆笑が起こった。
王城内で真剣を抜いていいのは、非常時と王もしくは自らの身を護るとき、そして名誉をかけた決闘の時だけだ。
「馬鹿が、決闘ってのは互いの名誉をかけた貴族の戦いだ。姓も名誉も持たねえお前みたいな奴と決闘なんてしたら、俺の家名に傷がつくわ!」
そう言ってアベルの眼前でその剣を大きく振るった。
「これは躾だ。太った飼い主に代わってな。逃げ帰るなら今だぜ」
グラムが醜く歯をむき出してそう言い放った途端。あーあ、と頭を振って、クレアが持っていた練習用の剣をアベルに手渡し、後ろに下がった。
「ありがとうクレア。……あんたに、王に忠誠を誓えなんてことは言うつもりはない。ただ俺の目の前で王が侮辱されたのに、黙ってるわけにはいかないからな。王剣隊だか何だか知らないが、お前には少し痛い目を見てもらう。……なるほど躾って言葉はしっくりくるな」
「おいおい、どこまで馬鹿なんだテメエ!人目があれば殺されねえとでも思ってんのか?」
「それはお互い様だろ?……まあ、お前が弱ければ。ちゃんと怪我無く帰してやるよ」
受け取った剣を片手でだらりと持って、アベルが挑発する。
対するグラムは怒りで動物のような唸り声をあげながらも、正眼に構えた剣には乱れがない。腐っても王剣隊だ。
かたや真剣、かたや刃引きされた修練用。得物に違いはあるものの、怒りを込めてにらみ合う二人はもはやすでに戦闘態勢。周りからの合図など必要ない。
数秒の間、二人の息遣いが聞こえるほどの静寂が続き、そして。
――口だけじゃなく、グラムは強い。鈍重でもそれに見合う膂力はある。王剣隊でも実力者の一人。……だけどそれだけで勝てる相手じゃないわよ、こいつは。
二人を取り囲むギャラリーの輪から、クレアが二人に視線を走らせた瞬間。グラムが動いた。
最小限の踏み込み、そしてその巨躯からの押しつぶすような一撃。
荒々しい見た目に反した教本通りの攻撃を、アベルが少し驚きの表情を浮かべつつ、紙一重でかわした。
「んだその面ぁ!さっきまでの余裕はどこ行ったんだ、ああ!?」
「ぐっ……」
隙の無いグラムの連撃を、アベルは姿勢を崩しながらもなんとか避け、受け止めていく。
だが刃引きされているアベルの得物に対し、グラムは真剣。精神的にもグラムが有利だ。
刃が火花を飛ばすごとに、みるみる劣勢になっていくアベルを他の王剣隊員たちがはやし立てる。
「おらどうした、でかい口叩いてその程度か!?」
「……黙ってろ雑魚」
「んだとてめえ!」
わかりやすい挑発だが、興奮状態にあるグラムはそれだけで火が付いたように激昂する。しかしそんな状況でも剣筋にブレはなく、それどころか苛烈さが増した分、アベルが不利になってしまう。
しかしこんな状況でも、見守るクレア、そしてアベル本人の表情にも焦りは見られない。
――これが立会人もいる正式な決闘、剣技を競う真剣勝負だったなら、グラムに勝ち目があったかもしれないわね。でも……
大きく振りかぶった剣を、グラムが降り下ろす。よろめきながらも大きく距離を取ってそれをかわした瞬間、アベルの目の色が変わった。
――こういうとりあえず勝てばいい戦いなら、グラム程度あいつの敵じゃない。
回避のため後ろへ大きく距離を取るようにアベルが跳ぶ。そして着地するや否や、自らの剣をグラムの顔面に投げつけた。
苦し紛れにも見える、しかしグラムの大きな攻撃の直後を狙った、不意をついた一撃。
いくら刃引きされているとはいえ、木剣とは違う十分な重さを備えた剣だ。当たれば防具をつけていないグラムも昏倒するような威力となる。
が、通常の剣士ならば喰らっていたであろうその投擲を、王剣隊たるグラムは驚異的な反応で剣を振り上げ弾き飛ばす!
「甘え!」
「お前がな」
ひどく冷たいアベルの声。その声はグラムのすぐそばで聞こえた。そしてそれを理解したと同時に、グラムの巨躯がゆっくりと崩れるように両ひざをついた。
「なん……だ?」
ギャラリーはもちろんそれを受けたグラム本人でさえ、何が起きたのかわからなかっただろう。アベルは数歩の距離を刹那で詰め、グラムが剣をはじいたのとほぼ同時に、その顎を掌底で打ち抜き、そしてそのまま側頭部に流れるような一撃を見舞ったのだ。
――『疾影』
影が伸びるが如く音も無く忍び寄るその技は、かつて王を狙った暗殺者が使った神速の移動法。
アベルはその暗殺者を退けた際、見ただけでそれを自分のものにしてしまった。
防戦一方になっていたのも、いちいち過剰に体勢を崩していたのも、そして捨て身に見えた投擲も。すべては布石。侮らせ、相手が優位だと信じさせるため。
そして今や完全に沈んだグラムには一瞥もくれず、静まり返ったギャラリーの中を、アベルはゆっくりとクレアの元へ歩いていく。
「ありがとう。……それじゃ三日後の夜明け、城門で」
練習用の剣をクレアに渡し、頬を染めたクレアの耳元にそれだけ囁くと、そっと微笑んだ。
そしてクレアが見送る暇もなく。我に返ったギャラリーの怒声が響き渡るころには、その姿は修練場から消えていた。
「驚いた。まさかあれほどとは」
罵詈雑言の喧騒の中、隣で騒動を見ていた古参の王剣隊員が、ゆるんだ頬でえへへと笑うクレアに声をかけた。
「いやぁ、すごいでしょうあいつ。えへへ」
「……だがあんたがそんなに買うほどか?グラムは調子に乗ったからあのザマだが、油断しなけりゃああまで無様に負けないだろう。あんたならなおさら」
続く古参の隊員の言葉にやっと正気に戻ったのか、慌てて表情を引き締めたクレアは少しだけ考え込む。
「……そうですね。剣で正々堂々の一対一なら負けません。仮にあいつが体術や暗器、何でもありだったとしても、明るい修練場でならいい勝負になるでしょう。でも問題はそんなことじゃなくてですね……」
クレアは目の前の惨状を見、あきれたように大きくため息をついて。
「あいつ魔導士なんですよ」
その隊員が目を丸くしたのを見て、クレアはこっそりと満足げにほくそ笑んだ。
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