4 旅の仲間(美人)

 そこにはいつも剣戟の音と怒声が響いている。

 

 王とのやり取りを終え、その足でやってきたのはドラウステニア王国王剣隊の修練場。

 国を守る騎士たちが日々腕を磨き、汗を流すそこにアベルは訪れ、目当ての人物を探していた。


 ――王剣隊と魔導隊から一人ずつって言われてもなぁ。しかも若手。


 何しろアベルは記憶喪失の上、謎の場所から発掘されたのだ。自身がとんでもなく怪しいという事は理解している。加えて仕事は王の側近。それも裏の方だ。政務補佐官のリーゼを指揮棒とするならば、アベルは字義の通り懐剣であった。城内でも彼の事を知っている人間は限られるし、言葉を交わすような相手はさらに少ない。

 

――王剣隊については、ほぼ王が指名したようなもんじゃないか。


 そんな彼が、旅の同行を依頼できるような相手。しかも行先が決まった旅ではない、あやふやな目的のための旅なのだ。

そう、これは彼の記憶を巡る旅。今は何もわからないからこそ気にならないが、同行者には自分の過去をさらすことになる。

 正直、魔導隊はまだしも、王剣隊でそれほど信頼できる人間は一人しかいない。


 ――まあ向こうがこっちを信頼してくれているかは、不安なところだけど。

 不安をごまかすように気合を入れ、彼は修練場の奥へと声をかける。


「クレア、ちょっといいかな!」


 探していた人物は相変わらず一人で型稽古をしていた。

 燃えるような赤い髪を揺らし、ただ一心に剣を振るうその少女は、クレア・ガーディニア。十代にして騎士の称号を得、そして王剣隊入隊まで果たしたエリートにして、剣の名門ガーディニア家の三女。

 その家柄、そして美貌から、城内の男たちからひっきりなしに言い寄られるもすべて冷たく切り捨てる彼女を誰が射止めるのかは、城内でも注目の的になっている。


 修練を中断されて不機嫌そうに振り向いた彼女だったが、しかしアベルの姿を認めた瞬間、その顔が一気に沸騰したように赤く染まった。


「あ、あんた、こんなとこで何してんの!?」


 上ずった声で叫び、手に持った剣を取り落としそうになるほど慌てふためいた彼女は、すぐにアベルに背を向けてうずくまってしまう。どうしたのだろうと、アベルがその背中に近づいていくと、


「ちょ、ちょっと待って!今こっち来ないでそこで止まって!」

 

 投げつけるようにそう言い放ち、背中越しに練習用の剣をアベルに突きつけるクレア。

その姿にアベルは苦笑しながら両手を上げ、足を止める。

 

 ――やっぱり嫌われてるのかもしれないな……。


 そんなことを思いながら、アベルが寂し気にため息をついているその向こうで。

 ……クレアが小声で「汗が、髪も!なんでよりによって修練中に……!」なんて言っているのも、泣きそうな顔で必死に前髪を整えているのも、残念ながらアベルは気づいていなかった。

 

「えっと、話したいことがあるんだけど……」

「ま、まだダメ!まだそこにいて!」


 そして慌てるクレアの背中を眺めながら、周りの男たちの驚きと嫉妬に満ちた視線を受けて立ち続けること数分。


***


「で、なによ話って」


 修練場の隅、喧騒から離れたあたりに場所を移して2人並んで腰を下ろすと、さっきの動揺などなかったかのようなすまし顔でクレアが言った。

 

 アベルがドラウステニア王城で保護され、はじめに王から命じられた任務で一緒になったのがこの少女、クレア・ガーディニアだ。

 最初の頃は互いに全く干渉しなかったが、最近では昼食などがなぜか一緒になる機会が増え、共に任務へ赴くことも多くなった。場内では数少ない、信用できる同僚だと言える。


 ……だが相変わらず目は合わせてくれない上に、今日はなんだかいつもよりさらに、


「……遠くない?」

「い、いいのよここで!ちゃんと聞こえるでしょ!?」


 顔を真っ赤にして、しきりに自分の脇や首筋のあたりを気にしている彼女の様子を訝しげに見ながら、アベルは気を取り直して口を開いた。


「実は、クレアに大事な話……、いや違うな。お願いがあるんだ」

「……ふんっ!」

「ええ!?」


 その瞬間、クレアが思いっきり壁に頭突きをかました。


「……ふ、ふふ。夢じゃない。夢じゃないみたいね……。そ、そそそれで、は、はな、話っていうのは、何かしら!?」

「……あ、ああ。実は、俺とい」

「しょうがないわね!あ、あんたがそこまで言うなら!そこまで!言うなら!……そ、その……いいわ、よ?」

「まだ何も言ってないんだけど」

 

 説明する前から了承されてしまった。

 もじもじと指を合わせながら、時折こちらに顔を向ける様子は、いつもの凛々しい姿と違ってとても愛らしい。それはいいんだけど。

しかし何を勘違いしているのかはわからないが、これから話そうとしていることはしっかり考えて決めてもらわないと。


「そ、そうね。どうせならはっきりあんたの言葉で……。あっ、ちょ、ちょっと一回深呼吸だけさせて。……よし。そ、それじゃあ、き、聞かせて?」


 さっきまで離れて座っていたはずなのに、いつの間にか触れ合うほど近くから上目遣いでアベルを見ている。


――なんか明らかに暴走してんな。


 まあいいか、とにかく聞いてもらおうと、アベルが口を開いた。

「実は……。さっき、王に呼び出されたんだけど」

「っはああああぁぁぁ」


 なんだ今の。ため息か。めちゃくちゃ長い上に何その顔。怒っているのか呆れているのか。


「……ええ。ええわかってた。わかってたわよ。どうせそんなこったろうと思ってた。そんなうまい話はないわよね。そうでしょうとも。……おじい様はなんだってあんな思わせぶりな。あんなこと言われたら期待くらいしちゃうじゃないの」

 

 アベルの言葉を聞いた瞬間、さっきまでのかわいらしい様子は吹っ飛んで、城内の人間が見慣れたいつもの不機嫌そうなクレア・ガーディニアに戻ってしまった。

 

「……あー。続き話しても大丈夫?」

「ええ、ええ。どうぞどうぞ。それで今度は何?盗賊団の壊滅?灰狼の駆除?……どうせロマンチックの欠片もない、ドロドロに汚れるような任務なんでしょうね、いつもみたいに!」

「……なんで急にキレてんの?」

「キレてないわよっ!」


 ブツブツブツブツと暗い顔で何かつぶやいていたと思ったら、今度はなぜか詰め寄るようにアベルにかみつくクレア。城では無愛想な美少女だと思われているみたいだが、アベルからすればそんな印象はない。

 ――まあクレアの機嫌が乱高下するのはいつものことだから気にしないけれど。

 とにかく話をしてからだ。


「呼び出されて……。俺の昔の、過去の話をした」


 それを聞いた途端、クレアの表情が真剣なものに変わる。

 彼女はアベルの記憶喪失について知っている、数少ない一人だ。


「……知ろうとするなら、探すなら今が好機だと言われた。俺の過去を探しながら、広い世界を見て来て欲しいと。そのための長い暇ももらったんだ」


 アベルの言葉を理解した途端、クレアは思わず息をのんだ。

なんだかんだ長い付き合いだ。この先どんな話になるのかは、アベルの顔を見なくても想像できる。

……きっと彼女が一番恐れていることを言われるのだ。


「……それで、あんたは?」


 震える声でなんとか口を開く。聞かなくてもわかっているけれど。


「だから、行くことにしたよ。俺は、自分自身が誰なのか知りたい。……手がかりなんてほとんどない。どのくらいになるのか想像もつかないけど、長い旅になるのは間違いない。もしかしたら無事に帰ってこれないかもしれない。……その上、もし記憶が戻れば。おれだってどうなるのかわからないけど。でも、その、もしクレアさえよかったら……」


「……イヤ!そんなのイヤよ!」


 そこでアベルの言葉を聞きたくないとでもいうかのように、クレアが声を上げた。


「あんたがずっと自分の記憶の事で悩んでたのも知ってる!これが私のわがままなのも!でも……、でもっ!」

 嗚咽をこらえるようにクレアがアベルの手を握った。小さく肩を震わせ、下を向いた顔からはその表情がうかがえない。


 ――いやぁ、断られるかもとは思ってたけど、ここまで激しく拒否される……?

 いやいやと、激しく首を振るクレアの様子を見て、今度はアベルが大きくショックを受けたような顔になった。

「ご、ごめん。大丈夫、この話は別の人に……」

 悲しげにそう言うアベルの声は。


「もうお別れになっちゃうかもしれないなんて、そんなのは嫌ぁ……」


 懇願するかのようなクレアの言葉に遮られた。

強く手を握ったまま、クレアが上目づかいでアベルの目をじっと見る。目じりに涙をうかべ、普段の強気な彼女からは想像もつかないような表情に、思わずアベルの鼓動も早くなる……が。


「……ん?お別れ?」

「……え?」

「……あの、旅には信頼できる相手を一緒に連れていけって言われて、それでクレアに声を掛けに来たんだ、けど……」


 困惑した表情のアベルの言葉を聞くうちに、みるみるクレアの顔が真っ赤になる。そして勢いよく顔を伏せ、またアベルに背を向けてうずくまってしまった。

 先ほどとは違う様子でプルプルとその体が震えている。


「ごめんっ。でも俺クレアくらいしかそんなこと頼める相手いなくてっ……大丈夫!王の命令って言っても、さすがに俺も嫌がる相手を連れて行ったりは……」

「……く」

「え?」


「行く!一緒に行くから!当たり前……じゃなかった、しょうがないから付いていってあげるって言ってんの!よかったびっくりしたやったぁーーー!」


 そしてばね仕掛けの様に立ち上がると、空に向けて拳を突き上げ、とびっきりの笑顔で叫んだ。

「あ、ありが……とう?」

 豹変した彼女を、頭に疑問符を浮かべながらアベルが引き攣った顔で見る。

 途中までは結構真面目な雰囲気で話をしていたはずだったのだが。おかしい。

 

「フフっ。フフフ。信頼できるって……それに、ふ、二人っきりの旅……!おじい様はこのことを言ってたのね……。あぁお父様お母様、遂にこの時が……クレアは大人になって帰ってきます……!」


 小声で何やらぶつぶつとつぶやきながら、ゆるみ切った表情でぴょんぴょん飛び跳ねるクレア。それを不気味なものを見るかのように見守るアベル。

 先ほどまでの緊迫した雰囲気はどこへやら、表情こそ違うものの、どちらも安堵した様子で穏やかな空気が流れていた、が。

 二人とも、ここが修練場、他者の眼がある場所だとだと忘れていたのかもしれない。


「おいお前、さっきから何言ってやがんだ……!?」


 声を掛けられるまで、青筋を浮かべてこちらを見ている男たちに二人とも気がつかなかったのだから。

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