3 始動
五年前、ギズワルドとリーゼが先王の怠惰の結果を少しずつ返上していたころ。王のもとに
「妙なもの?あそこは散々調べたはずだが」
執務室で膨大な書類から目を上げずに、ギズワルドがリーゼに聞いた。
あの死んだ土地。吹雪と魔結晶の山麓には、王室からも何度か調査隊を送り込んでいる。
「……そのはずなのですが。なんでも現地で魔結晶の採掘を進めている者が、あの場の中心に、まるで守られるように眠っていた人間を見つけたと」
厄介事の予感に頭を抱えながら報告するリーゼに向けて、思わず視線を上げたギズワルドがポカンと口を開いて言った。。
「……は?」
最大の功績が早逝したこと、とまで言われた先王が残した負の遺産の一つ。それが
北の天嶮・雹風山の麓という、険しい環境にわざわざ建てられた王家の社交場。
莫大な資金がつぎ込まれたその美しい離宮は、なんと場所の悪さゆえに建てた先王自身もほとんど利用しなかったというあきれた逸話とともに、先王の悪政の代名詞となった。
何しろ王子であったギズワルドも完成式典の折に一度出向いただけなのだ。
そして、そんな高名な離宮は今や。
「人間って、あそこは……」
「そうです。2年前の『結晶化』から、もともとの環境も相まって、もはや魔境。人間どころか、ウサギ一匹生きていくことはできません」
2年前、先王が亡くなる直前。雹風山で巨大な雪崩が確認された。
パレスを巻き込んだその雪崩の跡で調査部隊が目撃したのは、かつての美しい建物の残骸ではなく、一面の雪原に林立する、大量の魔結晶だったのだ。
この件については未だに原因を含めすべてが不明のまま。そしてそんな場所に。
「あそこは散々調べたはずだが……ん?待ってくれ、今眠っていたと言ったか?」
「はい」
「つまり、2年間もあの雹風山の吹雪の中、大量の魔結晶に囲まれて、その者はまだ生きていると……?」
「信じられない事ですが……」
その言葉に、今度こそ王も言葉を失った。
***
「今思い出しても衝撃的な出会いだったよ」
そして王が苦笑しながらアベルを見た。リーゼも隣でため息をつきながら、あきれた顔で首を振っている。
「おまけにその少年は、話を聞こうにも何も覚えていない。なんでこんなことになっているのかどころか、自分が誰なのかすら覚えていないときた。正直言ってこれには我々も頭を抱えたよ」
今の話、自分のとんでもない過去についてはすでに何度か聞いていたが、アベル自身、なぜそんな状況になっていたのか全く覚えていない。それどころか自分の出自、名前すら、何も覚えていなかったのだ。
「……もちろんそんな素性の知れない俺を城においてくれたどころか、側仕えにまでしてくださって、王にはいくら感謝してもしきれません」
「何を言うんだ。感謝といったらこちらの方だよ。まさか拾った少年が、とんでもない才の持ち主だったなんてね」
「そんなことないです。俺なんか全然……」
「いやいやいや。君が全然だったら我が王国に有用な人材なんて一人もいないよ」
あきれたように王が首を振り、そんな王の言葉に隣でリーゼも激しく頷いている。
「私への度重なる暗殺者を退け、時には単独で山賊の根城をつぶし、果ては魔獣退治まで。正直君がいなければ現在の私、ひいてはこの王国はなかった。分の悪い賭けだったが、あの時君を側に置く決断をして本当によかったよ」
「いえ、今の王国があるのはひとえに王とリーゼさんの手腕があってこそ。俺は本当に……」
「……その辺で。行き過ぎた謙遜は逆に嫌味ですよ」
咳払いをしてリーゼがアベルに釘を刺した。そして今度は王が苦笑いしながら頷く。
「王、そろそろ本題に」
「ああそうだね。……わかっていると思うけれど、君を呼んだのは思い出話に花を咲かすためじゃないんだ」
王がそう言って傍らのリーゼに目配せをすると、彼女はどこからか長方形のケースを取り出しアベルの目の前に置くと、その留め金に指をかけた。
「……君と出会ってから五年。私が即位した当初に比べ、まあ、なんとかこの国も安定してきた。おかげで諸侯も今や私に対しては静観の構えを見せているようだし、周辺国もすぐに事を起こすという事はないだろう。今が好機だ」
王の合図を受け、リーゼがケースを開く。その中には長短二振りの美しい剣。
「リーゼさんこれは……?」
「あなたが魔結晶の中で発見された時、この二振りを両手に持っていたそうです。その時に身に着けていた物はすべて何の特徴も無い品だったけれど……。この二振りだけはちがう。きっとあなたが何者なのか、その手掛かりになるはずよ。……だから、あなたに返します」
そう言ってリーゼは何か堪えるように目を伏せた。
「その道の者に見せてみたが長剣は精霊銀、短剣は黒魔鋼で鍛えられているそうだよ。……だが切れ味に関しては、丈夫なだけのなまくら、だそうだ。城付きの鍛冶師が言うにはね。しかし素材はどちらも一級品の魔鉱。ただの儀礼用とは思えない」
白銀の長剣と漆黒の短剣。二対の刀身があやしく光を放つ。もちろんアベルはこの剣に見覚えはない。無いはずだが、しかし。
「君の出自について僕らも少しは調べてみたんだけれど、正直言ってまったくわからない。だが君のその能力や、一緒に見つかったその剣から考えても、どう考えても普通の少年ではなさそうだ。……そして君が何者なのかは、きっとこの城で働いているだけじゃあわからない」
「王……」
「……今まで我々は君の力に甘えてしまっていたんだ。忙しさと危機感にかまけてね。だがもうそんなわけにはいかない。大人として、そしてなにより君の友人として。そろそろ君には自分自身の事を考えて欲しいんだ」
そう言ってギズワルドは少しだけ寂しげな表情を浮かべると、すぐに竜の国ドラウステニアの王としての表情でアベルに告げた。
「君には広い世界を見てきてほしい。君自身を知るためにも……。アベル、しばらく休暇を与える。世界を回り見聞を広め、そしてまた私の元へ戻ってきてほしい」
王はそう言って、アベルの瞳をじっと見つめていた。
自分自身の事。
この城に拾われてきてから、自分が誰なのかすら思い出せないことに、もちろん不安もあった。しかし王やリーゼ、そして数少ない友人たちがアベルを支えてくれたおかげで、今まで目をそらしてくることができたのだ。
「君も、別に目をそらしていたいわけじゃあないんだろう?」
「……それは」
当たり前だ。さすがに王を前にしてその言葉は飲み込んだ。
自分は何者だったのか。なぜ自分は戦い方を知っている?どうして敵に対して体が動くんだ?
王の言う通りだ。城下の人々を見る限り、どうも自分はただの一般人というわけではないのだろう。正直言って知るのは恐ろしくもある。
だが、いつまでもそれを知ることから逃げてはいられない。それはアベルにも十分すぎるほどわかっている。それに何より、義務感からではない。彼自身が知りたいのだ。
だからこそ王は彼を呼んだのだろう。そして彼の望みを果たすための機は今しかない。
しばしの沈黙。わずかな逡巡の後、王とアベルの視線が交わされる。
そして。
「……はっ。確かに拝命いたしました!」
アベルは剣を取った。不思議としっくりくる二振りの剣を。
そんな彼をまぶしげな表情で見つめる王。そして隣のリーゼの伏せた目には、うっすらと涙が浮かんでいる。アベルは二人の様子に少しの寂しさ感じながら、一度深く頭を下げ玉座を前に踵を返した。
アベルにとって、一度命を受ければ余計な言葉は不要であった。それは、失ってしまった記憶の中の習慣なのかもしれない。
王もまた、そんな彼の意志を汲むかのように、ただ無言でアベルを見送るだけであった。
普段であれば。
だが、今日はその背中に。
「……ああ、そうだ。言い忘れていた。うちの王剣隊と魔導隊から、それぞれ一人ずつ見どころのある若い子を同行させてもらえるかな。もちろん道中の君の護衛と、同じくその子たちにも国のために世界を見て、色々学んできてもらうためにね。それぞれの隊長には話しておくから。……ちなみにこれは厳命」
そして王とリーゼは、アベルがきょとんとした顔でこちらを振り返る前に、何か企むような黒い笑いを浮かべたのだった。
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