第一話 雪の宮殿と刃の王
1 目覚め
城の裏手に建てられた粗末な小屋で、その少年は目覚めた。この辺りでは珍しい黒髪は寝癖で大いに乱れ、朝に弱いのかその意識は未だ夢の中にいるようだった。
少年の名はアベル。五年前にこの城に拾われてきてからこの小屋で暮らしている。
アベルはベッドからなんとか身を起こし、先ほどの夢を思い出していた。
最近あんな夢をよく見る。人の姿はぼやけていて見えず、夢の中でしゃべっている自分の声はよく聞き取れない。
そして目覚めた時は、どこか懐かしいような既視感を覚える、そんな夢を。
「誰なんだろう、あの相手」
ベッドの上でぼんやりと夢の対戦者の事を考えていると、朝の静寂を破るようにノックの音が響いた。
「はいはい、ちょっと待ってください」
意識をはっきりさせるために少し大きな声で答え、アベルは急いで寝間着を脱いで簡単な身支度を整える。
こんな朝から、いや、昼だろうと夜だろうと、自分の所にわざわざ訪ねてくるような客は二、三人しか心当たりがない。そのうちの誰だろうかと考えながら、アベルはまだ寝起きのけだるさが抜けきらない頭のまま、ドアを開けた。
「おはようございます」
その平坦で硬質な声を聴いた瞬間、アベルの頭は覚醒し、まずは反射的に出そうになった舌打ちを渾身の理性でもって止める。そして直後に、自分の失敗――ノックされたからといって簡単に戸を開けた事――を、取り返そうと、ついさっきまで自分の安息を守ってくれていた扉を再び閉ざそうとした。
しかし目の前の人物は、なんと光の速さでその足を戸の隙間に挟み込んでくるではないか。
「歓迎ありがとうアベル」
射貫くような眼でアベルを見つめたままそう言うと、目の前の人物はずかずかと小屋の中に入ってきた。
無遠慮な力でこじ開けられた小屋の外には、うららかな朝日、さえずる鳥たち、気持ちのいい風。普段はアベルに一日の活力を与えてくれるそれらも、この人の前ではさすがに色あせて見える。
「……おはようございますリーゼさん。こんな早くにどうしました?」
纏め上げられた髪、整った顔立ちながら射貫くように周りを見つめる鋭い目つき、そして常に美しく伸びた背筋。部下から「監視塔」と揶揄されるその姿こそ、王の第一政務補佐官を務めあげるリーゼ・ウェザーその人である。
「そこまで早い時間でもないわよ……。まったく、またそんなにだらしない恰好で。仮にもレディを迎えるんですから身支度はしっかりしていなさい」
「……そりゃすいませんね。実は非番なのに朝から上司に叩き起こされたところなんですよ。……非番なのに」
「あら、そう?でも紳士はいかなる時も淑女を迎えられる恰好をしているべきよ。優しい上司のノックで目覚めるようではいけないわ。……ところであなた、もう朝食は食べました?」
「おかげさまでまだですよ。よろしければご一緒にどうですか?」
断られることは分かりきっていたが、一応、礼儀と言うか、場をつなげるために聞いておく。自分の上司と保護観察役を兼ねるこの女史には、気を使えるだけ使っておいて損はない。
「いや、それには及ばないわ。私はもういただきました。……そう、それなら仕方ありませんね。今日は昼食をたくさん食べるといいわ」
リーゼはそう言いながら、わざとらしく気の毒そうな表情を浮かべ、そして彼が口をはさむ間もなく次の言葉を口にした。
「王がお呼びよ。すぐに来なさい」
彼女は手短にそれだけ言い残すと、身をひるがえしさっさと城の方へ戻っていく。その後姿を見送った後、アベルは一度その黒髪をかきむしって、力なくのろのろと着たばかりの部屋着を脱ぎ始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます