其の九十四 魔窟這蟲
ムカデ型のスティマータが感電し機能が停止すると、ミコットはホッとしたのかその場にへたり込むように座り込んでしまった。
しかし、いつまでもここに居るわけにはいかなかった。蟲は自らの身に危険が及ぶと、同属にしかわらからない臭いを発して報せるからだ。
ミコットは震える身体を抑え込み立ち上がると、深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
「大丈夫……私にはお師匠様から教わった知識と魔法があるんだ」
そう自分に言い聞かせる。
恐ろしいのは変わらない。しかし、その恐怖に飲み込まれてはいけない。抗い押さえつけようとしてもいけない。全てを受け入れる、その為には自分の知識をフルに活用しなければならない。対処するのだ、恐怖を受け入れると言うことは、自らの知識でそれの対処法を導きだすと言うこと。
モタモタしている暇はない。ミコットはすぐに行動に移す。ここは魔女の館であるのだ。部屋中を引掻き回し自分に使えそうな魔導具を探し始めた。
簡易的に魔法を発動する為の魔導符。魔力を増幅させる為の魔宝石。それから魔力を封じ込めた短剣魔封剣などを肩下げ鞄に詰め込む。
そして……。
「お師匠様、力を貸してください……」
箪笥に仕舞ってあった。リーンクラフトの黒いローブと黒い帽子。
畏れ多いと思いながらそれらに手を伸ばすと身に付けた。
ローブは丈と袖が長い為に短剣で余っている部分を切り取って、帽子はぶかぶかだけれど被れないと言う程ではなかった。
お師匠様の衣服を身に付けるとなんだか身の引き締まる思いになる。それと同時に、なんだか暖かい、まるで母の腕に抱かれているかのような、そんな安心感を覚えた。
ミコットはキュっと唇を引き結ぶと部屋から出て駆け出した。
向かう場所はもう決めていた。
屋敷の屋上である、まずはそこまで行き森全体を見晴らし状況を把握する。
屋上には伝書鳩もいる。魔女は使い魔として動物達を使役することもできる。ミコットは特に動物達との意思疎通が得意であった。
鳩を使ってリーンクラフトの位置を掴むことができれば、オドの乱れたこの状況でも念話を使うことができるはずだ。
屋上へ通じる廊下を一気に駆け抜けると、階段の前でミコットは立ち止まった。
天井の梁の裏、そこにカサカサと動き回るなにかの気配に気が付いたからだ。
ミコットは魔導符を数枚手に取ると身構える。
同時に天井から数匹のスティマータが降りかかってきた。
先程のムカデ型よりも小型。ネズミほどの大きさの蟲がミコットの身体に取りつくと衣類の中に入り込み這いずり回る。
「い、いやっ」
皮膚の上を這う虫の感触にミコットは小さな悲鳴を上げた。
服の上から叩いても何の効果もない。その内、背中に激痛が走った。
「痛っ!」
肉を噛みちぎられたのか。ミコットは咄嗟に床に倒れ込み転がった。
もがいていると、今度は内股の部分をモゾモゾと這い上がってくる感触があった。
ミコットは恐怖した。この後、自分に身に起こるであろうことを想像して震えあがる。
駄目だ、駄目だ駄目だ、恐怖に飲み込まれては駄目だ。
そこでミコットは気が付いた。今、自分が身に付けているのは、魔法衣であることに。魔法衣とは、それ自体に魔法の効果が備わっておりある程度の攻撃ならば跳ね返し、通しもしない防御服。その内側に蟲達は居るのだ。
「お願い! 成功して!」
そう叫び、魔導符に加筆すると魔法を発動させた。
次の瞬間、ミコットの体中に電撃が走る。
いや、衣類の内側だけに。丁度、ミコットの身体と布の間だけを、空気の膜で遮断されているかのように電撃が走った。
小蟲達は電撃を受けると感電してショートどころか電圧に耐えらずに水風船のように破裂した。
衣服の中は蟲達の出した体液でドロドロになる。ミコットは背中や太腿を流れるドロっとした感触に嫌悪感を覚えるが、そんなことを気にしている暇はなかった。
もう、相当数の蟲達がこの屋敷内に入り込んでいることが想像できた。
リーンクラフトの屋敷は、それ全体が自然の大樹に飲み込まれるように出来たものであった。
内部にも樹の根や枝がまるでパイプや通気口のように張り巡り、草葉が生い茂っている。蟲達が身を潜めるには最適の空間であった。
慎重に辺りを警戒しながらゆっくりと階段を上がって行き、そっと顔を覗かせて様子を見ると、灯りのない真っ暗な廊下が長く伸びている。
陽の射さない廊下でもヒカリゴケがぼんやりと照らしているはずなのに、ミコットは眉根を顰めた。
そして、ハット気が付くとその光景にミコットは息を飲んだ。
真っ黒に見えた廊下は、天上や壁や床一面にびっしりと這いまわる蟲の群れであった。
ガサガサとキチキチと気色の悪い音を立てながら、光沢のある黒い外骨格が蠢いている。目だけが赤黒くポツポツと点滅していた。
無理だ、こんな所を通って屋上に向かうことなんて不可能であった。
屋敷はもう蟲の巣と化している。一刻も早くここから抜け出すことが先決だ。
ミコットは屋上へ向かうことを諦めると、物音を立てない様に階段を下りようとするのだが、先程の蟲の体液が足まで垂れていることに気が付かなかった。
液体で滑り、段を踏み外すと大きな音を立てて転げ落ちる。
体中を強かに打ち付けて、ミコットは意識が朦朧としてしまう。
「う……うぅぅ」
呻き声を上げ朦朧とする意識で辺りを見回すと、ムカデ型の蟲が数匹ミコットを取り囲み這いずり回っていた。
「いや……」
悲鳴を上げようとしたその瞬間、一斉に蟲達が飛びかかってきた。
「いやああああああっ! 助けてっ、お師匠様あああああああ! むぐぅうう」
口の中に何かが入りこんでくる感触がした。
ミコットはもう駄目だと思った。ここで自分は蟲達に食われて死ぬのだと。
覚悟を決める間もない。
あぁ、お師匠様、不出来な弟子でごめんなさい……。
目を瞑りその時が訪れるのを待った。
しかし、何も起こらない。
もう死んでしまったのだろうか? 痛みも苦しみもなくてよかった。しかし、なぜまだ意識があるのか?
そう思うと、背中にチクリと痛みを感じる。先程、蟲に噛まれた部分だ。
痛みを感じると言うことは、まだ生きていると言うこと。
ミコットは、恐る恐る目を開けてみると、目の前には想像だにしなかった光景が広がっていた。
大きな黒い背中があった。
手には銀黒色に光る武器を持っている。
その足元には、真っ二つにされたスティマータの死体が転がっている。
黒い装束を纏った何者かの背中を見上げ唖然としていると、頭上から太く重い声が降ってきた。
「ちっ、なんだここは? 蟲の巣窟じゃねえか」
そう悪態を吐くと黒い男は残りのスティマータへと向かって行くのであった。
続く
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