其の八十七 陽だまりの記憶9
大きな濁流のうねりから抜け出し精神が肉体に戻るとミコットはゆっくり瞳を開けた。
汗が全身に吹き出し肌を滴り落ちる。
立ち上がろうとするのだが眩暈を感じ床に倒れ込むと、同時に吐き気を催しその場に嘔吐した。
「ゲホっ、ゲホっ……はぁ……はぁ……勇者達には伝わった筈、あの場に四人居た。四人も居たんだ、必ず誰かが救援に来てくれる」
そう信じるしかなかった。
面識もない怪しい術を使う少女の言葉を本当に信じてくれるのか不安ではあった。
あとはもう信じることしかできない。どれくらい過去に飛んだのかは見当もつかなかった。もしかしたら、間に合わないかもしれない。それでも、今できる精一杯をやったのだ。
たった一人では成し得なかった。
側にアトミータが居てくれた。その事実が、ミコットの不安を拭い去った。
ミコットはアトミータの姿を見ようと、震える身体を起こし顔を上げた。
「アト……ミータ……」
アトミータを座らせた場所、そこには誰の姿もなかった。
*****
リーンクラフトは屋敷の方向から大きな魔力の波動を感じたことに、ホッと胸を撫で下ろした。
弟子が指示通りに行動し、そして大きな仕事をやり遂げてくれた。
嬉しかった。誇らしかった。今すぐにでも弟子の元へ行き、よくやったと抱きしめてやりたい思いに駆られる。
きっとあの子は少し照れながら満面の笑みを浮かべるだろう。
愛しい子、弟子、娘のように思っているあの子が、この先どのように成長するのか見届けたかった。
だが……。
「叶いそうにもないな……」
魔女の森を見下ろせる小高い丘、そこに伸びる神木。
この森で一番高く天上へと伸びる大樹の枝の上で、リーンクラフトは迫りくる敵を睨み付けた。
ギガース級スティマータが三体。
その後ろに更に大きな、ティタマトン級。
地面には無数の子蟲達がひしめいていた。
「馬鹿め、いくら蟲けらどもをけしかけた所で無駄だ」
リーンクラフトは手にした聖剣フロッティを空に掲げる。
フロッティは聖剣でありながら刃を持たない、1メートル程の長さの杖の様な形状をしている。
まさに魔女の持つ杖のような。華美な装飾も施されていない古びた杖。
聖機兵は召喚しない。リーンクラフトには、鉄の鎧を纏った武骨な兵器など必要なかった。
およそ普通の人間の生きる何倍もの寿命を生きてきたリーンクラフト。何世紀にも渡り研鑽を重ねてきた己が知識と技術、それらの結晶である魔法が機兵などという紛い物に劣るわけがないからだ。
体内で魔力を練り上げ、頭の中で術式を組み上げる。
ミコットが行ったように、魔法を発動させる為の儀式をアウトプットする必要などない。
「消し飛べ、
天空に大小の魔法陣が無数に生成されると、そこから稲妻が迸る。
強力な電撃がまるで蛇のように地面を転がりのたうつと、蟲達は次々に感電し動きを止めた。
大型のスティマータは完全に動きを止めることはできないまでも、大きなダメージを受けた様子。
止めを刺すべく、リーンクラフトは追撃の魔法を発動させようとした。
しかし、目の前の敵に意識を集中した瞬間、リーンクラフトは驚きの声を上げた。
「なんだ!? それは……なにを……それはなんだ汚れた蛮族の子孫めええっ!」
怒声を上げながら魔法を発動させる。
先程と同じように展開された無数の魔法陣から火球が放たれた。
大型のスティマータに向かって放たれた火球は直撃するかと思われたが、間に割って入った〝何か〝の直前で爆散した。
爆炎と煙に包まれ、その〝何か〝の姿は見えない。
しかし、リーンクラフトはそれから放たれる強大な力を感じ取っていた。
大きなエネルギーの塊が二つ。それらが混じりあい膨れ上がっていく。
朧げであったそれは次第に形を成し人型へと収束していく。
鬼神。
まさにそう呼ぶに相応しい外見であった。
真紅の装甲に身を包み。頭部と背中から、まるで炎の鬣とマントのように、余剰エネルギーが漏れ出て靡いている。
「聖機兵……? いや、違う。なんだあれは? なにを
リーンクラフトは歯ぎしりをし、握りしめる拳からは血が滴っていた。
これは怒りだった。怒りや憎しみに支配されてはならないと弟子に説いておきながら。自分自身はそれを制御できない、それほどまでに許せない〝物〝が目の前に存在しているのだ。
あれは消し去らなければならない。己が命を賭してでも。あれは絶対に存在してはならない物。この世の全てを飲み込み破壊するだけの存在、暴力の権化と呼ぶに相応しい存在。
破壊しなければならない破壊しなければならない破壊しなければ。
「う……うぉぉぉおおおおおおおっ!」
―― お師匠様っ! ――
叫び声と共にフロッティを振り上げた時、弟子の声が聞こえたような気がした。
念話ではない。
今ミコットは気を失っているか、現世乖離の術を使った反動で念話を行えない状態にある。
しかし、確かに聞こえた。弟子が止めてくれたのだ。怒りに身を任せて振り上げたこの拳を諌めてくれたのだ。
ミコット。
いつも一緒だった。
11年前、森の入り口に捨てられていた子供を拾ったのは気まぐれであった。
リーンクラフトは子を持たなかった。そんなものよりも、もっと興味のあるものが沢山あったからだ。
300と余年生きた人生の中で、生命を生み出したことのないリーンクラフトは、母親の気持ちなどわからないと思っていた。
自らが腹を痛めて生んだ子ではない。
だから……愛など持たない。
これは、情なのだ。
なのに、この子は……。
泣いて笑って、落ち込んだり怒ったり、時に拗ねたり。
色んな表情を見せてくれるミコットを研究する日々は、魔術の研究だけに没頭する日々よりもずっと充実した学ぶことの多い日々であった。
ミコットの居る日常は、まるで陽だまりのように暖かった。
そんな陽だまりの記憶だった。
「お……ぉぉぉぉぉ、ミコット……ミコットぉぉぉ」
リーンクラフトは、両手で顔を覆うと愛しい娘の名を呼び、涙を流すのであった。
続く
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