其の八十六 陽だまりの記憶8

 師匠であるリーンクラフトに命じられた言葉に従い、ミコットはとにかく屋敷へと急ぐ。

 あれからアトミータが黙り込んで大人しくなってくれたことは幸いであった。

 丁寧に身体を拭いて服を着させている暇もないので、そのままの状態で上着だけを着させると、ミコットも黒いローブを身に纏う。濡れた布が肌に張り付き気持ち悪かったが仕方がない。そして風呂場から出るとアトミータの手を引いて急ぐように言った。


「アトミータ、急いでください!」


 返事はない。

 ミコットは、強引に引き摺るようにしてアトミータの手を引いた。


「痛い……痛いっ! 離してアトラ、どうしてそんなことをするの?」

「どうしてって、早くしないとお師匠様が危ないんです! お願いだから言うことを聞いてアトミータっ!」


 怒鳴りつけて強引に引っ張って行こうとするのだが、アトミータはミコットの手を振り払うとその場に蹲り泣き出してしまった。


「ごめんなさい……ごめんなさい。言うことを聞くから痛くしないで。お願いします。お父様……ごめんさなさいごめんなさいごめんなさい」


 不安、怒り、恐怖、焦り、そんな感情にミコットは押し潰されそうになる。それらを無理矢理押さえ込もうとするのだが、少女の様に泣き声を上げるアトミータの姿を見てミコットは我に返った。


 いけない……こんな時こそお師匠様の教えを実践しないと。


 負の感情に対して負の感情を持って対抗してはならない。

 全てを受け入れることで、自分の中の弱い心は強さへと変わる。


「酷いことをしてごめんなさいアトミータ。許してくれる?」


 優しく語りかけて抱きしめると、アトミータはしゃくり上げながら頷いた。


「ありがとうアトミータ。あなたにお願いがあるの?」

「お願い?」

「うん。私のお師匠様がね、危険な状況なの。助ける為にお屋敷に行かなくてはならないわ。だからお願い、アトミータの出来る範囲でいい、一緒に走ってくれる?」

「お師匠様? それは、アトラの大切な人なの?」


 また、ミコットのことをアトラと呼んでいる。

 焦っては駄目だ。今はそれでいい。お師匠様を救う方が優先であると、ミコットは冷静さを取り戻していった。


「そうよアトミータ、あなたと同じくらい私にとって大切な人なの」

「わかったわアトラ……」


 そう言うとアトミータは立ち上がり、ミコットに手を引かれゆっくりと駆け出すのであった。


 それにしても、聖剣を持つ聖騎士達に助力を仰ぐとして、誰にどのように報せればいいのかミコットは迷った。

 なにより現世乖離の術。この大魔法を成功させることができなければお話にならない。

 そんなことを考えている内にお屋敷へと辿り着いた。

 靴も履かずに裸足のまま駆けて来たので足の裏は泥だらけだった。

 構わずそのままお屋敷の中に入って行くと階段を駆け上がる。向かうのはリーンクラフトの書斎。そこに行けば何かヒントがある気がしたからだ。


「アトミータはそこに居てね。しばらくじっとしていてお願い」


 アトミータを椅子に座らせるとミコットは本棚に向かおうとしてやめる。

 今から魔法の書物を読んで、それ通りに行っていては駄目だ。

 お師匠様がやりなさいと言ったのだ。それは、自分ならばそれができると信じてくれたからこそ出した指示。


「やれる、私ならできる」


 ミコットはそう呟くと、机の上にあったチョークを手に取り床に魔法陣を書き始める。

 お師匠様の様な綺麗な呪文は書けない。お師匠様の様に美しい公式も導き出せない。

 それでも精一杯の、自分自身が持ちうる知識をフル稼働させて、魔法陣の周りに術式を構築していく。


「あとは誰に……全員だ。聖剣の気配ならお師匠様のフロッティからずっと感じていた。それと同じ気配を辿って、全員同時に、そして……」


 そして、時を遡らなければならない。

 今から報せた所で、この魔女の森まで辿り着くのにどれくらいの日数を要するかわからない。それまで持ちこたえることなんて不可能だ。

 だから時間を遡り、過去に戻ってこのことを聖騎士達に伝えければならない。

 そんなことができるのか? いや、できるかできないかじゃない。やらなければならない。


 ミコットは魔法陣の中央に行くと両膝をつく。目を瞑り、胸の前で手を組む周りの気配を探る。

 聞こえてくる精霊達の声は、魔女の森への侵入者に怯え乱れていた。

 獣達も遠くへ逃げているようで気配を感じなかった。

 ミコットはたった一人でこの秘術を完成させなくてはならないと、不安に胸を押しつぶされそうになった。

 いや、一人ではない、アトミータが側に居る。そう思うとなぜか心が安らいでいくのをミコットは感じた。

 一人ではないことが、こんなにも安心感を与えてくれることにミコットは驚いていた。


 ありがとう、アトミータ。


 そう心の中で呟くと、大気を漂うオドの流れを読もうと意識を集中させた。

 大きな大きなオドの流れの中にその意識を落とし。

 自然の流れに逆らわず、少しずつ少しずつ、己の精神を溶け込ませていく。

 いつしかその流れがゆっくりゆっくりとなっていき、自分自身と一体になったような。そんな錯覚に落ちて行く。

 その時、ミコットは小さな光を見つけた。

 それが次第に近づいてくると大きくなり、一つに見えた光は四つへと分れる。


 聖剣……。


 聖剣を持つ勇者たちが一所に四人も……。


 ミコットはその光の元へと誘われるように進むと、ゆっくり言葉を紡いだ。


―― 聖剣を受け継ぎし勇者達よ。お聞きください ――



続く。

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