其の八十 陽だまりの記憶2
「今日はなにをしましょうかアトラ?」
庭に出ると森の方へと駆け出し、嬉しそうにそう言うアトミータの後を追いながら、ミコットは今日も一日この子に振り回されることになるのかとうんざりしていた。
アトミータがリーンクラフトの屋敷に来てから五日が経とうとしていた。
見つけた時は、かなり衰弱しているように見えたものの、ミコットの献身的な看護と若さが勝ったのか、アトミータはすぐに回復した。
今もミコットのことをアトラと呼んではいるが、それ以上はいたって健全な普通の少女に見えた。
少し見た目の年齢よりは幼く感じるものの、無邪気なその姿を微笑ましく思っていたミコットだったのだが、一日中森の中を駆け廻り遊んでいるアトミータに振り回されてヘトヘトであった。
お師匠様の言いつけで、彼女の面倒はミコットが見ていた。
そして勿論、ミコットは師匠リーンクラフトの身の回りのお世話もしなくてはならない。それが弟子であるミコットの仕事であるからだ。
それは修行の一環でもあった。
魔女とはその生涯が実験と研究の日々である。死ぬまで、いや、死んでも終わることはない。身体が朽ち果て魂だけになっても、果てなき探究心は朽ちることはないのだとリーンクラフトに教えられた。
魔女の修行とは、教わるのではなく学ぶことが肝要なのである。
師匠の一挙手一投足を見逃すことなく、その知識と技術を盗むことで学ぶのだ。
そういった観察眼を養うことは、自然と魔女としての素質を磨くことにもなるのだった。
「はぅぅぅ、今日もお師匠様の傍にいる時間がほとんど取れなそう」
大きく嘆息すると、アトミータが心配そうに顔を覗き込んできた為、ミコットは少し後ずさって誤魔化すように笑った。
「ど、どうしたのアトミータ?」
「アトラ、お師匠様って誰? ことあるごとにお師匠様お師匠様って、私も知っている人かしら?」
なんだか不満そうに聞いてくるアトミータを宥めながらミコットは説明をする。
「ですから。このお屋敷の主様で、私に魔術を教えてくださっている先生ですよ」
「いけないわアトラ。魔術だなんてお父様に知られたら、教会に連れて行かれて神父様に……」
そこまで言うとアトミータは急に黙り込んでしまった。
ミコットは不思議に思うのだが、アトミータの顔を覗き込んで驚く。
血の気が引き真っ蒼になったアトミータは、脂汗をかいてぶるぶると震えていた。そして急にその場にしゃがみ込むと嘔吐したのだ。
「アトミータ! 大丈夫!? どうしたの? どこか具合が悪いのですか?」
背中を擦ってやるとアトミータはミコットに抱きつき涙を流しながら言う。
「大丈夫よアトラ。お姉ちゃんが、私が絶対に守ってあげるから、あなたのことは私がこの身に変えても守ってあげるから、心配しないでアティ……心配しないで」
ミコットはわけがわからず、泣きじゃくるアトミータの頭を撫でてやるしかできなかった。
しばらくすると、アトミータも落ち着きを取り戻したので、今日はもうお屋敷に戻ってゆっくりしようということになった。
二人、手を繋ぎながら森の中を歩くと、まるで本物の姉妹のようで、ミコットは本当に姉がいたらこんな感じなのだろうかと思った。
少し……いや、かなり手のかかる姉であるが、それでもお師匠様はいるけれど、親姉妹、親類縁者のいないミコットにとっては、アトミータの存在が特別なものに感じられるようになってきていた。
屋敷の前まで戻って来ると人の姿が見えた。
それがお師匠様であると気が付くとミコットは、そう言えばまだ一度もお師匠様とアトミータは顔を合わせたことがないことに今更ながら気が付いた。
「アトミータ、あそこに居る人が私のお師匠様のリーンクラフト様よ」
そう言うのだがアトミータからは何の返事もない。
見上げると、アトミータは酷く警戒した様子で、リーンクラフトのことを睨みつけていた。
「どうしたの? アトミータ」
不安になり問いかけると、アトミータは険しい顔をしたまま立ち止まる。
ミコットは手を引いてお師匠様にご挨拶に行こうと言うのだが、アトミータは頑としてその場から動こうとしなかった。
「なんだか、あいつからは嫌な感じがする」
「そんなことはないわ。お師匠様は少し変わり者だけれど、とても優しい人なのよ。本当なら、魔女の森に迷い込んだ人間はそのまま放置するのが習わしなのに、あなたの事を助けたいと言う私の願いを聞き入れてくれたのよ」
説得するのだがアトミータは頭をぶるぶると横に振って聞こうとしない。
そしてリーンクラフトのことを指差しながら問いかけてくる。
「あいつの持っているあれはなんだ?」
「あ、あれは……聖剣です。お師匠様は、七聖剣の一人、フロッティを持つ聖騎士様でもあるんです」
言おうかどうか迷っていた。
しかし、それを話したところでどうなるわけでもないし、隠す意味もないと思った。
ミコットの説明を聞くと、アトミータは急に呆けた様な表情になり、固まってしまった。
「しち……聖……剣……聖騎士……キャ……ティ……ナ」
なにかボソボソと言っているのがわかったのだが、ミコットはよく聞き取れなかったのでどうしたのかと尋ねると、アトミータは何事もなかったように微笑んだ。
「いいえ、なんでもないわミコット」
その微笑が、憎悪を孕んだ悪魔の笑みであることに、その時のミコットは気がつかないのであった。
続く。
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