其の七十九 陽だまりの記憶1

 暖かい陽の差し込む部屋の中、ベッドの上で目覚めたアトミータが、ゆっくり身体を起こすと辺りを見回していた。

 ミコットはそれに気が付くと、読んでいた本を机の上にそっと置いて彼女に話しかける。

 おっとりとした優しい声で、相手に警戒されないように、少し音量は抑えて微笑みかける。


「おはようございます。よかったぁ意識が戻って、心配しないでくださいね。森の中で行き倒れていたあなたをここに連れて来たのは私です」


 ぼーっとしているように見えるアトミータのことを、不安がらせないようにしながら。ミコットは暖かいシナモンティーを淹れてあげた。


「ここで取れたハチミツを入れたシナモンティーです。美味しいですよ」


 不思議そうにしながらアトミータはカップを受け取ると恐る恐る口を付けた。

 どうやら気にいってくれたようで、美味しそうにシナモンティーを飲む彼女の姿にミコットはほっと一息吐いた。

 そして、シナモンティーを飲み干すとアトミータがようやく口を開いた。


「美味しかったわ。ありがとう、アトラ」


 目を細めて微笑むアトミータの言葉をミコットは慌てて訂正しようとする。


「あ、あの、違います。私の名前は」

「どうしたのアトラ? 私よ、アトミータよ? お姉ちゃんの事、忘れちゃったの?」


 そこでミコットはようやく気が付いた。

 魔女リーンクラフトの森に迷い込んできた少女の名前はアトミータと言うらしい。どんなに森に迷ったとしても、魔女の森に入ることなんて普通では考えられなかった。

 森には魔女の施した結界が張られており、悪意を持つ人間はその結界に阻まれて森に近づけないようになっているからだ。

 どんな人間でも必ず心の奥には闇が潜んでいる。

 それはどんなに高潔な聖職者であっても変わりはしない。人間であれば決して抗うことのできないさがである。

 もしもこの森に入ることの出来る者がいるとすれば、それは大魔法使いリーンクラフトと同等、或いはそれ以上の実力を持つ魔法使いか。或いは、穢れを知らない赤子か……。

 アトミータはおそらく後者であった。

 なにがあったのかはわからないが、アトミータは心神喪失状態にあり、きっと何も知らない生まれたばかりの赤ん坊のような純真無垢であるのかもしれないと、ミコットは思った。


「アトラ、ここはどこかしら? なんだかとても不思議なところね?」

「え、えっと。ここは魔女リーンクラフト様のお屋敷です」


 答えながらミコットは思う。

 アトラとは恐らく、アトミータが抱えていた頭の子のことだろうと。

 大事そうに、愛おしい者を慈しむように抱えていたそれは、切り取られてからどれくらい経っていたのだろうか。血の気の引いた肌は青紫色になり、ところどころ腐り始めていた。頭の皮膚も腐って剥がれ始めていて、髪の毛もだいぶ抜け落ちていた。

 かなりの異臭を放っていた為、申し訳ないがアトミータが目覚める前に、敷地内で一番陽の光のあたる暖かい場所に丁重に埋葬してやった。


「さっきから、変な話し方をするのねアトラ?」

「あ、あの私はミコ……」


 言いかけてミコットはやめる。

 今はまだ彼女を刺激するべきではないと、もう少し時間を置けばよくなるかもしれないと思い。今はアトミータに話しを合わせて彼女の妹の振りをすると、もう少しゆっくり休むように言って部屋を出て行った。


―― ミコット、私の部屋へ来なさい。


 突如お師匠様が念話で呼ぶので、ミコットは急いで廊下の奥にある階段を上がって屋敷の上階へと行く。

 階段を上がって廊下を右に行くと突き当りの部屋。木製の扉をノックすると中から返事があったので恐る恐る扉を開けた。


「し、失礼します。お師匠様……な、なんでしょうか?」


 部屋の中は4畳ほどの狭い書斎になっており、一枚だけある大きな窓から眩い日差しが射しこんでいた。

 ミコットは目を細めながらお師匠様の方を見る。

 お日様の光に照らされ、椅子に腰掛けるお師匠様は、いつみても美しく、気高く、まるで天から舞い降りた女神のようであると思った。

 白みがかったブロンドの長髪を頭の後ろでお団子形に結いあげていて、長い睫毛も、エメラルドグリーンの瞳も、そして雪の様に真っ白なその肌は溶けて消えてしまうのではないかと思うほどに美しかった。


「ミコット、彼女はどうですか?」

「は、はい、その……」


 ミコットは師匠リーンクラフトにアトミータが目覚めたこと、そして今はまだ記憶の混濁があるらしく、自分のことを妹と勘違いしていることなどを説明した。

 それを黙って聞いていたリーンクラフトは、小さく嘆息すると口元に笑みを浮かべる。


「なるほど、気狂いでしたか。どおりで私の術が効かないわけです」


 外見は美しく、物腰も優雅で丁寧な口調であるが、辛辣な物言いなのが玉に瑕なのがお師匠様のもったいないところであるとミコットは思った。


「あの、お師匠様……」

「だめよミコット。あなたが決めたことです。最後まであなたが責任をもってあの子のことを見なさい」

「わ、わかっています。そのことではなくて、昨日お話しした未来視のことです」


 ミコットには、アトミータのこととは別に気がかりなことがあった。それは、昨日ピクニックに出掛けて見た不穏なイメージのことだった。アトミータを連れて帰り、一息吐いてからお師匠様に報告に行ったきりであったことを思い出したのであった。




 続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る