其の七十八 おまえが望むのならば

 結局なにも答えることは出来なかった。

 キャロルティナの問い掛けに十郎太は、今はおまえに任せる、とだけ答えて部屋を出て行った。


 己の部屋に戻ると十郎太は鞘を帯から抜いて床に叩きつける。

 気圧された。

 たかだか齢十四の娘に気圧されてしまい、何も答えることのできなかったことに苛立つ。床に転がる愛刀を見つめて十郎太は思い返した。

 これで、これまでにどれほどの人間を斬って来たのか。

 こちらに来てからは只の一人も斬ってはいない。手に残るのは、甲虫種スティマータと呼ばれる物の怪のような生き物を斬る感触ばかりで、人の肉を斬り骨を断つ感触も忘れてしまいそうであった。

 そう、それは絶対に忘れてはならない事であった。

 己は人殺しである。例えここが異世界であり、過去の己を知る者が居ない世界だとしても、その事実が揺らぐことはない。数えきれないほどの人間を斬って来た大罪人なのだ。

 そんな罪人が何を望むと言うのか。

 キャロルティナはなにもわかっていない。十郎太はそう思う。そして同時に沖田ならば、新撰組一番隊組長である沖田総司ならば、己を理解してくれる。いつしかそんなことを考え始めていることに辟易とした。


 胸糞の悪くなる考えを頭から振り払うと、十郎太はベッドの上に寝転がり一眠りしようとするのだが、ふいに扉をノックする音が聞こえてきた。

 キャロルティナか、或いはカタリナが訪ねてきたのかと思い、面倒臭いので無視するのだが、しつこくノックするので十郎太は声を荒げた。


「うるせえっ! 床に就いたところだっ、明日にしやがれっ!」


 扉を叩く音が止み、しばらく部屋は静寂に包まれるのだが、外から声が聞こえる。


「わしだ、ボルザックだ。少しの時間で構わん、中に入れては貰えぬかな」


 ボルザック・ド・カルデロン子爵が己の部屋に尋ねてきたことに、いささか驚く十郎太は、訝しがりながらも扉をゆっくり開けた。

 扉の外にはボルザックが一人だけで居た。

 中に招き入れるとボルザックは椅子に腰掛け、十郎太は扉を閉めるとそのまま壁に凭れかかり腕組みをする。


「わりいが、なんのもてなしもできねえぜ」

「構わん、そちらの方が客人なのだ。むしろ、ドタバタとしてしまいなにもできずに申し訳ない」


 そう言ってボルザックが頭を下げるのを、十郎太は黙って見つめていた。

 二人はしばらく黙り込んだままでいるのだが、意を決したようにボルザックが口を開く。


「まずは、お主に礼を言いたい」

「礼? なんのだ?」

「姪であるキャロルティナをここまで守ってくれたことに。あれの伯父として本当に感謝している」

「そんなことか。気にすることじゃねえよ、俺自身が生きる為でもあった」


 十郎太の答えにボルザックは少し微笑むと神妙な面持ちになる。そして十郎太のことを睨み付けるように見据えると重い口を開いた。


「お主にお願い申し上げたい。キャロルティナの元から……去ってはくれないか」


 唐突に言われた言葉に十郎太は唖然としてしまう。

 この男は何を言っているのかと思う。しかし、すぐに十郎太は思い直す。

 ボルザックの言いたいことをなんとなくだが理解したのだ。


「わしはもう、あの子を危険な目に遭わせたくはないのだ。父も母も、大切な人達を失ったあの子が……どうしてあの子だけがこんな過酷な運命を背負わなければならないのか。不憫でならんのだ。わしは、あの子を養子に迎えるつもりだ。ダイアナも喜んでくれるだろう。あの子にはこれからの人生、幸せになって欲しいのだ」


 その通りだと思った。

 レオンハルトへの復讐にせよ。聖剣を受け継ぎ聖騎士として戦うにせよ。それは決して平坦な道のりではない、いばらの道である。

 キャロルティナと出会ってまだ幾ばくも月日は経っていない。しかし十郎太は、キャロルティナと同じ歳の頃に家を出て、死と隣り合わせの日々を送った己の過去を思い返して、こんなにも酷なことはないと思った。

 己の身に起こった事は自業自得の成すところだからと納得もできた。しかし、キャロルティナにはなんの咎もない。そんな娘が抱えるには、酷すぎる業であると思った。


「おまえが去ればあの子も諦めるだろう。もちろん十分な謝礼はするつもりだ。身勝手な言い分だという事は重々承知している。それをあの子が望んでいないこともわかっている。しかしだ、もうこれ以上は見ていられないのだ。このままあの子が不幸になって行くのを見ていられないのだ」


 涙ながらに語るボルザックの言葉で十郎太は我に返った。

 なにを言うのかと、なぜそれをおまえが決めるのかと思った。

 そして、己の考えもすぐに改める。

 十郎太は床に転がったままの剣を拾い直すと腰に差し直した。

 そしてドアノブに手を掛けると部屋から出て行こうとする。それを見てボルザックは何事かと慌てふためき十郎太に声を掛ける。


「ど、どうしたのだ急に? 何か気に障ることでも言ったか!?」

「いいや、あんたの言うことはもっともだぜ。あんな年頃の娘に負わせるような業じゃねえ。それはその通りだ」

「な、ならば」

「だがっ!」


 ボルザックの言葉を遮るように十郎太は声を張ると背を向けたまま言った。


「幸か不幸か。それを決めるのはあいつ自身だ。誰かの憐みの上に成り立つ幸せなんて、あいつはそんなもんを望みはしねえ」


 そのまま部屋を飛び出すと十郎太はキャロルティナの部屋へと走る。そして部屋の前まで来るとドンドンと扉を叩いて大声で呼んだ。


「な、なんだ!? どうしたのだ急に? なにをそんなに血相を変えて、どうしたと言うのだジューロータ?」


 慌てて飛び出してきたキャロルティナが、酷く不安気な様子で見上げているので十郎太は少し可笑しくなり、口元に笑みを浮かべると言うのであった。


「さっきの問いに答えるぜキャロルティナ。俺はおまえの行く末を見届ける。それが、俺の今やりてえことだ。その為に、俺はおまえの剣になる。おまえが望むのなら、立ち塞がる全てを斬ってやる。それが、人斬りである俺に唯一出来ることだ」


 突然の十郎太の言葉にキャロルティナはきょとんとしているのだが、すぐに表情を緩ませると満面の笑みを浮かべるのであった。



 続く。

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