其の七十四 魔女の森

 ミコットはその日、お師匠様に縫ってもらったお気に入りの刺繍がしてあるローブを纏うと、バスケットにジンジャークッキーとシナモンティーを入れて出かけた。

 日差しがジリジリと照りつけるけれど、草原を吹き抜ける風が心地良く、精霊たちの声もその日は一段と大きくて、夏のお祭りがもうすぐなのだなと感じた。


 草原にシーツを広げると、ジンジャークッキーと一緒にシナモンティーを頂く。

 そうしている内に、いつしか林の中から獣達が現れて、ミコットに少し分けてくれないかと擦り寄って来た。

 クッキーを割って獣達に分け与えてやり、砕いたものは草原に捲くとカナリア達がやってきてついばんだ。

 ミコットは、ずっと一人だけれど寂しくはなかった。

 森に住む動物達や植物、自然界に存在する精霊達と会話し、心を交わすことで楽しい毎日を過ごしているのである。


「今年も、おまえ達と一緒に街のお祭りにいけるかしらね? お師匠様のお許しがでればいいのだけれど、なにか最近、よろしくないオドの流れを感じるって。おまえ達も感じているの?」


 森の守り主である狼にそう問いかけるも、なにもわからないと言った様子なので、ミコットは大きな溜息を吐く。そろそろ行かなくてはと荷物をバスケットにしまい直して立ち上がった。

 ふと見上げた東の空に、大きな暗雲が立ち込めている。ミコットは眉を顰めると、そこになにか嫌な気配を感じた。

 その瞬間、頭の中に大きなイメージが流れ込んでくるのをミコットは感じた。

 暗い闇の中に揺らめく大きな二つの炎が一つになると、巨大な炎の人型へと変わる。

 炎の巨人は荒れ狂うその強大な力で全ての物を飲み込み焼き尽くそうとしている。そんな恐ろしいイメージが頭の中を駆け廻ると、ミコットはいつの間にか両腕で肩を抱き、両膝を突いて震えている自分が居ることに気が付いた。

 そんなミコットの顔を心配そうに覗きこむ動物達。


「ありがとうおまえ達、心配ないわ。私は大魔法使い、魔女リーンクラフトの一番弟子なのよ。今のはきっと、なにかの兆しかもしれないわ。帰ったら、お師匠様に尋ねてみる」


 そう言って獣達と別れると森の中へと入っていった。


 鬱蒼と茂る木々の中を進んで行くミコット。そこは獣道ですらない道なき道。もし、なにか呼び名を付けるとすれば、魔の道である。

 魔女だけが通ることを許された魔の道。ミコットの進む先は、まるで彼女だけを通してあげると謂わんばかりに、木々が避けて道を作ってくれる。

 行先はお師匠様の居る屋敷である。今日はピクニックも少し早めに切り上げてお師匠様に今見たイメージのことを尋ねてみようと、ミコットは歩を早めた。

 そこでミコットは、ふと何かが気になり足を止めた。

 辺りを見回して、その何かを探ろうとする。自然界には様々なオドの力が流れている。

 生命のある物だけではなく、無機物でさえも持っている力。そのオドの流れを注意深く観察することが、魔女になる為にまず必要な条件だ。

 オドの流れを読むことができれば、自然界にある七つのエレメントを探ることができるようになる。そのエレメントを駆使し、時には精霊達の力を借りて行使するものが魔法なのである。


 ミコットはこの場に流れるオドに集中すると、小さな生命の力を感じた。

 細い糸を手繰り寄せるように近づいて行くとミコットは声を上げた。


「人だわ! どうしてこんな所に? 普通では決して入ることのできない場所なのに」


 駆け寄ると、ミコットは小さな悲鳴を上げる。

 どうやら自分よりは年上であるが少女のようであった。

 黒いなにかに塗れた甲冑を身に纏った少女は、大木に凭れ掛かり眠っているようであった。

 いや、眠っていると言うより気を失っているように見える。酷く憔悴しきったように見えるその姿、そしてミコットが悲鳴を上げた理由。


 その少女は、まるで赤子を抱えるように人の生首を抱きしめて眠っていたからだ。


 それは、アトミータであった。

 ミコットにはパトラルカであった出来事を知る由もない。

 目の前の少女になにがあったのかなど想像もできないだろう。

 大事に抱える生首が、その少女の最愛の妹であることも、ミコットには決してわからないことであった。


 しかし、このままここに放って行くことはできないとミコットは思った。



―― お師匠様……お師匠様…… ――



 外では弱まってしまう念話もここは魔女の森である。呼びかけるとすぐに返事があった。


―― どうしたのですかミコット? ――


―― 人が、どうやら女の子が森に迷い込んでしまったみたいで ――


―― ええ、知っているわ。 それがどうかしたの? ――



 当然だとミコットは思った。

 ここは魔女リーンクラフトの森である。そこに侵入者があれば気が付かないわけがない。

 そして、魔女は人とは深い関わりを持ってはならないもの。だから、お師匠様は放っておいたのだとミコットは察する。

 どうかしたのかと問い掛けられてミコットが黙り込んでいると、お師匠様の方から話しかけてきた。


―― その子を助けたいのね ――


 ミコットは黙ったままでいる。


―― ミコット、魔女と人は決して相容れぬ存在であると教えたわよね ――


―― でもお師匠様。生きとし生けるもの、全ての生命に手を差し伸べるのが魔女でもあると…… ――


 そこまで言ってミコットは口を噤む。口答えをしてしまったことに、ごめんなさいと謝るとしばしの沈黙の後に、お師匠様が答えた。


―― いいわミコット、その子を連れて来なさい ――


―― いいんですか!? ――


―― ただし、生きるか死ぬかはその子次第。魔女は神ではないのです。魔法で命を救おうだなどと、そんなおこがましい事を考えてはなりませんよ ――



 ミコットはお師匠様の言葉に大きく頷くのであった。




 続く。

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