其の五十一 姉妹
辺り一面に広がる血の海。そこに浮かぶ無数の、蟲の死骸と人の遺体。それらを見下ろしながら十郎太は思う、ここに居る者達は何を思い何を求めてやって来たのか、混沌とする世の中に絶望し、欲望と快楽に溺れることで
「極楽浄土にはいけそうもないがな……」
「なにか言ったかジューロータ?」
よく聞き取れなかったのかキャロルティナが怪訝顔で聞き返すのだが、十郎太は「何でもない」と言うとイルティナの元へと行く。
イルティナは既に息絶えていた。最期に彼女が指差したのは果たしてなんだったのか? 十郎太の剣の在り処を教えようとしたのか。それとも信仰する神の像を指差しただけであったのか。それはもう誰にもわからないことであった。
遺体に衣服をそっとかけてやると、キャロルティナは彼女の為に祈りを捧げる。あまり交流はなかったが、カミラの古くからの友人であったイルティナとは顔見知りではあった。
やはり、見知っている者がこうして命を落とすのは、いや、例えその日にあった者だったとしても、目の前で誰かが死んでいくことはキャロルティナにとっては辛いことであった。
「キャロルティナ、そろそろ行くぞ。また蟲共がやってくるかもしれん」
十郎太の言葉に頷きキャロルティナが、顔を上げて立ち上がろうとしたところで動きが止まる。何やら幽霊でも見たかのような、そんな驚いた表情でじっと見つめる視線の先に十郎太も目をやると、そこにはアトラと向かい合うアトミータの姿があった。
ぼろぼろの満身創痍ではあったが、大きな怪我や出血も見当たらないので無事のようであった。
「アティ、よかった。探したのよ」
「……」
「もう心配はいらないわ。お姉ちゃんが来たから、ね? アティ」
幼少期のあだ名で妹を呼びながらゆっくりと近寄って行くアトミータは、アトラのことをそっと抱き寄せると頭に手を回し優しく撫でてやる。
「ごめんねアトラ。お姉ちゃんが間違っていたわ。あなたを守らなくちゃいけなかったのに、本当にごめんね。もう二度と、もう二度とこんな酷い目に遭わせたりはしないわ、アトラ、お姉ちゃんがあなたのことを、ずうっと守ってあげるから」
先ほどの自分の行いを悔やみ謝罪するアトミータであったが、どこか様子がおかしいように思えた。
アトミータが見ているアトラは、今のアトラなのだろうか? 彼女の目に映っているのは、遠い、幼い日のアトラ。か弱く小さな妹、守らなくてはならない存在。自分はアトラの姉であり母であり父なのだから。
なんだかおかしな雰囲気に気が付いたキャロルティナが、二人に駆け寄ろうとするのだが、十郎太が手を掴みそれを止めた。キャロルティナは離すように訴えるのだが、十郎太は静かに首を横に振った。
「お……ねえ……ちゃん」
「どうしたのアトラ?」
「今まで、ずっと、ずっとずっとずっと、ごめんなさいって言いたかった。ずっと謝りたかった。私の為にお姉ちゃんが辛い思いをしてきたこと、痛いことも、悲しいことも、全部全部お姉ちゃんが背負ってきたことを、ずっと謝りたかった」
泣きながら謝り続けるアトラから手を離すとアトミータはにこりと笑う。
「そう……じゃあ、なんで代わってくれなかったの?」
冷たい声でそう言うと、憎しみの表情を浮かべるアトミータ。アトラは困惑の表情を浮かべながら首を横に振る。
「どうしてって……」
「おまえは自分が助かりたかっただけなんだっ! 他人を犠牲にしても平気な顔をしていられる奴なんだっ! 私が男共にレイプされている間も、おまえはずっと自分自身でなくてよかったと! 心の中ではずっとそう思っていたんだろうっ!」
「ちがう、ちがうわアトミータっ! 私は……」
「黙れえええっ! おまえもこれでわかっただろうっ!? 男どもがどれほど汚く醜く粗野で乱暴で鬼畜な存在であることにっ! それとも、男共に輪姦されてよがり狂っていたのかこの淫売めえっ!」
「アトミータアアアアアアアアアアアアっ!」
狂ったように暴言を吐き続けるアトミータの名を叫びアトラが飛び掛かる。その瞬間、風船から空気が抜けるような音が微かに響くと、真っ赤な鮮血が噴水のように噴き上がった。
その光景に十郎太は苦い顔をし、キャロルティナは瞬きすることもできず茫然と見つめていることしかできなかった。
アトミータのことを突き飛ばしたアトラの喉元に、生まれたばかりのスティマータの幼生が齧りついていた。壇上に転がっていた楕円形の卵の様な物。儀式の時に、アトラの血を浴びせた丸い石であったが、そのてっぺんが柘榴の花のように開き、中からネバネバした液体が流れ出していた。
「ア……アトラ? アトラああああああああああああああっ!」
アトミータは短剣を引き抜くと、アトラに喰らいついているスティマータを引き剥がして突き立てた。生まれたばかりのスティマータの柔らかい外皮を貫くと、何度も何度も刃を突き立てる。スティマータが絶命すると、アトミータはアトラに縋り付き抱き起こした。
「アトラっ、アトラああっ! 嫌だっ、死なないでっ! アトラあああっ!」
アトラは血塗れの手でアトミータの頬を撫でると何かを呟くのだが、泡状の血を吐き出すと、だらりと腕が落ちて動かなくなった。
「い……や……アトラ……そんなの駄目、アトラ……嫌よ。アトラっ! あなたがいなくなったら私は一人ぼっちになってしまうわっ! もう、誰も私のことを愛してくれない、誰も私のことを抱きしめてくれない、誰も、アトラ、アトラ……アトラあああああああ」
アトミータの悲鳴が響く中、姉の腕の中でアトラは幸せな表情を浮かべながら息を引き取るのであった。
続く。
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