其の五十 迷う剣
十郎太はエッケザックスを拾い上げると、キャロルティナとアトラに奥の穴に隠れているように言う。
使い慣れない両刃の西洋刀ではあるが、日本刀よりも小ぶりなので剣と言うよりも短刀に近いエッケザックス。十郎太はそれを片手で構えた。
逃げ惑う信者達に襲い掛かっていたスティマータ数匹が、十郎太達に気が付くと壇上へ上がってきた。
十郎太はまず正面の蟲に斬りかかる。愛刀とは違い、軽く短い片手剣の為に斬り込みが浅かったのか、致命傷には至らずスティマータはそのまま十郎太へと飛び掛かってくる。それを身を捩りひらりと躱すと横薙ぎに斬りつけた。スティマータの背中のあたりに横一線に深い切れ込みが入ると体液が噴き出す、その時後方からキャロルティナが叫んだ。
「ジューロータ! 右だっ!」
「わかっているっ!」
別の蟲が右手から飛び掛かって来るのを十郎太は躱さずに受け止める。エッケザックスをスティマータの顔面に突き立てると、そのまま深く押し込み下に引き抜いた。その一撃で絶命するのだが、背中を裂かれた蟲はまだ息がある。そいつに止めを刺そうと振り返ると、今度は別の蟲が壇上へ上がってキャロルティナ達の方へと向かって行った。
「ちいっ! キャロルティナ!」
次々と上がってくる蟲を斬りながら十郎太はキャロルティナを守ろうとするのだが、左手の方で倒れ込んでいるイルティナの肉を貪り始めている蟲に気が付いた。
死者の尊厳。
キャロルティナのあの言葉が頭を過ぎる。
あの女はまだ辛うじて息がある。だがもう虫の息だ。おそらくはもう手の施しようもないだろう、蟲に喰われる前に絶命してしまってもおかしくはないそんな状態だ。ならば捨て置いてキャロルティナを救うのが先決ではないのか? 振り返ると放心状態のアトラを、身を挺して守ろうとしているキャロルティナの姿が見える。そういえばアトミータはどこへ消えたのか? 妹を守ると言ってふらふらと行ってしまってから姿が見えない。
様々な事が脳内を駆け巡る。己は一体、誰を守れば良いのか。何を守れば良いのか。十郎太は迷っていた。その迷いが剣を鈍らせる。こんなにも剣を重く感じ、斬ることに迷いを感じることは初めてであった。
ただ殺す為に、ただ言われるがままに命を奪ってきた剣とは違い。己の意思で、誰かを守る為に、命を奪う為ではなく救う為に振るう剣が、こんなにも重いとは知らなかった。
「俺は今まで、どれだけ楽な剣を振るってきたのか……」
そう呟くと十郎太はイルティナの元へと駆け出していた。
わけがわからなかった。なぜ己を殺そうとしていた女を救おうとしているのか? 蟲から救ったところですぐに死ぬであろう女を、なぜキャロルティナよりも優先したのか。
わからなかったが、キャロルティナならそうするだろうと思った。己のこの選択を、キャロルティナなら、間違っていないと言うと思った。
イルティナの右足を喰らっているスティマータを斬りつけると壇上から蹴落とす。十郎太はイルティナを抱え起こすと今一度声を掛けた。
「おいっ! イルティナと言ったな? 死ぬ前に教えてくれ。俺の剣をどこへやった!?」
十郎太は最早意識はないと見られるイルティナに懇願する。その間に、別の蟲が鎌で十郎太の背中を斬りつけた。イルティナを抱えながら地面を転がると、キャロルティナの悲鳴が聞こえてくる。
万事休すであった。あまりにも多勢に無勢。無数の蟲に囲まれて、己の手には短剣が一振りあるのみ。自分一人が逃げるだけならなんとかなるかもしれないが、誰かを、それを複数の誰かを守り抜くことなど到底無理だ。
そう思ったその時、すでに息がないと思われたイルティナが一瞬息を吹き返す。
震える手で指差したのは壇上の奥、キャロルティナとアトラが身を隠した穴の真上。悪魔の像であった。
「あそこかっ!」
しかし、周りには既にスティマータ共がひしめいており、一歩も近づけなかった。
十郎太は逡巡する。しかし今は迷っている場合ではない、頼るしかない、今あそこに一番近いのはあいつしかいないのだから。己が玉砕覚悟で蟲の群れの中に突っ込むよりも可能性はある。その可能性に賭けるしかない。小娘に頼るのは癪ではあるがやむを得ない。
「キャロルティナあああああっ! おまえの頭の上にある、気味の悪い像のどこかに俺の剣があるっ! 俺はそこまで行けんっ! おまえがなんとかしろおおおおおっ!」
返事はなかった。十郎太は群がる蟲達と交戦を続ける。体中を切り刻まれながら、蟲共を斬り殺していく。己が息絶えるのが先か、蟲を全て屠るのが先か。どう考えても、己の死ぬ方が先かと覚悟を決めたその時。
「ジューロータアアアアアアアアアアアっ! 受け取れえええええええええっ!」
その声に突き動かされるように、十郎太は顔を上げ思いっきり手を天に突き上げた。
偶然か、奇跡か。キャロルティナの投げた日本刀は十郎太の手へと収まる。瞬きする間もなく剣を引き抜くと横一線。群がる無数のスティマータの身体が斜めにずれていくと、噴水の様に体液が降り注いだ。
まるで魔を裂き鬼を突く、破邪の剣。いや、それは、命を斬る為だけに研ぎ澄まされた妖刀。十郎太が瞬く間に死骸の山を積み上げると、剣は禍々しい光を放つのであった。
続く。
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