其の四十九 流転

 狂宴は絶頂を迎えようとしていた。

 乱れ狂うイルティナは、魔の宴のメインイベントに用意した十郎太を、最後の生贄に捧げようとする。聖剣エッケザックスを両手で逆手に持つと、神に捧げるように天へと突きあげた。それを見て信者達も狂喜乱舞する。イルティナが突き上げた剣の切っ先が、生贄の喉元に突き立てられ、鮮血の噴き上がる瞬間を、今か今かと注視していた。

 そして、剣が振り下ろされた瞬間、絶叫、歓喜の声が降り注ぐのだが、それは直後悲鳴へと変わった。


 聖剣の切っ先は十郎太の喉を外れて地面へと突き立てられていた。


「な、なぜだっ? いつから意識があった!」

「最初からだよ。だいぶ朦朧とはしていたがな」


 十郎太はイルティナの両手首を掴みながらニヤリと笑う。


「ふざけるなっ! 普通の人間が意識を保てるような薬の量ではなかったはずだっ!」


 そう言った瞬間、イルティナは自分の手首を掴む十郎太の手に何か違和感を覚える。

 十郎太の手の平、小指側の下の方、一番肉厚な部分に何か骨とは違った堅い感触。そこに丸い鉄の塊の様なものがあった。


「く……ぎ? まさか、おまえ、自分の手の平にずっとこれを刺したまま?」

「あの真っ暗な牢獄の中で拾ってな。隙があれば、こいつで細工して鍵を開けてやろうと思ってたんだけどな」


 その言葉にイルティナは奥歯を噛み悔しげな表情を浮かべる。

 十郎太は薬で眠ってしまわないように、自分の手の平に長い釘を刺して、痛みによって意識が覚醒するようにしていた。隙を見て、釘の上に手の平を叩きつけたのだ。相当の痛みであったが、おかげでこうやって意識を保っていられたのだから、我慢した甲斐があったというものである。


 イルティナはもう一度、剣を十郎太に突き立てようとするのだが、がっちりと手を掴まれている為に剣を引き抜くことができなかった。しかし、上に居る分まだ優位な状態にあるのはイルティナの方であった。腕に噛みつき手を離させようとするも。十郎太も暴れて抵抗した。

 そうやって二人揉みあいになっていると、イルティナが急に小さな呻き声を上げて、腕から力が抜けていった。突然の事に十郎太には何があったのかわからなかった。


 イルティナがふるふると震えながら振り返るとそこにはアトミータが立っていた。


「ア……アトミータ……なんで?」

「イル……ティナ……あ、あなたを、愛して……いたのに」

「アト……ミー……」


 イルティナは意識を失い、十郎太の身体の上へ倒れこんでしまった。

 十郎太がそれを抱え上げようとすると、背中の辺りにぬるりとした感触。この生暖かい感触は、血であると十郎太にはすぐにわかった。

 アトミータの方を見ると、その手には血の付いた短剣が握られていた。


「おいっ! しっかりしろ、おいっ! これはまずいな、出血が酷い。これではすぐに死んでしまうぞ」


 脇腹を深く刺されたイルティナの傷は深く、内臓まで達していた。緊急の輸血と手術を行わなければ助からない状態であるが、よもやここにそんな物があるわけもなく、十郎太には傷口を押さえて懸命に止血を試みるしかなかった。

 その姿を茫然と見つめている信者達は、壇上で一体なにが起こっているのか、最早正確に判断できる者は居なかった。生贄ではなく教祖であるイルティナが血を流して倒れている、刺したのは補佐である筈のアトミータ。そしてイルティナのことを懸命に救おうとしているのは生贄の方である。その無茶苦茶な状況に、薬でぼんやりしている頭がついて行かないのだ。


 茫然と立ち尽くしているアトミータに対して十郎太は声を荒げる。


「何をしているっ! 医者だ、すぐに医者を呼んで来いっ! あと大量の布だ。傷口を押さえて止血しないと死ぬぞっ!」

「わ、私は……。アト……ラ、アトラを助けに行かなくちゃ。私の……私の大切な妹なの。私は、お姉ちゃんなんだから……だから、妹を助けに行かなくちゃ」


 十郎太の言葉は無視して、アトミータはぶつぶつと言いながらふらふらと歩いて行ってしまった。

 その視点の定まらない目は何を見ているのか。最早正気ではないアトミータの姿に、十郎太は顔を顰めるとイルティナの方へ向き直り呼吸と脈を確認した。


「ちぃっ……もう、手遅れか」


 舌打ちした直後、なにか爆発音のようなものが小さく鳴り、同時にビリビリと鳴る地響き、そして小さな揺れをその場に居た全員が感じた。何が起きたのかと、全員が不安気に天井を見上げるのだが、直後、後方で悲鳴と共に声が上がった。


「む、蟲だああああああああああっ!」


 そこからは阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

 狭い入口から雪崩れ込んで来たスティマータの群れ。信者達が次々とその餌食となって行く。なぜ蟲がこんな所に居るのかと思うのだが、このままここに居ては己も蟲の餌になってしまうと、十郎太はイルティナを肩に抱え上げようとしたその時、逃げ惑う人々の中に居る人物に気が付きその人物の名前を叫んだ。


「キャロルティナああああああああっ!」


 名を呼ばれ驚いたキャロルティナは、キョロキョロと辺りを見回すと壇上に居る十郎太の姿に気が付く。その無事な姿にホッとするのだが、なぜ半裸状態なのかと怪訝顔をした。


「壇上に上がれキャロルティナっ!」

「なんだ、なんの騒ぎだ一体? と言うか、其処許はなぜ裸なのだ? 一体今まで何をしていたのだああああっ!」

「黙れ阿呆、今はそんなことを話している場合じゃないっ! 蟲がそこら中に居るぞっ!」


 その言葉によくよく周りを見ると、スティマータが信者達に襲い掛かり、肉を貪っていることに気が付いた。キャロルティナはようやく今の状況を理解した。

 キャロルティナはアトラの手を引き慌てて壇上に近づくと、十郎太が二人を引き上げてくれた。


「何が一体どうなっているのだ?」

「俺の方が知りてえよ。それより、おまえは大丈夫なのか?」

「私は問題ない。だが、アトラが……」


 アトラの姿を見て十郎太は何があったのかを察すると、「わかった」とだけ言った。

 すぐに助けに行けなかった己の責任でもあるが、今は悔やんでいる時ではない。とにかくこの危機的状況から抜け出さなくてはならなかった。




 続く。

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