其の四十六 奈落の底に落ちて行く感覚

 キャロルティナはカーテンを思いっきり引っ張って引き千切る。ベッドのシーツとカーテンと、クローゼットにあった衣類を固く結びつけると長いロープが出来上がった。

 結び目を何度か強く引っ張り解けないことを確認するとベッドの足に縛り付けた。

 窓枠に鉄格子などが嵌っていなくて良かったと、今頃になってキャロルティナは胸を撫で下ろす。窓を開けると身を乗り出し下を見る。誰も居ないことを確認すると、キャロルティナはベッドと反対側の布の先を椅子に括り付けて、窓からゆっくりと降ろして行った。

 椅子が地面に着いた感触がしたので、キャロルティナは大きく深呼吸をする。

次はいよいよ自分がこの布で作ったロープをつたって降りる番だ。手を滑らしたら、或いは布が途中で解けてしまったら。地面に向かって真っ逆さま。地上まで十数メートルはあるだろうこの高さから落ちれば命はないだろう。

 キャロルティナはもう一度辺りを見回して、下には誰も居ないことを確認すると、ロープをしっかりと掴み窓枠の上に立った。

 足が震えた。少し風が吹くだけでロープがゆらゆらと揺れる。


「大丈夫……大丈夫……一度やってるんだ。同じようにやればいい」


 キャロルティナは自分にそう言い聞かせると、外に背を向けてゆっくり身体を傾けた。

 足は窓枠の縁にかけたまま、ゆっくりゆっくり、すこしずつ下へとずらしていく。慎重に、体重は後ろにかけたまま、丁度足を塀に突っ張るような姿勢だ。

 一歩ずつ、ゆっくりではあるが、確実に降りて行くキャロルティナ。布との摩擦で手の平の皮が剥けてしまった。痛いが我慢するしかない。緊張の為に余計な力が入り手が震える。もう少し、もう少しで地上に着く。そう自分に言い聞かせて、下は見ないように、自分の降りて来た窓を見ながら。

 一歩降りる度に窓枠が確実に遠ざかって行く。後少しだ。そう思った時、小さな揺れをキャロルティナは感じた。直後、ドンッっと突き上げるような衝撃を受けると、空が白く光ったように感じた。

 いや、確かに明るい。後方を見ると、眩い光の柱が見えた。何が起こったのかわけがわからずにいると、強い衝撃が再び起こり大地が大きく揺れた。


「なんでこんな時に? きゃあああああああああっ!」


 大きな地震が起こると、キャロルティナの身体も大きく揺さぶられる。


「駄目っ! 今揺さぶられたら落ちるっ!」


 懸命にロープに掴まり、塀に踏ん張るのだが、キャロルティナはふわりと身体が宙に浮くような感覚を覚えた。

 それはまるでスローモーションであった。

 上の方で解けた布の先がゆらゆらと揺れながら落ちてくる。まるで白い蛇が空中をのたうつように見えた。

 キャロルティナは咄嗟に手を伸ばすとそれを掴もうとするのだが、掴んだところでどうしようもない。もうすでに解けてしまった布を掴んだって一緒に落ち行くだけだ。

 もう駄目だと思った次の瞬間、大きな衝撃を背中に受けるキャロルティナであった。

 なにかガサガサチクチクとした感触を全身に感じると、自分はここで死んでしまうのだとキャロルティナは思った。

 父の仇も、母の仇も討てぬままに。パトラルカを、カミラを救うこともできずにこんな所で命を落としてしまうなんて、やっぱり自分は何もできない、ただの小娘であると心底情けなくなり。最後に大声をあげてやろうと思った。


「ち……ちっぅ……ちっくしょおおおおおおおおっ! ゴホッゴホッ!」


 大声を上げてガバっと身体を起こして咳こむと、キャロルティナは目の前に眩い明りがあることに気が付いた。

 目を細めてよく見ると、サーラとメリッサがキャロルティナの顔を覗きこんで、安堵の表情を浮かべていた。二人はアトミータとアトラと一緒に斥候に出ていた騎士達だ。

 年長のサーラの方がキャロルティナの頭に付いた藁を掃いながら言う。


「間に合ってよかったぁぁぁ。上を見上げたら、あなたがぶら下がっていたから慌てて荷車に積んでた牧草を引いてきたのよ」


 キャロルティナは自分が牧草の山の上に落ちたことに気が付くと、なんだか急に恥ずかしくなり真っ赤になる。

 それを見てサーラとメリッサはクスクスと笑っていたのだが、すぐに真剣な表情になりキャロルティナに告げる。


「キャロルティナ様。今はなにも聞きません、どうしてあんなことになっていたのかは聞きませんが、今はとにかく城の中にお戻りください」

「スティマータが来ているのだな?」

「……」

「答えてっ! 私にだってわかる。これから戦争でも始めようって喧騒じゃないかっ!」


 問い詰められるとサーラとメリッサは顔を見合わせ、キャロルティナの方へ向き直り大きく頷いた。


「さっきの光の柱と、大きな地震はなに? 火山でも噴火したの?」

「違います。あれは……あれは、カミラ様の聖機兵です」


 なるほどとキャロルティナは合点がいった。大地をも揺るがすほどの一撃を放てる兵器があるとすれば、それは聖機兵より他にはない。カミラの持つ4の剣、聖機兵ホヴズの必殺の一撃だと言う事だろう。


 しかし、サーラとメリッサは浮かない表情をしている。

 キャロルティナはすぐに察した。おそらくカミラは一騎で出撃したのだろう。当然、十郎太は一緒ではない。自分がここに居て、エッケザックスもないのだ。


「ジューロータはどうしている?」


 キャロルティナが問いかけると、メリッサはわからないと困惑の表情を浮かべるのだが、その横でサーラは俯き黙りこんでいる。


「何か心当たりがあるんだな? サーラ、頼むっ! 何か知っているなら教えてくれっ! カミラ様は言っていた。今回のスティマータはホヴズと相性が悪いのだと。このままではカミラ様が死んでしまうかもしれないぞっ! いや、それどころかパトラルカが滅んでしまう! サーラっ!」


 鬼気迫るキャロルティナの言葉にサーラは首を横に振りながら涙を流すと、震える声で言うのであった。


「誰にも……誰にも言わないでください。イルティナ様と、アトミータが……」



 続く。

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