其の四十二 オール・ナイトメア・ロング
どんなに懇願しても、どんなに助けを求めても、やめてはくれなかった。
10歳になる頃、おまえの肉体には悪魔が宿っていると父に言われ、教会にやってきたアトミータはその日、神父に犯された。
それ以降、これは神聖な儀式であると父に言いくるめられて無理矢理、何度も何度も男達の慰み者にされた。
なんのことはなかった。田舎貴族の父が資金繰りに困ったあげく、投資に失敗、借金の形にと娘を売ったのだ。勿論、子供に客を取らせて得た金でどうにかなるような額ではない。それは要するに貴族同士の道楽の付き合いでもあった。
娘を売ることで出来たパイプによってなんとか生き延びようとする。そんな醜い父親のことをアトミータは心の中で呪った。きっとその時、本当に悪魔が自分の中に宿ったのであろうと、いや、きっとこれが自分にとっての神であるのだと。あいつらの信仰する神こそが悪魔なのだと気が付いた。
ある日、そんな悪魔どもの魔手は妹アトラにまで及ぼうとした。そんなことは許せなかった。この世の全てに絶望していたアトミータにとって、唯一の拠り所であったアトラを、血の繋がった妹をそんな目に合わせることなんてできなかった。
アトミータは父に懇願した。自分が今以上に客を取るからと。だからアトラだけは許してくれと。
そんな折、12歳の時にアトミータはキャロルティナと出逢う。
救国の英雄。伝説の七聖剣の子孫であるキャロルティナは、同じ貴族でありながら別世界の人間のように思えて、その煌びやかな外見と、高貴な振る舞いにアトミータは心を奪われた。
歳の近かったキャロルティナと姉妹はすぐに打ち解けた。年長であるアトミータは、姉妹のいないキャロルティナにとって本当の姉のように思えて、憧れの存在となった。
数か月に一度、夜会の時などに顔を合わせるだけであったが、アトミータとキャロルティナとアトラは本当の姉妹の様に仲睦まじい時間を過ごした。
アトミータは三人で居る時だけは、あの事を忘れることができて幸せを感じていた。
しかし、そんな幸せもある日突然音を立てて崩れ去る。父が約束を破り、妹アトラを男に売ろうとしたのだ。それを知ったアトミータは、剣を手に取ると情事に及ぼうとした男と父を斬り殺した。アトラはその時、薬で眠らされていた為に何も知らずに済んだ。
その後、どんな経緯があったのかは知る由もないが、アトミータの家は取り潰しとなり、姉妹揃って引き取られたのがイルティナの家であった。
*****
暗い地下牢の為に、時間の感覚が麻痺してしまっていることに十郎太は息が詰まる思いでいた。
キャロルティナから借りている懐中時計は当然没収されてしまっている。捕えられてからどれくらいの時間が経ったのだろうか? そう何刻も経っていないだろうと言う事はわかるが、せめて明かり取りでもあれば陽の動きでわかりもするのにと舌打ちをする。
それにしても心配なのが、時間の感覚がわからなくなることによって、己の気が触れてしまわないかと言う事だった。
どんなに気を張っていても、いつかはその緊張の糸も切れて、気が付かぬ内に狂ってしまうであろう。それは、どんな偉丈夫であろうと抗えない人間の性であった。
とは言っても結局はやることもないので寝ているだけしかないと、十郎太は身体を横にしたその時、何者かの気配を鉄格子の外に感じた。
「誰だ?」
「ジューロータさん、私です。アトラです」
姿はよく見えないが聞き覚えのある声に十郎太は、声の主はアトラ本人で間違いないだろうと思った。
「どうやってここに来た?」
「簡単なことです。こう見えて私だってカミラ様の私設騎士団の一員の一人なんですよ。鍵も持って来ています。すぐにここから逃げましょう」
十郎太が呆気にとられていると、錠前を外す音がなり牢屋の戸が開いた。
「だから言ったんです。すぐにここから逃げてくださいと」
「おまえが煮え切らねえ態度だったから判断しかねたんだよ。まあ、結果から言えばおまえが正しかったがな」
十郎太の手枷を外すとアトラはアルコールランプを取り出して火を点けた。
急に明るくなったので十郎太は軽く目を瞑るのだが、すぐに明かりになれると辺りを見回す。
周囲は洞窟の様になっており、壁面には十郎太が入っていた牢屋のように幾つかの鉄格子があったが、どうやら十郎太以外に収監されている者は居ないようであった。
「行きましょうジューロータさん。ここを出たら、城に入る時に使った抜け穴に向かってください。馬が用意してあります。それを使って」
「ちょっと待て、キャロルティナはどうしている? あいつもそこへ向かっているのか?」
「キャロの事は私がなんとかしますから」
「なんとかってなんだ? まさか、あいつの身に何かあったのか!?」
詰め寄る十郎太にアトラは何も答えないのだが、いい加減にアトラのそんな態度に辟易していた十郎太は、胸倉を掴みあげると怒りを露わにした。
「いい加減、話したらどうなんだ?」
睨み付ける十郎太から目を背けるアトラ。
「悪魔崇拝だかなんだか知らねえが、おめえの姉貴のやっていることが救い難え阿呆なことだってのはわかっているんだろう! だからおめえはこうやって俺に助け舟をだしたんじゃねえのか?」
その言葉にアトラは十郎太の目を睨みつけると涙声で言った。
「なにも知らないくせに……。姉さんの事、何も知らないくせにっ! あなたも、キャロルティナもっ、姉さんがどんだけ苦しんできたか。小さな頃から、私を守る為にどれだけその身を犠牲にしてきたか知らないくせにっ!」
叫びながらぼろぼろと涙を流し始めるアトラ。
そう、アトラは知っていたのだ。姉の身になにがあったのかを、ずっと前から知っていたのだ。
アトラはずっと、アトミータがイルティナに陶酔、依存し、破滅へ向かっていることに悩み苦しんでいた。その責任の一端が自分にもあることも知っていた。
だからこそアトラは自分自身の手で、姉をこの悪夢の連鎖から救い出さねばならないと、そう思っていたのだ。
続く。
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